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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第八章 争乱

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第二百二話 毒酒

王国歴224年5月23日(前話翌日)


 この日、国王は久し振りに夕方早くに公務から解放された。

 懸案であったスタイリス王子への臣籍降下命令も前日に無事に済ませてある。


 国王はスタイリスが自分への処置に激昂して、側近を煽って他の若い王子王女に刺客を差し向けさせることを恐れていた。

 難を逃れさせるため、スタイリスの弟で最も狙われ易いクレベールは外交を兼ねてフルローズ国へ送った。メリエンネは信頼のおける侍女二人に護られて自室に籠り、ユークリウスはピオニル領に離れているし、その婚約者のヴィオラもマレーネの所に逃がした。


 彼等が危害を加えられぬように充分に備えた上での臣籍降下だったのだが、結局、スタイリスにはそういう気概は全く無かったようだ。無駄な取り越し苦労だったと国王はほっと肩の荷を下ろしたが、その一方で、これほどの恥辱を貴族の面前で曝しても何もできぬとは、そこまでの腑抜けだったかとがっかりしたような気もする。


 謁見室では、儂の(おもて)(おか)し、身を捨ててでも彼奴(あやつ)の窮地を救おうとする忠臣もいなかった。それどころか側近面をしていた連中の大半は廊下に出たあいつの所に寄りもせず、集まった者も、ふらふらと亡者のように揺れ歩くあいつから一人離れ二人去り、控室まで付き従ったのは従者ともう一人、側近の中で最も身分の低いイザーク・アルホフだけだったらしい。

 見兼ねて肩を貸した二人に支えられてやっと部屋の扉まで辿り着いたというあいつの姿を思い浮かべると、哀れを催さざるをえない。部屋の中でもさぞや嘆き悲しんでいるであろうと思うと耐えられず、もう、そっと静かにしておくようにとすぐに監視の者も全て戻らせた。

 あれほど出来は悪くとも、可愛い我が孫であることには変わりはないのだ。


 スタイリスは生まれ付いての身分と美容に溺れて己があるべき姿を見失い、高慢と放埓が(こう)じすぎた。このまま放置しておけば、国の害になっただろう。

 だが、それも元はと言えば自分が王族それぞれの自主を重んじて放任し続けたことが、反って甘やかしたことになってしまったのかもしれないと思うと後悔もある。

 臣籍に降りた後にはどうか我が身を振り返り、心を入れ替えて国のために励み尽くして、いつかは閣僚に名を連ねるようになって欲しいものだ。そのために止むを得ないとはいえ王族が減る寂しさも小さくはなく、緊張が(ほぐ)れるとそれやこれやと共にどっと疲れが噴き出したように思える。

 国王は大きく息を吐いて、食堂に向かった。



 今日は国王は折角の手空きの貴重な時間を活かし、心労を癒すべく王妃と二人切りで団欒の夕食をすることになっている。配膳の人数も最小限の一人にして、それ以外は控えの間からも下がらせて、できるだけ水入らずにせよと指示している。


 私的に用いる小ぢんまりした食堂に入ると既に食器が準備された豪壮な卓の上座に国王、右手に王妃が順に座る。侍従たちが下がり、心置きなく国王と王妃が()()みとスタイリスや若い王族たち、そして新しい義娘(むすめ)のヴィオラの話をするうちに、食事が一人の侍女の手によって運び込まれた。

 前菜の皿が並べられ、杯が据えられる。国王と王妃は夕食時には一杯だけの葡萄酒を楽しみにしている。


 侍女が前もって栓の抜かれた葡萄酒の瓶を持って、国王の席に近付いた。


「お()ぎいたします」


 緊張のためか、侍女の声は震えている。それを見て、王妃は侍女に声を掛けた。


「どうしました? そのように緊張せずとも良いのですよ」

「はい、ありがとうございます、妃殿下」


 その様子を見るうちに、王妃は以前にヴィオラが見習修行の一つとして、配膳の手伝いをしている時のことを思い出した。

 あの時、ヴィオラは先輩侍女に尋ねていた。


ー------------------------------


「あの、失礼いたします。お教えいただけますでしょうか?」

「はい、何でございますか?」

「御酒を、あらかじめ栓を抜いておいた瓶でお出しするのはなぜでしょうか?」

「もちろん、栓を抜く際に御酒を(こぼ)す様な粗相を防ぐため、瓶のままお出しするのは、貼られた札で御酒の種類や産地をお目に掛けるためでございます」

「有難うございます。腑に落ちました」

「それは良うごさいました」


 王妃は二人の問答が終わったところでヴィオラに話し掛けた。


「ヴィオラ、貴方が元々いた所では、そのようにはせぬのですか?」


 ヴィオラは大きく齢の離れた先輩侍女の方を見た。その顔に、慰めとも労わりともつかない優しいものが浮かんで消える。それで察した。ああ、このお方も私の出自を聞き知っているのだろう、と。ならば隠すことも無い。

 ヴィオラは先輩侍女に感謝を伝えるために小さく目礼を送ってから王妃に答えた。


「はい、妃殿下。私がおりました花園楼では、必ず瓶から別の銚子に小分けしてお出ししていました。そうすれば、飲まれた量がお客様にわかりにくくなりますので。『空いた銚子はすぐにお下げすれば、お客様は酔うほどに飲んだ数も憶えられなくなって次から次へと(はか)が行き、とっても儲かるのよ』と、差配の婆様が申しておりました」

「あらあら、おほほ」

「それは油断がならんな、あっはっは」


ー------------------------------


 王妃がヴィオラの話を思い出して密かにクスリと笑いを零していると、国王が葡萄酒の瓶を持った侍女の顔をちらりと見た。まだ緊張しているのか、強張(こわば)りが解けない。

 国王は(やわ)らかに声を掛けた。


「済まぬな。其方(そなた)も、勤めが長そうだな」

「は、はい」


 国王に問われて、酒を注ごうと出した瓶が止まって揺れる。返事が(かす)れ、横を向いて咳を払ってから答える。


「はい、十年以上になります、陛下。厨房での配膳の差配の手伝いから始めて、暫く前から陛下の食卓の係もさせていただけるようになりました」

「そうか。目立たぬところで実直に励んでくれておったのだな。妃よ、この者を知っておるか?」

「はい、陛下。シュレヒ、貴女は確か、パイン男爵の縁戚の末娘でしたわね。本家との縁が絶えたと聞いています。気の毒でしたわね」

「いえ、仕方のないことでございますので、妃殿下」

「ここで励めば、良縁に恵まれることもあるでしょう。妾も心掛けておきます。(くじ)けず、お励みなさい」

「ありがとうございます、妃殿下」


 礼を言いながらも、侍女シュレヒは一心不乱に玻璃の杯を見詰め、慎重に葡萄酒を注いでいく。倒すなどの粗相があってはならじと気を張り詰めているのかその手が震え、カチリと瓶が杯に当たると急いで持ち上げてまた震えが大きくなる。それでも何とか注ぎ終わると今度は早足に卓を下手から回り、王妃に寄るとその前の杯にもやはり慎重に注いだ。国王と王妃の視線が気になるのか、そちらをちらちらと見ながらの給仕である。それも終わると、シュレヒはほっとしたように下手の壁際に引き下がったが、まだ国王と王妃の方を交互に見てその視線は落ち着かない。


 その動きを見た王妃は、ヴィオラから聞いた別の話を思い出した。


ー------------------------------


「お客様が飲食をなされる間、禿は妓女の脇に控えてお客様の御様子から目を離しません」

「それはやはり、客が食事を堪能しているかを確かめるためですか?」

「はい、お母さま。それもございます。ですがもうひとつ、私の姐から教わったことなのですが、妓楼の客の中には妓女を思いのままにしようとして、隙を見て淫らげな薬を酒に盛り飲まそうとする者が時にございます。そのような者は、薬を盛ろうとする、あるいは既に盛った器を見ぬようにしようと頑なに目を逸らし、それでもついつい、目をやってしまうもの。そのような仕草がないか、見張りも兼ねているのです」

「それは不埒な輩だな。己の魅力が足らぬのを棚に上げての狼藉か。花園楼のような名楼の客にもそのような下郎がおるのか」

「はい、お父さま。そう教えられた後に、一度実際に姐になさろうとする方がおりました」

「それは一大事ではないか。それでどうなったのだ?」

「姐の袖を引いてそっとお知らせしましたら、姐は敢えて知らぬふりをしてその酒を口に含み、いきなり客にしな垂れかかると接吻して口移しにし、飲み干すまで抱き締めて離さず、遂には全てを飲ませましてございます」

「ほう、それで? その輩は?」

「後はそのまま床に一夜打ち捨てて置かれました。私は見てはおりませんが、輩は体が痺れて動かぬままに、淫らな思いに一人身を焦がす長い夜を過ごしたようで、朝には衰弱悄然としてふらふらと去ったそうでございます。その後は楼のみならず、花街通りの出入りを禁じられました」

「そ、そうか。それは少し哀れだが、身から出た錆であれば同情はできぬな。いや、妓楼もなかなかに緊張感溢れる場所だな」

「あら、陛下。まるで妓楼の扉の内を御存じないかのようなお言葉ですわね。お若い時に王母様に叱られた理由をお忘れで?」

「な、妃、ヴィオラの前で何を言い出すのだ。ヴィオラ、違うのだ」

「はい、お父さま。今、虫が耳に入り、お母さまのお言葉が聞こえませんでした」

「うむ、ヴィオラ、お前は本当に良い娘だ。耳の虫は大丈夫か?」

「はい、お父さまの癇の虫を恐れて逃げ出したようです」

「これは参った。あっはっは」「あらあら。ほほほ」


ー--------------------------------


 今、王妃の目に映るこの侍女は、こちらの手元に目をやっては慌てて戻し、ヴィオラの話そのものの不審な挙動をしている。あの話は笑って済んだが、目の前の女の行いは冗談では済まない。

 玻璃の杯にたっぷり注がれた葡萄酒を良く見ると、(おり)が多く泳いでいる。良い葡萄酒に澱は付き物だが、この濃い土色の細かい澱は見たことがない。

 よもや。


 王女は控えた侍女に声を掛けた。


「シュレヒ、この酒はどこで造られたものですか?」


 シュレヒは問い掛けられることを予想していなかったらしく、肩をびくっと動かした。


「え、ええと、確か東部地方の産ではなかったかと」

「そう。甘口ですか、辛口ですか?」

「いえ、存じません」

「まあ、困ったわね。今日は辛口の気分なのです。其方が味見をしてみてくれませんか?」


 思わぬ事態にシュレヒは動揺した。

 眼を左右に大きく泳がせ、腕が無意識のうちに動く。胸は落ち着きなく(しき)りに上下し、少し離れた所からでも呼吸が荒くなっているのがわかる。


「どうしましたか? 何かあるのですか?」

「いえ! ございません!」

「では、味見をしてください」

「そ、それは。陛下や妃殿下の御膳に上がるものを、畏れ多くて頂けません」

「妾が許しているのです。気にすることはありません」

「ですが」

「それとも、この酒に何かがあるのですか?」

「いいえ」

「では、早く」

「……承知いたしました」


 シュレヒは身を震わせながら、一歩、また一歩と進み出て、王妃の前に置かれた杯を手に取った。

 国王と王妃の鋭い視線が刺さる中、震える手で揺り動かして葡萄酒の香りを立たせ、口元に運ぶ。


「陛下、妃殿下、お許しください」

「うむ」


 そう国王が頷こうとした刹那、シュレヒは杯の中身を国王の顔に目掛けてぶちまけた。


「うわ!」

「何をするのです!」


 国王と王妃は叫び声を上げて立ち上がろうとしたが、酒に混ぜられたミスリル瘴紛が国王の肌に貼り付き、忽ちのうちに瘴気が染み入り、生気を吸い取り始める。


「陛下!」


 顔色(がんしょく)と体の力を失いずるずると椅子から滑り床に崩れ落ちる国王に王妃が慌てて寄ろうとするところに、シュレヒは国王の前にあった杯を取って、中身を今度は王妃に向かって撒き散らした。


「きゃっ!」


 王妃の身体も即座に脱力して、国王に折り重なって倒れる。

 侍女は大きく肩で何度も息を()いた。喉に溜まったものをごくりと呑み込むと夫妻が共に意識を失ったのを確認し、卓の上から毒入り葡萄酒の瓶を取り上げてその中身も全て国王と王妃に流し掛けた。どく、どく、どくと、全てを(そそ)ぎ終えて空になると、安堵で手から力が抜けて、葡萄酒の瓶が床に落ちて砕けた。

 ガシャリと濁った音がして飛び散る飛沫を浴びないように、慌てて跳び退る。


「陛下、妃殿下、ほんの、ほんの一時(いっとき)のことにございますゆえ、どうかお許しください。でもこれでスタイリス様は私のもの……侯爵閣下、私やりました……」


 床の上で動きを止めた二人を見てそう独り言をするとふらふらと出口に歩んだ。

 そこで顔を振って気を取り直すと扉を開け、室内に向かって恭しく一礼して「失礼いたします」と声を掛けた後に、急ぎ足で廊下を歩み去った。



 侍女シュレヒが去った後、国王と王妃は倒れたまま、ぴくりとも動かない。

 だが、室内に他に動くものがあった。


 王妃が胸に潜ませていた緑の(かんざし)が、服の隙間から滑り落ちて床でこつんと小さな音を立てた。すると、簪から薫り豊かな軟風が起き、見る間に国王と王妃の側で渦を巻き起こすと、背の高い女性の形を取った。

 緑濃い長髪に、同じく深緑の瞳を湛える切れ長の目。緑の薄衣のみを身に着けた、風の精(シルフ)ヴィンディーゼの半透明の(うつ)し身である。


「国の長ともあろう者が、大事の後とはいえ気の緩みがあったようですね。妖魔は(あずか)り知らぬ人と人との間の争い事とは言えど、わが友ヴィオラの頼み、しかも懐かしきあの者たちの血筋とあらば、見過ごすわけにはいきますまい」


 ヴィンディーゼの映し身はそう言うと右手の指を二本伸ばして高く掲げた。

 すると薄翠の風が起こり、その手の周りで渦を巻き始めた。手を振り下ろすと、放たれた渦は旋風(つむじかぜ)となって倒れ伏した国王と王妃の体、そして床に流れた葡萄酒を包む。身の内や酒に籠っていた土の瘴気を吸い取りながら、翠風(すいふう)はじわりじわりと速度を落とし、やがてどろりとした茶褐色に濁った。


 映し身は、ぬめるようにとろとろと回旋するその色を見て呟いた。


「これはまたもやミスリル瘴粉ですね。三度(みたび)会うとは思いませんでした」


 そう言って今度は左手を額に当てた。

 穏やかな碧の光がその手に灯る。その光は徐々に強さを増し、忽ち常人が直視すれば眼が潰れてしまうほどの輝きになった。その手を前に伸ばすと光は手を離れ、まだうねうねと回り続ける渦に混ざり込む。さらに数度の旋回を続けるうちに風の魔力が優ったらしく、浄化されて土の色は消え、再び回転速度を増し清々しい翠色に戻った。

 映し身が前に伸ばしていた左腕を水平に振って窓を指差すと、渦は窓から空へと飛び去って消えた。


「これで良いでしょう」


 だが国王と王妃は意識を取り戻さない。

 映し身は二人を見下ろすと独り言ちた。


「瘴気は払いました。命には別条無いでしょうが、この者たちの齢では、暫くは回復しますまい。あの子たちはまた大きな苦労をすることになりますね」


 風の精(シルフ)ヴィンディーゼの映し身はそう言うと、やれやれとばかりに首を振った。


「まさかまたミスリル瘴粉を目にするとは思いませんでした。この汚穢(おわい)で厄介な粉をまたも人の手に渡らせるとは、全く、土の者共は、一体何をやっているのか。自分たちの不始末で人の世に迷惑を掛けて、妖魔の風上にも置けません。いずれ土の精(ノーム)ギアーナとはとっくりと話し合わなければなりませんね」


 他人事のように呟くと、再び緑の風となって大気の中に溶けて消えていった。

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