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オシラサマの娘についての記述――奥州神蚕連続変死事件レポート――  作者: 十凪高志


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第28話 オシラアソバセ

 弥子ちゃんが、オシラ祭文を謳い始めた。

 歌いながら、踊る。

 両手にオシラサマ人形を持って。

 桐也は人形を弥子ちゃんに渡していた。いつの間にか。

 そして弥子ちゃんは踊っていた。

 遠野の夜に、燃える建物を背に、泥と汗にまみれた女子高生が、白木の人形を持って踊っていた。



 手に取ればこそ手になづて遊だ神かなそ

 もしもしらわの御本地

 くわしく読み上げたのみたてまつる



 古い言葉だった。

 意味の全てはわからない。しかしその声が、夜の空気に溶けていった。

 その時、音楽が流れた。

 香里だった。

 香里がスマートフォンでオシラアソバセの音源を探し出し、スピーカー最大音量で流していた。

 太鼓と笛と鈴の音が、燃える炎の音の中に響いた。


「香里」

「黙ってたら雰囲気出ないかと思って」


 香里は真剣な顔で言った。

 私は何も言えなかった。言うつもりも無かった。



 昔 まんの長者とて

 ありかの長者こと姫君に

 もたせたもたのもだてたも

 ひとり姫ことなれば

 昼はかげんのざしき

 夜はかいごの遊び

 いげをかじげを かぎりなししかりに

 満能長者の厩に千だん黒毛

 いつの名馬とて つながせたも

 かくて 歳月ふろほどにたつ姫君も

 十六歳にならせたもとゆうときは

 つかじきいかに にょうぼたつ

 今年十六歳になりよけばいままで

 馬屋へおりて名馬 見物いたしたりことはなし




 これはオシラサマの歌だ。

 馬と、娘の恋の歌だ。

 なぜだろうか。

 私には、それが祐介とまゆの唄に聞こえてならなかった。

 シチュエーションも何もかも違う。なのに。

 囚われた白い少女と、彼女に話しかけ続けた若者の話に、聞こえてならなかった。


 炎があぶる。

 燃えていく熱気が、肌をあぶる。


「見て——」


 香里が言った。

 火の粉が舞い、舞う弥子ちゃんの髪に触れた。

 その火が、熱が、彼女の黒い髪を——薄緑色に変えていった。

 染料が、熱で落ちていった。

 本来の色が、現れた。

 天蚕の繭の色が。


「元々」


 気が付けば、隣に人が立っていた。

 佐々木幸太郎老人だった。

 いつ来たのか。どうやって来たのか。わからなかった。ただ、いた。


「祐介とまゆの娘は――白髪だった。そしてその娘の髪は、緑がかっていた。目立つからと、見つかると危険だと、黒く染めさせていたが」


 老人は手に何かを持っていた。

 薄い絹の布だった。此礼――神事に使われる、魔よけの布だ。

 それが風に舞った。

 弥子ちゃんの身体に――ふわり、と巻きついた。

 ばちん、と音が響いた。


「……見て、先生」

「……ああ」


 それは、出てきた。

 炎に炙られ、燃えながら飛ぶ蚕たちが、蛾たちが。

 ばらばらに飛んでいたそれらが、一つに集まった。

 まるで、巨大な、燃える蚕蛾のように。

 施設の炎の上に、それは浮いていた。

 形は定まらなかった。人のようでもあり、虫のようでもあり、炎のようでもあった。

 白く、燃えていた。

 まゆだった。

 まゆの怨念が、形を持って、そこにあった。


「――祟り神、オシラガ様」


 誰かが、そう言った。



「……」


 曲がっていく。

 木々が、曲がっていく。

 柱が、曲がっていく。

 様々なものが、曲がっていった。それは炎の熱によるものか、それとも。


 その中で、弥子ちゃんは止まらなかった。

 踊り続けた。歌い続けた。



 一の弓 まず打ちならしのはじめよぶ

 この村の神々からまでしょうじいれ申す

 二の弓のねごい呼ばところの神こそ神々までしょうじいれ申す

 三の弓のひびき呼ば

 日本六十六か国の神のしいさくはこーとーじんまでしょうじいれ申すほめやきこしめし

 十六の大国 五百の中国 十千の小国 無量はそくさん国のそのならい

 北は北陸佐渡ケ島 南は南海ほどらく 東はやごろの 西はいべしの浄土が

 四方四角に四つの神明のしむより 数のしいさくはこーどーじんまで しょうじいれ申す



 確か、神呼びの唄――祭文はそこに至っていた。

 神を、オシラサマを呼び込む儀式。

 招き、称え、もてなす歌。


 今なら――あるいは、届くやも、通じるやもしれない。


 私は弥子ちゃんの傍に立った。


 炎が熱かった。顔が熱かった。

 私は燃えるまゆに向かって、言った。


「……まゆさん」


 声が震えた。


「あなたの怒りは、正しい」


 まずそこから言わなければならなかった。


「全部、奪われた。祐介さんを奪われた。娘を奪われた。あなた自身を奪われた。それは正しい怒りです。誰にも否定できない」


 炎が揺れた。


「だけど——一つだけ、知っていてほしいことがある」


 桐也はかつて私に言った事がある。

 神や霊と呼ばれるモノと生きている人間の決定的な差異。

 彼らは、記憶しない。知覚しない。

 脳が無いのだ。だから、新しく知り、学び、覚える事が出来ないと言う。

 彼らは――記憶の残滓なのだ。強い思いの、残滓なのだ。


 だから、まゆは知りえない。

 自分が死んだ後、娘がどうなったのかを。

 怒りと憎しみと恨みに凝り固まり怨念と成り果てた彼女には――知るすべがない。

 だから伝えるのだ、と桐也は言った。

 死者の魂に。死者の記憶に。それを伝え、安らかに眠ってもらうのが儀式であり、祭りであり、拝み屋の成す事なのだと。


 そう、伝えないといけないのだ。



「あなたの娘は、生き延びた」


 私は言う。その言葉に――燃えるまゆが、揺れた。


「マヨイガは、あなたの娘は最後まで隠し通した。そして、川に流した。遠野物語のマヨイガの話のように。

 そして、川を流れてきたところを、健之助さんが――あなたの兄が拾った。拾ったんだ。

 そしてあなたの娘は、小烏瀬の家に預けられた。幸せに育った。そしてその血が、今ここに――いる」


 私は弥子ちゃんを見た。

 薄緑の髪が、炎の光の中で輝いていた。


「天蚕の色だ。野に生きる蚕の色だ。あなたの娘は、誰かの所有物にならなかった。もはや飼われて殺される家蚕じゃない。野に生きる天蚕のように、自由に生き、羽ばたいたんだ」


 東のすみにも神とどまんな

 西のすみにも神とどまんな

 南のすみにも神とどまんな

 北のすみにも神とどまんな

 四方のすみにも 神とどまんな

 おなぎの下にも神とどまんな

 ゆるりの下にも神とどまんな

 たたみの下にも神とどまんな



 弥子ちゃんの歌が続いていた。

 気が付けば――木々や、柱は――曲がっていなくなっていた。


「祐介さんは――最後まで、あなたの居場所を言わなかった。娘の居場所も。何をされても、言わなかった」


 炎の粉が散った。


「全部を奪おうとした連中に、それだけは奪わせなかった。祐介さんは守り通した。あなたへの愛を、誰にも渡さなかった」


 だから弥子ちゃんはここにいる。それだけは、何があろうと覆せない事実だ。


「あなたの潰された子供たちも――消えていない」


 私は続けた。


「座敷わらしとして、今も各地で人を守り続けている。遠野の人々に幸運を運んでいる。今も、ずっと」


 それは――事実なのかどうかはわからない。

 だけど、遠野に伝わる伝説。

 座敷わらしは潰した子の霊。若葉と呼ばれる彼らは、それでも恨み祟る事も無く、神として今も遊び、そして人々に幸せを運んでいる。

 それは願いだ。祈りだ。

 そうあってほしいという、想い。

 それはきっと――――結ぶはずだ。


 ぱちり。


 燃えるまゆが、また揺れた。

 形が、少しずつ変わっていった。

 怒りの形から、別の何かへ。


「蚕を殺さずに糸を採る方法を、ある子供が見つけた。つい最近の事だけど、小学生が考え続けて見つけた。蚕が可哀そうだと、生きて成虫になって欲しいという想いを込めて。

 だからもう、同じ苦しみで糸を採らなくていい時代が来た」


 本当にそんな時代が来るかはわからない。

 まだ発見されたばかりの技術だ。それが広まるかわからないし、成虫と化した蚕蛾をどうするのか、蛹を利用した産業はどうなるのかという問題もある。

 全てが綺麗に解決する、たったひとつの冴えたやり方なんてのは存在しないのかもしれない。


 だけどそれでも――より良い明日を探してもがいていくのが人間だ。いや、生命だ。


 だから、私は声を続けた。


「まゆさん」


 もう一度、言った。


「あなたは――負けていない。あなたたちは、守った。紡いだんだ、命を――愛を」




 かけまくも かしこき心に

 光臨のいっさいの精進たちのもとの

 こんきゅうに 送りたてまつる

 おそれながら うけしきたまわいて

 このじゅうしゃ けいふく てんぷく かいらい

 ちふく えんまん しんちん しんりき

 ほうがんじょうじゅと守らせたも



 神送りの唄が響く。

 オシラアソバセで招いた神を、静かに送る歌だ。


 弥子ちゃんの声が、高くなった。

 人形を、高く掲げた。

 炎の上に漂うまゆが、揺れた。

 ゆらり、と。

 怒りが、少しずつ、溶けていくように。


 私には見えた。

 燃えるまゆの中に、一瞬だけ。


 マヨイガの囲炉裏の傍に座っていた、あの白い少女が見えた。

 目を閉じていた。

 口元に、微かな笑みがあった。

 祐介に本を読んでもらっていた、あの顔だった。

 それだけだった。

 ほんの一瞬だけ見えて――消えた。



 炎が、静かになった。

 燃えるまゆが、少しずつ、夜空に溶けていった。

 白い蛾たちが、一匹、また一匹と、炎の粉になって空に散った。

 煙になって、夜空に消えていった。


 やがて。

 全てが、消えた。

 施設の炎だけが、静かに燃えていた。




 弥子ちゃんが、人形を下ろした。

 ゆっくりと、目を開いた。

 涙が頬を伝っていた。


「……終わりました」


 弥子ちゃんは言った。


「終わったのか」と私は聞いた。

「終わりました」


 もう一度言った。

 弥子ちゃんは人形を胸に抱いた。


「……おつかれさまでした、まゆさん」


 声が、静かだった。


「ゆっくり、休んでください。今度こそ」


 幸太郎老人が、弥子ちゃんの隣に来た。

 何も言わなかった。

 ただ、弥子ちゃんの頭に、そっと手を置いた。

 弥子ちゃんは泣いていた。

 声を出さずに、泣いていた。幸太郎老人の胸に顔を預けて、ただ。

 幸太郎老人は何も言わなかった。

 ただ、手を置いていた。



「……お疲れ様」


 私は桐也に言う。桐也は疲労困憊、といった感じだった。


「危なかったよ。何か一つでも欠けていたら、失敗していた」


 桐也は息をつく。


「それって、私のBGMとか?」

「ああ。冗談抜きにな。歌と踊りだけでは足りなかった。先生の言葉も無いと足りなかった。刑事が人形をもってこなかったらそもそも最初から駄目だった。

 ――全員が力を合わせたから、なんとかなったよ」


 ふう、と桐也は空を仰ぐ。

 もう暗くなっていた。星が見えている。


「目」


 私は言う。桐也の目は――


「ああ、斜視ってるな。だけど呪いは消えたし、このくらいならすぐに治るさ。先生の顔の麻痺も」

「……そうか」


 安心した。流石にずっとこれは、きつい。


 ふと、サイレンの音が近づいてきた。


「警察と消防が来るな」


 栗下刑事が言った。


「俺が前に出る。お前たちは後ろにいろ」

「ありがとうございます」

「礼は後だ」


 栗下刑事は歩き出して、ふと足を止める。

 栗下刑事は燃える建物を見たまま言った。


「俺の顎も、少しは戻るかな」


 その言葉に、


「その突き出た顎、けっこー似合ってますけどね」


 香里が言った。

 笑うべきかどうか、迷った。


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