第4話 羽賀桐也
警察が来るまでの十五分、私と香里は廊下で待った。
香里はずっと黙っていた。
私の知る限り、彼女が五分以上黙っているのは初めてだった。
「……撮らなかったのか」
しばらくして、私は言った。
香里はカメラを胸の前で抱えたまま、小さく首を振った。
「撮れなかった、っす。流石に」
「そうか」
「先生は……怖くないんですか」
私は少し考えた。
「そりゃ怖いさ。ただ、慣れてる」
「慣れるもんなんですか、こういうの」
「慣れたくはなかったけどな」
オカルトライターをしていると、実際によくないものに行き会うことは少なくない。
別段、漫画や小説の名探偵のように行く先々で殺人事件に出会う、なんてことはない。だが、口さがなく言うなら、この仕事で出会う人間には多少おかしな、歪んでいる人間も少なくない。
特に、そういった人間は自分の趣味を同好の士に披露したがるものだ。そしてそれは別段同好の士でなくともよい、という事も多い。
時々いるのだ。死体愛好家が。それも不可思議な死体の写真などをコレクションしている人間は意外といる。
そして取材の鉄則は、忍耐だ。
口八丁手八丁で相手の懐に飛び込めるコミュニケーション能力がなくとも、ただ相手の言葉を忍耐強く黙って聞く。これだけでマニアという人種はその胸襟を開く。
相手から情報を得るには、とにかく耐えることが大切なのだ。
「……色々とえぐいの見て来たんすね」
香里はそれ以上何も言わなかった。
廊下の蛍光灯がわずかにちらついている。
エレベーターのない古いマンション。四階の窓から見える空は、すっかり灰色になっていた。
◇
事情聴取は一時間半かかった。
私はいつもの要領で対応した。取材のためにアポを取って来た、ドアが開いていた、中に入ったら倒れていた。
それだけだ。
嘘はない。
メールの履歴、取材電話の録音も提出した。
「……ったく」
制服警官たちの中で、くたびれたコートを羽織った中年男性が舌打ちをした。いかにも刑事、といった感じの、いがぐり頭の男だった。
「またこのパターンかよ。つか、こいつかなり前だな」
「ですね。仮に連続と考えると、このガイシャが最初……」
彼と警察官の話題に、私は聞き耳を立てた。
刑事はもう一人の制服警官と何事かを話し合い、やがて私の方へ向き直った。
値踏みするような目だった。敵意ではなく、職業的な観察眼というやつだ。
「えーと、阿須……森、彼方さん。オカルト雑誌のライター」
「はい」
「山村とはどういう知り合いですか」
「取材の依頼をしたのが最初です。面識は浅い」
「取材内容は」
「呪物の収集と供養について、話を聞こうと思っていました。記事にする予定で」
「ふぅん」
刑事はポケットに手を突っ込んだまま、室内の方をちらと見た。
「呪物ね。あの人形も呪物ですか」
「詳しくは鑑定してみないとわかりませんが……オシラサマの人形に見えます。岩手の民間信仰に関わるものです」
「……岩手」
刑事の目がわずかに変わった。
気のせいかもしれなかった。しかし私には、その一瞬が引っかかった。
「遠野、とかですか」
「……なぜそう思うんですか」
今度は私が聞き返す番だった。
刑事は少しの間、私を見た。それから面倒くさそうに頭を掻いた。
「いや、こっちの話です。もう一点だけ確認させてください」
その後の質問は事務的なものだった。
解放されたのは、夕方近かった。
◇
マンションの前に出ると、香里が壁にもたれて待っていた。
私の顔を見るなり言った。
「お勤めご苦労さまっす! もう二度と戻ってくるんじゃねぇぞ」
「誰がお勤めだ」
私は軽く香里の頭を小突いた。
「……でもあれですよね。なんか、めっちゃ刑事ドラマに出てきそうな人でしたね。いがぐり頭の」
「ああ」
「ああいう人って実在するんすねー。創作の中だけかと思ってました」
「まあ、あえてやってるのかもしれないけどな」
「あえて?」
「キャラ造りだよ。ああいう雰囲気を作れると、それに呑まれた人間は自然と協力的になる。刑事ドラマの登場人物みたいな気分になって、無意識に従順になるんだ」
劇場型、というやつだ。
「俺に聞こえるように連続がどうとか言ってたのも、どこまで本当だかわからない」
捜査の情報を一般人に教えることは考えるまでもなくタブーだ。あれはブラフだろう。
ただ——
「遠野、という言葉には反応していた。それだけは本当だと思う」
香里はしばらく考える顔をした。
「……先生、今夜どうするんですか」
空はすっかり暗くなっている。マンションの外灯の下に、小さな羽虫が集まっていた。白っぽい、蛾のような羽虫が。
私は目をそらした。
「桐也のところに行く」
ぽつり、と独り言のように私はその名を口にした。
香里はそれを耳ざとく聞き取った。
「キリヤって……羽賀桐也でしたっけ」
「ああ」
羽賀桐也。私が何度か、いや何度も仕事で顔を突き合わせた男だ。
同業者、とは少し違う。
私がオカルトに首を突っ込む仕事なら、羽賀桐也はまさしく本業だ。
「あの霊能者の」
「霊能者、というとあいつは怒るけどな。拝み屋だそうだ」
霊能者、拝み屋、祓い屋、まじない師……そういった連中を、私は基本的に信頼していない。それどころか軽蔑すらしている。
連中は、詐欺師のようなもの――いや、詐欺師だからだ。宗教家も同じだ。取材を重ねて、いやというほど実感した。
だが、業腹ながら——連中の中には、ひと握りだけ本物がいる。少なくとも、そう認めざるを得ない仕事をするものはいた。
羽賀桐也もその一人だった。
「んじゃ、私もついて行きますね」
「お前は帰れ」
「やですよ。私もあの部屋見たんですよ。今更帰れないっすよ」
「……」
それは、反論しにくかった。
大人の正論はいくらでも言い繕える。しかし実際にあんな場面に行き会ってしまったなら、黙って見なかったことにして帰るというのは、とても難しい。
もし自分がまだ年端も行かない高校生で、あんな場所に遭遇したなら——自分でも好奇心と使命感に抗うことは難しいだろう。
「……ついてくるなら黙ってろよ」
「うっす!」
香里は大きい返事を返した。
◇
羽賀桐也の事務所は、渋谷の外れにある雑居ビルの地下一階にあった。
看板には「如月流天法術 羽賀鑑定所」とある。
表札だけ見れば占い師か何かのようだが、中身は違う。
チャイムを押したが、反応はない。
私はドアノブに手をかけた。
……動いた。
鍵がかかっていなかった。
「……デジャヴるんすけど」
「黙ってろ」
私も同意見だった。しかしいつものことだと意を決してドアを開ける。
腐臭は、しなかった。
「そろそろ来ると思ってたよ」
奥のデスクから、男が言った。
歳は三十代半ば、いや二十代後半だろうか。背は私より少し高い。どこかの格闘家を思わせる均整の取れた体格をしている。後頭部で束ねた黒髪と、感情を読ませない切れ長の目。紺色の作務衣を着こんでいた。
羽賀桐也。
拝み屋であり、如月流天法術という怪しげな術を使う、私の腐れ縁だ。
「来ると思ってたって……占いか何かか?」
「いや。あの仕事が駄目になって、慌てて別のネタ集めに来るんじゃないかなって」
「……」
まあ、図星みたいなものだった。
「くそ、こいつといいお前といい、他人の仕事否定しまくるんじゃねぇよ」
「否定はしていないよ。ただ、世間好みじゃない題材だと思っただけだ」
「ぐっ……」
反論できなかった。
「それで、具体的には何を知りたいんだ? その子との相性占いなら帰ってくれ」
「いや、そういうのじゃなくて……」
「そっすよ、占われなくても私と先生の相性は地獄級っすから!」
「うんお前黙ってろって言ったよね」
頭が痛くなる私だった。
やっぱり連れて来るんじゃなかった。




