第14話 KAGAMI、初めての現場
アストラの中継キャンプは、第二十五層の巨大な縦穴の縁にあった。
鉄骨で組まれた足場。発電機。簡易ベッドが十二台。
地上から延びる昇降機のワイヤーが、暗闇の中でかすかに唸っている。
「ここから先は、自分の足です」
早乙女さんが、固定ロープの金具を確かめながら言った。
午後十時。
地上を出てから、七時間が経っていた。
本当なら、昇降機で半日もかからない距離だった。
ところが、私たちが地上の乗り場に着いたとき、昇降機は止められていた。アストラの本部からの指示で、地上の制御室が電源を落としたのだという。
私たちは、昇降機の縦穴の壁に張られた固定ロープを伝って、第十五層から第二十五層までを、自分の手で下りてきた。腕が、まだ震えている。
『灰原さん、聞こえますか』
耳に付けた通信機から、真壁さんの声がした。
中継キャンプの中継器を通して、まだ地上とつながっている。
「聞こえます」
『KAGAMI、起動します。ドローンを放してください』
私は、鞄に固定していた黒いドローンを外して、手のひらに乗せた。
小さなプロペラが回り始める。
ドローンはふわりと浮き上がり、私の肩の高さで止まった。機体の下で、緑のランプが点滅している。
『KAGAMIより。現場の観測を開始します』
ドローンのスピーカーから、平坦な合成音声が流れた。
灯火の双子が、顔を見合わせた。
「しゃべった」
「しゃべるんだ……」
『音声は、僕が後から付けました』
真壁さんの声が、少し誇らしげだった。
『KAGAMI本体は、喋るようには作られてないんですけど。現場で画面を見る余裕はないと思ったので』
◇
第二十六層は、湿った森のような層だった。
天井から垂れる根。青く光る菌類。足元は、ぬかるんだ黒い土。
『KAGAMIより。気温十四度。湿度九十二パーセント。魔素濃度、通常範囲』
KAGAMIは、数十秒ごとに数字を読み上げた。
私は、地面を見ていた。
「止まってください」
隊列が止まる。
ぬかるみの上に、足跡が残っていた。
ライトを低く当てて、影を作る。
24番。
「新しい足跡が二種類あります。どちらも、下りです」
「鷹野ですか」
早乙女さんが、しゃがみ込んだ。
「ひとつは、たぶん。かかとの外側がすり減っています。歩き方に癖がある人です」
「……鷹野です。あいつ、がに股なんで」
「もうひとつは」
私は、少し離れた足跡に、25番を置いた。
「鷹野さんの足跡を、踏んでいます。後から来た人です。靴底の模様は――」
ルーペを近づける。
波形の溝と、かかとに刻まれた小さな菱形。
見覚えがあった。
「協会の、旧型の深層救助隊ブーツです。五年前に支給が終わったものです」
御子柴さんが、私の隣にしゃがんだ。
「救助隊が、先に入ったってことか?」
「協会の救助隊は、出ていません。三日後の予定も、取り消されています」
私は、25番の足跡をもう少し追った。
ぬかるみの端で、同じ靴底の跡が、今度は逆向きに並んでいた。
「この人は、下りて、また上がってきています。鷹野さんの足跡は、下りだけです」
誰も、何も言わなかった。
鷹野さんを追って降りていき、一人で戻ってきた誰か。
『KAGAMIより』
ドローンが、私の頭の上で旋回した。
『足跡の沈み込みの深さから、二人目の人物の体重を推定。八十二キログラム前後。装備重量を含む。推定確度、七十四パーセント』
「……ありがとうございます、KAGAMI」
七十四パーセント。
いつもの九十八・二ではない数字に、少しだけ安心した。
◇
第二十七層に降りる階段の手前で、私は足を止めた。
鼻の奥に、覚えのある匂いが引っかかった。
甘い。
焦げた砂糖と、鉄錆。
「全員、止まってください」
『KAGAMIより』
ほとんど同時に、ドローンが声を上げた。
『前方十二メートル、階段の降り口付近で、空気の流れに異常。下の層へ向かう気流の中に、微細な粒子を検出。粒子の成分は、データベースに該当なし』
「蜜灯草です」
私は、ライトを階段の降り口に向けた。
岩の隙間に、真鍮の筒が押し込まれていた。
蓋は開いている。細い煙が、ゆっくりと階段の下へ流れていく。
26番。
筒の中をのぞくと、細い線香のような芯が、何十本も渦巻き状に束ねられていた。一本が燃え尽きると、隣の芯に火が移る仕組みだ。燃え尽きた芯の灰の量からすると、もう一日半以上、燃え続けている。
「一昨日、鷹野さんを追っていった人が、帰りにここに置いていったんだと思います」
「帰りに?」
「後から誰かが鷹野さんを探しに降りてきたら、階段の途中で、下の層の魔物と鉢合わせするように」
この煙は、下の層に向かって流れている。
早乙女さんの顔が、強張った。
「下には、二十七層の魔物がいる。それがこの匂いに引かれて上がってきたら――」
「階段を上ってくる途中の、私たちとぶつかります」
私は、灯火の結城さんを振り返った。
「結城さん。水の魔法で、筒を水浸しにできますか。火を消して、匂いを流したい」
「は、はい!」
結城さんが杖を構える。
小さな水の球が、筒を包み込んだ。じゅっ、と音がして、煙が途切れた。
『KAGAMIより。粒子の濃度、低下を確認。気流、通常に回復』
私は、筒を証拠品袋に入れて、御子柴さんに渡した。
「捜索隊が来ることを、誰かが知っていた」
御子柴さんが、低い声で言った。
「あるいは、来たら困ると思った」
『KAGAMIより』
ドローンが、もう一度、合成音声を響かせた。
『この筒の設置は、人為的なものである可能性が高い。推定確度、八十七パーセント。人による確認を推奨します』
灯火の双子が、思わず噴き出した。
「確認、今したよな」
「したした。灰原さんが」
私も、少しだけ口元が緩んだ。
「KAGAMI。正解です」
ドローンの緑のランプが、一度だけ、ゆっくり点滅した。
返事をしたように見えたのは、たぶん気のせいだ。
◇
午前三時。
私たちは、第二十八層への最後の階段を降りきった。
空気が、変わった。
冷たく、乾いていて、どこか甘い。
ライトの光の先に、白い岩の柱が、骨のように連なっている。
白骨回廊。
七年前と、何も変わっていなかった。
志摩さんと最後に歩いたときと、同じ形をしていた。
『KAGAMIより』
ドローンが、回廊の奥へ向かって、ゆっくりと前進した。
『前方、回廊の東端の先に、空洞を検出。容積、推定四千立方メートル以上。協会の地図には、該当する空間が存在しません』
七年前、落盤で消えたことになっている通路。
志摩さんの手帳に、「畑?」と書かれていた場所。
その奥から、かすかに、甘い風が吹いていた。




