第百三十八話 辺境伯との交渉
承前
陪席させたい者がいる。辺境伯のその希望に対してユーキが物問いたげに小首を傾げると、辺境伯が後ろに立っていた従者に合図をした。従者は心得て退室すると、隣室に待機させていたのであろう、若い男を連れてすぐに戻ってきた。
その若者の灰褐色の髪にはまだ何本か白髪が混じり、薄茶色の瞳は憂いを隠せない。前子爵、ペルシュウィン・ピオニルである。遠慮がちに歩を進めて辺境伯の脇に立つと背を伸ばした。
辺境伯はその様子を確かめてから陪席させる許しをユーキに求めた。
「殿下、御存じのことと思いますが、このペルシュウィン・ピオニルは国王陛下の御仕置により、私の手元にて従者の仕事を手伝いながら文武の学び直しを行っておりますれば、今からの話を傍にて聞かせたく思います。殿下におかれましても、この者をお引き立てのほど、よろしくお願い致します」
「承知しました。ペルシュウィンさん、どうぞお励みください」
ユーキの許しを得ると、ペルシュウィンは深々と一礼して後ろ歩きで辺境伯の斜め後ろの壁際に寄り、姿勢を正して直立した。
ユーキは痛ましげな目をペルシュウィンに向けた。
今からなされる話は、彼にとってはさぞや耳と胸に突き刺さるものになるはずだ。だが、それも彼の学び直しに必要だから、辺境伯は聞かせると決めたのだ。今こそは彼がしてしまった事を直視させるべき時なのだろう。
ユーキは辺境伯に向き直った。
「閣下、先ずは貴領と弊領との契約を弊領側が違背したこと、領主としてお詫び致します。申し訳ありませんでした」
「御謝意、承りました。王族たる殿下が一貴族に過ぎぬ拙にそのようなお言葉を述べられざるを得ぬ仕儀に立ち至ったこと、私としても残念至極に思います。どうぞお直りください」
座したままとはいえ深く頭を下げたユーキの姿を目にし、さらにそれに応じた辺境伯の言葉を聞いて、ペルシュウィンが俯いた。
王族が貴族に身を屈して謝罪するなど本来あり得ない、あってはならない事態だと、今の我が主である辺境伯が述べたのはユークリウス殿下にではなく自分に向けて言った言葉だろう。
当然だ。目の前の光景を引き起こしたその原因は、ユークリウス殿下には無い。自分が領主だった時にしでかしたことである。それでもユークリウス殿下は領を引き継いだ者として、その責任も胸を張って引き受けて身を伏した。父が結んだ契約を代官に唆されるままに無視した自分と如何に違うことか。
ペルシュウィンの居た堪れない様子に、ユーキはちらりと目だけを流した。さぞや心に堪えただろうが、それでも一度は伏せた顔を上げ、手を握り締めて耐えているのは、心の耳を塞がずにおれるほどには成長したということだろうか。
恥じ入るペルシュウィンを知らぬげにして、ユーキは辺境伯との交渉を続けた。
「国王陛下の御裁断通り、現契約はその内容を変更せず、継続させていただければと思います。関税・通行料については既に無税とするように命を下しております」
「異存はございません」
「ですが、既に徴収した税、また契約を超えて栽培した小麦について、償いが必要と考えます。それについて、閣下の御希望をお伺いできますでしょうか」
「ふむ。先ず小麦の栽培については、例の病が大発生していないことを重畳に思います。こちらとしては、それが最大の目的ですので。付随して発生した金銭的な問題は、関税・通行料による当領側の損害と合算して処理するのが良いかと思います」
「然るべく。ただ、こちらとしては直ちに賠償をお支払いできるだけの金銀の余裕がありません」
悲しげになったユーキの言葉に、辺境伯は首を曲げて振り向き、ペルシュウィンを見た。ピオニル領が陥った経済的な困窮も、王都でのペルシュウィンの遊蕩と彼が放埓を許した代官ニードの悪政が齎したものである。彼もそのことは理解しているのであろう、顔を赤くして唇を噛み締め、ただ耐えるしかない。
その様子を確かめてから、辺境伯は顔の向きをユーキに戻した。
「お察し致します。では金銭以外の形での清算をお望みですか?」
「はい。やや虫の良いお願いになるのですが」
「お伺いしましょう」
「実は当領では、新たな特産品の創出を検討しております」
それを聞いて辺境伯は感心したような声を上げた。
「ほう。そちらの関所で美味な菓子を配っておられるのは聞き及んでおりますが、それでしょうか?」
「もうお耳に入っていましたか。実は本日も手土産として持参しました。後ほど御家族と御一緒にお召し上がりいただければと思います」
「それはお気遣い有難うございます。有難く頂戴致します。妻や娘がさぞや喜ぶことでしょう。しかし生憎ですが、如何に美味い菓子と言えど、当領でそこまでの需要があるかどうか」
「いえ、提案させていただきたいのはそれとは別のものでして、貴領にとって重要となり得るものを考えております」
ユーキのこの言葉が、予想とは異なっていたのだろう。辺境伯の表情は変わらないが、美髯の端がピクリと動いた。
「他ならぬ当領にとってですか。それは興味深い。何でしょうかな?」
「それは今はまだ。ですが、取り掛かれば遠からずお耳に入ると思います。それが成った暁には、金銭的な余裕もできるとも目論んでおります」
「ほう。取引相手の興味を引いた次には謎めかせれば、相手は否応なしに期待を膨らませる。殿下はなかなかの商売上手ですな。つまり、かなり儲かる物を作り次第にこちらに売り込みたいので少し待て、ということでしょうかな」
「御明察です。その際にはその代金から差し引く形で、賠償分を何年間かの割賦でお支払いさせていただきたい。如何でしょうか」
ユーキは前のめりになりながら声に力を込めた。
辺境伯は無意識に腕組みをしようとしてはっと無礼に気が付き解いたが、眉根に皺が寄っている。
「ふむ。確かにやや虫が良く聞こえますな」
「真に申し訳ないとは思うのですが、前代官の失政により、今でも当領の景気は不振に陥っております。直ちにお支払いするとなると、それを領内で調達するにせよ国から借財するにせよ、当領は困窮に喘ぐことになるでしょう。ましてや特産品の開発など到底できません。そうなると、その悪影響は貴領にも及ぶのではと懸念します」
「これはこれは、威しにも聞こえかねないお言葉とは。ユークリウス殿下、只の生真面目からはどうやら脱皮されたようですな」
辺境伯が驚いたように言い、ユーキは慌てて答えた。
「威しというつもりはありませんでした。そのように響いたならば、申し訳ありません」
「いやいや、己が弱点を恰も相手の弱点のように差し出して見せるのは、交渉事では有用な手段。実は陛下から『手加減を』と仰せつかりましたが、ここまでの交渉振りを拝見するに、どうやらそれは無用なように成長されましたな」
「痛み入ります」
ユーキが苦笑を零しながら答えると、辺境伯は大きく頷いた。
「確かに今を貪ったために御領が傾ぎ、こちらとの取引全般が廃っては愚かと言われても仕方がない。『実の生る木の、花の全てを摘み取る』のようなことは致しますまい。よろしいでしょう、では取りあえず一年の猶予を差し上げましょう。その時点で改めて、見込みをお聞きすることにしましょう」
「閣下、御理解有難うございます。御温情に応えられるように励みます」
「では、この件はそれで手打ちということに。書面はこちらで後ほど作成致します」
「有難うございます」
ユーキが立ち上がって右手を出すと、辺境伯も立ってその手を取る。がっちりと握り合うと同時に、辺境伯が「ほう」と声を出した。
「殿下、良い手をなさっていますな」
「『良い手』、ですか?」
「付くべき所に剣胼胝が付いております。相当に励んでおられるようですな」
「修行は欠かさないようにしていますが、如何せん、上達しません。稽古の相手をしてくれるこのクルティスに、全く歯が立たない有様です」
「この手で、ですか?」
「はい、全く。もうこの数年は何度挑んでも全敗です。それでも飽きずに挑み続けてはいるのですが」
「ふーむ」
辺境伯はユーキの嘆きには応じずに唸り声を上げて何事かを考えていたが、相手が不思議そうな顔で自分を見ているのに気が付いた。
「これは失礼。殿下、大事が済んだところで、私の家族を紹介させていただいてよろしいですかな?」
「勿論です、閣下」
「有難うございます。おい、二人をこれへ」
辺境伯の指示に応じて従者が部屋を出た。
ペルシュウィンもそれに従って退出しようとしたが、辺境伯がそれを呼び止めた。
「ペルシュウィン、待て。先程までの殿下の御姿を見ていたな?」
「はい、閣下」
「殿下は領主の役を受けられてからまだ間もない。その短い間でも領を繁栄させるために様々な策を考えられ、この地にまで足を運ばれている。一方で御自身の御鍛錬も怠りない。これこそが領主のあるべき姿なのだ。良いか、この御姿を心に深く刻み学ぶのだ。良いな?」
「承知致しました」
「では、行け」
「はい」
ペルシュウィンは何かを言いたそうにユーキを見たが、そのまま黙って一礼すると静かに退室した。
扉が閉まるのを待ち、辺境伯はユーキに礼を言った。
「殿下、有難うございました。ああは言いましたが、恐らくまだ本当には身に沁みていますまい。貴族に戻れる日が来るのか、なかなか難しいと思います」
「閣下、人の学びには時間が掛かると思います。どうぞ長い目で見て差し上げるようお願いします」
「お優しいお言葉、畏れ入ります」




