第2話 没
主である五日市家は、緑風荘が焼けたことで住む場所を失い、しばらくは町外れの古いアパートを借りて暮らしていた。
しかし、先代である父は高齢のうえ病を患っており、階段の上り下りだけでも息を切らすような有様だった。冬になれば隙間風が吹き込み、夏は蒸し暑い。もともと長く住むための場所ではない。
だから洋さんは決めたのだ。
まずは家を建てよう、と。
緑風荘の再建より先に、自分たちが生きていくための家を。
だが、その決断を快く思わない者は少なくなかった。
「緑風荘を再建するのが先だろう」
「座敷わらしの宿で儲けてたくせに」
「自分の家だけ新しくするなんてなぁ」
電話口で怒鳴られたこともある。匿名の手紙が届いたこともあった。中には、「座敷わらしが愛想を尽かしたから燃えたんだ」などと書かれたものまであったという。
洋さんは、それらに反論しなかった。
ただ頭を下げ、黙って働いた。
昼は建設会社に勤め、夜は設計図と睨めっこをする。休みの日には焼け跡へ通い、煤だらけになりながら使えそうな木材を拾い集めた。父はそんな息子を見て、「無理するな」と言いながらも、最後まで再建を諦めなかったらしい。
だが、その父も再建を見ることなく亡くなった。
病室で、最後にこう言ったという。
「……座敷わらしは、亀麿様は、まだいる」
この鶴彦は子々孫々、五日市家を守護する。そう言い残して亡くなり、そして座敷わらしとして家を守り続けてきたと伝わっているのだから。
洋さんは、その言葉だけを支えにした。
そして七年。
長い歳月の末に、緑風荘は再び遠野の地に姿を現した。
以前よりも部屋数は少ない。だがそのぶん、一部屋一部屋に手が行き届いている。焼け残った柱や梁も丁寧に磨かれ、新しい木材と違和感なく組み込まれていた。
玄関を開けると、木の匂いがする。新品の匂いではない。長い時間を生き抜いてきた家の匂いだった。
再建後の緑風荘は、むしろ以前より評判が良くなった。
宿泊客たちは皆、どこか不思議そうな顔で帰っていく。
夜中に子供の足音を聞いた。
誰もいない廊下で鈴の音がした。
部屋に置いた玩具の位置が変わっていた。
小さな男の子が笑っていた——。
座敷わらしが現れるという「延寿の間」には、宿泊客が自由に書き込める大学ノートが置かれている。
そこには、そんな体験談が何冊分にもわたって残されていた。
しかも、そのほとんどが再建後のものだった。
ページをめくるたび、様々な筆跡が並ぶ。
『夜中、枕元で小さい子供が正座していました。怖くなかったです』
『帰ってから宝くじが当たりました』
『亡くなった祖母に似た声で"またおいで"と言われた』
『娘の病気が快方に向かいました。本当にありがとうございました』
まるで、この宿が再び息を吹き返したことを祝福するように。
それでも世間には、相変わらず好き勝手なことを言う者がいた。
「座敷わらしなんて、最初からいなかったんだよ」
「だから燃えたんだ」
「いや、違うね。出て行ったから燃えたんだよ」
酒の席で笑いながら、そんなことを言う人間は今でもいる。
だが——もし彼らの言葉が正しいのなら。
どうして今も、目撃談は増え続けているのだろう。
どうして宿泊客たちは、あんなにも楽しそうに笑って帰っていくのだろう。
どうして、一度来た人間がまた戻ってくるのだろう。
冬の夜。
誰もいないはずの廊下を、小さな足音が駆けていく。
客室の隅に置かれた風車が、ふっと回る。
誰かが、くすくすと笑った気がする。
そう。
確かにいるのだ。
緑風荘に、座敷わらしはいる。
今までも。
そして、これからも。
◇
私はこの話を記事にしようとしていた。
岩手県二戸市、緑風荘。焼失から七年、奇跡の再建を果たした座敷わらしの宿。その再生の物語を書こうと、私は何度も現地に通い、洋さんに話を聞き、延寿の間のノートを読み、原稿を書いた。
我ながら、良い原稿だと思っていた。
思っていたのだ。
「没」
私の意志と希望、思いを木っ端みじんに打ち砕き打ちのめしたその言葉は、実に簡潔、そして有無を言わせない一言だった。
出版社の編集部ロビーで、オカルトマガジン「月刊レムリア」の編集者は私の渾身の原稿を一瞥し、それだけ言った。
「没って……長谷田さん、そりゃないでしょう」
ここまで書き上げたのに。そう未練がましく食い下がる私に、しかし編集者は涼しい顔でその視線を受け流した。無精ひげも処理していない顔で恨めしそうにする私を、彼は電子タバコを口に含みながら見ていた。
「だってねえ」
ふう、と息を吐く。
「いや、いい話だと思いますよ? 不慮の事故で焼失した、岩手の座敷わらしの出る有名老舗旅館、緑風荘。その焼失から一家や従業員たちを襲う苦難の運命と誹謗中傷。その中で力を合わせ、何年もかけて旅館を再建していく再生の物語。いや、泣かせて感動させてくれるいい記事ですよ」
「だったら!」
「でもねえ」
私の言葉を遮り、彼は言った。
「読者は、喜ばないんすよ」
「喜ばないって……今、感動するって言ったじゃないですか」
「読者が求めているのは、ざまあ、なんすよ」
私は少し黙った。
「ざまあ……?」
「ざまあみろ、ってやつ。古い格言で言うと、他人の不幸は蜜の味。隣の貧乏鴨の味。心理学でいうシャーデンフロイデ、ネットスラングのメシウマ……。
なんで十数年前にあの宿が火事にあった時に全国ニュースになったか、知ってます?
まさに今言ったそれなんですよ。座敷わらしがいると言われていた有名老舗旅館が焼失した。みんな言った、座敷わらしがいるのに火事なんて……出て行ったんだな、ざまあ。ってね」
「ですが、座敷わらしは……」
「ええ、出て行ったのではなく、むしろ守ったんでしょう。火事の時に子供の声で『逃げろ』と聞こえたという証言。
そして宿泊客に死者どころか怪我人すら出なかった。
すごい話だと思いますよ。まさに奇跡だ! ……だからこそ、みんな興味はない。大多数の読者はね、他人の破滅は大好きだけどその復活なんてどーーーーー……でもいいんですよ」
私は反論したかった。
だが、できなかった。
事実だからだ。
少なくとも、私もそう感じていた。
それでも。
だからこそ、緑風荘の奇跡の復活を記事にしたかった。文章にしたかった。作品にしたかった。そのために何度も二戸まで通い、取材してきたのだが。
「というわけで没。次はもっと、読者のゲスな快楽中枢をくすぐるようなセンセーショナルな原稿頼みますね」
にべもなかった。
◇
編集部のビルを出ると、十月の風が顔に当たった。
私はしばらくの間、空を見上げていた。
灰色の雲が低く垂れ込めている。雨になるかもしれない。
岩手まで、二戸まで行って。取材して、書いて。
それが「没」の一言で終わる。
まあ、いつものことだ。
私はため息をついてから、鞄の肩紐を直し、歩き出した。
さてどうするか。別の所に企画を持ち込むか。しかし確かに、あの編集者の言葉は正論だ。他のところに持ち込んでも同じ反応だろう。
ならばネット記事にするか。あるいは、ノンフィクションではなく、この話を創作として——
「あ、いたいた。せんせー。センセーイ! 先生ー!」
背後から声がした。
振り返ると、大きなカメラバッグを肩にかけた女の子が小走りで近づいてくるところだった。
黒い髪をポニーテールに束ねた、活発な印象の女子高生だ。動きやすそうなアウトドアジャケットの胸元に、小型のアクションカメラが光っている。常時録画、ということだろう。
夕海香里。
かつてとある案件で行き会い、以来なぜか私のことを「先生」と呼んで懐いている女の子だ。私はオカルトライターであって高校教師ではないのだが、彼女の中でその区別はどうやら存在しないらしい。
ちなみに彼女は高校生ながら、それなりのフォロワーを抱えるYouTuberでもある。オカルトから地方グルメから心霊スポットから何でもネタにする、節操のない配信者だ。
「収穫はどうでしたか」
「没だった」
「あー、でしょうね」
ちっとも驚かない顔で言った。
「まあそうっすよね。緑風荘の再建話、感動はするんですけど……再生系って数字取れないんですよ、今。私のチャンネルでも試したことあるんですけどね」
「お前もか」
「お前もか、じゃないですよ。現実ですよ現実。あ、コーヒーおごってくださいよ。話があるんです」
「断る。俺みたいな大の大人が女子高生と……おい聞けよ」
彼女は既にビルの向かいのチェーンカフェのドアを開けていた。




