伯爵は何をしていたか1
日付も変わろうとする夜に、オブーツェ伯爵の妻サルマが生んだ子供は泣きもしないで死んでいた。
サルマが生んだ子供は死産だったので、オブーツェ伯爵はどうするべきか悩んでいた。
愛する妻に死産だったと告げる気は無い。彼は嘆き悲しむ妻の姿を見たくはなかった。
オブーツェ伯爵は、夫婦念願の子供を産婆が殺したと逆恨みして使用人に命じて産婆を始末した。これで死産だったと知る者は、オブーツェ伯爵と数人の使用人だけになった。
オブーツェ伯爵は、いっそどこからか生まれたての子供をもらってこようかと考えていた。
サルマはまだ目覚めていないので、明日までに用意すれば問題ないだろうと使用人に指示を出そうとした。
ところが、愛人につけていた使用人から愛人が双子の女の子を生んだと聞かされたオブーツェ伯爵は、何と都合の良い時に生んだものだと喜んだ。
「あの女が生んだという子供を持ってこい。二人生んだのなら、一人こちらに返してもらうのが道理だ。どちらでもいいから妻の意識が戻る前に持ってくるんだ」
「かしこまりました」
報告に来た使用人が、オブーツェ伯爵の命令を実行する為に部屋から出て行った。
「子供が出来たと言われた時は面倒だと思っていたが、こういう時には便利なものだな。他の男を連れ込んでいないのは確認済みだから、生まれたのは私の子供だというのも都合がいい。
妻に似ていなくても、私に似ればごまかしもきく。妻に似ている女が生んだ子供なら、妻にも多少似ているといいのだがな」
サルマ一筋のオブーツェ伯爵が愛人を持ったのも、愛人がサルマとほんの少しだけ似ていたのが悪かった。いつの間にか愛人をサルマと同じように愛していた。
その熱が続くことは無かったのは幸いだったが、ある程度の世話を使用人に任せるくらいには、オブーツェ伯爵は愛人の存在を惜しく感じていた。
愛人は、使用人が子供を連れ出す時に抵抗したが、オブーツェ伯爵の命令だと知ると途端に大人しくなって子供をすんなりと渡してきたと使用人から聞いている。
朝になって意識を取り戻したサルマに、持ってきた子供を妻が生んだ子供として会わせた。
サルマはいまだ疲れた様子だが、子供を見るととても喜んでいた。
ナラメという名前は、意識を取り戻したサルマがつけたものだ。
「この子はナラメだわ。この子を見てすぐに分かったの。ああ、ナラメと呼びたいって。貴方、どうかこの子の名をナラメにすることを許してちょうだい」
「許すも何も無いよ。君がナラメと呼んだならこの子はナラメと呼ばれるべきだ」
「貴方、ありがとう。ナラメ、私がお母さまですよ。こちらの素敵な殿方がお父様ですよ」
「さあ、そろそろ休まないと、ナラメのことは使用人に任せよう」
「そうね。実は、とても疲れていてすごく眠たいの。目が覚めた時、すぐにナラメに会いたいわ」
「分かった分かった。さあ、おやすみ愛しい人」
「おやすみなさい」
すぐに眠ったサルマの寝顔を愛しく思ったオブーツェ伯爵だが、使用人に渡されたナラメへ向ける視線は冷たい。
「妻の安眠を邪魔しないようにしておけ。妻が目を覚ました時にそれを抱ける配慮を忘れるな」
「はい、旦那様。ご命令通りにいたします」
常時サルマの為に動けるように教育された使用人は三人いる。サルマに不快な思いをさせることなく乳母としても働くだろう。
オブーツェ伯爵が信用している使用人たちなので、後のことを安心して任せられた。
死産だった子供は、使用人の子供と偽って葬った。
愛しい妻の胎から生まれておいて、すぐに死ぬような子供のことなど、オブーツェ伯爵はどうでもよかった。自分の子供だというのに全く悲しくなかった。
幸いにも、ナラメは、誰からも不義の子と疑われることなくオブーツェ伯爵家の一人娘として可愛がられた。サルマはもう子供を望める体ではなくなっていた。
サルマの体調が日に日に悪くなっていき、療養所で静養すること医者に勧められるほどに体が弱くなっていた。
サルマが療養所に行くと知って、三才になったナラメは大泣きしてそばから離れようとしなかった。
「いや! いやー! おかあさまいかないで!」
「私の可愛いナラメ、こんなに弱ってしまったお母さまを許して。きっと体を治してここに戻ってくるから、ね?」
「おかあさま! 治してきて! きっとよ!」
「ええ、きっと治してくるわ。お母さまは会いに来られないけれど、ナラメはお父様と一緒に、私に会いに来てね」
「はい! おとうさまと会いに行きます!」
「ふふ、私のナラメ、可愛いナラメ」
その様子をオブーツェ伯爵は、サルマに気づかれないところで苦々しい顔をして見ていた。愛人の子供が、少しの時間でも自分より愛しい妻を独占する姿が憎かった。
サルマへ会いに行く為、療養所へはナラメを連れて頻繁に通っていた。
そうして四年後、ナラメ・オブーツェは死んだので、オブーツェ伯爵は次のナラメ・オブーツェを用意した。
サルマの為に連れてきたナラメ・オブーツェの一生は、たったの七年で終わった。
ナラメが死んだのは、クゾーナ・オブーツェが療養所にナラメを連れて馬車での移動中のことだった。
ある日、休憩する為に馬車を止めた場所が悪く、ナラメはそこで転倒して岩で頭を強く打って死んだ。
オブーツェ伯爵は、ナラメの死を隠した。その場にいたのが、オブーツェ伯爵と彼が信用する使用人たちしかいなかったから出来たことだった。
すぐに王都にある屋敷へ戻り、ナラメの遺体を片付けるように指示を出す。
サルマには、急用が出来た為に行けなくなったことを詫びる手紙を書いて使用人に持たせた。
オブーツェ伯爵は、ナラメの死を少しも悲しむこと無く、むしろ忌々しく感じていた。
だが、そもそも馬車を止める場所を決めたのも、ナラメを馬車から降ろして注意することも無く放置していたのはオブーツェ伯爵だった。
使用人を一人でもナラメにつけていれば防げた事故だった。
ナラメの死を隠し続けることは難しいので、今後をどうするかと悩んでいたオブーツェ伯爵だったが、自分にはもう一人子供がいることを思い出した。
そうして、オブーツェ伯爵は使用人に命じてもう一人の子供を、領地でナラメに仕立てあげることにした。
新たに連れてきた子供の名前に興味はなかった。子供はナラメになるのだから、名前など覚える必要などない。
子供は平民として暮らしていたので、貴族として暮らしていたナラメと比べると似てはいるが、どこか薄汚れた印象を持っていた。
オブーツェ伯爵は、子供を一瞥しただけでそのまま使用人に世話をするように指示して、執務室から二人を退出させた。
使用人が、子供をナラメとして上手く教育していくだろう。
周りには、ナラメは怪我の療養の為に領地で暮らすことになったと話すことにしている。
子供を屋敷に連れてくる時に、使用人が大げさにナラメが怪我をしたと騒いで部屋に閉じこもっていてもおかしくない状況にした。
怪我をしているのに屋敷で医者の姿を見ない不自然さを、何も知らない使用人たちは感じることはなかった。彼らは、自分が知らないうちに医者が来ているものと思い込んでいた。
そして、オブーツェ伯爵は心苦しいがサルマにも同じ話をした。
頻繁に療養所へ会いに来ていた娘が、急に来なくなったことで悲しませたくはなかった。
サルマに話をした時、ナラメの怪我を心配して悲しんでいたことが、オブーツェ伯爵は気に入らなかった。話さなければよかったと少し後悔した。
だが、当分の間は妻と二人きりで会えると思いなおすとオブーツェ伯爵の機嫌はよくなった。
ナラメに交流させていた貴族の子供はそこまで多く無かったが、いちいち療養の為に領地に引きこもる話をするのは面倒くさかった。
特に、マリージア侯爵家の娘とは文通するくらいには仲が良い為、手紙も送れないくらいの後遺症があるという理由で、文通を断ろうとオブーツェ伯爵は考えていた。
マリージア家の娘からは、ナラメへの見舞いの手紙をもらった。友人であるキュレブからも、見舞いの言葉だけで済んで助かった。
オブーツェ伯爵は、子供に渡しておくようにと使用人に預けてそのことはそのまま忘れてしまった。
子供には、早く世間に見せられるように厳しく教育を施すように使用人に命じた。
ナラメが死んだことは、誰にもばれてはいけないのだ。どこからサルマの耳に入るか分からない。
可愛がっていたナラメの死のせいで、妻の容体が悪くなることをオブーツェ伯爵は避けたかった。
ナラメの出生のことを知っているのは、使用人の中でも特にオブーツェ伯爵の腹心ともいえる数人だけ。
王都にあるオブーツェ家の屋敷で働くほとんどの使用人は、ナラメのことをサルマの子供と信じていた。
使用人たちは、部屋から出られるようになったみすぼらしい子供を見ても、怪我のせいでやつれてしまった可哀そうなお嬢様として同情していた。領地で療養することを知って、早く良くなるようにと教会で祈る者もいた。
事が誰にもばれなかったのは、ナラメと後から連れてきた子供が瓜二つの双子だったからだ。
オブーツェ伯爵は、先に連れてきた子供が双子だったことは覚えていたが、新たに連れてきた子供がここまでナラメに似ているとは思わなかった。
愛人のことは使用人に全部任せていたし、細かい報告などはさせていなかったので子供の容姿などオブーツェ伯爵は知らなかった。
まだ幼いのだから、数年世間の目から離せば成長と共に顔立ちも変わったと言い訳できる程度にナラメと多少似ていれば良いと思っていたが、オブーツェ伯爵には嬉しい誤算だった。
双子でも、ナラメとあまりに似ていなければ王都の屋敷では部屋から出さずにそのまま領地に向かわせようと考えていた。
瓜二つの容姿なので、試しに何も知らない使用人の前に子供を出してみたが、誰も子供がナラメではないと気づかなかった。
これなら多少教育すれば、すぐに療養所で寂しい思いをしているサルマに会わせてあげられるだろうとオブーツェ伯爵は喜んでいた。
子供は、使用人の厳しい教育に耐えて必死にナラメになろうとしていると報告されている。
オブーツェ伯爵は、早い段階でナラメの筆跡を習得した子供にマリージア家の娘との文通をさせてみた。
マリージア家の娘からの返信は、子供の手紙をナラメからのものだと素直に喜んだものだったと子供につけた使用人から報告を受けた。
何度か手紙をやり取りさせてみて、子供が存外ナラメより優秀だとオブーツェ伯爵感じていた。
王都へ連れて行っても大丈夫だと思えるほどに成長した子供を、オブーツェ伯爵は貴族の中に子供を放り出してみた。ナラメと仲が良かったマリージアの娘にも、疑われることなくナラメとして受け入れられたことに安堵した。
これなら、サルマにも会わせられると喜んだ。
早速オブーツェ伯爵は子供と妻を会わせてみた。だがその一度だけで会わせるのをやめることに決めた。
誰も子供をナラメと疑わないのに、サルマだけは子供がナラメではないと気づいたようにオブーツェ伯爵は感じたのだ。
一応ごまかしてはみたものの、妻の態度が少しばかりおかしかったことにオブーツェ伯爵は気づいていた。
サルマの為に用意したナラメなのに、子供がナラメではないと気づけば妻の精神が壊れてしまうかもしれないと恐れた。
それだけナラメを愛しているのだろうと思うとオブーツェ伯爵は死んだナラメに嫉妬した。
オブーツェ伯爵は、ナラメの代わりだった子供ではサルマの為にはならないと気づいて、役立たずはどう処分するか考えていた。
とりあえず、ナラメは怪我の後遺症で馬車移動があまりできそうもないというオブーツェ伯爵の言い訳に、サルマは寂しそうにしていたがナラメの健康の為だと納得してくれた。
だが、妻からナラメから手紙が欲しいとねだられた。すぐに処分しなくて助かったとオブーツェ伯爵は安堵した。
オブーツェ伯爵は子供にサルマへの手紙を書かせて、それを妻に渡すのが新たな習慣になった。
サルマはナラメに返事を書いてオブーツェ伯爵に渡してくるが、その手紙は子供に一度読ませた後は、全部彼が保管している。
手紙の量が増えた頃、オブーツェ伯爵はサルマに手紙を書くことにした。
手紙は手元で保管しているし、療養所でサルマに会っているが、妻からの手紙を子供だけがもらうことに我慢ならなくなったのだ。
サルマへの愛を込めた手紙を書いて手渡したら、妻はとても喜んでくれた。サルマからも愛が溢れる手紙をもらえたことに、オブーツェ伯爵はとても喜んでいた。
何故、今までこのような手紙を書くのを思いつかなかったのだろうとオブーツェ伯爵は少しばかり自分を恥じていた。
少しだけ、まだ子供を生かしておいてもいいかと考えなおしていた。
第二王子とマリージア家の娘との婚約が決まったのは二人が十二才の時だった。
正式な発表は一年後だが、オブーツェ伯爵は知れる立場にいたので知っていた。
オブーツェ伯爵はキュレブにお祝いの手紙を送ったが、返事の内容はそっけないものだった。キュレブは、あまりこの婚約を喜んでいないのだろうと気づいたがそれだけだ。そこまでこの婚約に興味がなかった。
この頃から、同じように婚約を知っている貴族家からマリージア家の娘と懇意にしているナラメに、多数の婚約が持ち掛けられるようになった。
未来の王妃と親しい子供と姻戚関係になれば、家の利益になると安易な考えの貴族が多かった。
世間では、ナラメがオブーツェ家の跡継ぎだと思っているようだが、オブーツェ伯爵にはその気がなかった。頃合いを見て、適当な親戚から養子をもらう気でいた。
オブーツェ伯爵との血のつながりはあるが、あくまで子供はサルマの為のものだ。オブーツェ家の家督に関わらせる気など考えもしなかった。
子供へ婚約話を持ち掛けられてもとんだお門違いなので、オブーツェ伯爵は適当な理由をつけて断り続けた。
正式に二人の婚約が発表された頃、オブーツェ伯爵の機嫌は少しずつ悪くなっていた。
療養所にいるサルマとの面会が、医者の判断で拒絶されているからだ。それは、妻の状態が良くないという意味でもある。
実際に、療養所で会えた時の妻は少し顔色が悪かった。医者に妻の様子を聞いても要領の得ない話ばかりで、オブーツェ伯爵は怒鳴りそうになるのを我慢し続けていた。
友人のキュレブとの関係も上手くいかなくなっていた。
お互いに忙しい身なので個人的な用件でめったに会うことは無いが、王都内で行われる夜会やお茶会で顔を合わせることは多かった。大体の男性貴族は、妻か婚約者を伴って参加する者がほとんどだ。
たまに、顔合わせの為に年頃の家族を伴って参加する貴族もいるが、オブーツェ伯爵のように必ず一人で参加する者は珍しい部類になる。
愛妻家として知られるオブーツェ伯爵だが、女性を紹介されることは珍しくない。面と向かって、愛人を紹介すると言われたこともあった。
オブーツェ伯爵は笑ってかわしているが、空気を読まない者は一定数いるので煩わしかった。
一方、キュレブは毎回マリージア夫人を伴って参加している。寄り添った姿は、まさに理想的な夫婦としてマリージア家の権威も合わさって、見る者全ての視線を奪っていた。
キュレブと話をするたびに、マリージア夫人とも会話をしなければいけないのは辛かった。
昔はオブーツェ伯爵もサルマを伴い、どこにでも訪れていた。四人で笑って会話を楽しんでいたこともあった。
サルマが子供を死産するまでは、オブーツェ伯爵たちが理想の夫婦と呼ばれていたのだ。
オブーツェ伯爵はキュレブたちを見かける度に、妻が何故この場にいないのだろうと不満を持ってしまうことが多くなっていた。サルマに会えなくなっていた不満が随分とたまっていた。
正直、オブーツェ伯爵はキュレブが妬ましかった。
常に夫に寄り添い丈夫で健康的な体をもち、社交界でも力のあるマリージア夫人。
王族と婚約し、ほんの少しの間でその関係は世間が羨むほどに有名になった優秀な娘。
年若くして天才魔法使いとして著名人の仲間入りを果たす跡取り息子。
オブーツェ伯爵が求めても決して得られないものを、全て持っているキュレブがとても憎ましいほどに妬ましかった。
不満を抱え続けていたオブーツェ伯爵が、子供に第二王子とマリージア家の娘の婚約を破棄させろと命じたのは、決して私怨ではなかった。
子供は驚いていたし、オブーツェ伯爵家の損害を気にしていたがそれを一蹴した。
オブーツェ伯爵が、上手くいけばあの女に会わせてやると言ったら、子供がとても喜んでいたのが不快だった。口約束程度で張り切る様子を見せた子供の姿を見て、精々あの女のように第二王子を誘惑してみせろとオブーツェ伯爵は心の中で嘲笑した。
この時に、オブーツェ伯爵は子供に監視役をつけた。
今は張り切っているが、子供の考えが変わって誰かに助けを求める可能性もあると思ったからだ。
子供は、マリージアの娘に隠れて第二王子の関心を得ようと必死だったが無駄だった。
第二王子にとっては子供は婚約者の友人の一人としか思われていないからだ。役に立たない子供に向けるオブーツェ伯爵の視線は冷たくなっていく。
ある時子供につけていた監視役から、子供が妙な動きをしていると報告が来た。王都内でいろんな男に触れながら会話をし、時には魔法を使って男から逃げ出すというのだ。
その報告を聞いたオブーツェ伯爵は、ついに子供が体を使って誘惑することを決めたのだと思った。多数の男を相手にして、第二王子好みの誘惑方法を探ろうとしているのだと考えていた。
しばらく様子を見るように監視役に命じて、オブーツェ伯爵はそのまま放置した。
そうして子供は、オブーツェ伯爵の望み通りに第二王子とマリージア家の娘の婚約を潰した。その過程でマリージア家の娘が大罪人となったが、そんなことはオブーツェ伯爵にはどうでもよかった。
これで、やっとオブーツェ伯爵の望んでいたものが手に入るのだから。




