第27話 公開検証(前編)
午後一時。
協会の公式チャンネルの同時接続は、配信が始まった時点で、百二十万を超えていた。
五週間前、私の配信を見ていたのは、二人だった。
◇
協会本部の大会議室。
十六日前、久遠寺理事が記者会見を開いた、同じ部屋だ。
正面の一段高い席に、会長と、外部の委員が三人。弁護士と、大学の教授と、探索者の代表。
左の席に、請求者の千春さんと、車椅子の鷹野さん。
右の席に、協会側の説明者として、久遠寺理事が一人で座っている。
紺のスーツ。白髪の混じった短い髪。
穏やかな顔で、手元の資料に目を落としていた。
部屋の後ろ半分は、傍聴席になっていた。
一番前の列に、犬飼さんと灯火の三人。早乙女さんと水瀬さん。
壁際の机では、真壁さんが、協会のKAGAMIの端末の前に座っている。
御子柴さんの席だけが、空いていた。
私は、部屋の真ん中に置かれた、長い白いテーブルの前に立った。
テーブルの真上に、カメラが一台。テーブルの上の様子が、そのまま正面の大きな画面と、配信に映るようになっている。
テーブルの上には、この五週間に撮った現場の写真を、印刷して並べてあった。
『では、請求者側の説明を、お願いします』
会長の声で、私は、志摩さんの鞄を開けた。
「元・迷宮鑑識官の、灰原です。これから、私が現場に置いてきた番号札を、1番から順に、もう一度置いていきます」
一枚目の写真の上に、黄色い札を置く。
「1番。第十一層。壁に残った三本の線です」
◇
1番から4番。
第十一層の三本の線と、血痕と足跡。そして、第十四層の三本の線。
深さが同じ。幅は、どちらも四・二センチ。
「生き物の爪なら、真ん中の線が一番深くなります。この傷を付けたものには、指の長さの違いがありません」
5番、6番。天井の苔の剥がれと、脚の跡。
7番から9番。第十二層、骨喰いの通り道と、撤退路にした西の通路。
10番、11番。第十四層の、壁の三本線と天井の脚の跡。
12番。そこで拾った、抜け殻の欠片。
協会の図鑑と、照らし合わせた結果。
「第三十一層より下にしかいないはずの、骨喰いです。それが、第十一層まで上がってきていました」
13番。燃えかす。
「警察の鑑定で、違法な魔草、蜜灯草の燃えかすと分かっています。燃やすと甘い煙が出て、魔物を引き寄せます」
14番から16番、18番から20番は、写真だけをテーブルに置いた。
「この二つは、別の事件です。どちらも、すでに警察が解決しています」
傍聴席の記者たちが、小さく笑った。
KAGAMI成果発表会の、あの日のことを思い出したのだろう。
21番。22番。
「第十二層。アストラの配信の、十九時三十八分です」
正面の画面に、鷹野さんが真鍮の筒を岩の隙間に置く映像が映る。
筒の上に、細い煙の筋。天井を伝い、北の通路へ流れていく。
「この煙に引かれて、四分後に、骨喰いが現れました」
◇
『よろしいですか』
久遠寺理事が、手を挙げた。
会長が、うなずく。
『灰原氏の説明は、興味深く聞きました。ただ、その煙の映像は、灰原氏のお仲間が、明るさを調整したものですね』
穏やかな声だった。
十六日前の会見と、同じ声。
『暗い映像の明るさをいじれば、何でも見えるものです。それを証拠と呼ぶのは、いかがなものでしょうか』
傍聴席が、ざわついた。
「では」
私は、壁際の真壁さんの方を見た。
「協会のKAGAMIで、協会が保管している元の映像を、処理してください。私たちの手を、一度も通っていない映像を」
会長が、少し考えてから、うなずいた。
『認めます。協会の保管庫の映像を使ってください』
真壁さんが、協会の端末を操作する。
協会のサーバーから、あの夜のアストラの配信の、元の映像が呼び出された。
『KAGAMIより。映像の解析を開始します』
会議室のスピーカーから、平坦な合成音声が流れた。
白骨回廊で、何度も聞いた声だ。
真壁さんが、ドローンに付けたのと同じ音声を、協会のKAGAMIにもつないだのだという。
三分後。
『十九時三十八分十二秒。画面左下の物体の上方に、気流の揺らぎを検出。ランタンの光の屈折から、微細な粒子を含む煙と推定。煙は天井に沿って、北の通路の方向へ流れています』
正面の画面に、KAGAMIが処理した映像が映る。
真壁さんが処理したものと、同じ煙の筋が浮かんでいた。
『人為的な発煙である可能性、九十四パーセント。人による確認を推奨します』
傍聴席の誰かが、小さく噴き出した。
久遠寺理事の表情は、変わらなかった。
『なるほど。煙は、あったのでしょう。しかし、それを焚かせたのが誰か、という話は、また別です』
◇
「俺が、話します」
鷹野さんが、車椅子の上で、マイクを握った。
「あの筒は、俺が置きました。イヤモニで、相談役に言われて。演出用の発煙筒だって」
鷹野さんは、まっすぐ右の席を見た。
「二十八層で、俺を突き落とした人の声も、同じ声でした。……今、そこで喋ってる声です」
会議室が、静まり返った。
久遠寺理事は、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、怒りも、焦りもなかった。
『鷹野君。君は、十八メートル落ちて、二日間、暗闇の中にいた。混乱するのは当然だ。私は、君を責めるつもりはないよ』
鷹野さんの手が、マイクを握ったまま白くなった。
『声が似ている人間など、いくらでもいます』
久遠寺理事は、会長の方に向き直った。
『それより、私が申し上げたいのは、灰原氏ご本人のことです。灰原氏は、亡くなった志摩氏の遺品を、七年間、無断で持ち歩いていた人物です。そのような人物の――』
「それは、違います」
千春さんが、立ち上がっていた。
小柄な体で、まっすぐ、久遠寺理事を見ていた。
手に、黄ばんだ一枚の紙を持っている。
「志摩鉄二の、妻です。あの鞄は、協会が、正式に私に返したものです。その受領書が、これです」
千春さんは、受領書を、私のテーブルの上に置いた。
私は、その上に、36番の札を置いた。
「私が、葬儀の日に、灰原さんに渡しました。『あの人の目を、あなたが続けて』と言って」
会長が、委員の一人に何かを指示した。
五分後、協会の保管文書の中から、同じ受領書の控えが見つかったと報告があった。
傍聴席のあちこちで、声が上がった。
久遠寺理事は、少しだけ目を伏せた。
『それは、協会の調査に誤りがあったようです。志摩さんの奥様には、お詫び申し上げます』
深く、丁寧に、頭を下げる。
それから、顔を上げた。
『しかし、鞄の件と、二十八層の「発見」は、別の話です』
声は、少しも揺れていなかった。
『七年間、見つからなかった札が、灰原氏が現場に行ったとたんに見つかった。灰原氏が、どこかに隠し持っていなかったと、誰が証明できるのでしょう。その場にいたのは、灰原氏のお仲間と、灰原氏を嘱託にした刑事だけです』
会議室の空気が、また、二つに割れた。
私は、テーブルの上の札を見下ろした。
1番から13番。21番、22番。それから、36番。
17番の場所は、まだ空いている。
「証明するのは、私ではありません」
私は、顔を上げた。
「現場です。……23番に、進みます」
『その前に、十分間の休憩とします』
会長の声が、私の言葉に重なった。
休憩に入ってすぐ、ポケットのスマホが、一度だけ震えた。
空いたままの席の、主からだった。
『理事室の棚。押さえた』




