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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第八章 争乱

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201/217

第百九十三話 小隊長候補

王国歴224年4月末


 ケンが近衛の訓練に見習として参加し始めてから半年近くが経とうとしていた。

 彼は第三大隊でラウエルたち三人と同じ班の一員として行動しているのだが、今日はその第三大隊の大隊長から呼び出しを受けていた。


 幹部の執務室は近衛の施設の上の方の階にあり、一般の隊員が行くことは滅多に無い。ましてや見習が気軽に近付いて良いような場所ではない。ケンは恐る恐る出向いた。

 上階への階段の前の立哨には怪訝な顔をされたが、大隊長に呼ばれていることを告げると「あー、お小言か、気の毒に」と覚り顔で言って慰めるようにこちらの肩をポンポンと叩き、部屋の場所を教えてくれた。その気易い立哨が教えてくれたことによると、要するに、他の隊員の前で叱責して恥をかかせては(かえ)って本人のためにならないから個室に呼び出して行うらしい。そうでもなければこんな場所に来させられることは無いのだろう。


 なるほど。だけど、俺、何をやってしまったんだろうか。

 ケンはこのところの自分の行いを振り返ってみた。


 座学の講義で内容がどうにも納得できなくて、終わった後に毎回講師様を引き留めて繰り返し繰り返し質問をしたのが執拗(しつこ)すぎて、講師様が迷惑がって苦情を訴えたのだろうか。最初は俺一人だったけど、そのうちにラウエルたちも一緒になって質問し、ついには第三大隊の他の新兵たちも加わって大勢になったのが良くなかったのか。確かにフェッテ・シェルケン様や他の連中は呆れて近付いてこなかったし。

 あるいは剣術の訓練で第二大隊所属の上位貴族の子弟らしい隊員たちの剣をアンヌお嬢様張りに宙に飛ばしたのが、恥をかかせたことになってまずかったのだろうか。そんなに何回もやったわけではないのだけど。

 それともまさか、メリエンネ様の所に何度も行っているのが変に噂になってしまって、国王陛下からのお叱りが近衛に来たのではあるまいか。


 (あらかじ)め心配しても意味が無いことに頭を悩ませながら無機質な階段を昇り廊下をのろのろ歩いているうちに、とうとう第三大隊長の部屋の前にまで来てしまった。

 ここまで来たら、考えていても仕方が無い。


 ケンは覚悟を決めて、扉をトントントントンと叩いた。


「入れ」


 中からの声に、「ケン・ジートラー、入ります」と返事をして扉を開けた。

 部屋に入ると、驚いたことに中にいるのは第三大隊長一人だけではなく、それ以外に近衛師範ともう一人、中年の逞しい体付きの男がいた。どこかで顔を見たことがあるような気がするが、思い出せない。

 その男が、低い、艶のある伸びやかな声で言った。


「ジートラー、来たか」

「はい」


 そう返事をした後、ケンは大隊長の方を見て、恐る恐る尋ねた。


「あの、大隊長、こちらの方は……」


 それを聞いて、大隊長は「ぷっ」と噴き出した。


「大隊長、笑うな」


 その男が大隊長を咎めたが、大隊長は気にせず「ははは」と笑ってケンに言った。


「おいおい、ジートラー、お前が冗談を言うとは思わなかったな」

「いや、あの、私、こちらの方を本当に存じ上げなくて」


 それを聞いて、大隊長はますます激しく笑いながら、ケンに目の前の人物が誰であるかを教えてくれた。


「くくくっ、ジートラー、こちらは近衛将軍閣下だ」

「えっ」


 驚くケンに、男が仏頂面で自己紹介をした。


「ケン・ジートラー卿、私は国王陛下から近衛の指揮を仰せつかっているモルトフ伯爵だ。これを機に見知り置いてもらえると、とても有難く思う」

「も、申し訳ありません」


 ケンは慌てて両脇に手を揃えて直立し、不機嫌をはっきりと顔に表している将軍に向けて身体を二つ折りにして謝った。だが、知らないものは知らなかったのだ。どうしようもなかったのだ。


「まあここ暫く、将軍が近衛全員を集めて訓示を垂れたもうたことはなかったからな。見習のジートラーが顔を憶えていなくても無理は無い」


 横から近衛師範が極めて冷静な声で事も無げに言うと、将軍はさらに嫌な顔をしたがそれ以上はケンに何も言わなかった。

 第三大隊長はまだ「くっくっく」と笑っている。将軍はそれに向けて冷たい声を出した。


「ブルエ卿、いい加減にしろ。それ以上笑ったら命令不服従で絞首刑にしてやる」

「おお、これは申し訳ありません」


 大仰に驚いて謝って見せる大隊長に、将軍は苦々しげに命じた。


「用件を進めろ」

「了解しました」


 そう答えると、大隊長は顔から笑いを消した。そして直立したままで体を固くしているケンに向き直って告げた。


「ケン・ジートラー、お前が見習として入隊してからもうすぐ半年が経ち、新兵としての訓練期間は終了となる。当初の予定では、これでお前はユークリウス殿下の元に戻ることになる」


 そう言うと、大隊長は将軍の方にちらと目を流し、将軍が頷くのを確認してから話を続けた。


「だが、我々はそれを惜しく思っている。どうだ、ジートラー、近衛に正式に入隊する意思は無いか? 我々としては、お前を小隊長として迎えたいのだが」

「は?」


 ケンは思わず間抜けな声を出してしまった。大隊長が言ったこと、その意味が理解できなかったのだ。

 元々、自分の近衛見習の地位は訓練を受けるためだけのもので、それ以上のことは望んでいない。それも自分から志願したものではなく、仕える主であるユークリウス殿下の指示によるものだ。

 訓練の結果も、武術の成績はまあまあ悪くはなかったとは思うが、群を一際抜いて目立ったわけでもなく、座学の方は散々だ。フェッテ・シェルケン様や他の貴族の子弟たちには思い切り馬鹿にされたし、講師様も嫌がって講義の後は小走りで急いで立ち去るようになってしまった。それはラウエルが質問を避けようとする講師様の前に立ち塞がって動かず、他の連中も周囲を取り囲んで逃げ帰れないようにしたせいだと思うのだけれど。

 時々あった筆記試験も、答案用紙に自分の考えたことを長く書き連ねたら、『戦術の工夫は近衛の兵士に求められているものではない、重要なのは命令に忠実に勇敢に戦うことである』のようなことが書かれて点数すら付けられずに返ってきた。多分、見習だから点数を付けられなかったのだろうし、そもそも良い点数を取る必要も無いので構わないが、やはり気分は良くなかった。


 それが何故、近衛入隊のみならず、いきなり『小隊長』などということになるのだろうか。


 ケンは言葉を選びつつ、自分を迎えようとする理由を大隊長に尋ねてみた。


「大隊長、有り難いお話ではありますが、私をお引き立てくださろうというその理由は何でしょうか?」


 将軍と師範が無言で見守る中、大隊長は表情を緩め、ケンの顔をじっと見詰めてから答えた。


「まあ、いろいろあるんだが、一言でいえば、お前さんが指揮官に向いていそうだってことだな」

「指揮官に?」

「ああ、実は、ユークリウス殿下からの依頼状にも、そういうことが書いてあったんだ。ただ、訓練と座学を別々にしてお前さんだけに指揮官用の講義を受けさせると、特別扱いが目立ちすぎるからな。仕方なく、まずは一般兵と同じ講義を受けてもらうことにしたんだが」


 大隊長は頭を掻きながら一呼吸入れてから、大真面目な顔になって続けた。


「ところが、ジートラー、お前さんはその退屈であろう講義ですら、部隊をどう運用するかを自分なりに考える時間にしちまった。講師から報告というか抗議を受けたんだが、驚いたよ。実はお前さんが講師にぶつけた疑問のようなことの数々は、小隊長以上になったら学んでもらうことになっているんだ。いままでは碌な講義でなくて、本当に済まなかったな」


 事情を話すと、大隊長はまた頭をぽりぽりと掻いた。

 将軍はその貴族らしからぬ仕草をむっと嫌がるような目で見たが、(おもむろ)に話に割り込んできた。


「ジートラー、演習でも盗賊相手の実戦でも、お前は周りの者を纏め、引っ張っていくことができることを示した」

「俺……いや、私は仲間がやられることが無いように、当たり前のことをしただけです」

「お前にとっては当たり前のことが、他の者には難しいことなのだ。それを当たり前と言うことが、お前に指揮官としての資質があることを示しているのだ」


 それは買い被りすぎではないかと思ったが、多くの年齢と経験を積み重ねている将軍や大隊長に理屈で勝てるはずが無い。ケンは黙らざるを得ない。

 そこに将軍は驚くようなことを言った。


「それからお前の近衛の正式採用については、グローセ子爵、ノルマーレン子爵、クライン男爵から推薦状が出ている。内容は依頼状に近いがな」

「それはひょっとして」

「ああ、そうだ。多分お前と同班の三人が、当主にお前のことを話して頼み込んだのだろう。これからもお前と一緒に戦いたくてな。あの者たちなら、お前の指揮にも喜んで従うだろう。身分に関係なくだ」


 そう言うと、将軍は深く頷いて見せてから続けた。


「それだけではない。実はスタイリス殿下から、お前が正式に近衛兵になったら、御自身の護衛として引き受けても良いとのお申し越しがあった」


 それを聞いてケンは驚いた。

 あの剣術の手合わせと言うか稽古と言うか、お相手をしていただいた時から後も、スタイリス王子は月に一度ほど演習場に現れて周囲を目探しし、ケンを見付けると嬉しそうに『相手をしてやる』とお有難くもおっしゃって下さる。

 ケンとしてはその度に王子が(こな)せそうな範囲でかつ飽きないように稽古の内容を考えなくてはならず、いい加減にして欲しかったのだが、目当ての自分がいないと王子は不機嫌になって周りの者を片っ端から叩き伏せて帰るらしく、逃げ隠れしようとしても周囲の者が許してくれず困っていた。

 稽古の後はいつも『お前はなかなか上達せんで世話が焼けるな。もっと励むように』と言い捨てて御機嫌で帰って行かれていたのだが、よもやそんな話があったとは。


 ケンが断ろうとして慌てて口を開くと、まだ何も言わないうちに将軍が言葉を続けた。


「お前がユークリウス殿下にお仕えしているというのを知っておられてのことかどうかはわからない。だがそれを言っては角が立つので、こちらの都合でと適当に理由を付けてやんわりとお断りはしておいた。今、第三大隊のブルエ卿のところで訓練に励んでいると伝えたら、何故だかすんなりと引き下がっていただけた。だがな、ユークリウス殿下の許を離れて近衛に来ればそういう道、下世話(げせわ)に言えば『大理石の階段』を上る道も開かれるわけだ」

「『大理石の階段』、ですか?」


 耳慣れない言葉をケンが尋ね直すと将軍は口を噤んで肩を竦めて見せ、その後を大隊長が引き取った。


「謁見室の国王陛下の玉座の前の五段の(きざはし)は、大理石でできているのさ。お前さんも一段は上っただろう? 絨毯の下で気が付かなかったか?」

「あの時は無我夢中で、殆ど何も憶えていません」

「まあ無理は無いな。あの階はな、平民は昇れない。貴族だけが上がっていけるんだ。貴族の継嗣以外の子弟と勲爵士は一段だけ、男爵と子爵、それにその継嗣は二段、三段目はそれより上の高位貴族と継嗣、四段目になると王族と貴族の中では閣僚とそれに加えて国王が特に許した者だけ、そして五段を上り切って国王陛下と王妃殿下のお傍に立てるのは、皇太子殿下と妃殿下、摂政殿下と妃殿下、臣下では宰相だけなのさ」

「知りませんでした」

「そうかい。ここだけの話、スタイリス殿下は階の上の玉座に座られる気が満々だからな。側近となって気に入られれば一緒に引っ張り上げてもらえると思っている連中が、お声掛けが欲しくて周囲をうろついているわけだ。つまり、御指名で直々の護衛となれば、前途洋々ということだ」

「俺はそんなつもりはありません」


 ケンが憤然と言うと、大隊長は宥めるように両手で小さく押さえる仕草をした。


「そうだろうな。勿論、ユークリウス殿下への報告書には、こういうことも含めてお前について有りの儘を書く。元々殿下はお前の指揮官としての才を伸ばしたくてこちらへ送り込んだわけだが、今のところ、こちらがそれにどれだけ応えられたかはわからん。その上にこのような申し出をして殿下には申し訳ないばかりだが、どうだ、ジートラー、考えてみてくれないか」


 そう言って大隊長は言葉を切った。

 ケンが言葉を失って立ち尽くしていると、部屋の中を無音の時間が只管(ひたすら)流れていく。


 ケンにとっては全く思い掛けない話だった。

 近衛の首脳部が自分を高く買ってくれているらしいことはわかった。有難く、嬉しいことだ。だが、だからと言って、自分を見出してこのような機会をくださったユーキ殿下に何の恩返しもしていないのに、その手元を離れるのは違うと思う。

 それに、近衛は王族をお守りするのが使命だ。自分のやりたいこと、つまり、困っている人々、弱い人々を助けることとは違っている。

 おまけにスタイリス王子のような方に侍らされてはたまらない。ローゼン大森林の湖の若く儚げな美女アリエッタよりさらに面倒臭い。今日はアリエッタの剣を帯びていなくて静かで本当に良かった。


 これは断ろうとケンが思ったその時、もしこの話を受ければ王都にいられることに気が付いた。断ればこのままピオニル領に帰ることになる。つまり、メリエンネ様ともお別れだ。

 だが、受ければ王都に戻ってこられる。メリエンネ様のお近くに。


 ケンは自分のその思いに、激しく動揺した。

 そんな自分の勝手な思いで、恩知らずに勤め替えをするなんて。しかも、王家のために働くべき気高い近衛に。自分はそんな人間なのか。


 ケンの頬に差した赤味で心の動揺に気付いたのか、師範が静かな声で言った。


「受けるにせよ断るにせよ、まずはユークリウス殿下に報告してからだろう。今ここで、すぐに決める必要は無い。ジートラー、ゆっくり考えれば良い」


 その言葉に、将軍も大隊長も頷いた。

 ケンは返事ができず、ただ頭を深く下げた後に黙って退室した。



 その日の帰りにケンがマレーネ殿下の邸に立ち寄った時、ヴィオラとアイリスが出迎えたが、ケンは二人に何も言わなかった。

 その異様な顔色と様子を見てアイリスが何かを言おうとしたが、それをヴィオラが引き留めた。話し掛けないで欲しい、ケンの姿がそう語っていたのを察したのだ。


 マレーネ殿下に挨拶した時も、今日の件は相談できなかった。

 自分で考えるしかないことなのだ。

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