第15話 消えた通路
白骨回廊の東の端は、崩れた岩で塞がれていた。
天井まで積み上がった、白い岩の山。
協会の地図では、ここが行き止まりになっている。七年前の秋に「落盤により通路消失」と書き換えられた場所だ。
「これを、どかすんですか」
日向さんが、岩の山を見上げて言った。
「重機がいりますよ、これ」
「待ってください」
私は、岩の山の前にしゃがみ込んだ。
ライトを、斜めから当てる。
白い岩の表面に、細かな影が浮かぶ。
27番。
「落盤の岩は、上から落ちてきます。だから、割れ目は上から下に走るし、岩の角は下の方がつぶれる」
私は、一番手前の岩の角を指でなぞった。
「でも、この岩は、角が全部、横向きにつぶれています。上から落ちたんじゃなくて、横から押し込まれた」
「押し込まれた?」
「誰かが、岩を運んできて、ここに積んだんです」
御子柴さんが、ライトを岩の隙間に差し入れた。
「隙間の奥に、空間があるな。風が通ってる」
『KAGAMIより』
ドローンが、岩の山の上を、ゆっくりと横切った。
『岩の山の上部、右から三つ目の岩の背後に、通過可能な隙間を検出。幅、約五十センチ。気流の方向から、反対側の空洞につながっていると推定。確度、八十九パーセント』
「九十一……」
犬飼さんが、ドローンを見上げた。
「灰原さんと組んでから、KAGAMI、急に自信なくしたり、急に自信持ったりしてますね」
『KAGAMIより。発言の意味が分かりません』
「分からないって言えるの、偉いぞ」
日陰さんが、ドローンに向かって親指を立てた。
◇
隙間は、岩の山の上、天井近くにあった。
早乙女さんが先に登り、ロープを垂らした。
一人ずつ、這うようにして隙間を抜ける。
最後に私が抜けると、目の前の暗闇が、ほんのりと赤く光っていた。
「……なんだ、これ」
犬飼さんが、つぶやいた。
そこは、広い洞窟だった。
天井は高く、岩の壁から細い水が流れ落ちている。その水を引き込むように、床には溝が何本も掘られていた。
溝に沿って、草が植えられている。
膝の高さほどの、細い草。
葉の先に、小さな赤い花がぼんやりと灯っている。数百、いや、数千。
洞窟全体が、甘い匂いで満ちていた。
「蜜灯草……」
結城さんが、口を手で覆った。
「全部、そうですか」
『KAGAMIより。空気中の粒子の濃度、上層で検出した値の約四十倍。長時間の滞在は、呼吸器に影響を与える可能性があります』
「マスクを」
早乙女さんの指示で、全員が防塵マスクを付けた。
私は、溝の一本の前にしゃがんだ。
28番。
「溝は、人の手で掘られています。道具の跡が、規則正しい」
29番。溝の脇に打ち込まれた、錆びた鉄の杭。
「この杭の錆び方だと、打ち込まれてから五年以上経っています。たぶん、七年」
30番。洞窟の入口近くに積まれた、空の麻袋。警察の押収品を入れる袋と同じ、灰色の麻袋。
私は、袋の端に縫い付けられた布の札を、ライトで照らした。
薄れかけた印字。
――警視庁 押収品 保管番号 七―〇四一二
御子柴さんが、私の後ろで、息を呑む音がした。
「七年前に、うちの保管庫から消えた蜜灯草の、袋だ」
御子柴さんは、袋の前にしゃがみ込んで、しばらく動かなかった。
「あの事件のとき、俺はまだ迷宮課の新米でな。保管庫の当番表に、俺の名前もあった」
「御子柴さんの責任では」
「分かってる。でも、七年間、ずっと引っかかってた。なんで、あんなものを盗むやつがいるのかって」
御子柴さんは、手袋をはめた手で、袋の札をそっとなぞった。
「……答えが、これか」
盗まれた蜜灯草は、捨てられたのではなかった。
ここに運ばれ、種から増やされ、七年間、育てられていた。
「これが、畑」
志摩さんの手帳に書かれていた、たった一文字の疑問符。
――畑?
志摩さんは、ここを見つけていたのだ。
見つけて、そして亡くなった。その四日後に、通路は「落盤」で消えた。
◇
「鷹野の足跡は」
早乙女さんの声で、私は我に返った。
床を見る。
溝と溝の間の、乾いた土。
31番。
「ここにあります。鷹野さんは、この洞窟に入っています。溝の間を、奥に向かって歩いています」
ライトで、足跡を追っていく。
がに股の、かかとの外側がすり減った足跡。
洞窟の奥、岩の壁の前で、足跡は乱れていた。
踏ん張ったような、深い跡。
横に滑ったような、長い跡。
そして、その横に、もうひとつの足跡。
波形の溝と、かかとの菱形。旧型の救助隊ブーツ。
32番。
「ここで、二人は向かい合っています」
私は、乱れた足跡の真ん中に立った。
「鷹野さんは、後ろに下がっています。押されたか、逃げたか。そして――」
足跡の先は、洞窟の床に開いた、黒い裂け目で途切れていた。
幅、一メートルほど。
ライトを向けても、底が見えない。
「鷹野!」
早乙女さんが、裂け目に向かって叫んだ。
声が、暗闇の中に吸い込まれていく。
返事は、ない。
『KAGAMIより』
ドローンが、裂け目の上で静止した。
緑のランプが、速く点滅している。
『裂け目の内部、深さ約十八メートル地点に、熱源を検出。体温に近い温度。大きさから、人間一名と推定』
早乙女さんが、顔を上げた。
『熱源は、微弱に動いています』
「生きてる……!」
『ただし』
KAGAMIの合成音声が、淡々と続けた。
『同じ裂け目の内部、熱源から約六メートルの位置に、もうひとつの熱源を検出。大きさ、体長四メートル前後。脚部と推定される突起、多数』
洞窟の中の、甘い匂いが、急に濃くなった気がした。
蜜灯草の畑のすぐ下に、それはいた。




