第18話 17番
「三十分だけ、時間をください」
白骨回廊を引き返す途中、私は隊列の先頭の早乙女さんに言った。
「この先に、寄りたい場所があります」
早乙女さんは、背中の鷹野さんをちらりと見た。
鷹野さんは、痛み止めが効いてきたのか、浅い呼吸で目を閉じている。
「どこ」
「七年前、志摩さんが亡くなった場所です」
早乙女さんは、少しだけ黙った。
「……二十分。それ以上は、鷹野がもたない」
「ありがとうございます」
◇
白骨回廊の中ほど。
白い岩の柱が左右から迫り、天井が低くなる場所に、小さな窪みがある。
七年前、私は、ここの見取り図を描いた。
何度も、何度も。
調書に添付するためではなく、眠れない夜に、自分のノートに。
窪みの奥行き、二メートル半。
床に、落盤で落ちてきたとされる岩が三つ。
志摩さんは、その岩の下で見つかった。
七年前と、同じだった。
岩は、片付けられないまま、そこにあった。白い粉を、うっすらとかぶって。
「……ここが」
犬飼さんが、私の後ろで、ヘルメットを脱いだ。
灯火の三人も、それにならう。
御子柴さんが、黙って手を合わせた。
私も、手を合わせた。
――お疲れさまでした。
現場に入るたびに、心の中で言う言葉。
志摩さんに教わった言葉だ。
七年前の葬儀のあと、斎場の出口で、志摩さんの奥さんに呼び止められた。
千春さん。小柄で、目元が志摩さんに少し似ている人だった。
「あなたが、灰原さんね。あの人が、いつも話してた」
千春さんは、角の丸くなった鑑識鞄を、私に差し出した。
「これ、あなたが使ってください。あの人の目を、あなたが続けて」
受け取った鞄は、思っていたよりずっと重かった。
その重さを、私は七年間、毎日肩にかけてきた。
それから、私は顔を上げた。
「KAGAMI。この窪みを、調べてください。金属、温度、それから、空気の流れ」
『KAGAMIより。観測を開始します』
ドローンが、窪みの中を、ゆっくりと旋回した。
◇
『KAGAMIより』
一分ほどして、ドローンが窪みの右の壁の前で止まった。
『壁面、床から一・四メートルの高さの亀裂の内部に、金属反応。大きさ、手のひら程度。複数の部品に分かれていると推定』
私は、ライトを亀裂に向けた。
白い岩の、細い割れ目。
中は、七年分の白い粉で、ほとんど埋まっていた。普通に見ても、何もない。
ピンセットで、粉を少しずつ掻き出す。
何かが、ライトの光を、黄色く跳ね返した。
私の手が、止まった。
――黄色。
ピンセットで、そっとつまみ出す。
角の丸くなった、黄色いプラスチックの札。
表面に、黒い数字が、ひとつだけ。
17。
志摩さんの、17番だった。
声が、出なかった。
七年前、志摩さんの鞄から、この札だけが見つからなかった。
落盤のどこかで、なくなったのだと思っていた。
なくなったのではなかった。
志摩さんは、ここに、置いたのだ。
「灰原さん」
犬飼さんの声が、ずっと遠くから聞こえるような気がした。
「その奥にも、何かあります」
私は、息を吸った。
もう一度、亀裂の奥にピンセットを入れる。
出てきたのは、金属の破片だった。
ぐしゃりと潰れた、手のひらほどの札の半分。
34番。
刻印が、かすかに読める。
――探索者協会 救助隊用位置発信器
七年前の、救助隊のビーコンだった。
私は、破片をライトの真下に置いた。
潰れた部分に、細い、平らな跡。
四本。
メジャーを当てる。
一本、八ミリ。間隔、五ミリ。
鷹野さんのビーコンに残っていた跡と、同じだった。
◇
「落盤で潰れたんじゃない」
御子柴さんが、低い声で言った。
「七年前のビーコンも、一昨日の朝の鷹野のビーコンも、同じ道具で潰されてる」
「はい」
私は、17番の札を、手のひらに乗せていた。
志摩さんは、ここで、何が起きたのかを知っていた。
救助隊のビーコンが壊されたことも。誰が壊したのかも。
救助要請を出せないまま、怪我を負って、たぶん、もう動けなかった。
それでも志摩さんは、最後に、鑑識官の仕事をした。
壊されたビーコンの破片を、見つかりにくい亀裂に隠して。
自分の番号札を、その前に立てた。
――お前は、それを覚えておけ。いつか、この傷を見たら思い出せ。
七年前、この回廊で、志摩さんが言った言葉。
この傷を見たら、思い出せ。
この札を見たら、ここを調べろ。
志摩さんは、私が来ると、思っていたのだろうか。
「灰原」
御子柴さんが、私の名前を呼び捨てにした。初めてだった。
「その札と破片は、証拠品として、警察が預かる。今、ここで、俺が押収した。それでいいな」
「……はい」
「全部終わったら、札は返す。必ずだ」
私は、17番の札を、御子柴さんの差し出した証拠品袋に入れた。
袋の口を閉じる前に、もう一度だけ、黄色い札を見た。
七年かかった。
ようやく、この札の置き場所が分かった。
◇
回廊を出口に向かって歩きながら、私は頭の中で、七年前の書類をめくっていた。
志摩さんたち救助隊の事故の調書。
私が書いたものではない。新人だった私は、あの事故の担当から外された。
それでも、一度だけ、読んだことがある。
協会の資料室で、こっそりと。
事故の概要。落盤。死者五名。
発見の経緯。
第一発見者の欄に、名前があった。
当時は、何とも思わなかった名前。
出発の前、御子柴さんの口からその名前を聞いたときも、すぐには結びつかなかった。七年前に資料室で一度見ただけの文字だったから。
足が、止まった。
「灰原さん?」
犬飼さんが振り返る。
七年前、志摩さんたちの遺体を最初に見つけたと届け出た人。
その欄には、こう書かれていた。
――第一発見者:アストラ代表 久遠寺征司




