第9話 遠野へ
「先生が女子高生ナンパしたー! これは事件だー! おさわりまんこっちですー!」
香里が叫んだ。
あれから、私たちはお互いの情報を交換した。そして第一声がこれである。
この女を殴らない私は、良識的で模範的な大人として評価されるべきだと思う。
「お前な」
「いやだって先生、見知らぬ女子高生に声かけて連絡先交換してたじゃないですか。はたから見たら完全に犯罪者ですよ」
「状況というものがあるだろう状況が」
「状況? 死体のそばで女子高生をナンパするのが状況?」
「ナンパじゃない」
「じゃあなんですか」
「……取材だ」
「取材ぃ~?」
香里は眉を吊り上げた。そして弥子ちゃんの方を見た。弥子ちゃんは香里を見ていた。無表情だった。正確には、無表情に近いが、何かを観察しているような目だった。
「はじめまして。夕海香里です。YouTuberです、チャンネル登録と高評価よろしく!」
「小烏瀬弥子です。遠野から来ました」
「ほう、遠野!」
香里の目が光った。
「ちょうどよかった。色々聞かせてください、遠野のこと」
「……どういう立場の人ですか」
「オカルト系配信者! 怪奇事件追ってます! ぎゅばーん!」
「はあ」
弥子ちゃんの反応は薄かった。香里が若干傷ついた顔をした。私は少し溜飲が下がった。
これが、ざまぁという奴か。
◇
四人でファミレスに入った。
四人、というのは私と香里と弥子ちゃんと、それから遅れてやってきた桐也だ。
桐也は弥子ちゃんを見て、一瞬だけ目を細めた。私にしかわからない程度の変化だったが、確かに何かを感じ取った顔だった。
私は弥子ちゃんに、事件の経緯を話すつもりはなかった。
遠野の高校生を巻き込む理由がない。彼女は文化祭の企画で東京に来ただけだ。
そのつもりだった。
良識と常識ある大人として、当たり前だ。
「……そういうことがあったんですか」
だが、なぜか話していた。話してしまっていた。
小烏瀬弥子という少女には、妙な雰囲気があった。
静かで、目立たない。でも黙って向かいに座っているだけで、こちらが話したくなる。話を引き出す、というのとも少し違う。ただそこにいるだけで、話が流れ出していく感じがする。
気づいたら、厚楽良子のことを話していた。斉藤義彦のことを。山村パターソンのことを。三上小五郎のことを。そして今日の、佐々々木紀律のことを。
弥子ちゃんはずっと黙って聞いていた。
相槌も少ない。ただ、聞いていた。
話し終えると、弥子ちゃんはしばらく沈黙した。
それから、静かに言った。
「全員、遠野と関係があるんですね」
現時点では、そうだった。
どぶろく特区遠野。ホップ生産量日本一。オシラサマ人形。遠野の怪談創作。
皆、遠野に何らかの形で関わっていた。
これを偶然と切って捨てるには、あまりにも類似点がありすぎたのだ。
「――正直、苛立ちます」
弥子ちゃんが言った。
「遠野は、ひどい場所じゃない。だけどこんなに変死事件に関わってると……」
「変な噂立つかもですねー」
香里が続けていった。
風評被害。
遠野の人間にとって、それはもっとも忌避する事だろう。当たり前だ、地元の悪いうわさが立つというのは、いい気分のはずがない。
「私は――」
弥子ちゃんはトートバッグの持ち手を、少し強く握った。
「遠野のことを、ちゃんと伝えたいと思っています。文化祭の企画も、そういう気持ちからです。嘘じゃなくて、本当のことを」
本当のこと。
私はその言葉を、手帳に書き留めなかった。書き留める必要がなかった。
◇
「あの」
ファミレスを出ると、弥子ちゃんが言った。
「遠野に来るんですよね、みなさん」
「ああ」
私は答えた。GWを使って私達は遠野で調査をする。
「答えが遠野にある気がする、少なくともヒントが。人の仕業か、それとも怪異か……ああ、怪異なんて言っても」
「信じますよ」
弥子ちゃんは言った。まっすぐに、よどみなく。
「遠野は、民話と不思議の里――と言われていますから。なんというか、身近なんです、そういうの。
ああ、不思議な事ってあるんだな、って」
「……」
現地の人間がつらつらと語る。
妖怪の地という触れ込みの観光地だからPRのため……という感じでは無かった。
普通に、隣にある。そんな感じの言葉だった。
「では、遠野に来られたら……連絡ください。案内しますので」
「いいんすか?」
香里が言う。弥子ちゃんは静かに微笑んだ。
「遠野について、ちゃんと知ってほしいですから。それに皆さん、変な好奇心で事件を追ってある事無い事吹聴する……そんな人には見えませんから」
「いや、私めっちゃ好奇心です」
台無しだった。
「香里さんのは、いい好奇心です」
真っすぐに言う弥子ちゃん。
強者だった。
「じゃあ、現地で合流しよう」と私は言った。「俺たちはGWが始まったら電車で行くよ」
「わかりました。待っています」
弥子ちゃんは頷いた。
「遠野に着いたら連絡してください。案内します。
……見せてあげますよ、本当の遠野を」
それだけ言って、弥子ちゃんは駅の方へ歩いていった。
黒く染めた髪が、夕暮れの中に消えていった。
「……いい子っすね」
香里がぽつりと言った。珍しく、素直な口調だった。
「ああ」
私もそう思った。
巻き込んでしまった、という気持ちが少しあった。しかし同時に——弥子は最初から、この話の中にいたような気もした。
うまく言えないが、そういう感じがした。
◇
出発は四月二十八日に決まった。
東京駅から新幹線で新花巻まで、そこから釜石線に乗り換えて遠野まで。
四時間ほどの旅だ。
出発の前日の夜、私は手帳を開いた。
これまでに書き留めたことを、最初から読み直した。
厚楽良子。斉藤義彦。山村パターソン。三上小五郎。佐々々木紀律。
五人の死。
オシラサマの人形。白い糸。白い蛾。
遠野。遠野。遠野。
そして、緑風荘。
座敷わらし。
没になった原稿。
全部が、一本の糸で繋がっているような気がした。
細く、白く、引けば切れそうで——しかし引けば引くほど手に絡みついてくるような糸が。
私はそこで手帳を閉じた。
遠野で、わかる。
あるいは——わかりたくないことが、わかるかもしれない。
五月一日、朝七時。
東京駅、中央口改札前。
それが、全てのはじまりの場所になった。




