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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第八章 争乱

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203/220

第百九十五話 詭計の絵図

王国歴224年5月初旬


 休職中の宰相府次官トーシェ・シェルケン侯爵の邸に今夜も不穏な企みを持った面々が集まっている。参加者は前回と同じように片手に酒杯を持ち、安楽椅子にどっぷりと納まっている。

 最早、宰相を取り除く腹は固まった。その後についてそれぞれに思惑の違いはあれ、取りあえずの問題はどのように事を成すかである。


 乾杯の後、今夜は早速に印章官デイン子爵がそれを持ち出そうとした。


「では、皆様如何(いかが)でしょう。この杯の中身は確かに極上の美酒なれど、それだけではやや口寂しさを覚えられるのでは? 良き肴、あるいは座興として、愚物宰相を如何(いか)に取り除くかを考えてみるというのは?」

「あら子爵、いきなりですか? それは実直な貴方とも思えぬ不穏な話題ですわね」


 シェルケンの姉グラウスマン伯爵が左手で拡げた濃紅の羽扇子の陰から楽しそうに揶揄(からか)うと、デイン子爵も顔を緩めながら答える。


「勿論、この場限りのおふざけ、知的遊戯としてのお話ですよ。その位の冗談も許されないほど、堅苦しい世の中でもありますまい。然様(さよう)でしょう? ブラウ閣下」


 呼び掛けられた蔵相ブラウ侯爵は杯を傾ける手を途中で止めると、片眉を上げ、目をぎろりと開いて声の主を見た。

 自分としても話題そのものに異議はない。だが、持ち出したデインは子爵である。シェルケンの後を付いて回る下級貴族の分際で、場を仕切って大臣侯爵であるこちらを躍らそうとは気に障る。


「如何にも、座興に肩肘(かたひじ)張って善悪を論じるのは無粋と言うものでしょう。それでは、先ずは子爵の案を(うけたまわ)ろうか。言い出しとあらば、必ずや御自身で良き思案をお持ちでしょうからな」


 ブラウ侯爵の当て付けにデイン子爵は鼻白んだ。

 こちらをシェルケン侯爵の幇間(ほうかん)とでも思って嫌味を言ったつもりだろうが、その言葉は部屋の壁に反射してお前自身にも突き刺さるのだ。何の考えも無しにシェルケンの尻馬に乗って、甘い汁を(すす)ろうとしているだけの男()が。

 だが、王族との縁組という一番の旨味はこちらがもらうのだ。

 嫌味ぐらいは好きなだけ言わせてやっても良いし、幇間と見られているならばそれらしく太鼓を叩いてやれば満足するだろう。

 子爵は強張り掛けた表情を緩め、猫撫で声で答えた。


「いやいや、お買い被りを。私などの浅薄(せんぱく)者には深い(はかりごと)は無理というものです。いつも蔵相閣下を始め皆様の深慮遠謀振りを羨ましく思いながら伺うばかり」

「御謙遜ですな」


 ブラウが棘のある声で短く応じても、デインは(へつら)い笑いを消さずに続ける。


「とんでもない。身共には思い付く当てもないその手の企み事と言えば、やはり策士シェルケン閣下でしょう。閣下、是非腹蔵の御試案を御開陳ください」


 話を振られたトーシェ・シェルケンは口を付けていた杯をそのまま上げてぐっと飲んでから顔を(しか)めて見せたが、その目尻は下がっている。


「子爵、それは人聞きが悪い」

「これは失敬、閣下の思慮叡智の底知れずと、誉め言葉のつもりでしたが」

「ならば有難く受け取っておくとしよう」

「では、是非にもお願い致します」


 シェルケンはデインに促されると、さらに酒を一口飲んで喉を湿らせ杯を傍の小卓に置いた。


「座興に腹蔵の案など勿論あるわけも無いが、即興でつらつらとお話しいたそうか。子爵、それで良いかな」

「勿論です。合いの手はお引き受け致しましょう」


 デインが手を擦り合わせんばかりに諂い声を出すと、シェルケンはちらりと姉のグラウスマンに目を流す。頷きが返ってくるのを確めると嬉しそうに一座をぐるりと見渡してから話し始めた。


「では、皆様、お聞きいただこうか。と言っても、初手はそれほど難しいことを考える必要は無かろう。将来の話となるが、いずれは次代の君、我らが叡哲なる麗しの殿下が御自らの臣を従えられて(まつりごと)に辣腕を揮わんとされる。それではあの(やから)()には不都合なわけで、彼奴(あやつ)は次代の君を縛ろうと何か悪辣な試みをするであろう。それを忠義の臣は必ずや見破らねばなりません」

「そうすればその罪で奴を宰相の座から追いやれるわけですな?」


 デインが空かさず尋ねると、一同が一斉に「ぷっ」と噴き出し、シェルケンが「あはは」と声を立てて笑ってから言った。


「子爵、笑いを誘うのが上手いな。たったそれだけで簡単に事が片付くならば、一瞬の笑いは取れても良い座興にはならんな」

「これは失敬」


 デインが頭を軽く叩いてお道化てみせる。シェルケンが普段やるのとよく似た仕草に、ブラウとローテ、オットーは「(此奴(こやつ)ら一派の得意芸か)」とまた失笑したが、シェルケンは気にせずに話を続けた。


「彼奴が明白に法を犯せばともかく、己の権力を維持しようと諸臣に言葉だけで圧力を掛け、あり得ぬ報償を見せ掛け、脅し(すか)して次代の君の御言葉に従わぬようにさせるだけなら、罷免を求められるような罪とはなるまい? 彼奴はそのようなことが得意な卑怯者だ」

「では閣下、どうやって?」

「忠義の臣は普段から彼奴めの無能非才振りを地道に心の内に積み立てておき、ここぞという時に公然の論議の場で次々と暴き立てて論破して見せねばならん。そうすれば次代の君も、彼奴を排するために敢然と立たれることが可能になる」

「それで天下は万々歳ですか?」

「子爵、そんな容易なことではない。佞臣とは尋常でなく権力に執着するものだ。その座にしがみ付くために、必ずやいろいろと手を尽くしてくるはずだ」

「どのような?」

「例えば、懇意なる他の王族方にお縋りする、有力貴族と結託して忠臣たちを誹謗中傷し逆に無実の罪を(かぶ)せて排除しようとする」

「それはなかなかに厄介ですな」

「それ(ゆえ)、事を成すためには彼奴の非を明らかにした後には直ちに他の王族貴族から切り離さねばならん」

「如何にして?」

「例えば、だな。奸物のこれまでの専横を憎み憤る者がその機に乗じ暴発して暗殺を試みようとする」


 即興どころか(かね)てから長く温めていた謀案を気持ち良さそうに語り続けるシェルケンは、卓の杯を指で弾いてみせた。

 チイィンと鳴ったその小さな音が消えないうちに、デインが慌てて身を乗り出して諫めるかのような言葉を白々しく吐く。


「閣下、それは如何(いかん)でしょう。上手く行けばともかくも、露見したり失敗したりしては攻守逆転、企んだ側が(たちま)ちのうちに処刑台に行くことになる」

「いや違う、最後まで聞かれよ。そのような暗殺の試みの噂を流し、それを理由に宰相を近衛に護衛させて邸まで送り届けた後に周囲を守り囲み保護するのだ。そうすれば軟禁状態、王族貴族との接触は叶わなくなるだろうが」

「あ、そういうことですか。してみると、近衛の協力者が必要ですな」


 デインはシェルケンと頷き合うと、オットー伯爵の方を見た。

 オットーは理解した。

 自分がこの場に呼ばれているのは、単にスタイリス王子の外祖父だからではない、自分が占める近衛内局長の地位を利用しようということなのだ。

 それはそれで構わない。こちらとしても好都合、こいつらが王子を必要とするならば、共に押し上げてもらって構わない。可愛い我が孫を裏切って突き落そうとしないか、自分が見張っていれば良いのだ。王子が一度(ひとたび)玉座に座ってしまえば、後はこんな連中はどうにでもしてくれる。

 だが、自分としてもできることとできないことがある。それははっきりさせておかないと。


 オットーは眉根に皺を寄せて見せながら言った。


「それは得られるでしょう。近衛は王家に忠実と言えど、全くの一枚岩ではない。宰相と異なる派閥の出身者も大勢おれば、出世を期待して上や内局の顔色を窺ってばかりの者もおりますからな。ですが、護衛と称して宰相を近衛に暗殺させるのは難しいですぞ。宰相の護衛ともなれば相当の人数になる。それを手の者で固めることはできんでしょう」

「オットー伯、何を怖ろしいことをおっしゃる。近衛に手を汚させようなど、私は夢にも思っていませんぞ」


 シェルケンが笑顔で軽く手を振りオットーが「それならば良いでしょう」と引き下がると、デインが大袈裟に驚いた振りをした。


「これは何と。シェルケン閣下、それで良いのですか?」

「子爵、何か勘違いをしているようだな。仮に宰相が公然の罪なく邸で暗殺されたとして、世論はどう思う? 同情は死した宰相と暗殺した側のどちらに集まる?」

「……それは、宰相側でしょうな」

「そうすると、彼奴の継嗣が爵位を継いだ後には次なる宰相にもと、声が集まるのは必定だろうが。彼奴の継嗣は領主が不在の侯爵領を何の問題もなく仕切っている程度には能力がある。それが次の宰相位に就いては、こちらは何一つも前進していない。オットー閣下、繰り返し申し上げます。近衛は手を汚す必要などござらん」

「安心致した」


 シェルケンの言葉にオットーは満足そうに頷き、デインは訝しげに尋ねた。


「では、宰相がどうなれば良いのですかな?」

「端的に言えば、汚名を曝して消えてもらわねばならん。そうすれば世論の批判を浴び、場合によっては廃爵となり家の名誉も領地も全て失うことになる」

「成程。ですが、どうやって?」

「子爵、そこまで言わせるのか?」


 執拗(しつこ)く尋ねるデインに、シェルケンはさも迷惑そうに顔を歪めて見せた後ににたりと笑った。


「悪評が高くなり邸に引っ込んだところでさらに暗殺の噂が強くなれば、危険を感じて安全な自領に戻ろうとするだろう。警護を担当する側も、それを勧めることになる。その帰領の途中で彼奴の更なる悪事の疑惑が生じ、それを晴らさぬうちに勝手に行方不明になれば。汚名を(こうむ)ったままで消えることになるだろうが」

「成程、成程。この凡才も、腑に落ちました」


 デイン子爵は大きく頷いて見せた。

 だが、横から農相ローテ侯爵が得心行かなげに口を挟んだ。


「悪事? だが、宰相に悪事があるならば邸にてひっ捕らえれば済むだろう」

「彼奴が悪事の証拠を残しておらねばどうします?」

「……つまり、無実と承知の上でも疑いは如何様(いかさま)にも掛けられるということか」

「ローテ閣下、酒の上とは言え、人聞きの悪い言い方は良くありませんな」


 農相が無表情で口から放った身も蓋もない言葉を、シェルケンが笑いながら窘めた。杯を取り上げ、長広舌で潤いを失った口を酒で再度湿らせてから後を続ける。


「ですが市井の民ならいざ知らず、宰相という絶大な権力の座にあった者は、疑いが掛かればそれを本人に晴らしてもらわねばならん。無実は御裁断される御方の目の前で証明されてこそ無実。それができねば、限りなく黒に近い灰色と見做されるでしょう。世間というのはそういうものではありませんかな?」

「ふむ。それはそうかも知れませんが……なかなかに危ない橋ですな」

然程(さほど)ではありますまい」

「確かに疑いを掛けることは容易でしょうが、上手くいかねば仕掛けた側に跳ね返るのもまた容易。……その危険に見合う見返りがあるのでしょうかな?」


 分け前をはっきり示せということか。

 シェルケンはグラウスマン、デインと視線を交わして答えた。


「それは当然のこと。宰相が替わり我らの思いが国の政策に反映されるというだけでなく、他の余禄もありましょう」

「ほう、どのような?」

「宰相家が不祥事で降爵、いや廃爵となれば、その領を誰かが治めねばなりますまい。それがいくつかに分割されればどうですかな? 皆様お身内に新たに爵位を与えられるべき良い候補者がおられるのでは?」

「成程」


 シェルケンはローテ侯爵の短く無愛想な返事に思わずニヤッと笑った。

 ローテは農相だけあって、土地への執着が強い。新たな領地を身内の手に入れられるならば、少々の無理は通すだろう。


 だがローテはローテで別の事を考えていた。

 彼は確かに土地への執着が強いし権力欲もある。だが、今の農相の地位に大きな不満もない。労せずして領地を増やせるのであれば大歓迎だが、今あるものを失う窮地に陥るのは御免被りたい。宰相を除くのには賛成しても、それ以上の危険は冒すまい。

 目の前の連中がせっせと汚れ仕事に働きたいなら放っておけばよい。うまく行っている間は綺麗になった道を後ろから歩き、汚泥の跳ね返りを受けそうになったら、素早く横に避けるとしよう。


 ローテは無表情だった顔を崩して、得心したとばかりに微笑を洩らした。


「そうすると、あと必要なのは策士閣下が宰相を追及するのを後押しする面々、ということでしょうかな? ブラウ閣下、如何(いかが)ですかな」

「ふむ」


 ブラウ蔵相はローテ農相の誘いの言葉を聞いて、ゆっくりと杯を傾けて見せた。最早酒を味わうどころではない、どう答えるべきかと思案を巡らせる時間を稼ぐためである。

 ローテは矢面には立たされまいと、最低限の手助けしかしないと言っている。自分も同じようにすれば危険は無い。だが、宰相以外に五人しかいない大臣の二人が賛成すれば見込みはある。そしてどっちつかずのキールス外相がこちらに揺らげばむしろ成功したも同然となる。それに備えてもう少しの分け前を要求できるだけのことはしておいた方が良い。それならばローテより一歩だけ踏み込んでおくか。


 ブラウは杯を置くとローテに向いて(おもむろ)に口を開いた。


如何(いか)にも、それは我々の役どころでしょう。だが、そのような事が起きれば王都の治安に不安が出るのではありませんかな? 私としては、胡乱な輩の出没に備え、王都の貴族や民草を安心させるため、若干の者を手元に置いておくこともできますな。ローテ閣下は如何(いかが)ですか?」

「それはブラウ閣下にお任せしよう。私としては領が遠い。手勢を素早く呼ぶことはできませんからな」


 シェルケンはローテとブラウのやり取りを聞いてほくそ笑んだ。どうやらこいつらも腹を固めたようだ。

 大きな役割を担う気は無さそうだが、丁度良い。変にやる気を出されて主導権を奪われるほどの働きをされては困る。こちらが欲しいのは宰相を除くに足る大臣の賛同者だけなのだ。

 それに積極的に働くつもりが無いならば報酬が少なくなるのも承知だろう。事成れば、僅かな土地を与えてやることにしよう。それ以上のものを欲しがれば、それを餌に我が手足として使ってやればよい。閣僚を顎で使って見せれば名実ともに宰相であることを世間に示せるのだ。

 こんな俗物共など、その程度の存在に過ぎん。


「方々がそのようにお働きくださるなら、事は成ったも同然ですな。勿論、様々な汚れ仕事はこのシェルケンにお任せあれ」


 シェルケンが満面の笑みを浮かべ両手を大きく広げて見せる。

 その時にオットー伯爵が、一人黙ってにやにや笑いを扇の影に隠し杯の酒を()めながら侯爵同士のやり取りを聞いているグラウスマン伯爵に気が付いて尋ねた。


「はて、グラウスマン様は何をされるのですかな?」


 訝し気な声を向けられてもグラウスマンは余裕の笑顔を崩さずに応じる。


「あら、オットー閣下、このか弱い女に力仕事をお命じに?」

「これは失礼、扇より重いものは持ち上げられぬ嫋嫋(じょうじょう)たる美女に無礼を申し上げました。ですが、適材適所、か弱いながらも何かの役割は担われるのでしょうな?」


 グラウスマンの軽口にオットーが皮肉に口を吊り上げて見せる。それぞれに何かを担ってこその一味、首謀者の姉と(いえど)も、何もせずに済ますことは許さないと言わんばかりである。

 グラウスマンは扇で口を隠したまま答えようとはしないが、代わってシェルケンが「心配御無用」と応じた。


「オットー伯、姉は閣僚ではありません。それどころか、ちっぽけな伯爵領の領主以外の何物でもなく、閣議の傍聴席で論じても世を動かす力はありません。ですが、グラウスマン領はミンストレル領に面して主街道の王都側にある。そう言えばおわかりでしょう」

「ふむ、宰相が領に落ち延びようとしてもそうはさせぬ、というわけですか」

「それだけでなく、彼奴の手勢が暴発して王都に攻め上ろうとしたならば、姉が身を挺して国家の安泰を守るでしょう」

「ほう、それは手弱女(たおやめ)とは言えぬお覚悟ですな。それ程ならばむしろ攻め込んで敵軍を打倒し、彼の領を逸早(いちはや)く手の内に収めることもあり得ますな?」


 オットーに問い質されて、シェルケンが思わず言い淀む。不自然な間が空きそうになるところに当のグラウスマンが急いで割って入った。


「そのような怖ろしげなこと、私の手には余ります。ですが私とて貴族の端くれ、国家のために私心を捨て、身も捨てる覚悟は(とっ)くにできておりますわ」

「いや、それはお見事なお言葉。端くれどころか、どうですかな、いっそ近衛に御身を投じられて、女将軍として堂々の軍を率いられては? 騎乗の麗しき女丈夫に従うは千の馬、万の剣。絵になるでしょうなあ」

「あらあら、私などを描こうという物好きな絵師はいないと思いますわ」

「これはこれは、御謙遜を」


 はははは、ほほほほと空笑いの声が行き交う。実際には馬に乗ればその背が折れそうな体付きのペトラ・グラウスマン伯爵は、脂で満ちた丸顔で笑いながらも弟のトーシェ・シェルケン侯爵をじろりと睨んだ。


 弟はどうも胆力に欠けるところがある。

 ピオニル子爵の御裁断の時も御前に出て自分で堂々と釈明すれば良いものを、陛下の目を怖れて逃げ出した。今も自分の調子でぺらぺらと喋っている分には勢いが良いが、少し裏を読まれただけで動揺を色に出す。いつまでも私が尻を叩いていないと危なっかしい。

 でも、最後に私が高みに上り詰めるには、その位で丁度良いでしょう。最上の座に相応しい器は、トーシェではなくこの私なのだから。


 グラウスマンが「ふんっ」と鼻息を荒くしシェルケンが姿勢を立て直した時に、オットー伯爵がさらに疑念を差し挟んだ。


「ですが、宰相はクリーゲブルグと仲が悪くない。仮に、仮にですぞ。美麗なる女傑が彼奴めの領に攻め込んだとしても、もしクリーゲブルグが宰相に援兵を出せばどうなりますかな? 間に入るデイン領で食い止めるにしても、クリーゲブルグ兵は世に聞こえた強兵、子爵には荷が勝ち過ぎるのでは?」

「御心配はごもっともですわ。ですが、それは御無用。ねえ、トーシェ?」

「その通り」


 姉に尻を叩かれたシェルケンがオットーに向かって胸を張った。


「クリーゲブルグ()にその暇はありますまい。迂闊に領内の兵を減らせば、ここが好機とばかりにフルローズ国から侵略の手が伸びるでしょうからな」

「しかし他国は確たる当てにはできんでしょう」

「それは当然そうでしょう。何も知らない他国であれば。ですが、好機が起こり得るを(あらかじ)め知り、力を溜めて虎視眈々と狙っている他国であれば?」

「ふむ? しかし彼の国はクレベール王子の留学を受け入れましたぞ?」

「それもクリーゲブルグを油断させるための彼の国の策謀かもしれませんなあ。和平に色良い振りをして見せて、実は人質を取っただけかもしれません。オットー閣下、クレベール殿下はスタイリス殿下の弟君ゆえ、お気に掛かるのは無理はありませんな」

「……なるほど、そこにも(はかりごと)はあり得ると」


 オットーはわざとらしくにやっと笑うと言い足した。


「いやそれは勿論、弟君も我らが王族ですからな。心配は致しておりますが、何、あの国もこちらの王族に無暗(むやみ)に手を掛けることはせんでしょうな。大切に大切に預かってもらわないと」


 薄ら笑いを浮かべながらのオットーの返事を聞いて、グラウスマンが「くくく」という笑いを扇で隠した。


「トーシェ、オットー閣下にもご納得いただけたようよ。それでは、締めの乾杯はいかがかしら?」

「そうですな、姉さん。さてさて皆様、(つたな)い案をお聞きいただいたわけですが、どうですかな? 面白い座興とお褒めいただける方々には、乾杯をお願い致そう。折角の乾杯だ、ハインツ、新しい酒と杯を出せ。子爵、使い立てして申し訳ないが、皆様の杯を今一度満たしてくれまいか?」

「勿論、光栄の(みぎり)ですとも。さあ、皆様」


 部屋の隅に慎ましく控え、一味の話を黙して聞いていたシェルケン家家令ハインツが進み出て、玻璃の杯を音も無く配り、酒棚から最高級の酒を取り出して封を切る。

 デインがその酒瓶を受け取っていそいそと酒を注いで回ると全員が受け、杯を空のままに伏せた者はいなかった。

 シェルケンがうきうきと音頭を取る声が室内に響く。


「では御一同、国家の安泰と我々の未来を祝して乾杯!」




 一応の役割分担と乾杯とともにこの夜の宴は終わった。

 客が帰った後、シェルケン侯爵は家令のハインツに準備状況を確認した。


「ハインツ、我が手の者は、王都にどれだけ入っている?」

「はい、既に歩兵三百名を入れ終わったと報告を受けております。この邸に集めると目立ちますので、諸所の安宿や空き家を借り受けて配置しているとのことです」

「少し足りないのではないか?」

「いえ、これでも人の目に立たぬようにするには、ぎりぎりでしょう。残りの兵は、いざ事を起こされるに際して、すぐに上都させれば良いのではないでしょうか」

「そうか。まあそれだけおれば、当初の動きには不足なかろう。その後は?」

「王都向けにさらに精鋭騎兵三百名、徴集歩兵千四百名が領に待機しております。また、グラウスマン様への援軍として一千名を副部隊長の指揮下にて領の西部にて待機させていると部隊長が申しておりました。残りの約一千名は予備として領都に留め置くと」

「よかろう。部隊長には、いつでも動けるようにしておけと伝えよ」

「御意」


 ハインツはいつも通り返事をした後に、冷静な声で意見を具申した。


「閣下、この企て、何かと脆い箇所が多いように思われます。御再考願わしう思います」

「ハインツ、大丈夫だ。お前はこの家を大きく尊くするのが望みなのだろうが。宰相家となれば、貴族の中の最高位。これ以上は望めんのだぞ。その機会を不意にしたいのか? まさか、宰相家の家令では不満だと言うのか?」

「いえ。そのようなことは」

「我が宿望、いよいよ果たす時なのだ。誰にも邪魔はさせんぞ」


 シェルケン侯爵が出した大声を聞いて、ハインツの眼から光が消えた。


 残念だが、もう、侯爵には後戻りする気はないのだろう。だがこの計画の成功の見込みは著しく低い。それならば、この家を守るために自分がすべきことをせねば。


 ハインツは侯爵に静かに進言した。


「閣下、であれば、若様御夫妻は、領に戻されては如何でしょうか」

「何故だ?」

「奥様以外に領の兵を取り仕切る方が必要と考えますので。無論、主力はこの王都に置くことになりますが、こちらには閣下と御養子フェッテ様がおられます。フェッテ様は近衛での経験も着々とお積みになっておられます。近衛の勇者が指揮を執るとなれば、兵の士気も上がりましょう。ですが隊長がフェッテ様のお傍で補佐を務め、副隊長もグラウスマン領に出向くとなると、領都が手薄になります」

「それはそうだな。奥は儂のやり方に不満があるようだ。兵を動かすのを奥が躊躇うようならお前が動けとドミニクに言い含めておくか。だがあいつも気は小さい。大丈夫かな?」

「いえ、若様は普段は慎重な方ですが、いざの時には(はら)をお据えになられます。それにもう一つ理由がございます」

「何だ?」

「若様の奥方様はデイン子爵の御息女。もしも子爵が事に及んで腰が引けた場合は、若奥様を取り返そうとするかもしれません」

「我が領に遠ざけて人質としておけば、取り戻すことはできず裏切りたくなっても裏切れん、か。ハインツ、さすがだな。よかろう、そのように取り計らえ」

「御意」




 侯爵の御前を下がった後、ハインツは直ちに継嗣夫妻の部屋に赴き、事の次第を報告した。

 夫妻がハインツに確認する、その声の流れは澱みのように遅く、その顔の憂慮の陰は淵のように深い。


「ハインツ、父上は引き返される気は無いのだな?」

「ハインツ、私のお父様も、思い返してはくださらないのですね?」


 夫妻の物悲しい声に、ハインツは淡々と答える。


「はい。もう、何か切っ掛けがあれば事が動き始めるでしょう。最早止め様が無いと思われます」

「ハインツ、今のうちに事を世に明らかにしてしまい、父上に御隠棲を願うことはできないのか?」

「若様、それは難しくございます。方々は血判状のような確たる証拠を残されているわけではなく、事が起こる前では何とでも言い逃れができてしまいます。それにお家の血を繋がれているのは奥方様ですが、閣下の爵位は奥方様御自身が望まれ陛下のお許しを受けてのものです。それを今更覆すのは平時には生半可なことでは通りません。また家の中にはフェッテ様だけでなく部隊長を始めとして閣下に忠誠を示す者も少なくありません。事を覆そうとして失敗すれば、お二方にも奥方様にも御容赦はありますまい。ですが、もしどうしても事の前にとあらば、閣下とグラウスマン伯爵、デイン子爵に毒杯を差し上げるお許しをいただけますでしょうか」

「それは……」


 口籠り顔を見合わせた後に俯いて黙り込む二人に、ハインツは深く頭を下げた。


「お気持ち、お察し致します。であれば、事の成り行きを待つしかありません。何卒、領で若奥様と共に難をお避けください」

「わかった。ハインツ、後の事は頼む」

「若様、承知しました。閣下の起こされる事が失敗に終わっても、お家は残るように致します。今は息を潜めておりますが、古くからお家に仕えて奥方様に忠誠を誓う者もおります。その者たちと共に全力を尽くしますので、その時にはお二方もお覚悟をお願い致します」

「止むを得まい」


 応えて唇を噛む継嗣の横から、夫人が心配げにハインツに声を掛けた。


「ハインツ、例の者たちですが」

「若奥様、心得ております。修道院は教会の支配。教会は政治に手を出せぬ代わりに、貴族からの干渉も受けません。閣下や子爵様の手は届きません。御安心ください」

「よろしく頼みます」

「それでは、速やかに領へお移りください。どうかお体にお気を付けください。もしも事が進みましたら取るべき手は逐次お伝え致します」

「わかった。ハインツ、お前も体を大事にしてくれよ。お前は家の宝だ。そのことを忘れずにな」

「若様、有難きお言葉、このハインツ、胸に刻みます」

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