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オシラサマの娘についての記述――奥州神蚕連続変死事件レポート――  作者: 十凪高志


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第21話 マヨイガ

 大富来屋に戻ると、マスターが食堂でコーヒーを淹れていた。

「おかえり。顔色悪いな」

「色々ありまして」


 私はカウンターの椅子に腰を下ろした。香里はソファに倒れ込んだ。


「疲れた……。あーもう、なんであのタイミングで落とすんだ私……」

「仕方ない」

「仕方なくないっすよ! あーこんなことなら生配信しとくべきだった。そしたら証拠になったのに!」

「生配信したらもっと面倒なことになってた可能性もある」

「それはそうなんですけど……!」


 香里はソファに顔を埋めた。

 桐也はカウンターの端に立って、黙っていた。


「どうだった」


 私は桐也に聞いた。


「あの地下室、確かに何かあった。まゆの痕跡が。あの資料室の奥に、彼女の怨念の残滓が染みついていた……そう感じられた」

「霊感センサーに反応あり、ってやつか」

「霊感じゃない。憑読の術って奴だ。まあ、結論としては同じだが」

「そうか。

 ……まゆの墓を暴いて、遺体を持ち込んだ……ということになるのか」

「ああ。それが、怨念を刺激し続けている可能性がある」


 マスターがコーヒーをカウンターに置いて、眉をひそめた。


「……随分と物騒な話だな」

「聞こえていましたか」

「この店は狭いからな」


 マスターはカウンターを拭きながら言った。


「まゆ、というのは例のオシラガ様の話に出てくる娘か」

「はい」

「あれは本当の話だからな」


 さらりと言った。


「遠野に長く住んでいれば、わかる。あの話は、本当にあったことだ」


 誰も驚かなかった。

 もう、驚く段階は過ぎていた。

 この町は、そういう町なのだ。


「整理しよう」


 私は言った。


「わかっていること。ヤママユ会――鍋倉はまゆの墓を暴き、遺体を施設に持ち込み、様々な実験をしていた。その墓にあった桑の木が千葉さんに渡り、山村の受け取ったオシラサマ人形になり、山村が目を入れたことで怨念が目覚めた――という可能性が高い」


 まだ確定ではない。

 とても黒に使い灰色ではあるが。

 ものすごく濁った、どろりとした灰色――。

 しかし、筋は通っている。


「地下の実験の証拠は」と桐也が言った。

「ない。全部落としてきたよ」


 香里がソファから顔を上げた。


「うう、すんません……」

「気にするな、過ぎた事は仕方ない。ここは現状把握と因果関係の推測に一本の芯が通っただけ、前進だ」

「はい……」

「栗下刑事に墓地法違反の話を伝えるという線はある」


 私は言った。

 しかし……。


「だが物的証拠がない。警察が動くかどうかわからない」

「よしんばそれで動いたとしても、だ。すでに地下室の証拠は全て移されている可能性は高いだろう」


 桐也が言う。確かにそうだ。迅速な証拠隠滅は基本だ。私が鍋倉の立場ならまず一番にそう動く。

 ここで下手に「あいつらを捕まえろ、なんとしてもだー!」と叫んで全兵力投入、とするのは創作フィクションの三流悪役くらいだろう。


「……」


 しばらく、誰も口を開かなかった。

 マスターがカウンターを拭く音だけが聞こえた。

 少しして、マスターが言った。


「なあ、一つ提案があるんだが」

「何ですか」

「気分転換に、ナイトツアーに行かないか」


 全員がマスターを見た。


「ナイトツアー?」

「遠野物語ゆかりの地を夜に案内するやつだ。よく宿泊客にやっているんだがな、こういう時は少し外に出た方がいい。頭を冷やすのにちょうどいい。それに」


 マスターは少し笑った。


「遠野の夜の山は、色々と教えてくれることもある」


 私は桐也を見た。桐也は少し考えてから頷いた。


「行きましょう」と弥子ちゃんが言った。「私も行きます」



 ◇

 夜の九時過ぎ、マスターの4WDに五人で乗り込んだ。

 助手席に私。後部座席に桐也、香里、弥子ちゃん。


「でかい車ですね……」

「遠野の山道を走るにはこのくらいいる。なにせ、文字通りの道なきも道を走る事もあるからな」

「無いんですか、道」


 私たちは何処を走らされるのだろう。

 流されてとんでもないことになって気がする。


 マスターはエンジンをかけた。そして遠野駅前を出発する。


 遠野の夜は暗かった。街灯が少ない。空が広い。東京では見えない星が、頭上に広がっていた。


「綺麗……」


 香里が窓から顔を出して言った。


「遠野は星が綺麗なんです」


 弥子ちゃんが言った。


「光が少ないから」

「なんかこういう時に星が綺麗とか言うのって死亡フラグじゃないっすか」

「縁起でもないことを言うな」



 ◇

 マスターは遠野物語ゆかりの地を案内しながら走った。

 デンデラ野。老人が姥捨てされたという野原。今は静かな草地だ。

「昔は口減らしのためにな、老人を野に捨てていたんだ。全国各地にある姥捨て山の伝説って奴だ」

「なんかこう……遠野って、綺麗なだけじゃないんすね」

「どこの土地も、綺麗なだけじゃない」とマスターは言った。「ただ遠野はそれを、物語として残してきた。隠さずにな」

「隠さずに……」


 日本全国に、隠された裏の歴史はある。例えば、六部殺し。旅の巡礼者を快く迎え入れ、そしてその路銀目当てに殺し、その財で豊かになったという逸話。中には、巡礼者の肉を食ったところもあったという。

 今でこそ研究され暴かれているが、ずっとそれらは隠され続けていた。

 姥捨て山もそうだ。色々な言い伝えで隠されてきた。捨てたのではなく、山に呼ばれた。神様の元に、浄土に行った。神に娶られた。あるいは――山のぬしや化け物に食べられた。

 そういった伝説の裏には、口減らしで老人や子供を殺して捨てた、あるいは食った事すらある――その事実が隠しされていた。


 だが、遠野は違った。

 デンデラ野には母を捨てた。

 そう、堂々と伝わっている。口減らしという歴史の闇を、ひた隠しに消し去ろうとは……していなかったのだ。


「そしてデンデラ野に捨てられた老人たちは、食っていくために毎日山を降りて里で働いては、日が暮れると再びデンデラ野に戻って行ったんだ」


 ……。

 遠野は別の意味でも一味も二味も違っていた。

 口減らしで捨てられた老人たちが山から下りてきて働いてそして山に戻っていく。

 アグレッシヴすぎるだろう、遠野の老人。




 ◇

 山道に入った。

 マスターの4WDが、山中の細い道をぐんぐん走っていく。


「速くないですかこれ」

「大丈夫だ、慣れてる」

「運転手が慣れてても同乗者は慣れてないんですが」


 木々の間を、ヘッドライトが照らしている。左右から枝が迫ってくる。


「うがっ、あっ!」

「うーわ揺れる!」


 もはや道などあってないようなものだった。

 アスファルト舗装はとっくになくなり、山の中をただただ突っ切っている。


「どこへ行ってるんですか、これ」

「マヨイガだよ」


 マスターは言う。


「といっても、実際に逢えるかどうかはわからない迷う家だ。色んな人から聞いた、ここにマヨイガがあるらしいぞって場所を巡る散策だよ」

「それで、出会った、ことは、あるんですか?」


 香里の言葉に、


「ないな!」


 マスターは笑顔で言った。

 無いのかよ!


「まあ、ただの伝説だからな」


 桐也が言う。


「拝み屋として、マヨイガはあると思うんですか?」


 弥子ちゃんが桐也に聞いた。


「どうだろうな。だが、人が迷い込む異界、浄土の話はよくある。マヨイガじゃないけど、俺も一度迷い込んだ事はある。あの時は――」


 その時だった。


「止まってください」


 私は言っていた。

 気づいたら言っていた。

 マスターが速度を落とし、車を止めた。


「どうした」

「あそこ」


 私は助手席の窓を指差した。

 木立の間。ヘッドライトの光が届かない、少し先の暗がり。


 白いものが、立っていた。

 人の形をしていた。

 少女の形を、していた。


「……」


 誰も喋らなかった。

 白い少女は、こちらを見ていた。

 いや、見ていたかどうかはわからない。ただ立っていた。静かに、ただ静かに、木立の間に立っていた。


「先生」と香里が掠れた声で言った。「あれ……」

「見えてるか」

「……見えてる」


 マスターがエンジンを切ると、山の静寂が押し寄せてきた。虫の声。風の音。

 白い少女は、消えていた。


「今のは……」

「わからない。だけど俺達全員が視た……幻とかじゃなさそうだ」

「幻だよ」


 桐也が言った。

 だが、それは決して、冷笑し否定する言葉では無かった。


「実在しないものは、それが視えたら全ては幻だ。肉眼じゃなく、脳が視た幻だ。ただ――その原因が何か、によって変わる。

 あれは……見間違いや、俺たちの心が見せたものじゃない。

 確かに、あそこに……何らかの意思、あるいはその残滓が――あった」


 そして、彼女のたっていた方向には――何かがある。

 そんな、気が――確信があった。


「……行きましょう」


 弥子ちゃんが言った。



 車を降りて、白い少女の消えた方向へ歩いた。

 懐中電灯をマスターが持ってきてくれた。

 木々の間を進む。落ち葉が足元で鳴る。


「ついて来てもいいんですか、マスター」

「俺抜きで迷子になられてもな」


 確かにそれはそうだった。

 どのくらい歩いたか。五分か、十分か、それ以上か。感覚が狂っていた。

 やがて――木立が開けた。


 そこには、家があった。


 一軒の家が、山の中に建っていた。


 古い農家だった。茅葺き屋根。板張りの壁。しかし朽ちていなかった。手入れされているかのように、ただそこに建っていた。


 明かりがついていた。

 囲炉裏の光だろうか。窓から、オレンジ色の光が漏れていた。

 煙が、細く立ち上っていた。


「……マヨイガ」


 マスターが、小さく言った。


「本当に、あったんですね」


 香里の声が震えていた。


「ああ」


 マスターは静かに言った。静かに――しかし、感動に打ち震えているようだった。


「遠野ではたまに、辿り着く人間がいる。ただ、翌朝にはその場所に戻れないんだ。どこを探しても、家が見つからない」

「それが遠野物語の――」

「ああ、マヨイガといふ家あり、だ」



 ◇

 私たちは、用心深く、その敷地に足を踏み入れた。


 戸を開けた。

 軋む音がした。

 中に入ると、囲炉裏に火が入っていた。

 誰もいなかった。

 しかし誰かがいた痕跡が、あらゆるところにあった。

 囲炉裏の傍に、小さな着物が畳んで置いてあった。子供の着物だった。

 書物が置かれてあった。古い本だった。物語の本、そして……点字で記された本だった。


 テーブルの上に、料理が並んでいた。

 それを見て、香里のお腹がきゅるるると音を立てていた。


「美味そうっすねー。あれだ、物語のマヨイガって、何かひとつもっていっていいってありましたよね。だったらここは……」

「食べるな」


 桐也がぴしゃりと言った。


「なんでですかー」

「ヨモツヘグイという言葉がある。黄泉の国の食物を食べた者は、現世に戻れなくなるという話だ。

 かつてイザナミは黄泉の国のかまどで煮炊きした食事を食べたがゆえに、黄泉の国の者になってしまい戻れなくなった、という神話がある」

「……げっ」


 香里が声を上げる。

 桐也が言ったのは古事記のエピソードだった。


「このマヨイガの食事が、そうだと?」

「……わからない。だが、黄泉でないにしても異界であることに変わりはない。念のため、口にしない方がいいだろう」

「……プロの拝み屋がそう言うのなら、そうなんだろうな」


 私たちは桐也の忠告に従う事にした。


「遠野の山で神隠しで消えた人間は、もしかしたら……ここの食事を食べてしまった人間なのかもしれないな」


 マスターが言った。

 マヨイガ。旅人をもてなし、何かひとつ持って帰ってよい。幸福と富をもたらす家の伝説。

 しかし……その裏には、あるいは。


「人間の価値観だけで測れるものじゃ、ないのかもな」


 静かだった。

 ぱちぱち、と。囲炉裏の火が、ゆっくりと燃えていた。



 ◇

 そして、そこに、いた。

 正確には、そこに、あった。

 壁際に、オシラサマの人形が置かれていた。

 二体。男と女。木彫りの、細長い顔をした人形。

 布を纏っていた。よく見ると、その布は古かった。何十年も前のものに見えた。

 そして、人形の周囲に、白い糸が絡まっていた。

 蜘蛛の巣のように。あるいは繭のように。白い糸が、人形を、部屋の隅を、床を、細く覆っていた。


「これは」


 私は言った。


「まゆが、ここにいた証だ」


 桐也が答えた。

 囲炉裏の火が揺れた。

 その時だった。


 私たちの視界が、歪んだ。

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