バレなきゃいいとでも思ってたの?
——寝取られる?
柑奈という子の口から飛び出した言葉が、頭の中で空回りする。
横目で夏希ちゃんを見ると、繋いでいた手をさっき離したまま、気まずそうに視線を落としている。
人通りは少ないとはいえ、路上だ。こんなところでこんな言葉が飛び交っているのを誰かに聞かれたら、どう見ても俺が加害者じゃないか。
落ち着け。まず、状況を整理しよう。
この柑奈という子は、俺が夏希ちゃんを寝取ったと言っている。これが仮に正しいとしよう。
その場合、二つの条件が必要だ。
一つ目は、俺が夏希ちゃんと身体の関係を持つこと。まず、これは無い。この時点で、俺は寝取ってない。
二つ目は、柑奈ちゃんと夏希ちゃんが、付き合っていること。……え、そうなの?
いやいや、ともかく寝取ってないし。
「あの、柑奈さん……でしたっけ。何か勘違いしてませんか? 俺たち、そういう関係じゃ……」
「……そうなんですか? 夏希、どうなのよ」
今度は夏希ちゃんの方をキッと睨む。
「え、えーっと……」
「ハッキリしなさいよね。なんでこんな大人の人と付き合ってるのよ?」
「付き合っては……ないけど」
「じゃあ、なんで付き合ってない人と手を繋いで歩いてるのよ!」
「そ、それは……」
「あなたっていつもそう。不合理なことばかりする。付き合ってからしなさいよ、そういうことは」
確かに俺と夏希ちゃんは、付き合ってはいない。
お互いのことを好きかどうかすらも、確かめ合っていない。
そもそも、俺は夏希ちゃんのことが好きなのか、単なる下心なのか、分かっていない。
初めて女の子とまともに話したような俺に、そんなことが分かるわけもないのだ。
夏希ちゃんが質問を返す。
「……え、なら付き合ったら手繋いでいい?」
「あのね、そもそも付き合っちゃダメ!」
「えー、なんで付き合っちゃダメなの?」
「私と遊んでくれなくなりそうだから!」
「え、なに。ヤキモチ?」
「ええ、ヤキモチよ」
柑奈という子は、さらっと認める。
「ははっ。柑奈、昔からずっとそうよね」
ドライに返す夏希ちゃん。二人でいるときは結構サバサバしてるのかな。
「そうよ、その通りよ。……聞かせてもらうけど、もし私とそこの人に同時に誘われたら、どっちと会うわけ?」
「そ、それは……このお兄さんとだけど」
「じゃあ、なおさら付き合っちゃダメ。ますます私と遊ばなくなるでしょ、あなた」
「えー!!」
この柑奈って子、全く引く気がない。
というか、通行人に、道端で何話してるんだって思われるだろ。いよいよ周りの目が気になってきた。
なんかよく見たら近くにラブホテルあるし。ヤバいだろ、この状況。大学生と女子高生二人がホテルの前で喧嘩。終わりです。
さっさとどこか別の場所に行かないとな。俺は思い切って提案してみる。
「あ、あのさ、とりあえず場所を変えない? 道端で口論なんて、迷惑だよ」
柑奈という子は、ハッとして、俺の方を向く。
「そ、そうですね。すみません」
意外と聞き分けのいい子だな。少し安心した。
「カラオケ屋にでも行くか? 個室だし」
「そうしましょうか」
俺たち三人は、無言で歩き始めた。
■
俺たちは近くのカラオケ屋に入り、受付を済ませ、各々ドリンクバーで飲み物を用意した。
先に夏希ちゃんと柑奈ちゃんが個室に入り、俺も後から着いていった。二人は奥の席につき、俺は気をつかって距離を取って手前に座った。
俺は、話の邪魔にならないようにモニターの電源を消し、先ほどの話を続けた。
「えっと、俺、真人って言うんだ。あと、大学二年生。ごめん、名乗るのが遅れて」
「いえ、急に話を進めた私が悪いんです。あと、初対面の人の前で、勝手にあなたが関係する話を進めて、すみませんでした」
「いや、いいんだ。君たちの方が付き合いは長いわけだし、俺みたいなポッと出の男のことは気遣わなくていいよ」
「いえ、そんなに卑下なさらなくても……」
なんか、しっかりした子だな。
さっきまで道端でギャーギャー騒いでたのに。落ち着けば、物わかりの良さそうな子じゃないか。
それに、よく見たらこの子も可愛いな。身長は140cmと少しくらいだろうか。小柄でスラっとしている。綺麗に切り揃えた黒髪ロング。
夏希ちゃんみたいに出るところが出ているわけではなく、むしろその逆だけど、ちっこい子に、しっかりとした内面があるというギャップも中々いいな。
——って、何を考えてるんだ俺は。
この子も高校一年生じゃないか。
俺は夏希ちゃんだけじゃなく、柑奈ちゃんにも性的な目を向けようとしている……いや、ほとんど向けてたじゃないか今。
まずいまずい、気を取り直さないと。しかも、今そんなこと考えてられる状況じゃないし。
黙っている俺を一瞥した柑奈ちゃんは、突然、夏希ちゃんの太ももの上に頭を乗せた。
(膝枕だ……)
柑奈ちゃんは、俺に構わず、夏希ちゃんの太ももの上に手を乗せて、当たり前のようにくつろぎ始めた。
すると、夏希ちゃんが呆れたように指摘する。
「何してんのよ、お兄さんと話は?」
「嫌。ちょっと休憩」
「アタシとお兄さん、デートしてたんだけど。話があるなら早く終わらせ——」
「私と会う約束を破っておいて?」
「あ……」
え、そうだったの?
俺、何も聞いてないんだけど。
「本来なら、私と会うはずだったじゃない。だったら、こうする権利ぐらいあるでしょ?」
「う……」
「で、罪のないお兄さんは困っている。お兄さんへの釈明は、あなたの責任でしょう。知らないわよ、私は」
「うぅ……ごめんなさい、お兄さん。本当なんです」
「そ、そうだったのか。うーん、正直困るな、こういうことは。《《無理するな》》って言ったじゃないか」
無理するなってのは、明美にバレないようにって意味だったけど、もちろん他にトラブルが起きそうなことは避けてもらわないと。
「す、すみません。つい……」
「柑奈さん、すみません。知らなかったとはいえ……」
「いえ、良いんですよ。悪いのは夏希です。あと、二人が会うのは嫌ですけど、それとこれとは話が別なので」
な、なんか物分かりの良い子だな。俺の目の前で膝枕してもらってるのは、どうかと思うけど。
ただ、さっきから柑奈ちゃんの声のトーンが少しずつ落ちてきている。冷静な子だけど、心の中は穏やかじゃないかもしれない。休憩したいって言ってたしな。
俺がいると気も休まらないだろうし、少し二人にしてやるか。
「……ちょっと五分ぐらい席外すよ。ドリンク取ってくる」
廊下に出ると、カラオケの低い重低音が壁越しに響いている。他の部屋は盛り上がっているらしい。
本来、こんな重い話をしにくる場所じゃないよなあ。
ドリンクバーでコーヒーを注ぎながら、ぼんやり考える。
柑奈ちゃんは夏希ちゃんのことが本当に大事なんだなあ。ただの友達ってわけじゃなさそう。どんな関係なんだろうなあ。
柑奈ちゃんは、あんなに怒って、あんなにすぐ切り替えて、また膝枕で甘えて。俺にはよく分からない距離感だけど、あの二人にとっては当たり前なんだろう。
五分ほど待ってから部屋に戻り、ドアを開けた。
すると、二人の様子が変わっていた。
柑奈ちゃんが夏希ちゃんの前に座り、背中を夏希ちゃんの胸に預けている。夏希ちゃんの腕が、柑奈ちゃんの小さな肩をゆるく囲んでいた。
さっきまでの険悪な空気はどこにもない。二人とも、穏やかな顔をしている。なんだか、夏希ちゃんがぬいぐるみでも抱いているような雰囲気だった。
(……俺、ここに戻っていいのか?)
一瞬たじろいでいるうちに、柑奈ちゃんが俺に気づいて、すっと姿勢を正した。夏希ちゃんの腕の中に収まったまま、こちらを真っ直ぐ見てくる。
その目は、路上で睨んできた時とも、膝枕で休んでいた時とも違う。落ち着いて、覚悟を決めたような目だった。
それに、わざわざ柑奈ちゃんが夏希ちゃんの前に座っているなんて、「私は夏希のものです」とでも言いたげだな。俺へのアピールか? 考えすぎかなあ。
俺が席に着くと、柑奈ちゃんは話し始めた。
「では、今度は真人さんに聞かせてもらいますけど、真人さんは、夏希とのご関係をどうご認識されていますか?」
「真人さん」って……。呼ばれ慣れない下の名前に少しムズムズするな。
でも、話しづらくは感じない。先ほどからの柑奈ちゃんの冷静な態度と言葉遣いが、なんか業務的な感じで、俺にとってはその方が話しやすくて助かるからだ。
コミュ障の俺に、初対面の人との会話はハードルが高いからな。
「さ、最近知り合った女の子です」
「まあいいでしょう。あと、どこでお二人は知り合ったんですか? まさかパパ活なんてしてませんよね」
夏希ちゃんは食い気味に間に入る。
「し、してない! そんなんじゃないもん!」
「そう……。で、どうやって知り合ったわけ?」
「そ、それは……」
夏希ちゃんは斜め下を向いて黙り込む。しばらくの後、俺の顔を見て、様子をうかがってきた。
ここは、彼女に助け舟を出そう。
「夏希ちゃん、正直に言った方がいいよ、たぶん。隠してる方が、危ない」
「そ、そうなんですかね」
「なんか怪しそうですね、あなたたち」
夏希ちゃんは、拳をぎゅっと握り、唇を噛んでいる。
そして、ゆっくりと口を開け、その言葉を発した。
「……ここはアタシから言うね。……この人、同じクラスの明美ちゃんのお兄さんなの」
ついに俺たちは、俺たちの関係を初めて他人にカミングアウトしてしまった。
これから、どうなってしまうだろうか。うまくいくことを祈るしかない。
「え、明美って言った? 最近夏希が仲良くしてる子のことだよね? 不味いでしょ。明美さんは、このことは知ってるの?」
「知らない。内緒にしてる」
「そ、……そうよね。言えるわけないものね」
ほっ、とため息をつく柑奈ちゃん。少し落ち着いたようだ。
「そうなの、だから、柑奈も内緒にしてくれる?」
「はぁー。わかったわよ、内緒にしておくわ」
「よかった……」
あっさりと内緒にしてもらえることになった。
とりあえずは一安心か。俺は思わず深いため息が出た。
「それにしてもあなたたち、なんてことをしてるわけ? 明美ちゃんが知ったら、何て思うでしょうね。あの子、結構ウブに見えるけど」
「そうなの。ショック受けちゃわないか心配で」
「俺も心配だよ。こんなことをしておいてなんだけど」
俺は続ける。
「……俺の両親は昔から家にいないことが多くて、小さい頃は俺が面倒を見てきたんだ。だから、明美を悲しませたくない。だから、本当に内緒にしておいて欲しいんだ」
ここは念を押しておこう。リスクは抑えておかないと。
俺は柑奈ちゃんの表情を伺うと、キリッとした顔で、思いもよらない言葉が返ってきた。
「なら、夏希を私に返してください」
(え、返してくださいって……この二人、付き合ってるとかじゃないんだよな?)
でも、ただの友達に、こんな表現を使うだろうか?
柑奈ちゃんにとって、夏希ちゃんは何か特別な存在なんだろうな。
というか、「返してください」って言われても、そもそも俺と夏希ちゃんは付き合っているわけではない。そういう意味では、返すも何もないよな。
「そもそも、取った覚えはないんだけど……」
「あなたにそのつもりがなくても、私が夏希と会える日が減れば、取られたようなものです」
「そ、そうか……」
「ちなみに、返してくれなきゃ明美さんにバラすなんて脅しはしませんから。それとこれとは無関係なので」
「た、助かるよ」
なんか高校一年生にしては分別のつきすぎている感じがするなこの子は。その割に、夏希ちゃんを返してみたいな、子供っぽい言い回しもするし。
ちょっと不思議なバランスの子だな。
次に柑奈ちゃんは、夏希に質問をする。
「で、いつから身体の関係があるわけ?」
「な、無いって!」
「ふーん」
「柑奈、いっつもアタシのこと根掘り葉掘り聞いてくるじゃん」
「ええ、だから今日も聞かせてもらうわ」
柑奈ちゃんは、当たり前のような表情で答える。
ちょっと強引すぎないか?
二人の関係は知らないけど、こんなに人のプライベートに踏み込んでもいいものなのか?
夏希ちゃんが可哀想に見えてきた。俺は、思い切って口を挟んでみる。
「あの、柑奈さん、ちょっと色々聞きすぎじゃないか? 夏希ちゃんが可哀想だよ」
「いえ、いつも聞いてますから。私たち、小学生から今までずっと一緒だったんですよ。いわゆる腐れ縁ってやつです。だから、お互いのことはよく知ってるつもりです」
「お兄さん、大丈夫ですよアタシ。アタシら、いつもこんなんだから」
幼馴染ってそういうものなのかな。俺は仲のいい幼馴染がいないので、よく分からなかった。
まあ、夏希ちゃんもそこまで嫌がってはないみたいだし。ほっといて良いのかな。
納得はいかないけど、ここは手を引くことにしよう。
「そ、そうなのか。それは失礼だったな。口を挟んで悪かった、続けてくれ」
俺が引き下がったことを確認した柑奈ちゃんが、仕切り直して質問をする。
「で、なんでお兄さんと仲良くなったわけ?」
「えーと、明美ちゃんの家でたまたまお兄さんと二人きりになって、そのときお兄さんが全然話してくれなくて。それで、からかってたら、だんだん……」
「で、なんでデートすることになるわけ? おかしいでしょ。飛躍してる。説明になってないわよ」
「なんていうか……」
「ちゃんと説明するまで、許さないから」
理知的で冷淡な指摘。
静かなカラオケボックスに、少しの緊張が走った。
「だって……」
「ちゃんと言いなさい」
「えっと……その……」
「言うまで帰さないから」
「……そんなの、アタシにだってわかんないよ!」
夏希ちゃんは俯いてモジモジしている。顔を耳まで赤くしている。
「確信した。この子、恋してるわね」
「ちょっと、柑奈。やめてよっ」
え、今なんて言った?
……夏希ちゃんが俺に、恋してるだって?
意外なその言葉に、俺は呆然とした。
いつもは元気で活発な夏希ちゃんが、たまにモジモジするのは、なんか顔を赤らめているのは、声を震わせながら喋るのは、恋心によるものだったりするのか?
本当に、夏希ちゃんは俺に恋をしているのか?
柑奈ちゃんの方を見る。彼女は夏希ちゃんの腕の中に収まったまま、俺の目をじっと見ていた。
さっきまでの詰問する目ではない。何かを測っている目だった。お前はこの事実をどう受け止めるんだ、と。
そして、ほんの一瞬だけ、柑奈ちゃんは自分の肩越しに、後ろの夏希ちゃんへ視線を流した。
すぐに俺の方へ戻ったその目は、俺をガッチリと捉え、何かを狙っているかのようだった。
君は、どうするつもりなんだ……?




