第23話 嘱託解除
――警視庁迷宮課嘱託 灰原つむぎ 本日付をもって、委嘱を解く。
翌朝、届いた通知は、その一文だけだった。
理由は、書かれていなかった。
◇
「理由は、俺から言う」
昼過ぎ、御子柴さんは、私のアパートの近くの児童公園に来た。
ブランコの横のベンチ。前に、真壁さんと話した場所だ。
「協会から、警視庁に正式な申し入れがあった。『証拠捏造の疑いがある人物を、捜査に関わらせるのは問題だ』とな。協会の顧問には、警察の元幹部が何人もいる。上は、それを無視できなかった」
「御子柴さんの立場は」
「俺のことはいい」
御子柴さんは、缶コーヒーを二本、ベンチに置いた。
一本を、私の方に押しやる。
「17番の札と、ビーコンの破片は、保管庫には入れていない。科捜研の鑑定室で、俺の封印をして、鑑定官に直接預けてある。七年前に蜜灯草が消えた保管庫と、同じ場所に置くつもりはない」
「ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない。それと」
御子柴さんは、手帳を開いた。
「嘱託は解かれたが、事件が消えたわけじゃない。鷹野の件は、俺の事件だ。俺は、俺の事件として続ける。……あんたの意見を、個人的に聞きに来ることはあるかもしれん」
「個人的に、ですね」
「個人的にだ」
御子柴さんは、缶コーヒーを一口飲んで、顔をしかめた。
前にも、同じ顔をしていた。コーヒーが、あまり好きではないのかもしれない。
◇
悪い知らせは、それだけではなかった。
夕方、配信アプリを開くと、画面に赤い文字が出ていた。
――このチャンネルは、利用規約違反(虚偽の事故情報の拡散)の通報が多数寄せられたため、審査が終わるまで一時停止されています。
チャンネル登録者、三十一万人。
一度も配信できない三十一万人になった。
探索者免許は、停止されている。
嘱託は、解かれた。
配信も、止められた。
ひと月足らず前、地下二階の窓のない部屋で、段ボールを詰めていた日のことを思い出した。
あの日より、今の方が、手の中に何もなかった。
◇
夜の八時に、玄関のチャイムが鳴った。
扉を開けると、犬飼さんが、スーパーの袋を両手に提げて立っていた。
「灰原さん。今日、何食べました」
「……コーヒーを」
「それ、食べたうちに入りません」
犬飼さんは、私の返事を待たずに、六畳一間に上がり込んだ。
小さな台所で、袋の中身を広げ始める。
豚肉。玉ねぎ。卵。冷凍のご飯。
「台所、借ります」
「料理、できるんですか」
「灯火の遠征のときは、俺が飯当番なんで」
十五分後、小さな折りたたみの机の上に、生姜焼きと卵のスープが並んだ。
この部屋の台所で、誰かが料理をしたのは、引っ越してから初めてだった。
「いただきます」
一口食べて、箸が止まった。
温かかった。
「……おいしいです」
「よかった」
犬飼さんは、自分の分には手をつけずに、私が食べるのを見ていた。
「チャンネル、止められたって、結城から聞きました」
「はい」
「灯火のチャンネル、使ってください」
私は、顔を上げた。
「灯火の登録者、灰原さんのおかげで二十万超えたんです。その二十万人に、灰原さんの声を届けるのは、当たり前のことです」
「でも、灯火まで通報されるかもしれません」
「されたら、されたで」
犬飼さんは、肩をすくめた。
「あの日、同接二の配信を見てたやつが、今さら、そんなこと気にしません」
私は、スープの湯気の向こうの犬飼さんを見た。
あの日、同時接続が二になって、最初に流れたコメントは『誰?』だった。
二人目の結城さんが書いた、『地味すぎて草』の前に。
――あれを書いたのは、たぶん犬飼さんだ。でも、本人の口から聞いたことはない。
聞こうとして、やめた。
今は、それどころではなかった。
「……ありがとうございます。お願いします」
◇
犬飼さんが帰ったあと、私は、志摩さんの手帳を開いた。
最後のページから、毎晩一枚ずつ遡って読んでいる。
白骨回廊から戻ってからは、一晩に何枚も読むようになった。今は、最後から二十ページ目まで来ている。
ページをめくる。
そこには、絵が描いてあった。
平たい、細い金属の歯が、四本。
櫛のように並んで、太い柄につながっている。
横に、志摩さんの字で、寸法が書き込まれていた。
――歯の幅 8mm。間隔 5mm。
息が、止まった。
鷹野さんのビーコンに残っていた、四本の跡。
七年前の救助隊のビーコンに残っていた、四本の跡。
一本、八ミリ。間隔、五ミリ。
絵の下に、さらに小さな字で、何行か書かれていた。
――二十八層の事故。被害者のビーコン、三件とも同じ潰れ方。落盤ではない。
――この形、見覚えあり。救助隊の解除具。
解除具。
聞いたことのない言葉だった。
――亡くなった隊員のビーコンを止めるための道具。死者の信号が鳴り続けると、救助隊が二次遭難するため。
私は、番号札を一枚、手帳の横に置いた。
38番。
志摩さんは、七年前に、気づいていた。
二十八層で事故に遭った探索者たちのビーコンが、落盤で潰れたのではなく、道具で止められていたことに。
それなら、その何日か後に救助隊と降りていったとき、志摩さんは何を思っていたのだろう。
自分たちのビーコンも、同じ道具で止められるかもしれないと、分かっていたのだろうか。
――あいつには、まだ見せたくないものがある。
千春さんから聞いた言葉が、耳の奥で響いた。
ページの一番下に、最後の一行があった。
鉛筆が強く押しつけられて、紙が少し破れかけている。
――解除具を持てるのは、救助隊の隊長だけ。




