第13話 志摩さんの場所
「第二十八層まで、灯火は行ったことがありません」
犬飼さんは、正直に言った。
「最高到達は二十一層です。二十二層から先は、魔物の質が変わる。俺たち四人だけで二十八層まで潜るのは、無謀です」
警視庁迷宮課の小さな会議室。
テーブルを囲んでいるのは、私、灯火の四人、御子柴さん。真壁さんはノートパソコンで、オンラインでつながっている。
「警察から出せる深層隊員は、二名だけです」
御子柴さんが、腕を組んだ。
「残りの二名は、別の事件で第三十層に入ったきり、戻るのが来週になる」
八人。
第二十八層を往復するには、足りない。
そのとき、会議室のドアがノックされた。
「失礼します。受付で、こちらだと聞いたので」
入ってきたのは、背の高い女性だった。
三十代の前半。黒髪を短く切り揃え、肩から深層用の重いロープを提げている。装備の金具はすべて黒く塗られ、光を反射しない。
灯火の双子が、同時に背筋を伸ばした。
「あ、アストラの、早乙女さん……」
「早乙女澪です。アストラの深層攻略班の班長をしています」
早乙女さんは、私の前で、深く頭を下げた。
「鷹野を、探しに行かせてください」
◇
「アストラは、鷹野がダンジョンに入っていないと言っています」
御子柴さんが、静かに言った。
「あなたは、その声明に反して動いている。クランの中で、立場が悪くなりますよ」
「もう、悪くなっています」
早乙女さんは、椅子に座らずに立ったまま話した。
「昨夜、上から言われました。鷹野のことは忘れろ、深層班は一週間、待機だと。理由は聞くな、と」
「上というのは」
「相談役です」
会議室の空気が、張りつめた。
「名前は」
「知りません。本当です。アストラで相談役と直接話したことがあるのは、創設メンバーと、リーダーの鷹野だけです。私たちには、指示が届くだけ」
早乙女さんは、胸当てのポケットから、一枚の紙を取り出した。
アストラの深層キャンプの使用許可証だった。
「第二十五層に、アストラ専用の中継キャンプがあります。そこまでなら、昇降機と固定ロープで、半日で降りられる。私の権限で、まだ使えます」
犬飼さんが、身を乗り出した。
「二十五層まで半日なら……」
「二十八層まで、往復で二日。今日出れば、鷹野のビーコンが消えてから、五十時間以内に着けます」
御子柴さんが、私を見た。
この捜索の嘱託の専門家として、決めるのは私だと言われているような気がした。
「早乙女さん」
私は、聞いた。
「どうして、鷹野さんを助けたいんですか」
早乙女さんは、少しだけ黙った。
「十年前、私が新人だったとき。鷹野は、まだ入ってもいなかった。でも五年前、あいつが入ってきてから、アストラは変わったんです」
「変わった?」
「新人が、死ななくなりました」
早乙女さんの声が、少しだけ揺れた。
「あいつは、配信ではふざけてばかりです。でも、新人の装備は全部自分で点検するし、新人が三回目の探索までは、絶対に深い層に連れて行かない。その鷹野が、あの日、新人を六人も連れて十二層に入った。おかしいと思ってました」
――新人が、六人いたんだ。水瀬なんか、まだ三回目の探索で。
一昨日の夜、投光器の下で、鷹野さんが言った言葉を思い出した。
「分かりました」
私は、頷いた。
「一緒に行きましょう」
会議室を出たあと、廊下で、犬飼さんが灯火の三人を振り返った。
「二十八層だ。正直、生きて帰れる保証はない。降りたいやつは、降りていい」
日向さんと日陰さんが、顔を見合わせた。
「リーダー、それ、毎回言うよね」
「で、毎回、誰も降りないよね」
結城さんが、杖を胸の前で抱きしめた。声は、少し震えていた。
「こ、怖いです。すごく怖いです。でも、灰原さんの最初の配信を見てた二人のうちの一人として、最後まで見届けたいです」
犬飼さんは、三人の顔を順番に見て、それから私を見た。
「ってことなんで。灯火、四人とも行きます」
◇
出発は、その日の午後三時に決まった。
捜索隊は、九人。
私。灯火の四人。早乙女さん。御子柴さんと、警察の深層隊員が二人。
真壁さんは地上に残り、第二十五層の中継キャンプまで通信をつなぐ。
「中継キャンプから先は、通信が不安定になります」
出発前、迷宮の入口で、真壁さんが小型のドローンを私に手渡した。
掌に乗るくらいの、黒い機体だ。
「これに、KAGAMIを積みました。開発用のコピーです。温度、湿度、魔素の濃さ、空気の流れ。KAGAMIのセンサーで取れるものは、全部取れます」
「KAGAMIが、現場に」
「はい。初めてです」
真壁さんは、少し照れたように笑った。
「灰原さんが、前に言ったじゃないですか。KAGAMIは、現場に来たことがないだけだって」
私はドローンを受け取って、志摩さんの鞄の横に固定した。
鞄の中には、番号札の束が二つ入っている。
志摩さんの、1番から20番。17番だけが欠けた束。
それから、私が文房具屋で買い足した、21番から40番の束。
23番までは、もう使った。
「灰原さん」
入口のゲートの前で、御子柴さんが言った。
「ひとつ、伝えておくことがある」
「はい」
「協会の理事会が、今朝、この捜索について『協会の許可のない深層への立ち入り』として、警察に抗議してきた。うちの課長は突っぱねたが、相手は理事会だ。帰ってきたら、面倒なことになる」
「理事会の、誰ですか」
「抗議文の署名は、理事の一人だった」
御子柴さんは、手帳を開いて、名前を読み上げた。
「久遠寺征司。アストラの創設者で、今は協会の理事だ。KAGAMIの導入を決めたのも、この男だそうだ」
アストラの創設者。
協会の理事。
KAGAMIを導入した人。
三つの線が、一人の名前の上で交わった。
私は、手帳の最後のページの三本線を思い出していた。
深さも、幅も、ぴたりと揃った三本の線。
「行きましょう」
ゲートが開く。
ひんやりとした迷宮の空気が、足元から這い上がってきた。
七年前、志摩さんが最後に降りた階段を、私は今から降りていく。




