第22話 削除ログ
『灰原さん。消した人の、足跡が見つかりました』
夜の十時。
真壁さんからの電話は、それだけ言って切れた。
三十分後、私は探索者向けファミレスの、いつもの窓際の席にいた。
◇
「消したつもりのものは、消えてなかったんです」
真壁さんは、ノートパソコンを私の方に向けた。
目の下に、濃い隈ができている。三日、ほとんど寝ていないらしい。
隣の席では、犬飼さんが、真壁さんのために頼んだ日替わり定食を見張っていた。
「冷めるぞ。食え」
「あとで食べます」
「今食え」
真壁さんは、ハンバーグを一切れだけ口に入れて、話を続けた。
「KAGAMIの開発を始めて少ししたころ、念のために、協会のサーバーを丸ごと複製して、外付けのディスクに入れておいたんです。学習データだけじゃなくて、サーバーの中身を、全部。学習データの部分しか開いたことがなくて、ずっと忘れてました」
「全部」
「はい。その中に、『退避領域』っていう場所がありました。パソコンでいうと、ゴミ箱みたいなところです」
真壁さんが、画面に一覧を出した。
調書番号、四一二一。四一二二。四一二三。
四一三八まで。十八件。
「消えた十八件は、本当に消されたんじゃなくて、このゴミ箱に移されていただけでした。中身は、全部、無事です」
私は、画面の一覧を見つめた。
十八件。
私の控えになかった四件も、そこにあった。
調書番号、四一二七。四一三〇。四一三三。四一三七。
作成者の欄に、同じ名前が四回並んでいる。
――鑑識官 志摩鉄二。
「……志摩さんの」
声が、かすれた。
七年前に鞄から消えた、四件の控え。
その元の調書が、二年前にゴミ箱に放り込まれたまま、誰にも見られずに残っていた。
四件目、調書番号四一三七。
日付は、志摩さんが亡くなる五日前。
所見の欄に、志摩さんの言葉が、そのまま打ち込まれていた。
――第二十八層東端、地図にない通路あり。甘い匂い。継続して調査の要あり。
私は、しばらく、何も言えなかった。
志摩さんは、書いていた。
正式な調書に、ちゃんと。
それを、誰かが、なかったことにした。
◇
「それで、足跡というのは」
犬飼さんが、静かに聞いた。
「ゴミ箱には、自分の記録が残るんです。いつ、どの端末から、何が放り込まれたか」
真壁さんは、画面を切り替えた。
「協会の本番のサーバーでは、削除した人のIDは、管理者権限で消されていました。前に話した通りです。でも、ゴミ箱の中の記録までは、消し忘れていた」
黒い画面に、白い文字が一行。
【移動元:学習データ/調書四一二一〜四一三八 移動者端末:RJ-07 日時:三月十四日 二十三時四十一分】
日付は、二年前のものだった。
私は、番号札を一枚、画面の横に置いた。
37番。
「RJ-07、というのは」
「協会の端末番号の決まりで、RJは理事の執務室です。07は、第七執務室。久遠寺理事の部屋です」
真壁さんは、協会の内部の座席表を、記憶をたどるように書き出した。
DX推進室にいた頃、端末の管理表を毎日見ていたのだという。
「その部屋に置かれている、秘書の方の端末です。久遠寺理事の、専属の」
犬飼さんが、テーブルの上で拳を握った。
「じゃあ、その秘書が」
「待ってください」
私は、画面の日時を指さした。
「三月十四日。二十三時四十一分」
夜の、十二時近く。
「真壁さん。二年前の三月に、協会の広報誌は出ていましたか」
「広報誌? 毎月出てます。公式サイトに、全部載ってますけど」
「三月号と、四月号を見せてください」
真壁さんが、首を傾げながら検索する。
協会の広報誌「迷宮だより」。二年前の四月号。
ページをめくっていく。
協会の行事の報告。新しい探索者の紹介。理事会の決定事項。
そして、一枚の写真。
――海外ダンジョン安全会議、ジュネーブで開催(三月十二日〜十七日)。協会代表団の通訳として、理事室の秘書が同行。
写真の中で、スーツ姿の女性が、会長の隣で微笑んでいた。
「三月十四日の夜、秘書の方は、日本にいませんでした。代表団の名簿に、久遠寺理事の名前はありません」
真壁さんが、あっと声を上げた。
「じゃあ、誰かが、秘書さんの端末を使った」
「はい。でも、あの端末は、第七執務室の中にしかありません」
私は、協会本部の建物を思い浮かべた。
鑑識官だった頃、何度か書類を届けに行った、最上階の理事室。
「あの部屋の扉は、理事本人と、秘書のカードでしか開きません」
犬飼さんが、ゆっくりと私を見た。
「秘書が、日本にいなかったなら」
「その夜、あの部屋に入れたのは、一人だけです」
店の中は、深夜のせいで、ほとんど客がいなかった。
ドリンクバーの機械が、また、氷を落とした。
◇
「この記録、どうしますか」
真壁さんが、ノートパソコンを閉じかけて、手を止めた。
「僕が勝手にサーバーを丸ごと複製したことは、協会の規則違反です。これを出したら、僕も、ただじゃ済まないと思います」
「真壁さん」
「でも、出します。出させてください」
真壁さんは、まっすぐ私を見た。
「KAGAMIは、志摩さんの調書を読めなかった。読ませてもらえなかった。それが、全部の始まりだったんです。開発者として、その十八件は、ちゃんとKAGAMIに返したい」
「判定は、どうしますか。今、ここで、開発用のKAGAMIに読ませることもできますけど」
私は、少し考えて、首を振った。
「やめておきましょう」
「え?」
「ここで出た判定は、私たちが自分で出した判定です。誰も信じません」
私は、37番の札を、鞄に戻した。
「十八件を、協会のKAGAMIに戻してもらいます。協会の機械が、協会の記録を読んで、公開の場で判定を出す。それなら、誰も否定できません」
「公聴会は、非公開ですよ」
犬飼さんが言った。
「非公開のままでは、困ります」
私は、窓の外の暗い駐車場を見た。
「だから、公開にしてもらいます」
二人が、顔を見合わせた。
「どうやって」
「まだ、分かりません」
正直に答えると、犬飼さんが、少しだけ笑った。
「分からないものを、分からないって言うの、灰原さんらしいですね」
真壁さんが、ようやく冷めたハンバーグに箸を伸ばした。
◇
帰り道、私は一人で、夜の歩道を歩いていた。
RJ-07。三月十四日、二十三時四十一分。
ゴミ箱に放り込まれた、十八件の調書。
そのとき、ポケットのスマホが震えた。
御子柴さんだった。
こんな時間に電話が来るのは、初めてだった。
「灰原。今、話せるか」
御子柴さんの声は、低く、硬かった。
「明日の朝、上から正式に通知が出る。その前に、俺の口から言っておきたい」
少しの間があった。
「あんたの嘱託が、解除される」




