第百三十九話 アンヌの願い
手違いにより、次話「アンヌ対ユーキ」を先に公開してしまいました。既読の方は本話を読み直していただければと思います。読者様にご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。
承前
ペルシュウィンが部屋から去り辺境伯がやれやれと顔を振りながら溜息を吐いていると、扉がトントントントンと丁寧に叩かれた。辺境伯が入室を命じると、従者に導かれて、よく似た顔立ちの二人の女性が俯きがちに静やかに入ってきた。二人とも黒髪を長く伸ばし女性らしい体付きをしている。
前は辺境伯の奥方であろう、濃緑の服を着た壮年の女性、後に続くのは漆黒に装った妙齢の令嬢である。二人が顔を上げ、黒とも見まがう濃灰色の瞳が輝く美しく整った顔を見せた瞬間に、ユーキの後ろでガタッと椅子が動く音がした。
ユーキが振り返ると、クルティスが顔を赤くして口をぽかんと開けて令嬢を見ている。ああ、そういうことか。そういえば、こいつ、年上が好みなんだったっけ。『うわ、美人だ、うわー』という心の声が聞こえる気がする。でも相手は辺境伯の御令嬢だ。貴人に対して王族の従者として相応しくない失礼な態度はよろしくない。
ユーキが睨みながら軽く咳払いをすると、強い視線に気付いたクルティスは慌てて居住まいを正した。だが、ばつが悪そうにしながらもまだちらちらと令嬢の方に視線を送っている。後で注意しておかなければ。
そうユーキが思いながら正面に向き直ると辺境伯が立ち上がり、美女二人を傍に招いて誇らしげにユーキに紹介した。
「殿下、私の妻のアネリエと娘のアンヌでございます。どうぞお見知りおきのほどを。アンヌの上には息子が二人おりますが、最近は国境付近で任務に当たっており不在にしております。アネリエ、アンヌ、こちらが新たにピオニル領の領主になられた、王家の新星、王大甥ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティア王子殿下だ。謹んで挨拶せよ」
ユーキが微笑みながらアネリエとアンヌに頷くと、二人は恭しく頭を下げ、続いて慎ましく挨拶の言葉を述べた。
「殿下、ゲアハルトの妻、アネリエでございます。不束者ではございますが、主人ともどもお引き立てくださいますよう、お願い申し上げます」
「殿下、この家の末子のアンヌと申します。お目に掛かれたこと、光栄に存じます。何卒よろしくお願い申し上げます」
二人はまた揃って膝を折って礼をする。ユーキは頭を上げるように促してから挨拶を返した。
「奥方様、お嬢様にお会いできて嬉しく思います。これまでは王都に遠く離れておりましたが、国王陛下のお計らいにて今は隣り合った領に住まう者同士。親しく名前をお呼びいただければと思います。お噂通りにお美しいお二方、辺境伯閣下が御自慢にされるのも頷けます」
ユーキの言葉に、二人は慎ましく、辺境伯は照れ臭そうに微笑みを返した。
「殿下、恐れ入ります。アンヌの見目については母親似のようで、幸いに恵まれました。それで満足して大人しくしていてくれれば私としても楽なのですが」
「ケンからお嬢様のお話は伺っております。お嬢様、薙刀の達人であられるそうですね。そちらはお父上譲りでしょうか」
ユーキに武芸のことを言われ、アンヌが頬を赤くしながらも嬉しそうに返事をした。
「ユークリウス殿下、どうぞ私もアンヌと名をお呼び捨てください。御知遇をいただけたこと、身に余る光栄でございます。女だてらに恥ずかしうございますが、薙刀は私のただひとつの楽しみ事。何卒お嗤いにならないでくださいまし」
「嗤うなどとんでもない。アンヌ嬢、貴族はその子女も全て国王陛下の騎士、男女の別はありません。さすがは『尚武のクリーゲブルグ家』の御令嬢と感服する次第です」
「まあ……ありがとうございます。この趣味のせいで人に遠ざけられることも多くあり、殿下のお優しいお言葉、心に染み入って嬉しうございます。それで、殿下、あの、こちらのお伴の方はクルティス・ダンナー殿でございましょうか?」
「ええ、そうですが、それが何か?」
「『あの』クルティス・ダンナー殿ですか?」
それまでの嫋やかな様子からがらりと変わり、アンヌはクルティスの話を持ち出して詰め寄ってくる。
「はい。『あの』というのが何なのか、良くわかりませんですが……」
その口調と雰囲気に気圧されてユーキがやや身を引きながら答えると、辺境伯が口を挟んだ。
「殿下、不躾ながら、よろしければアンヌの手を握ってやっていただけませんでしょうか」
親の前で手を握れとは、娘を妃にしてくれと頼んでいるようなものである。いきなりのことに驚くユーキの頭の中に、王都にいる菫さんの顔が過る。
「いえ、それはちょっと。あの、アンヌ嬢は御婚約者は?」
急いで断ると、辺境伯も自分の言葉の意味に気が付いて、慌てて言い直した。
「ああ、これは失礼。そう言う意味合いではございません。普通に握手をしてやっていただければ。お気軽にどうか、お願い致します」
「それでしたら構いませんが」
「お父様? ……殿下、よろしくお願いいたします」
ユーキが恐る恐る差し出した手をアンヌも訝しげに取ったが、握った瞬間にその顔付きまでもが鋭く変わり、籠る力が強くなった。
「アンヌ、その御手でありながら、剣術ではダンナー殿に遠く届かれぬそうだ」
「まあ」
辺境伯が告げると、娘は父の顔を見た。目と目で何かを語り合い頷きを交わすと、アンヌは真剣な眼差しをユーキに向けた。
「殿下、重ねて不躾で申し訳ありませんが、お願いがございます。お聞き届けくださいませんでしょうか」
「それは事によりますが。何でしょうか?」
「殿下とダンナー殿、お二人とお手合わせがしとうございます。何卒、お聞き届けを」
アンヌは漆黒の衣装の裾を摘まむと深々と膝と腰を折る。
ユーキは振り返ってクルティスと顔を見合わせた。クルティスが即座に首を横に振ると、それを見た辺境伯が口添えした。
「殿下、アンヌはこの辺境の領でフルローズ国との対峙に関わっております。王都での社交の場にも加われぬ淋しい身。どうか甘い父親とお嗤いくださり、娘の望みを叶えてやってはくださいますまいか」
そして自分も頭を下げる。だがユーキがそれに答える前にクルティスが割って入った。
「閣下、失礼致します」
「ダンナー殿、何ですかな?」
「殿下は王家の一員。殿下の剣は王家の剣です。もし殿下が試合で王家一門以外に敗れるようなことがあり、それが外に洩れては殿下の、ひいては王家の御名に瑕がつきます」
そして止める言葉をさらに続けようとしたが、ユーキが遮った。
「クルティス、待って。閣下、アンヌ嬢、お受けしましょう」
「殿下、よろしいのですか?」
クルティスは懸念を顔に浮かべてまだユーキを引き留めようとしたが、ユーキは「構わない」ときっぱりと言ってアンヌに向いた。
「アンヌ嬢、クルティスはともかく私では到底相手にはならないでしょうが。それで少しでも貴女をお慰めできるなら、喜んで恥をかきましょう」
「殿下、ありがとうございます。無理をお聞き届けくださり、嬉しうございます」
「ですが、勝敗はこの場だけの御内分に」
「承知いたしました。私が負けた場合もどうか御同様にお願いいたします」
「それは無いと思いますが、そういうことにしておきましょう」
アンヌの気を遣った返事に、ユーキは苦笑いしながら答えた。
「では、すぐに準備をして参ります。失礼いたします」
アンヌは入ってきた時とは打って変わり、胸を張り早足でそそくさと部屋を出て行った。
その姿を見て辺境伯が頭を掻いた。横で夫人も恥ずかしそうに微笑んでいる。
「殿下、あのような娘で申し訳ありません。無理をお聞きいただき感謝に堪えません」
「御夫妻にとっては、目に入れても痛くないお嬢様とお見受けしました」
「如何にも、お恥ずかしい次第です。では、御準備をお願い致します」




