増えていく秘密
夏希ちゃんが俺に恋をしている——柑奈ちゃんにそう断言されて、俺は何も返せなかった。
結局、あの後は三人とも黙ったまま、カラオケ屋を出た。
夏希ちゃんが何か言いたそうにしていたけれど、柑奈ちゃんの手前、俺も夏希ちゃんも、それ以上は何も言えなかった。
吉祥寺の改札を通り抜けた先で、二人の背中が見えた。
柑奈ちゃんが夏希ちゃんの手をぎゅっと握っている。夏希ちゃんは抵抗せず、されるがままに歩いていた。
その後ろ姿は、俺の入る隙間なんてどこにもないように見えた。
その繋がれた手と手を、手刀で上から下にぶった斬るなんてことは、到底できない。物理的にも精神的にも。
夏希ちゃんは、本当に俺に恋をしているのか?
柑奈ちゃんは、あの目で俺に何を問いかけたのか?
夏希を傷つけたら許さない、という警告だったのか。
それとも、夏希を私から奪わないでくれ、という懇願だったのか。
あるいは、お前なんかに夏希は渡さない、という宣戦布告だったのか。
どれなのかは分からない。全部だったのかもしれない。
答えは出ないまま、俺は反対方向のホームへ向かった。
■
その日の深夜、夏希ちゃんからメッセージが来ていた。
「柑奈のご機嫌を取らないといけないから、しばらくは会えないと思う」とのこと。
まあ、そうだよな。あれだけ怒らせたんだ。夏希ちゃんにとって柑奈ちゃんは小学校からの付き合いなんだし、俺より優先するのは当然だ。
あと、「なるべく早くお兄さんとまた会えるように頑張る、来週中にまた会いたい」とのこと。すごくありがたいんだけど、こう積極的にされると、なんかムズムズしてくるな。
最後に、『寂しいから、たまに電話してもいいですか?』と添えられていた。
断るわけないだろと思いつつ、承諾した。やっぱりムズムズはするけど。
でも、俺も少し頭を冷やした方がいいかもしれない。
今日一日で、色々なことが起きすぎた。明美のこともある。妹の友達と密会して、その幼馴染に見つかって、詰問されて。
冷静に考えたら、俺は何をやってるんだ。
しばらくは、大人しく過ごそう。
■
その翌々日のこと。
時刻は、午後七時になろうとしていた。
なんと今日は、俺と明美の幼馴染が久しぶりに家に来るらしい。
天野妃夜。懐かしい響きだ。
小学生以来の再会。明美と妃夜は同い年なので、高校一年生だ。
そろそろ着く時間だそうなので、俺はリビングで待っていた。
「ただいまー」
玄関から明美の声が聞こえた。
すると、もう一人の女の子が入ってきた。
「おにいー!」
そう叫んだ声が、ドタバタとした足音とともに、リビングに近づいてきた。
ドアをガチャッと開けると、とても背の高い女の子が入ってきた。
「え、本当に妃夜ちゃん?」
「そだよ、十年ぶりぐらいかなあ?」
「うわー、そうだっけ。大きくなったねえ」
「えっへん。妃夜と、おにいの背、あんまり変わんないね!」
彼女の目線は、ほとんど俺と同じくらいだった。俺より少し低いだけ。
「そっか、でも、妃夜ちゃんは妃夜ちゃんだよ」
「えへへ。あのときみたいで嬉しい」
「あのとき」というのは、俺が小学生、妃夜が幼稚園から小学校低学年までのころの話だ。
妃夜とは当時お隣さん同士で、俺も彼女も両親が家にほぼいなかったので、幼い頃は一緒に過ごしていた。
俺が親代わりみたいなものだった。
「妃夜ちゃん、日本に帰ってきてたんだね。あれから、ずっとイタリアにいたんだよね」
「うん! このまえ帰ってきたの! これから日本に住めるんだって!」
「そっか。それは嬉しいよ」
彼女と話しているうちに、楽しかったあの頃がだんだんと思い出され、自己肯定感が少しだけ上がった気がした。
「また、おにいと遊べるよ!」
無邪気な彼女は、急に抱きついてきた。
昔はよく抱きつかれていたものだ。
俺の脳裏に彼女の小学生のころの姿が思い浮かぶと同時に、身体のあちこちが当たって、むっちりとした弾力を感じた。
不思議と嫌でもないし、変な気持ちにもなってこない。まあ、家族みたいなところもあるからかな。
妃夜はイタリア人のクオーターで、イタリアの血が濃いめに残っているのか、身体も欧米仕様だ。胸には、スイカでも入ってるのかと思うほどの膨らみがある。
服はベージュの襟付きシャツにジーンズという、イタリア感あふれるファッション、それをワイルドに着こなしている。
金髪のボブな髪型は、当時から変わっていない。
顔は日本人的だが、やや目鼻立ちがくっきりしており、瞳はやや青みがかった黒色だ。
クオーターだと知らなければ、ギャルが金髪に染めてカラコンをしているように見えるだろうな。
「抱きつくなんてやめろよ、もう高校生だろ?」
「えー、関係ないじゃん」
彼女とハグをし、当時を懐かしんでいると、リビングのドアがガチャっと開き、明美が喋りかけてきた。
「お兄ちゃん! 私、妃夜ちゃんの荷物とか整理してるから、妃夜ちゃんと話してて!」
「わかった!」
俺の返事を聞いた明美は、バタンとドアを閉めて戻っていった。
妃夜はしばらく家に泊まるそうなので、荷物が色々とあるんだろうな。
明美は、俺と妃夜がハグしていることを、何も気にしていなさそうだった。まあ、小学生のころもベタベタされてたからな。
「なあ、ちょっと離れてよ」
「やだー!」
彼女の勢いは止まらず、頬に軽くキスをされた。
一瞬びっくりしたが、家族みたいな妃夜に対して、やはり嫌悪感などはなかった。
(あれ、子供のときはキスまではされなかったような……?)
ああ、ヨーロッパの国って挨拶のときにキスするんだっけか。ただの挨拶ってことかな。
「あのな、ここは日本だぞ」
「えー、どういうこと? 妃夜となかよしじゃないの?」
「いや、まあ、仲良しだとは思うけど」
「よかったあ」
「でも、俺とか明美って家族みたいなもんだと思うけど、だからって、キスするもんじゃないと思うけどな」
「そんなの、わかってるよ」
「じゃあやめろよ!」
「だって、妃夜……おにいのこと好きだもん」
俺は彼女に抱きつかれながら、目をぱちくりさせた。
ええと、これが「恋愛的な好き」だったとしてだ。
これは、ちょっとまずい状況なんじゃないか?
まあ「家族的な好き」という場合もあるか……。
「妃夜ちゃん、それってどういう意味?」
「うーん……結婚したい、とかかな」
「ああ、小さい頃よく言ってたよな」
「そういうんじゃなくて、本当に結婚したいかも」
「なんだよ、急に。十年ぶりに会ったばかりだろ?」
「だって、日本に帰ってきて不安で。久々におにいに会ったら、あの頃の気持ちを思い出して」
「あの頃って……。今は高校生だろ?」
「おにいと結婚したいのは本当だよ? おにいは妃夜のこと、今も好き?」
「好きだよ、そりゃ」
「じゃあ、チューだってできるよね?」
「いや、俺の好きっていうのは、そういう好きじゃなくてな?」
「え? おにいと妃夜、おんなじ気持ちじゃないの? かなしいよ、そんなの……」
長いまつ毛をふせる姿に、十年前の姿を思い出した。
ろくに親に育ててもらえなかった妃夜は、よく俺に甘えていたのだ。
「うーん……困ったな。あと、もうちょっと静かに喋ってくれ。明美に聞かれたくないから」
「わかった。それで、おにいが本当に妃夜のこと好きなら、チューさせて」
せつなく、さみしそうな顔をする妃夜に、昨日の明美の顔が重なって見えた。
ああ、頭を冷やそうと思ったばかりなのに。まあ、頬までならスキンシップの範疇と言えなくもないか。過剰だと思うけど。
(……仕方ないなあ)
妃夜は妃夜で、寂しいんだ。
少しくらい、言うことを聞いてやるか。
「わかったよ。その代わり、ほっぺだけね。あと、明美にも、他の人にも内緒にすること、約束できるか?」
「うん!」
「じゃあ、指切りげんまんな」
俺たちは小指を合わせ、小学生の頃によくした、お約束のルーティンをした。
「やっとチューできる。んちゅっ」
愛情のこもった、可愛いキスだった。
「内緒だぞ、本当に……」
妃夜のご機嫌を伺うため顔を見ると、頬が赤くなっていた。
夏希ちゃんが俺に対して頬を赤めた記憶がよみがえる。
(……まさか、俺に恋を?)
いや、俺に依存してるだけか。




