第4話 確度98.2%
【迷宮探索者協会 発表】
【第十二層事故 KAGAMI判定:事故(ハウンド種の異常個体による襲撃)】
【確度:98.2%】
翌朝のニュースサイトのトップに、その文字が並んでいた。
九十八・二パーセント。
私は、マグカップを持ったまま動けなくなった。
三日前、第十一層の現場で木戸室長に見せられた数字と、小数点以下まで同じだった。
◇
協会本部の受付は、一階のガラス張りのロビーにある。
「事故調査に関する意見書を、提出したいのですが」
受付の女性は、私の顔を見て、少しだけ困った顔をした。
三日前まで、同じ建物で働いていた人だ。
「確認しますね」
内線で誰かと話したあと、彼女は小さく頭を下げた。
「DX推進室の木戸室長が、直接お話しするそうです」
五分後、エレベーターから木戸室長が降りてきた。
今日も、靴底はきれいだった。
「灰原さん。困るんだよね」
ロビーの真ん中で、木戸室長は腕を組んだ。
「部外者の意見書は受け付けてないの。それにさ、昨日の配信。あれ、協会の地図を使ってたでしょ」
「協会がホームページで公開している地図です」
「解説が問題なんだよ。元職員が、在職中に知った情報を使って、協会の判定を否定する。守秘義務って言葉、知ってるよね」
「使ったのは、公開されている映像と、公開されている地図だけです」
「それを決めるのは、灰原さんじゃないから」
木戸室長は、ロビーにいる人たちの視線を気にするように、声を落とした。
「KAGAMIの判定は九十八パーセント。灰原さんの配信は、たまたま当たっただけ。それ以上、協会の邪魔をするなら、法務と相談させてもらうから」
ロビーの大型モニターには、KAGAMIの導入を知らせる広告が流れていた。
白い背景に、青い文字。
――事故調査を、三日から三分へ。
私は意見書の封筒を、鞄に戻した。
木戸室長がエレベーターに消えたあと、受付の女性が、カウンター越しに小さく手招きをした。
「灰原さん」
声を潜めて、彼女は言った。
「昨日の配信、見てました。事務の子たち、みんな見てたんです。……木戸さんには、言えませんけど」
「ありがとうございます」
「それと、これ」
彼女が差し出したのは、協会の売店のどら焼きだった。
「灰原さん、お昼いつもカップ麺だったから」
どうして、みんな私の食事のことを知っているのだろう。
◇
チャンネル登録者数は、一晩で五万人を超えていた。
テレビ局から三件、雑誌から五件、取材の依頼が来ている。
全部、断った。話せることは、配信で全部話している。
灯火の配信にも、お礼のコメントと投げ銭が殺到しているらしい。
犬飼さんから、短いメッセージが届いた。
『アストラの新人の子から、手紙が来ました。灰原さんにも、ありがとうって伝えてくださいって』
それから、もう一通。
『あと、ちゃんとご飯食べてますか』
私は、空になったカップ麺の容器を見下ろして、返信に少し迷った。
『食べています』
嘘ではない。
アストラの公式アカウントは、昼に声明を出していた。
『昨夜の事故は、協会の判定どおり、ハウンド種の異常個体によるものです。一部配信者による“未確認種”との主張には、根拠がありません』
コメント欄では、私を擁護する人と、アストラを擁護する人が言い争っていた。
私は、それを最後まで読まずに閉じた。
◇
夜の十時。
アパートの近くの児童公園で、私は真壁さんと会っていた。
ブランコの横のベンチ。街灯がひとつ。
真壁さんは、コンビニの袋を二つ持っていた。
「あの、これ。灰原さんの配信の後ろに、カップ麺の容器が積んであるのが映ってて、ちょっと話題になってて……」
袋の中には、おにぎりと、野菜ジュースと、サラダチキンが入っていた。
どこで、そんな話が広まっているのだろう。
「……ありがとうございます」
「それで、本題なんですけど」
真壁さんは、膝の上でノートパソコンを開いた。
「KAGAMIの確度って、普通は事故ごとに必ずばらつくんです。映像の明るさも、センサーの数値も、毎回違うので。九十七・六とか、九十八・九とか」
「はい」
「小数点以下まで同じ確度が、二回続くことは、ほぼありません。計算したら、確率は〇・〇三パーセント以下でした」
真壁さんは、画面をこちらに向けた。
「だから、KAGAMIの内部の記録を調べたんです。判定のときに、何を参考にしたのか」
画面には、英語と数字の羅列が並んでいた。
真壁さんが、その一行を指でなぞる。
「十一層の事故も、十二層の事故も、ここが同じでした」
――参照した類似事例:該当なし。
「KAGAMIは、過去に似た事故を一件も見つけられなかったんです。似たものが一件もないとき、KAGAMIは、いちばん近い“知っているもの”に当てはめます。だから、どちらもハウンドになった。九十八・二は、その当てはめの時に出る、決まった数字なんです」
「……知らないものを、知っているものにした」
「はい。KAGAMIは嘘をついてません。ただ、知らなかった」
真壁さんは、ノートパソコンを閉じた。
それから、ブランコの方を見たまま、ぽつりと言った。
「僕の父も、ダンジョンで亡くなってるんです。十年前に。第九層で」
私は、何も言わずに続きを待った。
「事故の調査結果が出るまで、三か月かかりました。その三か月、母は毎晩、台所で泣いてた。『どうして死んだのか分からないのが、いちばんつらい』って」
街灯の光が、真壁さんの眼鏡に白く映っていた。
「だから、KAGAMIを作りました。遺族を、待たせないために。三分で答えを出せれば、誰も三か月泣かずに済むって」
「……はい」
「でも、間違った答えを三分で出すのは、三か月待たせるより、ひどいことかもしれない。最近、そう思うようになりました」
真壁さんの声は、小さかった。
KAGAMIを信じている人の声だった。信じているからこそ、迷っている声だった。
「灰原さん。僕も、KAGAMIの判定はおかしいと思っています。だから、教えてほしいんです。KAGAMIに、何が足りないのか」
私は、すぐには答えられなかった。
知らなかった。
本当に、そうだろうか。
◇
部屋に戻ってから、私は志摩さんの鑑識鞄を開けた。
番号札の束の下に、黒い手帳が一冊入っている。
志摩さんが、現場で走り書きをしていた手帳だ。七年間、怖くて一度も開けなかった。
最初から読む勇気は、まだなかった。
私は、志摩さんが最後に何を書いたのかだけを知りたくて、いちばん後ろのページを開いた。
三本の、平行な線。
鉛筆で、定規を当てたように丁寧に描かれている。
その横に、志摩さんの癖のある字で、こう書かれていた。
――4.2cm 爪にあらず
日付は、七年前。
志摩さんが亡くなる、三日前だった。




