第16話 低い天井
「降りる」
早乙女さんが、肩のロープを外した。
「待ってください」
私は、早乙女さんの腕を掴んだ。
「骨喰いは、鷹野さんから六メートルのところにいます。ロープで降りていったら、真上から来る獲物です」
「じゃあ、どうしろって言うの。あいつ、十八メートル下で、ずっと一人なんだよ」
早乙女さんの声が、洞窟の壁に跳ね返った。
私は、手を離さなかった。
「三十分ください。骨喰いを、裂け目から引き離します」
「どうやって」
「骨喰いがここにいるのは、この畑があるからです。一番強い匂いのところに、骨喰いは集まる。だったら――」
私は、洞窟を見回した。
「この畑よりも強い匂いを、別の場所に作ります」
◇
『KAGAMIより。洞窟内部の立体地図を作成します』
ドローンが、洞窟の天井近くまで上昇した。
緑の光の筋が、ゆっくりと壁をなめていく。
数分後、私のスマホの画面に、洞窟の立体図が浮かび上がった。
広い畑の空間。
中央の裂け目。
そして、洞窟の北側の壁に、細い横穴がひとつ。
『北側の横穴。奥行き、約四十メートル。行き止まり。天井の高さ、入口付近で二・四メートル、奥で一・五メートル』
「一・五メートル……」
犬飼さんが、私を見た。
「十二層の、西の通路より低いですね」
「はい」
あの夜、骨喰いは、天井の低い西の通路の入口で止まった。
体長四メートルの体は、天井に張りついたままでは、低い場所を進めない。
「横穴の一番奥で、蜜灯草を焚きます。骨喰いは匂いを追って横穴に入る。でも、奥に行くほど天井が低くなって、途中で動けなくなる」
「引っかかってる間に、鷹野を引き上げる」
早乙女さんが、横穴の方を見た。
「でも、誰が奥で焚くの。焚いた本人が、行き止まりに閉じ込められる」
『KAGAMIより』
ドローンが、私たちの頭上に戻ってきた。
『本機は、重量二百グラムまでの物体を運搬可能です』
全員が、ドローンを見上げた。
『蜜灯草の束と、着火用の器具を本機に固定し、横穴の最奥部まで運搬。着火後、本機は横穴から離脱します。離脱の成功確率、六十八パーセント』
「六十八」
真壁さんの声が、通信機から割り込んだ。
中継キャンプからの電波は途切れ途切れだったが、なんとか届いていた。
『KAGAMIの、その、自己犠牲みたいな提案、僕、プログラムしてないです……』
『KAGAMIより。自己犠牲ではありません。三十二パーセントの確率で本機を失うことは、人間一名を失う確率と比較して、許容範囲と判断しました』
誰も、すぐには何も言えなかった。
「……KAGAMI」
私は、ドローンに向かって言った。
「戻ってきてください。必ず」
『KAGAMIより。努力します』
ドローンの準備が進むあいだ、早乙女さんが、私の隣に来た。
「さっきは、怒鳴ってごめん」
「いえ」
「あいつのことになると、駄目なんだ。……五年前、あいつが入ってきたとき、教育係をやったのが私でさ。最初の探索で、あいつ、スライム一匹に三十分かけたんだよ。剣の振り方も知らなくて」
早乙女さんは、裂け目の方を見たまま、小さく笑った。
「それが、今じゃ同接三十万のリーダーだ。生意気になっちゃって」
「助けましょう」
「うん」
早乙女さんは、短く頷いた。
◇
結城さんが、溝から蜜灯草を十本ほど抜いて、細い紐で束ねた。
日向さんが、着火用の小さなマッチ式の点火器を、ドローンの脚に巻きつける。
「重さ、百八十グラム。ぎりぎりです」
ドローンが、ふらつきながら浮き上がった。
『KAGAMIより。運搬を開始します』
緑のランプが、北の横穴の暗闇に吸い込まれていく。
私は、スマホの画面で、ドローンの位置を追った。
十メートル。二十メートル。三十メートル。
『KAGAMIより。最奥部に到達。着火します』
かすかな、ぱちんという音が、横穴の奥から響いた。
甘い匂いが、ひときわ濃く、北から流れてくる。
『着火を確認。離脱します』
ドローンの点が、横穴の出口に向かって戻り始めた。
そのときだった。
裂け目の奥から、音がした。
コツ、コツ、コツ。
等間隔に、岩を刃で突く音。
白い脚が、一本、裂け目の縁にかかった。
二本、三本。十本。
骨喰いが、這い出してきた。
「全員、壁際へ。動かないで」
早乙女さんが、低く命じた。
私たちは、洞窟の南側の壁に背中をつけた。
ライトを消す。蜜灯草の赤い光だけが、白い体を、ぼんやりと照らしていた。
骨喰いは、裂け目の縁で、しばらく頭を左右に振っていた。
畑の匂いと、北から流れてくる、もっと濃い匂い。
二十四本の脚が、北を向いた。
白い体が、天井に這い上がる。
コツ、コツ、コツ。
天井を伝って、北の横穴へ。
ドローンの緑のランプが、横穴の入口から飛び出してきた。
その真上を、骨喰いの体がかすめていった。
『KAGAMIより。離脱、成功』
私は、息を吐いた。いつから止めていたのか、分からなかった。
骨喰いは、横穴の中へ消えていった。
天井を伝う音が、だんだん遠くなる。
十メートル。二十メートル。
そして、音が止まった。
ぎしり、と、岩がきしむ音。
『KAGAMIより。対象、横穴の奥、約二十六メートル地点で停止。天井高、一・七メートル。前進も後退も困難な状態と推定』
「今です」
私が言うより早く、早乙女さんは裂け目にロープを投げ込んでいた。
「犬飼、確保!」
「はい!」
犬飼さんがロープを腰に回し、両足を踏ん張る。
早乙女さんが、裂け目の縁を蹴って、暗闇の中へ消えていった。
ロープが、するすると伸びていく。
五メートル。十メートル。十五メートル。
『……着いた』
通信機から、早乙女さんの声がした。
『鷹野、いた。生きてる。……生きてるよ、バカ』
洞窟の中で、誰かが小さく声を上げた。
結城さんだった。両手で口を押さえて、泣きそうな顔をしていた。
私も、壁に背中を預けたまま、目を閉じた。
ぎしり。
北の横穴から、また岩のきしむ音がした。
『KAGAMIより』
ドローンの声が、少しだけ速くなった気がした。
『対象、後退を開始。横穴の天井の一部を、脚で削っています。脱出までの推定時間、十一分』




