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オシラサマの娘についての記述――奥州神蚕連続変死事件レポート――  作者: 十凪高志


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第22話 外法

 囲炉裏の傍に、二人の人物がいた。

 男と、女だった。

 男は若かった。二十代くらいだろうか。日焼けした顔。素朴な、しかし誠実そうな目をしていた。膝の上に本を広げて、声に出して読んでいた。

 女は白かった。白い肌、白い着物、長い黒髪。目を閉じていた。しかし表情があった。穏やかだった。口元に、微かな笑みがあった。

 二人の間に、小さな子供がいた。

 赤ん坊だった。白い、小さな赤ん坊が、男の腕と女の腕に挟まれて眠っていた。


 祐介と、まゆと、そしてその間に生まれた――娘だった。


 伝承園の語り部の老婆が語った物語、マヨイガに逃げ込んで山で幸せにくらしましたどんどはれ――その後の光景。


 三人が、そこにいた。

 ただ、囲炉裏の傍で、静かに過ごしていた。

 それだけだった。


 しかしその光景から、目が離せなかった。



 場面が変わった。

 祐介が立ち上がる。


「山を降りるよ」


 祐介は言った。


「新しい本を買ってくる。それと、つむぎの――おもちゃもいる。そういうのって、マヨイガが確かに用意してくれるけど――古いのばかりだからな。ハイカラなのもあったほうがいい」


 その言葉に、まゆは不安そうにする。


「――ゆう、す、け……」


 たどたどしく、夫の言葉を口にする。

 物語では喋る事も出来なかったまゆだが、祐介の世話のおかげで少しずつ喋れるようになっていったのだろうか。 


「うん。大丈夫、すぐ戻る」


 祐介はまゆの頭に手を置いた。それから赤ん坊の額に触れた。

 そして扉を開けて、出ていった。


 外は山だった。祐介は山を下りていった。

 まゆは扉が閉まった後もしばらく、その方向を見ていた。それから赤ん坊を抱き直して、囲炉裏の前に座った。

 待っていた。


 祐介は、戻らなかった。




 祐介は山を降りて、遠野の町へとたどり着いた。

 マヨイガから出たら数百年たっていた――などと、浦島太郎のようになるのでは、とも思ったがそういうことはなかった。

 マヨイガの箪笥から出て来た銭を握り締め、まずは本屋に向かった。

 そして目当ての本を買い、そして雑貨屋で、ああ、娘が、つむぎが喜ぶだろうなと――小さなお人形を手に取った時。


「がっ――」


 鈍い音と、衝撃。

 祐介は、倒れた。


「やったか」

「ああ、間違いねえ」

「佐々木の旦那に、すぐに知らせろ」


 そんな声が、薄れゆく意識の中、祐介の頭に響いた。

 手の中から、人形が落ちた。


 暗い屋敷の一室。蠟燭の灯りだけが揺れていた。


「駄目だ、全く喋べらねえ。指を折っても、爪を剥いでも、歯を抜いても、目玉を焼いてもだ」


 男が言った。


「吐かせろ。なんとしてでも、あの娘の、まゆの居場所を。次のオシラガ様がいなければ、佐々木の家は潰れる」

「へ、へい。しかしあの小僧、どうあっても喋ろうとしねえんです」


 別の男が言った。


「なら、別の手を使う」


 当主は言った。


「盛岡に京都から陰陽師が来ていると聞いた。その男を呼べ」


 そして、その陰陽師が招かれた。

 陰陽師は護摩壇を炊き、念仏を唱えて言った。


「マヨイガは――確かに閉ざされている。今、あの異界の主は、その男と、オシラガ様の少女だ。その二人と、その血を継ぐ者にしか扉は開かれぬ」

「では、あの小僧を連れて行けばマヨイガへの道が?」

「そう簡単では無い」


 陰陽師はかぶりを振った。


「その者が自らの意志で道を望まねば、たどり着けぬ。故に難しかろう」

「そんな……」

「だが、まあ地獄の沙汰も金次第よ。もすこし銭をはずむなら、その方法を授けぬこともない」


 陰陽師のにやついた顔に、当主もまた笑った。


「――――――――」


 それが、その方法――外法の技だった。



 山中に、白い煙が立ち上っていた。

 滝に男が打たれていた。

 若い男だった。それは菊池という姓の、ユウスケという名の男だった。祐介とは別人だった。ただ姓が同じ、名の響きが同じというだけの、遠野の若者である。

 三日三晩、肉食を断ち、冷たい滝に打たれていた。

 男は震えていた。しかし続けた。それは命じられたからだ。成功すれば大金を払うとの約束。断る理由は無い。

 彼の家は貧しいのだ。嫁もいない。老いた両親は病気で働けぬ。だから――金が要る。

 人並の、いや――贅沢をするために。

 そして三日目の夜が明けた。

 陰陽師が、そして佐々木家の当主が男の前に立っていた。

 その手には、何かを持っている。その包みをあける。

 私は見た。

 見て、目を背けたかった。しかし背けられなかった。

 それは、人の皮だった。

 顔だった。

 祐介の、顔だった。いや、全身だ。

 剥がされた、きっと生きたまま剥がされた全身の、菊池祐介の血の滴る生皮が、そこにあった。



 ――菊池祐介にしか開かれていないならば、菊池祐介になればよい。

 マヨイガなど所詮は化生の怪異。人の理に反する存在。故に、ある程度のことでなり替わりたぶらかすこともできる。

 陰陽師の伝えた方法、それはつまりそういうこと。

 キクチユウスケという名を持つ人間を用意し、獣食を絶たせ水凝りをし斎戒を行い、そして菊池祐介の皮を着せる。

 さすればマヨイガはその人間を菊池祐介と誤認してしまい、望んだ通りに道を開くだろう――


 まさに外法だった。

 外道の方法であった。



 男は、迷う事なく――その皮を被った。

 びちゃり、と音を立てて。

 血の滴る、湯気すらたち温かみすらまだ残る、剥ぎたてのその生皮を――。

 笑みすら浮かべながら。



 マヨイガの門が開く音が聞こええた。

 あの山門が開く。理由はひとつしかない。

 今のマヨイガは、祐介とまゆの家だ。旅人をもてなすことはない。迷った旅人の前に影だけ表して、道を示す事はあれど、その中に招き入れる事は無い。

 そう、あの門が開くということは――帰って来たのだ、夫が。

 長かった。

 だけど、山と里では時間の流れが違うともいう。そう祐介の話にあった。きっとそういうことなのだ。

 急いで帰ってきて、きっと祐介からしたら一晩もたっていないのかもしけない。まゆからしたら一か月――もしかしたら何年もたっているのかもしれない――いやそれは娘がまだ赤子だからないが、ともかくそれだけ待たされたとしても、怒る理由など何もないのだ。

 帰ってきてくれた。それだけでよい。

 まゆは立ち上がる。だいぶ足に力も入るようになった。

 まゆは目をあける。昔は視界はただ目を開けても濁った白い世界でしかなかったが、今は随分と見えるようになった。近寄れば、愛する祐介の顔もはっきりとわかる。

 また見たい。自分と違い、日焼けした浅黒い肌の、しかし素朴な、安心させたくれるやわらかい笑顔。

 あの手で撫でられると、とても暖かい気持ちになる。

 あの声で、まゆ、と囁かれると、とても柔らかい気持ちになる。

 また見たい。また会えた。

 ああ、祐介。私の――――――。



 そこにいたのは、しかし。

 視えたのは、しかし。

 それは。



 顎から真っ二つに引き裂かれた顔の皮を無理矢理かぶった、知らない何かだった。


「――」



 祐介だった。祐介だったものだった。血が滴る、祐介の皮を被ったキクチユウスケが、無表情に立っていた。

 その皮は、泣いているように歪んでいた。

 そして――その下の顔が、






 嗤った。



 場面が変わった。

 暗い部屋だった。

 窓が小さかった。格子がはまっていた。

 そこに女がいた。

 白くなかった。

 白かったはずの肌が、くすんでいた。長かった白髪が、乱れていた。目が、開いていた。しかしその目に、何も映っていなかった。

 世界の美しさを知ったはずの瞳は、また何も映さなくなっていた。


 彼女は動いていた。

 いや、動かされていた。

 彼女の上に乗っかった男によって。

 彼女に群がる男によって。

 裸の、男たちによって。

 まゆの裸体は、上下に揺さぶられていた。


 彼女の瞳は何も映していない。

 いや、違う。部屋の隅をただ映していた。


 そこに転がっているのは――黒くなった、何か。

 失敗作の、数々。佐々木家が、男たちが、まゆを使って――彼女の胎を使って作った、しかし“白くなかった”から潰され捨てられた、失敗作。


 ――反吐が出そうだった。

 ああ、あれは――紛れもない、まゆの産んだ、否、産まされた子供たちだった。

 しかし、佐々木家の望んだように、“オシラガ様”は生まれなかった。

 だから産むまで、産まれるまで――作るのだ。

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 そして――彼女の絶望と空虚は、


「産まれぬのは、相手が悪いのかもしれぬ」

「ならば――まだ“残っている”あれを使おう」


 用済みだが何かの役に立つかも、と処理を施され転がされていた、かつて祐介だった――皮の無い、肉の芋虫。


 それを目にした時。


 怨念と――化した。






 視界が戻った。

 囲炉裏の火が、また揺れていた。

 誰も喋らなかった。

 しばらく、誰も口を開かなかった。


「……見たか、今の」


 私がようやく言った。


「……ああ、見た」と桐也が言った。「全部だ」

「まゆが」


 弥子ちゃんが言った。静かな声だった。


「最後に、こちらを見ましたね」

「ああ」

「怒っていましたね」

「……ああ」

「そうだよな、と思います」


 弥子ちゃんは囲炉裏の火を見たまま言った。


「私も、同じ立場だったら怒る。ずっと怒る。死んでも怒る。それは、当然だと思う」


 誰も否定しなかった。


「まゆの怒りを止める方法は」と私は言った。「あるか、桐也」

「ある」


 桐也は言った。


「準備と調査が必要だが――きっと止めろられる。いや、止めないといけない。もはや間違いようが無い、あれは――怨念、怨霊だ。祟り神と化している。

 このままだと、やがて呪いの被害は増え続ける」

「佐々木家を滅ぼしただけじゃ足りないのか」

「……佐々木家なら、まだ残っている」


 佐々木幸太郎。だけど、彼は許され見逃されていたのじゃないのか。


「だから、もはや佐々木家は関係ないんだ。そもそも呪いというのは、そういった理性は働かないんだよ。

 よく言うだろう、嫉妬、情念、愛憎に狂い、鬼と成る――

 呪いというの爆発した感情が知性も理性も塗り替えてしまい、それしか考えられなくなるんだよ。

 だから――鎮めないといけないんだ」


 そう、彼女を鎮めないといけない。

 そのためにも――。



 マヨイガを出た。

 木立の間を歩いて、車に戻った。

 車で山道を下りながら、しかし誰も喋らなかった。

 大富来屋に着く。

 私は部屋に戻り、手帳を開いた。書いた。今夜見たことを。全部。

 書き終えて、手帳を閉じた。

 そして気づいた。


 頬が、おかしかった。

 鏡を見た。

 左の頬が、わずかに下がっていた。目のまわりの筋肉が、少し動きにくかった。


 鏡の中の自分が、わずかに歪んで――“曲がって”いた。

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