伯爵は何をしていたか2
オブーツェ伯爵は、昔から子供のことは全て信用する使用人に任せていた。何かあれば報告するように言ってあるので、子供を軟禁した後も任せきりだった。
オブーツェ伯爵がいつもより明るい表情で屋敷を出る時には、その使用人たち数名が姿を見せないことや子供が既にいなくなっていることに気づくことはなかった。
オブーツェ伯爵は処刑場に来ていた。
マリージア家の娘の処刑をこの目で見るまでが、オブーツェ伯爵のやるべきことだった。彼の身分を隠した格好は怪しさしかなかったが、処刑を見にきた群衆は気にしていなかった。
オブーツェ伯爵以外にも、多数の貴族が身分を隠して処刑を見にきていた。それを彼は冷めた目で見ていた。
マリージア家の姿は見えない。オブーツェ伯爵はキュレブが処刑をただ黙って受け入れるとは思っていなかった。なので、いつ処刑を妨害しに来るかと少しだけ警戒していた。
彼は、処刑が済み次第処刑場から離れる為、人込みを避けられる場所に一人で立っていた。
オブーツェ伯爵は、この後に処刑の様子を事細かく報告しないといけないのが億劫だった。
だが、それが終わればオブーツェ伯爵の努力は報われるのだ。
オブーツェ伯爵は、ようやく処刑台に現れた役人が読み上げる罪状を聞いていた。長々とした内容にオブーツェ伯爵は辟易した。
マリージア家の娘は、ただ静かに立っていた。その姿は、遠目でも分かるくらいみすぼらしかったが、処刑される直前なのにみっともなく泣き喚くこともしない彼女を、オブーツェ伯爵は少し意外に思った。
あの家族を甘やかしているキュレブに育てられた娘は、柔らかくどこか弱弱しい印象があった。
だが、今の彼女は貴族としての矜持を持ってこの場にいることに、その姿を見ていたオブーツェ伯爵は気づいた。
オブーツェ伯爵は、少しだけマリージア家の娘を惜しんだ。彼女がここで死ぬ運命でなければ、少しだけこの王国の未来がもっと明るいものになっていたかもしれないと無駄な考えを持ってしまった。
「今この時、大罪人アリアの処刑を執り行う! アリアよ、跪くのだ!」
ようやくマリージア家の娘の斬首が始まる。処刑人が、跪いた彼女の頭を少し動かした後、役人の合図によって首が落とされた。
マリージア家の娘は、今確かに死んでいった。
オブーツェ伯爵は、首が落ちた瞬間に騒ぎ出した群衆に少し驚きつつ、無事に処刑が終わったことに安堵した。
「終わったか」
群衆の歓声の大きさに、顔をしかめながら処刑場から出ようとオブーツェ伯爵は素早く処刑台に背を向けた。
待機させていた馬車に乗り込んだオブーツェ伯爵は次の目的地へと向かった。立ち去った後の処刑場で起きた騒動を知らずに、彼を乗せた馬車は走り去っていた。
馬車の中でオブーツェ伯爵は、子供の処分について考えていた。
「あの女に会わせた後、二人まとめて始末するのが一番だな。領地に戻るのは、面倒だが仕方がないか」
領地に連れて行った子供の教育を始めると同時に、オブーツェ伯爵は愛人を領地の屋敷にある地下牢に閉じ込めた。子供が反抗した時の脅しとしてすぐに使えるようにしたかった。
使用人の報告で、領地に連れて行くと言われた愛人は颯爽と馬車に乗り込みやっとオブーツェ伯爵に会えると喜んでいたが、地下牢に入れようとすると激しく抵抗したがきちんと地下牢に閉じ込めたとのことだった。
オブーツェ伯爵は、とりあえず愛人が死なない程度に世話をするよう使用人に命じた。
子供を王都に戻した時、愛人を地下牢に放置したのは単純に移動させるのを忘れていただけだ。それほど子供はオブーツェ伯爵に従順だった。
子供との約束を反故にしてもいいのだが、邪魔者を始末するのは一度で済ませたかった。
今は、第二王子とナラメの毒殺未遂事件が二人への同情を誘っているが、大罪人の処刑も終わった後でいつまでもそれが続くとは考えられない。子供の存在が、いつ非難の嵐を起こすかわからないのだ。
もうすぐサルマはオブーツェ伯爵の下に戻ってくる。元気になったサルマに余計な心労を掛けさせるわけにはいかない。
オブーツェ伯爵とサルマの人生に、子供と愛人はもういらなかった。
面会謝絶されているほど弱っているサルマはこの騒ぎを知らないはずだ。オブーツェ伯爵はこの先も知らないまま妻には穏やかに過ごしてもらうつもりでいた。
世間には、ナラメは毒殺未遂事件のせいで気を弱らせたので、事件を忘れる為に隣国へ行ったことにする。ナラメが隣国に行ったと偽装するのを忘れないようにしなければいけない。
サルマには、隣国の貴族に望まれて嫁入りしたとでもごまかせばいい。
サルマは、その場にいられなかったことを悲しむだろうが、優しい妻はオブーツェ伯爵の嘘を信じて嫁いだナラメの幸せをただ願うだけだろう。
オブーツェ伯爵が次にすることは、跡継ぎとして親戚から養子をもらうことだ。オブーツェ伯爵は、妻を社交界に戻す気はなかった。
どうせ、あと数年で隠居する気でいるので、社交などオブーツェ伯爵が選んだ跡継ぎ夫妻にやらせればいいのだ。
「あの女の子供にしては役に立ったが、もう生かしておく理由もない。今日中に領地に行く準備をっ」
乗っていた馬車が突然止まり、大きく揺れたことでオブーツェ伯爵は思わず前方へと体勢が崩れる。
体勢を立て直したオブーツェ伯爵は、御者を呼びつけて叱りつけようと前方をこぶしで叩くが、御者からの反応がない。何度も合図を送るが、一向に反応がないことに異様さを感じて扉にある窓から外の様子を伺う。
王都の中心に向かっていたはずの馬車が何故か木が生い茂る場所に停まっていた。
ようやく彼は、この異常な状況に危機感を募らせる。
「やあ、久しぶりだね。クゾーナ」
自分しかいなかった馬車の中、突然現れた男に名前を呼ばれたオブーツェ伯爵は、心臓が止まりそうになるほど驚いていた。
オブーツェ伯爵の対面の席に座っているのは、いつも優しげな笑みを絶やさない男だった。
「……キュレブ」
「そう、君の友人だったキュレブ・マリージアだ」
オブーツェ伯爵との関係を、過去形で友人だったと柔らかな笑みを浮かべて言い切るキュレブとは、二十年以上前からの付き合いがあった。
成人して、貴族として認められ正式に王城での催しへ参加できるようになった時、二人はよく話をするようになった。当時、婚約者だったサルマとマリージア夫人も気の合う関係になっていた。
魔法の大家として知られるマリージア家と領地の経営に力を入れているオブーツェ伯爵家はあまり接点がなかった。魔法の才能を遺憾なく発揮するキュレブと違って、オブーツェ伯爵は最低限の魔法を習得しただけで、家に伝わる秘匿魔法にも興味を持たずに領地とサルマのことだけを考えて生きていた。
お互いに興味を持つ対象が違っていたし、性格や嗜好も合いそうにない二人だったが、いつの間にか友人として親しくなっていた。
こんなことがなければ、今でも友人としていられたのだろうが現実は加害者と被害者の父親だった。
オブーツェ伯爵は、いまだに激しく動く心臓が相手に気づかれないように余裕を持った顔をしてキュレブを問い詰める。
「どうやって馬車の中に現れた。こんなことが出来る魔法なんて存在しないはず。まさかマリージア家の秘匿魔法か?」
「息子が開発した、指定した場所に移動する魔法だよ。【瞬間移動】なんてセンスのない名前だと思わないか?」
「知るか」
「それと、マリージア家に秘匿魔法は無いんだ。秘匿するような魔法なんて作らないのがマリージア家の美徳だからね」
「平然と嘘をつくな。秘匿魔法を持たない家などありえないのは、あまり魔法に詳しくない私でも知っている。御者はどうした」
「本当なんだけどな。御者は寝かせているよ。大人しくさせるには眠らせるのが一番だ」
「何故こんなことをする」
「なぜ! 何故だって! 分かっているんだろう? 知っているからだよ、君がアリアに何をしたのか。マリージア家に何をしたのか。君の娘が何をしたのか。何故君がこんなことをしたのか。全てだ!」
キュレブの叫びに、オブーツェ伯爵は息をのむ。常時穏やかな雰囲気を持つこの男が叫ぶ姿など見たことはなかった。
同時に、オブーツェ伯爵の所業を知ったキュレブが直接報復に来たと思った。
「私を殺しても意味はないぞ。お前の娘は既に死んでいるし、私は命じられただけだ」
「誰が殺すと言った? アリアを助け出せず、無様に殺された恨みが君を殺すだけで済むとでも?」
「……っ、サルマには手を出すな!」
「サルマ夫人は既に死んでいる。いくら何でも死者には何もできないよ」
オブーツェ伯爵は信じられないものを見た顔でキュレブを見つめる。彼はサルマの為にここまでしたのだ。何故キュレブは妻を死者と呼ぶのだ。
「何を言っている。サルマは療養所にいて、今日から特別な治療を受けるんだ。陛下がサルマに必ず治る治療法を受けさせると約束されたのだ!」
「なるほど、君はあの男に、サルマ夫人が治療を受ける代わりにアリアを殺せとでも命じられたのか」
「私はそこまで命令されていない! 婚約を破棄させろと命じただけだ! 殺したのはガイナー殿下とナラメで、陛下がそれを許しただけだ! サルマに何をした!」
オブーツェ伯爵がしたのは、子供に体を使ってでも第二王子とマリージア家の娘の婚約を破棄させろと命じただけ。
捕縛された娘を助けようと動くマリージア家を、それとなく煽った貴族たちを使って邪魔したのはオブーツェ伯爵だが、大罪人にして公開処刑にしたのは、国王の考えだとオブーツェ伯爵は思っている。
怯えを見せ始めたオブーツェ伯爵にキュレブは微笑んだ。
「あの二人には、もう報いを受けさせた。あとは君とあの男だけで小物は放置だ。どうせあと数年で自滅する」
「そんなことはどうでもいい! サルマに何をしたのかと聞いているんだ!」
「そんなこととは酷いことを言うもんだ。殿下と自分の娘が、今どうしているのか気にならないのか?」
「妻の無事より大事なことは無い! 弱っているサルマを攫って人質にするとは、何と卑劣なことが出来るな!」
「卑劣なのはあの男だよ。君の、サルマ夫人への愛を利用して、治療など出来ないのに治せると嘘までついて、サルマ夫人の死を隠して君を騙し続けた。サルマ夫人を人質にしていたのはあの男の方だ」
「うるさい黙れ!」
「サルマ夫人が亡くなったのは三年と少し前だったかな。心当たりはあるだろう? 君が滅多にサルマ夫人と会えなくなったと私に嘆いていただろう。その後だったのか? あの男から、サルマ夫人の治療を約束する代わりにアリアを貶めろと言われたのか?」
キュレブが言った年数。それは、オブーツェ伯爵が国王から断れない取引を持ち掛けられた頃だった。
王命まで出して成立した婚約を破棄させろと国王から密かに命じられたのだ。お前の妻はとある魔法でしか治せない、治して欲しければ言う通りにしろとオブーツェ伯爵は国王に言われた。
国王に不信感を持ったが、面会謝絶になるまで弱ったサルマの為なら友人の娘でさえ簡単に排除出来るとオブーツェ伯爵は決意した。
キュレブの話が真実でしか無いのなら、もう既にサルマ死んでいるということになるが、この時のオブーツェ伯爵は信じなかった。
「嘘だ!」
「嘘じゃないよ。何故ここに君をわざわざ移動させたと思う? サルマ夫人がここにいるからだよ」
その言葉を聞いて、オブーツェ伯爵は勢いよく扉を開け放ち馬車から飛び降りた。キュレブはその後をゆったりと追う。
「サルマ! どこだ! どこにいる! キュレブ、サルマをどこにやった!」
「何を言っているのさ、クゾーナ。サルマ夫人はそこにいる」
キュレブが指さす方を見たオブーツェ伯爵は血の気が引いた。その場所はただの地面だったのだ。
「サルマ!? 貴様! 先ほどの魔法でサルマを生き埋めにしたのか!」
「サルマ夫人は死んでいると何度も言っている。そこにサルマ夫人が埋められているだけだ。このことを調べあげるのに少し苦労したよ」
「うそだうそだうそだうそだうそだ嘘だ!」
「私に嘘をつく理由はないよ。可哀そうに、君に愛されたせいで生んだ子供を弔えず、愛人の子供と知らずに愛して、その子供も死んで別の子供をあてがわれて死んでいった可哀そうなサルマ・オブーツェ伯爵夫人」
キュレブがオブーツェ伯爵に近づいて囁いたのは、決して誰にも知られるはずのないことだった。
「……何故そこまで知っている。どうやってそれを知った!」
「それを君が知る必要は無いよ。それよりいいのか、愛しの君をここに一人でいさせるのかい?」
「サルマ、サルマ! 今出してやる!」
オブーツェ伯爵は固い地面を必死で掘り始めた。革の手袋では全く掘れていないことに焦りが出る。魔法で地面を掘り返すなど思いもせずにひたすら手を動かす。
「レイアスはサルマ夫人が療養所に行った後もよく文通をしていたんだ。娘同士が文通を始めた理由が母親たちなのは、君にはどうでもよかったんだろうね」
「サルマ! サルマ! 今助けるからな!」
オブーツェ伯爵はキュレブに話しかけられているのを無視してただ地面を掘る。キュレブもそれを気にせずただ話し続ける。
「君、結構抜けてるよね。愛しの君とか言っておきながら、サルマ夫人のことを見ていなかった。たった一度会っただけで子供が別人だと気づいて、ずっと怯えていたことなど知らなかっただろう。自分が生んだ子供の死産までは知らなかったのは幸いだったのか」
「サルマ、サルマ、サルマ、サルマ、サルマ」
「レイアスは、サルマ夫人の妄想だと思っていたそうだ。サルマ夫人の名誉の為に今まで秘密にしていた。だが手紙をもらった時、私に相談していればアリアは死なずにすんだのではないかと今も嘆いている」
「いやだ、サルマ、サルマ」
「君の愛するサルマ夫人は、君の濁った目にはどう映っていたんだろう。死んだ時の様子は知らないが、死に顔はとても穏やかだったそうだよ」
「くそ、何でこんなに硬いんだ」
「あと、君の使用人の中にあの男の手の者がいたのを知らなかっただろう? 君に、二人の浅はかな考えを報告せずに、毒を用意した奴だよ。私の家にもいたんだ。あのアリアが毒を部屋に隠していると証言した奴だ。ああ、他にもいたが君の家にいた分も含めて色々と調べるついでに処分したよ」
「助ける、必ず助ける」
「サルマ夫人の死産とその後の体調不良にも関係してそうだったが、そこまで調べる気は無くてね。サルマ夫人が死んでいたことには驚いたが、とりあえず埋められた場所だけ調べたんだ。君はきっとこうなると分かっていたから」
「サルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマサルマ」
「まだ、サルマ夫人には届かない。きっと死ぬまで君はここにいることになるだろう」
オブーツェ伯爵は必死に地面を掘っていた。皮の手袋には徐々に傷がつき始める。少しずつだが確実にサルマに近づいていることを感じる。彼はサルマがここに埋められていることを疑わなかった。
オブーツェ伯爵は、キュレブの言葉に嘘は無いと信じた。サルマはここで彼のことを待っている。
既に妻が死んでいる事実を丸ごと無視して必死に地面を掘り続けた。
その様子を見ていたキュレブは、オブーツェ伯爵と寝ている御者がいる馬車を残してその場から消えた。
御者が目を覚ました時、周りの景色が変わっていることに驚いた。時間は分からないが、明るいので朝か昼くらいだと考える。だが、ここが何処なのかは御者にはさっぱり分からなかった。
御者は馬車を操っていた時に眠りこけたと冷や汗をかいた。何故怪我一つなく無事なのか全く分からなかずただ驚くしかなかった。
御者は慌てて雇い主であるオブーツェ伯爵の姿を探し、彼が必死に地面を掘っている姿を見て更に驚いた。
オブーツェ伯爵の服は土にまみれていて、革の手袋をつけた手で必死に地面を掘っている姿は異様だった。いつから地面を掘っているのか御者は知らないが、地面はそれほど掘れていないように見えた。
御者は必死にオブーツェ伯爵を止めようとした。
しかし、地面を掘るオブーツェ伯爵はそれを煩わしいと御者を見もせずに殴りつけた後、再び地面を掘り始めた。
御者は自分だけではオブーツェ伯爵を止められないと馬車を使って助けを呼ぶことにした。
だが、周りは木が生い茂っており、とても馬車ごと移動させることは出来なかった。御者は、どうやって馬車はここまで来たのか分からずとても恐ろしくなった。
御者は二頭立て馬車から馬を放して、一頭の馬に乗った。もう一頭の馬には御者席に用意していた非常用の装備が入った荷袋を括り付けた。
御者は、オブーツェ伯爵の為の荷袋を彼のそばに置いた。無視されたが流石にいつかは荷袋の存在に気づくだろうと考えていた。
裸馬だが、手綱はついているので御者は器用に馬を操って木々の合間を縫って周りを注視しながらこの場所から脱出した。
その場に残された形になったオブーツェ伯爵は、御者がいなくなったことも気づかず必死に穴を掘っていた。少しずつだがサルマに近づいていると感じていた。
オブーツェ伯爵は、自分が汚れようと疲れが出てこようともそれを無視して必死に穴を掘る。夜になっても朝になっても彼は必死に穴を掘る。
御者が迷いに迷ってようやく王都にたどり着き、兵士に助けを求めたことでオブーツェ伯爵の捜索が行われた。
捜索隊が手つかずの荷袋を見つけたことでオブーツェ伯爵を発見した時、彼は人ひとりが埋められそうな穴の中で、汚れ切った襤褸切れのようになって死んでいた。
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