第百三十六話 侯爵家の養子
王国歴223年8月上旬
トーシェ・シェルケン侯爵は王都の自邸に、旧知の来客を迎えていた。
継嗣である一人息子に迎えた妃の実父、デイン子爵である。シェルケン侯爵があちらこちらからかき集めた寄子がピオニル前子爵の一件で悉く手切れ状を送ってきて去り、妻の縁者にも遠ざかられてしまう有り様で最早『派閥』の形を成していない『シェルケン派』にとっては、子爵は唯一残った貴重な存在である。
子爵はシェルケン侯爵の邸を『娘に会う』という名目で屡々訪れているが、実際には娘の様子を気に掛けたことなど無いし会おうともしない。もっぱら、侯爵やその姉のペトラ・グラウスマン伯爵との密談に時間を費やしていた。
この日も長引く腰痛のために国王から休職を命じられた侯爵の見舞いの態での訪問だが、目的は全く異なり、丁重に案内された応接室の安楽椅子に身を沈めて侯爵、伯爵と向かい合っていた。
「シェルケン侯爵閣下、御持病が悪化されたと伺って、お見舞いに参りました」
「これはデイン子爵、痛み入る。何、大したことはない。自重してあまり派手に出歩かぬようにはしているがな」
「確かに、お見受けしたところ存外お元気そうで、安堵致しました」
「貴殿こそ、どこぞ良からぬ場所で腰痛を悪化させたと噂で聞き及んだが。ピオニル奴の御裁断の日は欠席だったらしいが、お楽しみは程々にして体を労わった方が良いのではないか?」
「いや、あれ以降はずっと真面目に務めておりますよ。閣下は、完治するまで休むようにとのお言葉を陛下から賜るほどの重症だったとか。大臣方や高位の貴族は皆、御心配しておられるようですが」
「なに、陛下は大事を取れとのことで休職をお命じくださったまでのこと。お気遣いには及ばん」
背凭に体を預けたまま空々しい遣り取りを重ね顔を見合わせて「はははは」と空々しく笑う二人の男に、グラウスマン伯爵が少し苛ついた声を掛けた。
「トーシェ、もう良いでしょう。デイン子爵もそこいらの気の利かぬ貴族共のような下らぬ探りはお止めなさい。貴方はトーシェの息子の嫁の父親。トーシェの身体に何かあれば貴方も一蓮托生なのですからね、腹を割ろうではありませんか。今日は何用で?」
グラウスマンの問い掛けに、デインは得たりや応と、二人に向かって身を乗り出した。
「では申しますが、あの時のお約束の計画はどうなりましたかな? クリーゲブルグ辺境伯をじわじわと弱らせて蚕食し、我が領が十分に富んで力を得たその次には、グラウスマン閣下と私とでミンストレル宰相の領を挟撃し、南北に分け取るというあの計画です。先代のピオニル子爵が死に、それを奇貨として跡継ぎの若僧を閣下が転ばせて私の領と両側でクリーゲブルグを挟んだ時には、さすがは閣下、我らが事はなったも同然と喜んだものですが。後は緩々とピオニル領をお身内で手に入れられ、クリーゲブルグを真綿で締めるがごとくに主街道の流通をじわじわと細らせれば良いものを。あの領の代官をなぜあのような愚か者にお任せになったのか。ピオニルが除かれ王族ユークリウス殿下があの位置にあっては、計画は瓦解したと言わざるを得ません」
デイン子爵が早口に不満を述べ立てる。シェルケン侯爵は鷹揚に手を挙げて、その言葉を遮ろうとした。
「まあ、そう言うな。あの代官、ニードは我が手元では大人しく勤めておったのよ。一皮剝けばとんだ痴れ者であったが、過ぎた事を言っても始まるまい」
「ではどうされるのですか? 今のままでは、わが娘を御子息に差し上げた甲斐が無い」
「考えはある」
「どのような? 今や閣下は御公務は休職中。寄子もお手元を離れ、メリエンネ王女も最早閣下の意の儘にはならぬのではありませんか?」
「ふむ。確かにその点では後退したかもしれん。だが他にもやり様はある。それにしても肝心なのは、宰相位をこちらに得ねばならない。おわかりだろう? そのためには、子爵、貴殿まで腰痛で印章官を休職させられぬ様に用心、養生されよ」
シェルケンがにやにやと笑いながら逸らかすのを見てデインは不服げな表情を浮かべたが、すぐにそれを押し殺して笑顔を浮かべた。
「どうされるおつもりかはわかりませんが、今はお聞きしますまい。閣下はこの国の名だたる策士、先の楽しみにさせていただきましょう。その代わりと言っては何ですが、実はお二人に少しお願いがありまして」
「何かな?」
「私の息子を、近衛に御推薦いただきたい。第一大隊は狭き門ですが、侯爵閣下、伯爵閣下の御推薦があればなんとかなるのでは、と」
「それが本日の用向きか」
「そういうことです。如何でしょうか」
「推薦は構わんが、第三大隊ならともかく、子爵家からいきなり第一は難しかろう。いやしかし、子爵の子息が近衛を希望しているとは知らなかった」
「私に似ず、武張ったことが好きなようで」
「ほう、剣術に優れているのか?」
「私はその道は疎いのでよくわからんのですが、本人は誇っております」
「誇れるほどのものだということか」
「はい。それに自ら剣を揮うだけでなく、兵の指揮を執るのも得意なようで。兵は騎兵同士の決戦で決まると申して、我が領の衛兵を集めては、馬で荒野を走り回らせております」
「それは頼もしいな。それで、どうせならば騎兵の最高峰を目指して近衛に、か?」
「はい。それに、メリエンネ王女は最近徐々に体調御快復の由。王女の婿と言えば……」
デイン子爵が言葉を切る。侯爵はここまでデイン子爵の無理な望みに訝しげにして曖昧に応じていたが、最後の仄めかしを聞くと合点が行ったとばかりに口角を上げて、その後を引き取った。
「近衛将校経験者、か。昔からその例は多かったな。よかろう。であれば、そうさな、一時の間、御子息を私の養子に下されよ。そうすれば第一大隊は無理でも第二であれば入隊に何の問題もなかろう。実は我が継嗣はどうも軍事は苦手なようでな。いざという時に我が領軍を率いて立つことのできる者は貴重だ。御子息も、百にも満たぬ子爵軍よりは数千兵を揃える侯爵軍の方が指揮のし甲斐があるのではないかな? 何、入隊して順調に栄進し、我が事成った後はお望みの時にそちらに戻せば、お家にも問題はなかろうて」
「なるほど、それは有難い。宰相を出された名門侯爵家の名と共に戻れば我が家に箔も付きますな。是非お願い致します」
望んだ以上の厚遇とさらに身を乗り出すデイン子爵に、それまでずっと黙って聞いていたグラウスマン伯爵が拡げた深紅の羽扇子の陰から心配そうに声を掛けた。
「ですが、御子息は何と言われるかしら。お家の御長男がいきなり他家に入るのは、戸惑いも大きいのでは。しかも侯爵には御継嗣がおられます。養家で庶子はお気の毒では」
「戻り次第確かめますが、近衛という武人の出世の花道を開いていただけるのですからな。嫌とは言いますまい。いや、言わせません」
「まあ。では御子息がもしお辛そうでしたら、私もお慰めすることにしましょうかしら」
「これは有難いことです。何卒、良しなに」
「お引き受けしました」
デイン子爵が目的を果たして満足そうに帰り、姉弟二人切りになったところでグラウスマン伯爵が扇を閉じたり開いたりしながら眉を顰めて弟に話し掛けた。
「トーシェ、良かったの? 変なのを家に引っ張り込んで。貴方の息子は母親似で気が弱いから、蹴り落とされて侯爵位を乗っ取られちゃうんじゃないの?」
「なんの姉さん。いずれ荒事は起きるのです。その時に我が一人息子を突撃の先頭に立てろとでも? 近衛志望とは、喜んで矢を浴びてくれそうな貴重な身代わりが手に入りそうなんですからな。邪魔はせんでくださいよ」
「そうねえ。王女を娶りたいとは、その子も高望みも甚だしいお馬鹿さんのようね。それでゆくゆくは、子供の一人を臣籍降下させて子爵家を伯爵家にして継がそうってことでしょ? デインも随分と甘い夢を見ているわね」
「それはそうですが、王女の配が変に頭が良くては困りますからな。仮初の夢が現になったとしても、王女を上手く使うにはちょうど良いかも知れませんぞ」
「確かに、考えてみれば少しおつむが弱い方が使い易い手駒になりそうね。上手く事が進めばそのまま取り込んでおけばいいし、駄目なら使い捨てにして、デインには誰かこちらの手の者を養子にやれば、デイン領を貰ったも同然だわね」
グラウスマンは身体を二つに折って、拡げた扇で口を隠すと「クククッ」と笑った。そして体を背凭に戻した拍子に目に入った、部屋の隅に慎ましく立っているシェルケン家の家令ハインツに笑い掛けた。
「ふふ、ハインツ、そういえばお前もシェルケン家の遠縁、ハインツ・シェルケンだったわよね?」
「はい、伯爵閣下」
肯定の返事を聞くと、グラウスマンは気軽な調子で弟に提案した。
「トーシェ、ハインツの息子をデイン家に送り込めば良いんじゃないの。忠義の家臣への褒美にもなるし」
「そうですな。どうだ、ハインツ」
「いえ、有難いことではありますが、愚息も私同様に御家に長くお仕えすることを望んでおりますので。その儀であれば、もう少し血縁の近い方をお薦め致します」
ハインツは表情を変えずに答えて頭を下げた。
「まあ、親子揃って律儀だこと。デインと違って、身の程を弁えることを息子にもきっちり仕込んでいるということかしら? トーシェ、優れた家令に恵まれたわね」
「そうですな。徒な望みを持たせず分を守らせるのも親の愛。さすがだな、ハインツ。そこへ行くと、一度出した者を素直に返してもらえると思い込むとは、デインは甘い、甘い」
二人はまた「わはは」「おほほ」と笑声を上げる。トーシェは愉快そうに姉に言った。
「それはそれとして、ミンストレル領に攻め込むのは姉さんの役割、準備を怠りなくお願いしますぞ。きょうだいそろっての侯爵位、楽しみなことですな」
「そしてミンストレルが消えれば貴方は念願の宰相ね」
グラウスマン伯爵が閉じた扇子で首を切るように叩いて見せて応じ、その後には大口を開けた二人の高笑いがもう一度室内に響く。自分たちが後戻りできない道を歩き始めたことを知らずに。
ハインツは無表情で立ったまま、それが破滅への一本道でないことを祈っていた。
侯爵の継嗣は賢者とまでは言えずとも温厚な人柄で、父親たちのように下らない策謀の夢に囚われたりはしないし、妻であるデイン子爵の娘とも仲睦まじくして子もなしている。その彼等にシェルケン家が無事に引き継がれる分かれ道があるように、と祈りを深くした。




