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オシラサマの娘についての記述――奥州神蚕連続変死事件レポート――  作者: 十凪高志


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第1話 とある人物からの原稿

 これは、ある人物から預かった原稿である。

 同業者……と言っていいのだろうか。仕事や取材先で何度か出会い、交流をした間柄だ。 

 彼の名前は伏す。

 彼はこれを「オシラサマの娘についての記述」と題して私に渡し、そしてそれきり連絡が取れなくなった。

 原稿の資料として使ってもいいし、そのまま発表しても構わない。ただし、配慮はしてくれ――との事だった。

 配慮。

 原稿に目を通し、私は理解した。これは、全てをそのまま公開してよい類のものではない。あまりにも……。

 よって、作者の意向もあり原稿に手を加えさせていただいている事を、ご了承いただきたい。


--------------------------------------------------------------------------------


 ご無沙汰しております、十凪高志様。■■■■■です。

 先日の大富来屋以来ですね。あの時は失礼いたしました。


 さて、今回筆を執らせていただいたのは、折り入ってお願いしたい話し、お渡ししたい原稿があるからです。

 別途に同封したものがそれです。

 取材記――とでも申しましょうか。

 先日の岩手県は遠野市に取材した一連の出来事を記しております。


 この記録を、果たして世に公表すべきかどうか、私は今も迷っています。正直に告白すれば、全部燃やして忘れ去りたい。

 しかし私はオカルトライターです。そう言えば、十凪先生には理解していただけるでしょう。

 少なくとも「起きたことを記録する」ことだけは、自分の仕事だと思っています。故に、懊悩の末、筆を執った次第です。


 二〇二六年四月、私は編集者から渾身の原稿を没にされ途方にくれていた時に、知人の配信者である夕海香里からとある怪奇事件の話を耳にしました。先生も聞いた事があるかもしれません。


「顔が曲がって死ぬ事件って、知ってます?」


 これがすべてのはじまりでした。

 私はこの資料に、自分の取材ノート、香里の配信アーカイブや関係者への聴取記録を可能な限り集めてまとめてみました。もちろん、この段階では全て実名です。

 しかし可能ならば、もし十凪先生がこの記述が世に出すことがあるのなら――どうか寛大なる配慮をお願いしたく思います。 

 記録、として記してあることと矛盾しているかもしれませんが、この出来事は――あまりにも■■■■だからです。

 私には責任がある。義務もある。しかしそれ以上に――。

 いや、これは十凪先生に判断していただきたい。そして私はその判断に従います。


 ただ一つだけ、あなたに、そしてこれを読んだ人にお伝えしておきたいことがあります。

 もし、あなたが遠野に行く機会があったら。

 上郷の山の方へ、夕暮れ時に一人で歩いてみてほしい。

 白い少女と、その傍らに立つ男の姿を、あなたも見るかもしれません。

 そのときは、どうか――


 決して、近づかないでほしい。



 二〇二六年 ●月 ×日

       ■■■■■

--------------------------------------------------------------------------------


 東京・世田谷の古い住宅街に、その一軒家はあった。

 母屋は築五十年を超えた木造二階建て。隣に寄り添うように、酒倉を兼ねた離れが建っている。昼間であれば、軒下に吊るされた杉玉と、手書きの「地酒・各種取扱」という木札が目に入るはずだった。

 だが夜の十時を回った頃、近所に住む主婦が異臭に気づいて立ち止まった。


「なんか……酒が腐ったみたいな。いや、それより甘ったるい、変な匂いがするんです。蜂蜜みたいな、でもそれより重たくて、なんか……」


 通報を受けて最初に駆けつけたのは、世田谷署の吉村市彦巡査だった。二十六歳。警官になって四年になる。

 離れの引き戸の前に立ったとき、彼はまず匂いを感じた。

 甘い。異様に甘い。蜜のような、繭のような、生き物が何かを分泌するときの、粘りのある甘さだった。それが腐敗臭と混じり合って、夜気の中に重く沈んでいた。

 引き戸に手をかけると、鍵はかかっていなかった。

 引いた。


 薄暗い裸電球の下に、女が倒れていた。

 いや。

 女だったもの、と言ったほうがいいかもしれない。


「うっ……」


 吉村は思わず顔をしかめた。

 町のお巡りさんに過ぎないとはいえ、警察官だ。死体を見たことはある。交通事故の現場にも立ち会ったことがある。だが「これ」は、彼が今まで見たどんな遺体とも違っていた。


 顔が、縦に伸びていた。

 額から顎にかけて、異様に長く引き伸ばされていた。まるで徳利を無理やり縦に引っ張ったように。頭蓋骨そのものが、内側からゆっくりと押し広げられたように歪んでいた。


 眼窩は斜めに引き裂かれ、左目が右の頰骨のあたりまでずれ落ちていた。口は細く裂け、上下の歯列がまるで鍵盤のように波打っていた。

 それでいて、皮膚はほとんど破れていなかった。

 骨と肉が内側から別の形に再構成されたかのように。最初からそういう頭蓋骨だったとでもいうように。静かに、ただ静かに歪んでいた。

 女の両手はまだ、半分空になった一升瓶を握りしめていた。瓶の表面には白く細い糸のようなものが幾筋も絡みつき、電球の光の中でゆっくりと、呼吸するように揺れていた。


 吉村巡査は無線機を床に落とした。

 それから、吐いた。

 裸電球の灯りに照らされて、白い蛾が動いていた。


 被害者は厚楽良子、四十三歳。酒の卸売業者だった。

 岩手県遠野産のどぶろくを買いつけて東京で売ることを専業としていた、とのことだった。

 司法解剖の結果、死因は「頭蓋骨の異常変形による脳圧迫および神経系の壊死」とされた。

 担当した法医は調書に、困惑を隠さずこう記した。――変形は生前に生じており、外傷の痕跡は認められない。骨格の変形を説明しうる既知の病理は存在しない。

 骨が動いた瞬間、視神経、聴神経、延髄が順に引きちぎられるような苦痛があったはずだと、その医師は後に語った。


 事件はすぐにネットに流れた。


「顔が徳利みたいに縦長に伸びて死んでたってマジか??

「顔そのものが、骨ごと変形してたって……」

「恐怖で歪んでいたとかじゃなくて?

「死因が頭蓋骨の変形による脳圧迫らしいよ、つまり死ぬ前に顔が変わった」

「酒飲みすぎた罰やろ」「

「病気じゃないの? 顔が変形する病気とかあるでしょ」

「骨格ごと歪むのは病気じゃないだろ」

「つーかこれ事件なの?事故なの?他殺?自殺?」

「怖いのは死に方よりなんで死んだかわからないことだよな」


 憶測が飛び交い、議論が白熱した。


 厚楽良子は毎年、何度も遠野の上郷や附馬牛を訪れていたという。養蚕農家や小さな酒蔵を一軒一軒回って「どうか安くしてくれ」と頭を下げ、値切り、そして帰り際にこう言っていたという。


「この土地の伝統を東京に広めてあげてるんだから」


 遠野はどぶろく特区第一号だ。それを活かさない手はない。遠野の人間は物を売るということがわかっていない——。

 彼女がそう言っていたと、遠野の酒蔵の主人は後に、ぽつりと話した。言葉の端に、何の感情も乗せずに。



 厚楽良子の死から三日後、第二の被害者が発見された。

 東京都内、今度は港区のマンション一室。被害者は、斉藤義彦。

 顔が、発酵したように膨れ上がった男だった。

 皮膚の下で何かが膨張し続けているように、頰も額も顎も、均等に、静かに盛り上がっていた。目は細く押しつぶされ、鼻だけが奇妙に尖って残っていた。

 所持品から、遠野産ホップ百パーセントと謳うビールの見本瓶が、六本、出てきた。ラベルには遠野の山並みと「純国産」の文字が躍っていた。

 それが偽物であることを、まだ誰も知らなかった。

 ビール瓶に止まっている、白い蛾が翅を動かしていた。


 私がこの話に関わり始めたのは、この頃のことだ。

 当時の私には、何が起きているのか、何も知らなかった。

 ただ、没にされた原稿と、消えかけた仕事と、あの白い蛾の記憶だけがあった。


 これはその記録である。


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