第19話 昇降機の記録
第二十五層の中継キャンプに戻ったのは、地上を出てから二十九時間後だった。
発電機の唸る音。鉄骨の足場。
鷹野さんを簡易ベッドに寝かせると、早乙女さんは、そのまま床に座り込んで動かなくなった。
『灰原さん! 聞こえますか!』
通信機から、真壁さんの声が飛び込んできた。
中継器の電波が、ようやく届いたのだ。
「聞こえます。鷹野さんを見つけました。生きています」
『よかった……! 本当に、よかった』
真壁さんの声が、少し裏返った。
『あの、こっちも、大変なことになってます。協会の理事会が、灰原さんたちの捜索を「無許可の深層侵入」だって正式に発表して。ニュースになってます』
「そうですか」
『それと、アストラが、中継キャンプの使用を「盗用」だって。早乙女さんを、昨日付けで除名したそうです』
床に座り込んでいた早乙女さんが、顔を上げた。
「……そう」
それだけ言って、早乙女さんはまた下を向いた。
笑っているように見えた。
鷹野さんが、ベッドの上で薄く目を開けた。
「……澪さん、クビ?」
「あんたを助けに来たらね」
「……ごめん」
「謝るくらいなら、早く治しな。リーダーがいないと、新人の装備、誰が点検すんの」
鷹野さんは、何か言おうとして、そのまま目を閉じた。
◇
昇降機の乗り場の前で、私は、床を見ていた。
鉄の床板の上に、乾いた泥の跡が残っている。
波形の溝と、かかとの菱形。
35番。
「旧型の救助隊ブーツです。ここにもあります」
早乙女さんが、私の隣に来て、足跡を見下ろした。
「このキャンプに、来てたってこと」
「下りも、上りも、昇降機を使っています。足跡の向きが、乗り場から外へ一回、外から乗り場へ一回。下りてきたときと、上がっていくときです」
早乙女さんは、乗り場の横の制御盤に歩み寄った。
小さな画面のついた、黒い箱。
「昇降機は、アストラの登録者しか動かせない。使うたびに、IDが記録される」
早乙女さんが、画面を操作する。
使用記録の一覧が、ずらりと並んだ。
私たちが昨日の午後に地上を出たときの記録は、ない。止められていたからだ。
その前。
一昨日の、午前四時十分。下り。
同じ日の、午前九時二分。上り。
鷹野さんのビーコンの最後の送信は、午前七時。
その前後に、誰かが、昇降機で降りて、上がっている。
「使用者ID……」
早乙女さんの指が、止まった。
「K-001」
「誰ですか」
「アストラの登録番号は、入った順に振られる。001は、一番最初の登録者」
早乙女さんは、制御盤の画面を見つめたまま言った。
「創設者。久遠寺征司」
御子柴さんが、無言で、制御盤の画面をカメラで撮影した。
一枚、二枚。記録の一覧を、全部。
「この制御盤も、押収する。中の記録ごとだ」
「アストラの持ち物ですけど」
「だから押収するんだ」
御子柴さんは、工具を取り出して、制御盤の蓋を外し始めた。
早乙女さんは、それを止めなかった。
◇
地上の制御室で止められていた昇降機は、早乙女さんがキャンプ側の非常用の鍵で動かした。除名された人の鍵が、まだ使えた。
昇降機で地上に向かう、四十分。
鉄の籠の中で、鷹野さんが目を覚ました。
「……どこだ、ここ」
「昇降機の中です。もうすぐ地上です」
鷹野さんは、天井の小さなランプを見上げた。
「相談役の名前、言ってなかったよな」
「はい」
「俺も、知らなかったんだ。本当に。顔も見たことない。イヤモニの声と、たまに届く指示書だけ」
鷹野さんは、目を閉じた。
「でも、前から噂はあった。相談役は、創設者本人だって。表向きは引退して協会の偉い人になったけど、裏ではまだアストラを動かしてるって」
「久遠寺征司」
「……ああ。その名前だ」
鷹野さんは、乾いた声で笑った。
「笑えるよな。俺、あの人の作ったクランのリーダーやってて、あの人の声に従って、あの人の香を焚いて、あの人に突き落とされたんだ」
昇降機のワイヤーが、規則正しく唸っている。
「灰原さん」
「はい」
「水瀬は、無事か。あの日の、新人の」
「足を骨折しましたが、無事です。犬飼さんたちが運びました」
「……そっか」
鷹野さんは、それきり何も言わなかった。
閉じた目の端から、泥の上を、一筋だけ何かが流れていった。
◇
地上の空気は、雨の匂いがした。
夜の九時前。
新宿第一迷宮の入口前広場は、人で埋まっていた。
カメラ。マイク。投光器。
報道の人たち。配信者。野次馬。
「出てきたぞ!」
昇降機のゲートが開いた瞬間、フラッシュが一斉に光った。
救急隊員が、担架を持って駆け寄ってくる。
鷹野さんが担架に乗せられ、早乙女さんがその横に付き添って、救急車の方へ歩いていった。
「灰原さん!」
人混みをかき分けて、真壁さんが走ってきた。
眼鏡が、雨で曇っている。
「お帰りなさい。KAGAMIは」
私は、鞄の横に固定したドローンを指さした。
緑のランプが、ゆっくり点滅している。
『KAGAMIより。帰還しました』
真壁さんは、ドローンを見て、それから私を見て、泣き笑いのような顔をした。
そのとき、人混みの中から、協会の制服を着た男性が二人、まっすぐこちらに歩いてきた。
「灰原つむぎさんですね」
一人が、封筒を差し出した。
「迷宮探索者協会からの通知です。お受け取りください」
封筒の中には、一枚の紙が入っていた。
――探索者免許 一時停止処分通知書。
――理由:協会の許可のない第二十八層への立ち入り。
一番下に、決裁者の署名があった。
理事 久遠寺征司。
投光器の白い光の中で、その四文字だけが、やけにはっきりと見えた。




