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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第八章 争乱

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第百九十六話 一時の別れ

王国歴224年5月


 メリエンネ王女の部屋をクレベール王子が訪れた二日後に、今度はケンがやってきた。

 メリエンネは浮き浮きとして迎えたが、ケンの今日の表情はいつにも増して硬かった。彼はもともと生真面目な人で心の内が外に出にくいのだと王女も理解しているのだが、今日はそれにも増して顔付きが強張(こわば)っており口数が少ない。挨拶も王女の体調を気遣う言葉も、マレーネ殿下からの伝言すらも数言で終わってしまった。


 歩行訓練のためにケンに手を取ってもらって立ち上がると、その口元に僅かに笑みが零れたが、それがどこかしら、もの哀しそうに見える。その表情を見ているとメリエンネは切なくなった。気になると訓練に集中できず、部屋の中を歩く最中も視線がケンの顔に流れがちになる。


「ケン殿、何かあったのですか? もし貴族方から嫌がらせを受けたのなら、私に言ってくださいね」

「いえ、そういうことはありません、メリエンネ様」


 我慢し切れずにメリエンネが尋ねるとケンは否定して微笑んだが、その笑顔は眉間に小さな皺が寄り、眼を細め、片側の口角が少し下がって寂しげだ。どう見ても何もないとは思えない。

 メリエンネは心配になって、歩く意識がさらに(おろそ)かになった。出そうとした足が立ち脚にぶつかって縺れてしまい、重心が崩れた。


「きゃっ」


 思わず口から声が出て横に倒れかかったが、繋いでいた手でケンにぐっと引き寄せられて、崩れ落ちた先は彼の胸の中だった。その感触は、以前と変わらず温かく頼もしい。

 メリエンネは少しほっとして、その胸に頬を寄せてみた。ケンの体がぴくりと動くのがわかる。


「ケン殿、ごめんなさい」

「いえ、メリエンネ様」

「いつまでも進歩しなくて、これでは支え甲斐がないですね」


 そう言ってメリエンネがケンの胸に置いた手に力を入れて体を起こそうとした時、突然、その胸が動いた。

 ケンがメリエンネの両腕を支えていた両手を王女の背中に回したのだ。そのまま強く引き寄せて抱き締めたと思うと、頬を王女の金色の髪に押し付けた。


「ケ、ケン殿?」

「ジートラー卿!」「何をなさるのですか!」


 メリエンネが戸惑い、驚いた二人の侍女も大きな声を出す。

 ケン自身も驚いた。全くの無意識にしでかしたことだったのだ。自分が何をしたのかに気付いたケンは慌てて腕の力を緩め、王女から体を離した。


「失礼しました!」


 ケンは直立不動になり、その顔は火が着いたように赤くなっている。

 放されたメリエンネの顔も真っ赤になっているが、その手はケンの腕を掴んで放さない。


「私みたいな者がメリエンネ様に……。申し訳ありません!」


 謝罪を告げた震える大声に、メリエンネは確信した。間違いなく、何かがあったのだ。このいつも冷静沈着で真面目な青年が、自分を思わず抱き締めるなんて。何か、きっと良くないことが。

 自分の心にあっという間に広がった、嫌な、黒い予感に囚われて、急いで尋ねた。


「ケン殿、何かあったのですね。お話しください。そうすれば今のことは許します。話さなければ、許しません」


 そう命じられては、ケンにはもうどうしようもない。歩行訓練が終わってからにしようと思っていたが、自分の事情を打ち明けざるを得なくなった。


「承知しました」


 ケンが止むなく頷くと、ドロテアがメリエンネの後ろに車椅子を急いで運んできた。


「姫様、まずはお座りください」

「はい」


 メリエンネがケンの手を借りて車椅子に腰を下ろし。侍女二人がじっと見守る中で王女の手が名残惜しそうにケンの手を離れると、ケンは片膝を突き顔を伏せて語り出した。


「実は、私の近衛見習としての訓練期間が終わり、ピオニル領のユークリウス殿下の所に戻ることになりました」


 その言葉を聞いて、メリエンネの顔が血の色を失った。だが俯いているケンの眼には入らない。侍女二人も横で思わず息を呑む中、淡々と話を続けた。


「ただ、それを申し渡された際に近衛への任官の誘いも受けたのです」

「まあ……」

「ユークリウス殿下に訓練終了の報告をするため、どのみち一度ピオニル領に戻らなければならないのですが……」


 ケンが言葉を濁し、メリエンネは覚った。この人は自分を気に掛けてくれているのだと。

 だが、それと同時に、クレベール王子の言葉も頭を(よぎ)った。


『王族の婚姻はすべて国王陛下がお決めになる。王族の身は国に捧げるためにある』


 その通り、それが現実なのだ。突き付けられた冷たいものに、体中の血の熱が奪われる気がした。目の前にいるこの人も、ユークリウス殿下の下で領の人々を守るべき人なのだ。

 それでも。


 それでも、メリエンネは恐る恐る尋ねた。


「それで、ケン殿はどうされるのですか?」

「どうすれば良いのか、わからないのです。ピオニル領に戻り、領のために働くのが良いのか、近衛に入ってさらに自分の技量を磨くべきか」


 ケンはそう答えると顔を上げておずおずと尋ね返した。


「メリエンネ様は御自身の御将来について、どう考えておられるのですか?」


『では貴女自身はどうするのか』。そのまま返された自分自身の問いに、メリエンネは言葉に詰まった。だが、許される答えは一つしかない。


「王族の身は、国民のためにあります。その行く末は、国民のためになるように、国王陛下がお命じになられます。私もその命に従うだけで、私が決める事ではありません」


 きっぱりと言ったが、その言葉は震えている。

 それを聞いてケンはまた俯いて暫し無言になったが、やがて意を決して、顔を上げてメリエンネの目を見詰めて言った。


「メリエンネ様、例えば、ピオニル領のユークリウス殿下の所にいらして、療養されるようなことはできませんでしょうか」


 ケンの言葉を聞いて、メリエンネの顔に朱が差した。

『そうすれば、この歩行訓練の名目での逢瀬を続けることができる』

 含まれた意図を汲み取って一瞬浮かんだ嬉しそうな笑みは、しかし水面に落ちた細雪のように忽ち儚く溶けて消え去り、替わりに切なく哀しい溜息が(かそけ)く洩れた。

 俯いたままで無言でいる王女に代わって、今まで黙って控えていた王女の腹心の侍女ドロテアが無表情で事務的な答えをケンに返した。


「ジートラー卿、姫様は王太子殿下の御嫡女です。軽々と御居場所を変えられることはできません。御公務での御訪問ならばいざ知らず、御療養で王都を離れられては、御病気が進んだの、いや軽快したの、国王陛下の御勘気に触れたの、御慈愛を受けたの、現地で見合いをされるの、王都の御夫君候補と破局したので遠ざけるのと、貴族方の様々な下らぬ憶測を招き、詰まらない揺らぎを引き起こすのです。国王陛下も、ただ御療養だけでは、そうおいそれと姫様をお手元からお放しにはならないでしょう。これまでもずっと王城で快復に努められたのです」


 その無味乾燥な言葉を表情を消して聞いているケンに、もう一人の側近であるスザンネが今度は声を強めた。


「御療養だけではなく、何か他の強い理由でもあれば、国王陛下もお考えになるかも知れませんが」


 そう言って言葉を切ったスザンネもドロテアも、そしてメリエンネも息を殺してケンの返事を待った。

 だが、彼女たちが待っていたであろう言葉は帰ってこなかった。


「そうなのですか。知りませんでした。迂闊なことを申し上げて、申し訳ありません」


 それを聞いて、侍女二人は心中で大きな溜息を洩らした。

 雰囲気が暗く沈む中、メリエンネは努めて笑顔を作り、心中とは裏腹な明るい声を出した。


「ケン殿、貴方の御将来についてはユークリウス様と良く御相談になられるのが良いでしょう。ユークリウス様は御自身の御都合に関係なく、ケン殿の身になって考えてくださる方ですから。そして、お決めになられたら、もしよろしければお知らせくださると嬉しく思います。もしできれば」

「はい、メリエンネ様。いろいろお世話になり有難うございました」

「お世話になったのは私の方です。ケン殿、礼を言います。有難う。どうぞお元気で」

「メリエンネ様も。お手紙になるかまたお目に掛かれるか、その時までどうぞお元気で」

「では、下がられて構いません」

「はい。失礼致します」


 ケンが部屋を去ると、侍女二人は詰めていた息を思わず「はあっ」と吐き、慌ててメリエンネに「申し訳のうございます」と謝った。


「ジートラー卿はどうされるおつもりなのか」「気が揉めます」


 二人が誰にともなく言う言葉を聞いて、メリエンネは厳しい、それでいてもの悲しい声で窘めた。


「それはケン殿が御自身で決められる事。とやかく言ってはなりません」


 そう言うとメリエンネは自分で車椅子を動かして一人で寝室へと向かう。

 二人の侍女はゴルゴンの呪いにでも掛けられたように身動きできずに王女の後ろ姿を見送っていたが、はっと我に返ると慌ててその後を追った。



 一方のケンは後ろ髪を引かれる思いで帰って行った。

 マレーネ殿下の邸に寄り、訓練期間が終わったことと近衛の仕官を求められたことを簡単に報告した。殿下にも「貴方は今はまだユークリウスの臣下なのだから、どうするにせよまずはピオニル領に戻ってユークリウスに訓練終了の報告をしていらっしゃい。その後は自分の将来のことだから、自分でよく考えて決めなさい」と命じられた。


 近衛の仲間三人に領に戻ることを告げると送別会をしようと言われたが、もしかすると戻ってくることになるかも知れないし、推薦状を出すように三人が各家の当主に言ってくれたことを思うと面映ゆくて(はず)かしいので断った。

 三人もこちらの迷う気持ちは察しているらしく、強くは言ってこなかった。


 まだ慣れない王都で大勢の貴族に囲まれての暮らしが終わると思うと肩の荷が降りるような、それでもメリエンネ様のお顔を思い出すと切なく(たま)らなくなるような、様々な感情が綯交(ないま)ぜになった思いを胸に抱えて、王都を後にした。

 ユーキ殿下の所に残るべきか、近衛に投じて王都に戻るか。

 どうすればいいのか、ピオニル領への道中もずっと迷い続けていた。

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