第26話 企み
裏の駐車スペースに、白いセダンが停めてあった。
比較的新しい車だった。
私は運転席に乗る。桐也が助手席に、香里と弥子ちゃんが後部座席に滑り込んだ。
エンジンをかける。
バックで駐車スペースを出た瞬間、裏口の方から声が上がった。
「いたぞ! 裏から出た!」
「追え!」
男たちが自分たちの車に乗り込む。
「くそっ、もう見つかった!」
私はアクセルを踏み込んだ。
◇
家を飛び出し車を走らせる。
ふだんの安全運転は何処へやら、爆走する車は山道に入った。舗装はされているが細い道だ。両側から木立が迫ってくる。
「後ろ来てます!」
香里が後ろを覗きながら叫んだ。
黒い車が一台、猛スピードで追ってきていた。
「速いな……くそっ」
「向こうは大きい車だ。この道幅なら——」
「こっちが有利か」
「多少は」
飛ばしているとカーブに差し掛かる。ブレーキを踏みつつ全速でハンドルを切る! 後ろの黒い車が外側に膨らむのが見えた。
しかしすぐに立て直してくる。
「うまい運転手だな!」
「褒めてる場合じゃないですよこの下手っぴ!」
香里が叫んだ。
直線に出た。後ろの車が一気に距離を詰めてきた。
ドン! と激しく音が鳴る。
追突された! くそっ、本気だなあいつら!
ハンドルが取られる。
「くっ――」
両手で力いっぱい押さえる。路肩の砂利に乗り上げそうになったが、踏ん張ってギリギリで戻した。
「大丈夫ですか先生!」
「なんとかな!」
そのまま何度か追突されつつ進んでいくと、道が二手に分かれた。
「右か左か!」
「右だ」
桐也が即答した。
「インド人を右に!」
「黙ってろアホ!」
香里に怒鳴りつつハンドルを切る。
道が広くなった。しかし。
「前から来ました!」
弥子ちゃんが叫んだ。
前方から黒い車が二台、こちらに向かって来ていた。
くそっ、回り込まれた!
「挟み撃ちか……!」
「どうする」
前の車が道の真ん中に止まろうとしている。後ろの車が迫ってくる。左は田んぼ、右は用水路。
……逃げ場がない!
「先生」
桐也が言った。
「左の田んぼ、まだ水が入っていない。土が固い。行けるか」
「田んぼを走るのか……!」
「選択肢がない」
私は田んぼを見た。確かに水はなかった。土だけだった。
ええい、この際法的倫理的うんぬんは後だ、緊急避難だすまない田んぼの持ち主!
「行くぞ」
ハンドルを全力て左に切った。
タイヤが土に乗り上げる。。
車体が大きく揺れた。
「うわっ!」
「あっ……!」
「わっ!」
後部座席から声が上がる。
激しい振動が車体を揺らすが、しかしなんとすか走れた。
セダンの腹が土を擦りながら、田んぼの中を進んでいく。
――後ろの黒い車は追っては来なかった。
「普通車では田んぼには入れませんよね」と香里が言った。
「こっちも普通車だぞ」
「でも入ってますよね」
「入ってるな」
「……先生、車の底、大丈夫ですか」
「わからん。帰ってから確認する」
「帰れたら、の話ですよね」
「帰れる。黙ってろ」
そして田んぼを抜けて農道に出る。
後ろを確認すると、田んぼを追っては来ていない……が、当然のように黒い車が大回りして追いかけてくる姿が見えた。
「くそっ、まだ来てる」
「ならもっと速く!」
私はアクセルを踏み込み、農道を飛ばした。
しかし前方、施設へと続く道の入口に、黒い車が二台すでに横向きに止まっていた。
退路を塞がれていた。
「止まれないぞ!」
私は言った。
「止まるな!」と桐也が叫ぶ。
「突っ込めってのか、ハリウッドじゃないんだぞ! この車はキット2000でもデロリアンでもない!」
「いやあの隙間、ギリギリ通れる!」
黒い車と路肩の間に、確かにわずかな隙間があった。
「通れるか、あれが」
「通れるかじゃない、通るんだよ!」
「無茶を言うな拝み屋!」
「無茶じゃない、因果律上は通れるはずだ!」
「因果律上って、難しい言葉使えば煙に巻けると思うなよ!」
「ひたりとも漫才はいいからどうにか!」
「ああもう!」
私はアクセルを全力で踏み込んだ。
セダンが加速する。
「うわあああっ!」
金属が擦れる音がした。
左のドアミラーが、黒い車のバンパーに当たって折れる。
バリン、という音が響いた。
「ミラーが!」
「いらん、前だけ見ろ」
「他人の車だと思って!」
「他人の車だ!」
「私の身内のです!」
「後で謝っとくから!」
抜けた。
「通れた!」
「言っただろう」
「結果オーライなだけで無茶なことに変わりはないからな!」
だが、車が抜けたその先――
そして気づく。ここは見た事がある。
いや、一度来ている――!
「……嵌められたか」
桐也が苦々しく言った。
そう。
目の前に広がるのは、広大な敷地。そこに連なる大きな茅葺の曲がり家や倉庫、離れ。
そしてプレハブなど。
ここは――
「……ヤママユ会の」
旧佐々木家の跡地。
敵の、本拠地だった。
「……」
車を施設の前に止める。
正面のドアが、開いていた。
待っている――ということなのか。
後ろから、黒い車が二台、追いついてきた。左右に広がって退路を塞いだ。
夕暮れの中、ヘッドライトが私達を照らす。
「……っ」
四人でドアを開けて降りた。
降りるしか無かった。
折れたドアミラーが、ぶらんと垂れていた。
「車、弁償しないといけないな」
「取材経費で落とせばいいだろう」
「フリーライターの経費ってのは上からお金が支給されるんじゃなくて、税金の経費として計上できるってだけなんだけどな」
「知ってる。がんばれ」
「いやふたりとも、今そーいう話してる場合っすか」
「大事な事だ」
「気持ちはわかりますが今は」
「わかってる、行くぞ」
四人で、開いた入口へ歩いた。
開いたドアの向こうに、暗い空間があった。
待っている。
私の顔の左半分が、まだ引きつっていた。
◇
曲がり家の中に入る。ワークショップの会場だった空間が広がっていた。
テーブルは端に寄せられていた。中央が広く空いている。
そしてその奥に、鍋倉が立っていた。
穏やかな笑顔をたたえたまま。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
鍋倉は慇懃に頭を下げて来る。
「随分と――遠回りされましたね」
「見事な誘導だったよ」
「私の部下たちは有能ですから
私の皮肉に鍋島は笑顔で答える。
「いずれまた来ていただけるとは思っておりました。皆さま、勉強熱心なご様子でしたから。撮影禁止エリアを必死に撮るぐらいに」
「あっ、私のスマホ!」
そう言って香里のスマホを手で弄ぶ。
「実に優秀ですね、夕海香里さん。ファンになりましたよ、チャンネル登録はしておきました。
ええ、本当に優秀だ。あなたのおかげで――ずっと探していた方に我々は出会えた」
鍋倉の目が、弥子ちゃんに向いた。
「小烏瀬弥子さん――オシラサマの、いや――オシラガ様の娘」
鍋倉は、彼女をそうよんだ。
まゆの子孫である、彼女を。
「ところで――顔が、少し変わりましたね、先生」
鍋倉が私を見て言う。
私は答えなかった。
「脳卒中――いや、まともに会話で来ているから顔面神経麻痺ですかね。それはまた難儀なことです」
「あんたの仕業だろう、これも」
私の言葉に鍋倉は肩をすくめる。
「誤解も甚だしい。私は何もしていませんよ」
鍋倉は穏やかに言った。
「あの連続変死事件には、私は一切関わっていない。それは本当のことです」
だが少なくとも知っている、把握しているということか。
「――信じろと」
「信じていただく必要もありません。事実がそうだというだけです」
「じゃあ、あの被害者たちは――顔が曲がって死んでいる人たちは何だ。みんな、あんたらの――ヤママユ会の関係者だ」
「さあ。オシラガ様の怨念でしょう」
鍋倉はこともなげに言った。
「――怨念、か。あんたは怨念を信じているのか」
「信じていませんが?」
鍋倉は首を振った。
「私はくだらない非科学的なオカルトなどは信じていない。怨念も、祟りも、神も。そういうものは存在しない。当たり前でしょう?」
「では――何だというんだ。オシラガ様を追い求めていながら、矛盾してるだろう」
私の言葉に、鍋倉は考え込むそぶりを見せる。
「ふむ、そうですね――あの娘は、オシラガ様は一言で言えば――遺伝子の変異種ですね」
鍋倉は静かに言った。
「遠野物語に記された怪異の多くは、そういったものなどで説明できます。山男と呼ばれた存在は、先住民族や追放された犯罪者たちだった。カッパは水辺に住む特異な身体的特徴を持つ人間だった。
遠野ではありませんが、古代中国に記されている様々な妖怪は、当時の錬丹術による実験の鉱毒の垂れ流しにより変異した動物でいかようにも説明がつく。
あとは見間違いや、徘徊した老人や変態、知的障碍者や身体障碍者――そういうものです。
そしてまゆは――特異な絹糸分泌能力を持つ、遺伝子変異の人間だった」
「神様じゃあ、ないと」
「神様など、いませんよ」
鍋倉は言い切った。
「ただ、人間の理解が追いつかなかった現象を神や怪異と呼んできただけです。まゆもそうだ。オシラサマの娘などではなく、ただ――珍しい能力を持って生まれた人間だった。世界中の記録にありますよ、特異な能力を持った人間の記録は。
土を食べて生きていける人間、電気に耐性を持つ人間、風呂に入り清潔にしているのにとんでもない悪臭を放つ人間。体温を自由に上げ下げできる人間。ゴムのように曲がる関節を持つ人間。通常の20倍の視力を持つ人間。エコロケーション能力を持つ人間。
まだまだ枚挙に暇がない。しかし、実在する彼らは神ではなく人間です。
ならば、オシラガ様のような遺伝特性を持つ人間がいておかしくない」
「ならば、次々と人が死ぬのは……」
「病気の感染でしょう。遺伝子異常を引き起こす疾患、それだけです。それすらも今研究を進めている。いずれあきらかになるでしょう」
「だから、その墓を暴いた……のか」
「研究のためですよ。佐々木家の愚行で、彼女の血は途絶えてしまった……と思っていましたからね」
鍋倉は悪びれなかった。
「それの何が問題ですか。死体から遺伝子を採取することは、確かに法律的にはグレーですが——」
「問題が何かわかっていて言っているのか」
「わかっていません。だから聞いています」
弥子ちゃんが前に出た。
「まゆさんを、またあんな目にあわせるつもりだったということです。そんなこと、許されない」
「いいえ、違いますよ」
鍋倉は言った。
「オシラガ様を――まゆを使いその糸で金儲けをするつもりか」
私は言う。
鍋倉は少し間を置いて、それから、首を横に振った。
「確かに、オシラガ様の糸は高く売れる。天蚕の糸の比ではない。ですが違います」
「じゃあ、何だ」
「糸よりも、価値があるものがある。違いますか?」
鍋倉は静かに言った。
「美しい糸を吐く白い少女というのは、それ自体が高く売れるとは――思いませんか?」
その笑顔に、場が、静まり返った。
――売、る?
オシラガ様そのものを?
「世界には、そういうものを求める人間がいるのです。国籍も問わず、倫理観も問わず。ただ、そういうものを求める人間が確かにいる。そしてその需要は――想像以上に大きい」
「……お前は」
私は言葉を失った。
「人を、売ろうとしていたのか」
「何か問題でも? 人身売買というものは古今東西、常に行われてきた。言い方を変えましょう、人材トレードという奴ならどうです?
特別な才能や性質を持つ人間を、高額報酬で雇い入れる。その斡旋をする。その何処に、何が問題が? そもそも――」
「――黙って」
弥子ちゃんが言った。
静かな、しかし凍るような声だった。
「そういう話をしているんじゃない」
弥子ちゃんは鍋倉を見た。
「まゆさんは、愛されていました。祐介さんに。音楽を聴かせてもらって、本を読んでもらって、話しかけてもらって、名前を呼んでもらって――愛されていた」
「だから何だというんですか」
「だから、怒っているんです」
弥子ちゃんの声は静かだったが、その奥に何かが燃えていた。
「あなたには、それがわからない。わかろうとしない。だから――」
「だから?」
そして鍋島は、懐から――拳銃を出した。
「ご高説痛み入りますがね、お嬢さん。そういうのは、何の価値も二位。そして――“まゆ”にももう価値は無い。
価値があるのは、君だ。
オシラガ様の血を引く小烏瀬弥子。君がいれば研究は進む。いや――君こそがオシラガ様だ」
鍋倉が指を鳴らす。黒服のスタッフたちが、私達を、そして弥子ちゃんを後ろから羽交い絞めにする。
「っ、やめて!」
「触るな変態!」
弥子ちゃんや香里が声を上げる。
「弥子くん以外は、まあ――オシラガ様の祟りで顔が曲がる変死者が新たに、という感じでしょうかね。
病気が解明すれば、逆に病気にする事も出来る。そういうことです。すぐにというわけにはまいりませんが――」
その時だった。
白い、糸が――――




