始まりの幕切れ
増量したいのになかなか体重が増えない。
文化祭当日。
まだ朝だというのに、学校はすでに熱気に包まれていた。
校門には色とりどりの装飾。
廊下には各クラスの看板が並び、
普段は見慣れた校舎が、今日はどこか別の場所みたいに見える。
楽しそうに走り回る生徒たち。
準備に追われる実行委員。
あちこちから聞こえてくる笑い声。
そんな中を歩きながら、僕はふと空を見上げた。
雲一つない快晴。
文化祭には、これ以上ない天気だった。
「先輩」
後ろから聞き慣れた声がする。
振り返ると、深冬ちゃんが小走りでこちらへやって来た。
「おはようございます」
「おはよう」
挨拶を返すと、深冬ちゃんは少しだけ周囲を見回した。
「なんだか、みんな楽しそうですね」
「文化祭だからね」
そう答えながら笑う。
数日前まで、白石のことで頭がいっぱいだった。
でも今は違う。
今日は文化祭。
そして——
白石がもう一度、舞台に立つ日だ。
教室へ入ると、すでに大勢のクラスメイトが集まっていた。
「それ、小道具こっち!」
「衣装まだ直せる?」
「誰かガムテープ持ってない?」
あちこちから声が飛び交う。
本番まで、あと一時間。
昨日まで何度も確認したはずなのに、直前になると不安はいくらでも出てくるらしい。
教室はまるで戦場だった。
そんな中、僕はふと白石の姿を探す。
窓際。
主役用の衣装を着た白石が、一人で台本を見つめていた。
ページをめくる指が、少しだけ強張っている。
緊張しているのは一目で分かった。
当然だ。
ほんの数日前まで、舞台に立つことすらできなくなっていたんだから。
僕はゆっくりと白石の方へ歩いていく。
すると白石が顔を上げた。
「あ、おはよう東雲」
そう言って笑う。
でも、その笑顔の奥にある不安は隠しきれていなかった。
「緊張してる?」
「……少しだけ」
「今の白石なら成功できるよ」
「そう言われたら失敗するわけにはいかないな」
そんな軽口を言い合う。
少し緊張がほぐれてきたところで時間が近づいてくる。
そろそろ体育館に行く時間だ。
開演十分前。
体育館の舞台袖は、教室とはまるで別世界だった。
観客席から聞こえてくるざわめき。
舞台スタッフの確認の声。
緊張をごまかすような笑い声。
誰もが落ち着かない様子で本番の時を待っている。
僕は舞台袖の隅から客席を見た。
思った以上に人がいる。
保護者。
生徒。
先生。
空いている席の方が少ない。
そんな客席を見つめながら、白石は静かに立っていた。
主役の衣装を身にまとい、
両手をぎゅっと握りしめている。
緊張していないはずがない。
それでも——逃げ出そうとはしていなかった。
「白石」
僕が声をかける。
白石はゆっくり振り返った。
「……東雲」
少しだけ強張った笑顔。
でも、数日前のあの河川敷で見た顔とは違う。
「大丈夫そう?」
そう聞くと、白石は苦笑した。
「全然大丈夫じゃない」
思わず笑ってしまう。
すると白石も少しだけ笑った。
その時。
開演一分前を告げるアナウンスが響いた。
体育館のざわめきが、少しずつ静まっていく。
白石は大きく息を吸った。
そして——。
「行ってきます」
そう言って、前を向いた。
体育館の照明が落ちる。
さっきまで聞こえていたざわめきが、少しずつ静まっていった。
観客席を包む暗闇。
張り詰めた空気。
そして——。
ゆっくりと幕が上がる。
舞台を照らすスポットライト。
白雪姫の世界が始まった。
舞台袖から見える白石の背中は、少しだけ強張っているように見えた。
それでも彼女は、一歩前へ出る。
逃げない。
立ち止まらない。
数日前まで舞台に立つことすら怖がっていた少女は、今こうして観客の前に立っていた。
その姿を見た瞬間——僕は少しだけ安心した。
もう大丈夫かもしれない、と。
物語は順調に進んでいた。
観客席も静かだ。
誰もが舞台へ見入っている。
そして、問題の場面がやってきた。
白雪姫が王子と初めて本音を語るシーン。
練習でも何度も繰り返した場面だった。
白石が口を開く。
「私は――」
そこで。
一瞬だけ言葉が止まった。
白石の表情が固まる。
セリフが飛んだ。
舞台袖の空気が張り詰める。
ほんの数秒。
でも本人には何十秒にも感じられたはずだ。
白石の手が小さく震える。
その時だった。
王子役の男子生徒が、自然な動作で一歩前に出る。
「どうしたんだい?」
アドリブだった。
「そんな不安そうな顔をして」
優しく問いかける声。
その言葉に、白石がはっと顔を上げる。
そして――小さく息を吸った。
「……ごめんなさい」
それは台本にはない言葉だった。
けれどすぐに、
「私、自分に自信がなくて」
本来のセリフへと繋げる。
王子役も自然に合わせる。
観客席は気づいていない。
いや、気づいた人がいたとしても問題にはならない。
なぜなら――演劇は止まらなかったからだ。
舞台袖から見ていた僕は、小さく息を吐く。
白石はミスをした。
でも。
もう逃げなかった。
演劇は、その後も大きなトラブルなく進んだ。
最後の幕が下りた瞬間。
体育館は大きな拍手に包まれる。
その中心で頭を下げる白石の表情は、どこか晴れやかだった。
数日前まで、自分を追い詰めていた少女はもういない。
少なくとも——前を向いて歩き出せるくらいには。
舞台袖からその姿を見ながら、僕は小さく息を吐いた。
これで、この事件は終わりだ。
犯人もいない。
誰かを責めて終わる話でもない。
それでも確かに、一人の生徒を救うことはできた。
だから——それで十分だった。
そして。
文化祭は、まだ終わっていない。
僕は客席へ向かう人の流れの中で、一人の後輩の姿を探した。
約束していた。
事件とは関係なく、一緒に回ろうと。
今度こそ。
過去でもなく、事件でもなく。
ただ文化祭を楽しむために。
最近、アイスボーンにはまってます。
挑戦2が出ないんじゃ。




