第12話 老職人
伝承園の奥に、工芸館があった。
農家の納屋を移築したそこは、板張りの床に木工の道具が並ぶ、小さな工房の様相をしていた。木の香りがした。新しい木ではなく、長い時間を生き抜いてきた木の香りだ。
奥のロクロの前に、老人が座っていた。
七十を過ぎているだろう。小柄で、日焼けした顔に深い皺が刻まれている。手が大きかった。職人の手だった。
「千葉さん」と弥子が言った。「お連れしました」
老人――千葉徳蔵は振り返った。
私たちを見て、それから弥子を見た。
「弥子ちゃんの連れか」
「はい」
「んじゃ、まあ座れ」
丸太を輪切りにした椅子が、工房の隅にいくつかあった。私たちはそれを引き寄せて、老人の前に座った。
「まあ、軽く話は聞いてる。オシラサマについての話だったな。
ここのオシラサマはな」
千葉老人は手を動かしながら言った。ロクロの上の木を、削りながら話す。目は手元を見ていた。
「みんなおらが拵えたのよ」
「ほえー! 全部ですか……」
香里が思わず声を上げた。
「全部だ。何百体になるかな。数えたことはねぇが」
千葉老人は少し目を細めた。誇りとも照れとも取れる表情だった。
「山村という男のことを、聞かせてもらえますか」
桐也が言った。静かな声だった。
千葉老人の手が、少し止まった。
「さぁてな。菊池佐々木ほどじゃねえが、よくある名前だ」
「山村パターソン。そういう名前は多くないでしょう。
千葉さんに、オシラサマの人形の制作を依頼した男です」
「……」
「そこにいる彼が」桐也は私を視線で指して言う。「聞いたそうです。山村氏が自慢していた、と」
「ええ」
私は言った。
その私と桐也の言葉に、千葉老人は息を一ついて、言った。
「普通は作らねぇがな、しつこかったからな」
千葉老人はロクロを止めた。手拭いで手を拭いながら、私たちを見た。
「しつこかったぁよ、あの男は。売ってくれ売ってくれって何度も来て。神様は売りもんじゃねぇと断っても、それでも来る。根負けして作ってやったよ」
面倒くさかった、という感じで彼は首を振る。
それはそうだろう。熱意を全開にしたコレクターというものは、相手にすると非常に厄介だ。
「ただし」と千葉老人は続けた。「目は入れなかった」
目を……?
桐也が少し前のめりになった。
「目を、入れなかった」
「そうだ。普通はな、オシラサマを作る時は最後に目を書くか彫る。それが魂を呼び込む儀式みたいなもんだ。仏像でいう開眼供養と同じことよ。目がなければ、ただの木切れだ。神様でも何でもない」
私の胸の中で、何かが引っかかった。
「だから売っても構わねぇと思った。神様を売るわけじゃねぇ、ただの木の人形を売るんだからな」
千葉老人は静かに言った。
……目を、入れていない。
違う。
それは違う。違うはずだ。
だって、私は……。
私の脳裏に記憶が蘇る。
現場に落ちていたオシラサマ。あの白木の顔。
目が、こちらを向いていた。
目が合った。私と、オシラサマの目が。
視線を外すことができなかった。
そうだ。あれは――目が、入っていた。
「目が、入っていた」
私の口が、それを告げた。独り言のように、口を突いて出た。
「目が……?」
「……そうか」
桐也と千葉老人が言う。
「画竜点睛を欠いている……とでも思ったんだろう、あの男は。コレクターとして、それは我慢がならなかった」
桐也が言った。
……それはあるのかもしれない。
そしてもし、彼の悪い噂通りに、山村が呪物たちに敬意を抱いていないとしたら……。
「……自分で、目を、入れた」
「そうだろうな」
私の言葉に、千葉老人は頷いた。
「目を入れるというのはな、魂を呼び込む行為だ。ちゃんとした儀式を経てやれば、正しいものが入る。だがそれを、知らない者が、儀式もなしにやれば——」
千葉老人は言葉を切った。
続きは言わなかった。
言わなくても、わかった。
入ったのだ。呼び込んだのだ。
きっと――よくないものを。
図らずも彼の――呪物蒐集家山村パターソンの望み通り、オシラサマという神の人形が――文字通りの“呪物”と成り果てた。
「もう一つ聞かせてください」
桐也が言った。
「あの人形に使った木材は、何でしたか」
千葉老人は少し間を置いた。
「桑の木だ」
「どこから手に入れたものですか」
また間があった。今度は少し長かった。
「……NPOの連中からもらったものだ。いらなくなった桑の木があるから使ってくれ、とな」
「NPO」
桐也の目が、わずかに変わった。
「名前は」
「ヤママユ会、とかいったな。天蚕の保護活動をしているとかいう」
その名前が、工房の中に落ちた。
私は手帳に書き留めた。
「その木材の残りは、今もありますか」
桐也の声が、少し変わっていた。普段より慎重な、何かを測るような声だった。
千葉老人は工房の隅を指した。
板材が数枚、立てかけてあった。
桐也は立ち上がり、近づいた。
板材の前で、しゃがんだ。
触れなかった。触れる寸前で、手を止めた。
しばらく、そのまま動かなかった。
それから立ち上がり、振り返った。
「千葉さん」
桐也の声は静かだったが、その静けさが逆に重かった。
「これは危険です」
危険。
私にはわからない。が……あのオシラサマの原材料となった木と同一のもの、と言われたら……たしかに不気味に感じてしまう。
情報があるから、の気のせいなのだろうか。それとも。
「これをオシラサマ以外の何かに使ったことはありますか」
「いや。あの人形だけだが」
「よかった」
桐也は短く言った。
「では、燃やしたほうがいいてしょう。いや、違うな。供養した方がいい。
それで解決には至らないでしょうが……」
二次災害は防げるかもしれない。桐也はそう言った。
「……わかった」
老人は立ち上がった。膝が痛そうだった。
「神様の罰かね、これは」
老人はぽつりと言った。私に聞いているのか、桐也に聞いているのか、あるいは誰にでもなく言っているのかわからなかった。
「神は――人の想いです」
桐也は言った。静かに。
「人が願い、祈り、称え、念じた想いから形作られ生まれるもの。それが神や仏、精霊、魔……そう言われるもの。
確かにいるでしょう、確かにあるでしょう。けれどそれは決して、人を裁かない」
桐也は語る。それは彼が学ぶ、天法道術の世界観らしい。
神はいない。だが神はある。彼はそう言っていた。
「あなたを罰するのは、地の法――人間社会の法律か、あるいは。あなた自身です、千葉さん」
「……」
その言葉に。
「じゃあ、おらじゃあねえな」
千葉老人は少し笑った。
「最初から目を――入れなかったからな」
千葉徳蔵は無実である。
少なくとも本人がそう言っているのだからそうなのだろう。
ほかならぬ、彼の神に向かってそう言っているのだ。
それだけ言って、老人は桑の木の板材に向き直った。
◇
工芸館を出ると、五月になろうかという空が広がっていた。
弥子が先を歩いていた。私と桐也と香里は、少し後ろに並んだ。
「ヤママユ会……といったか。件のNPOについても調べる必要があるな」
桐也が静かに言った。
「それが黒幕――と?」
「さあな。そんなふうにわかりやすいなら苦労はしないが……結論から言うと、さっきの会話でわかっているとは思うが……あの木には強い念が残っていた。
死者の念だ」
「わかるんですかー。さすが霊能……じゃなかった、拝み屋っすね」
香里の言葉に、桐也は頷く。
「あれほど強力な死者の念。そんなものを持っていたNPO、これは何かある。少なくとも、どうやってあの木をどこから手に入れたのかは調べる必要がある。
鍵はおそらく――そこにある」




