彼女は何をしていたか2
ナラメは、アリアの捕縛から処刑の日まで、オブーツェ伯爵の命令で王都の屋敷に軟禁されていた。
「アリアが捕縛された時点で、私はオブーツェ伯爵からの命令を達成しました。早く、あの人に会わせてください」
「何を言っている。マリージア侯爵の娘は、まだガイナー殿下の婚約者のままだ。処罰が決定されない限り、婚約は破棄されない。まだ終わっていないのに会わせるわけがないだろう」
「そんな」
「終わるまで部屋から出るな。まあ、逃げたところであの女に合わせてやれるのは、私だけというのを忘れるな」
部屋に閉じこもったナラメはひたすら祈った。
無事にアリアが大罪人になってガイナーとの婚約が破棄されるのを、ただ祈るしかなかった。
アリアが公開処刑での斬首刑になると聞いて、ナラメはオブーツェ伯爵からの命令を、無事に完遂出来たことに安堵した。
これでニーラルに会えると彼女は喜びを隠しもせずに笑った。
「ああ、やっと終わった。これで、私は自由になれる。早くお母さんに会いたい」
もうナラメには母のことしか頭になかった。
アリアを毒殺未遂犯に仕立て上げるのは簡単だった。
毒はオブーツェ伯爵家の使用人が入手してくれた。
マリージア侯爵家に、ほんの少しの金銭で雇われている家を裏切るような金に汚い使用人がいたのも助かった。
オブーツェ伯爵が巻き込んだ貴族たちが、アリアを助けようとするマリージア侯爵家を妨害してくれたおかげでアリアを処罰できた。
ナラメは、ガイナーからアリアを大罪人にして修道院へ送るという計画を聞いていた。未成年者の大罪人はそういう処罰を受けるらしい。予定と違って、アリアが斬首刑に処されるのに何の疑問もわかなかった。
ナラメはアリアがどうなろうとどうでもよかった。
偉い人がそう決めたのならそれが正しいのだろう。アリアが捕縛されたこと自体、間違いなのだということをナラメは頭から消していた。
何故ここまで母を想うのか、ナラメには分からなくなっていた。ただ母に会って抱きしめてほしいのだ。笑いあって、おしゃべりをして、二人で楽しく暮らしたい、それだけがナラメの願いだった。
アリアが処刑される前日の夜、ナラメが軟禁されている部屋に突然カールズが現れた。
「は? え、カ、カールズ!? 何であんたがここにいるのよ!?」
「そりゃあ、お前に用があるから会いに来ただけだよ?」
「お、お前って、年上の女性に対して無礼じゃない? で、用って何? 私、貴方の姉に殺されそうになって情緒が不安なの。どうやって部屋に入ったのか知らないけど、さっさと出て行って!」
カールズが現れたことに動揺したナラメだが、ここはオブーツェ伯爵の屋敷で、扉の向こうには人がいることを思い出して強気に出た。
しかし、カールズはそんなナラメの様子を気にもしないで話を続ける。
「何言ってるのさ。もう全部調べ上げているから、下手な言い訳は馬鹿のすることだよ」
「何を言ってるのよ。人を呼ぶわよ! 早く出て行って!」
「呼べばいい。どうせ呼んでも誰も来ないけど」
カールズの強気な発言に、ナラメはひるんだが思い切り叫んだ。
「誰か! 誰かいないの!?」
叫んでも誰も来ないことに怯えを見せたナラメは、慌てて部屋から逃げ出そうとして扉へと走る。だがドアノブを掴んだが全く動く気配がない。
「な、何で、ドアノブが動かないのよ。誰か、誰か助けて!」
ナラメは必死に扉を叩く。ナラメがいる部屋の前には形ばかりの見張りがいることを彼女は知っていたから平気だった。
しかし、ここまで騒いで何の反応もないことに恐怖は増していく。
「誰も来ないって分かったことだしさ、そろそろいいよね?」
「ひっ!? こ、来ないで!」
恐怖の中で突然話しかけられたナラメは、現れた時から一歩も動いていないカールズに対して魔法を放つ。だがカールズへ魔法が届く前にそれはあっさりと消えてしまった。
「こんなへなちょこ魔法で僕が捕まるとでも?」
「そ、そんな、魔法が消えるなんて」
「魔法の原理も分かってない奴の魔法を消すなんて僕には簡単なこと。そんなことより」
へたり込みながらも扉に縋りついているナラメに近づいたカールズは手を差し伸べる。
「お前、母親に会いたくないか?」
「……え?」
「オブーツェ伯爵に命じられて、ここまでした理由が母親だってことは知ってる。オブーツェ夫人じゃなくて愛人のニーラルがお前たち双子の母親だろう。会いたいのなら会わせてあげる」
カールズの言葉にナラメは呆然となるが、彼の手を取っていいのか迷った。母の行方はオブーツェ伯爵しか知らないというのに、本当にこの手をとれば母に会えるのだろうかと戸惑ってしまう。
「お母さんに会えるの?」
「そうだよ。どうするの、僕と一緒に会いに行くか、このまま部屋で待機するか。ここにいても会えるかどうかは分からないよ」
「何でよ、オブーツェ伯爵はここにいればお母さんに会わせてくれるって約束してくれたわ。あんた、お母さんの居場所を知ってるの?」
「あの男が素直にお前との約束を守るとでも? あの自分の妻しか興味も関心もないくせに、【天秤の愛】の効果とはいえ、他の女に子供を産ませてその子供を愛しの妻が産んだの子供だと騙して差し出した男だぞ」
確かに、このままここにいてもオブーツェ伯爵が約束を守らないかもしれない。
そう考えたナラメは怪しさしかない笑みを浮かべたカールズの提案に乗ることにした。
「お母さんに会いたい。会わせてくれるなら私がアリアの代わりに死んでもいいわ」
「はは、笑えない冗談だ」
真顔になったカールズに気づきもしないまま、ナラメは彼と共に部屋から消えた。
カールズとナラメが移動した先は、暗く、湿っており、ひどい匂いがした。
「何なの、暗くて何も見えない。じめじめしてるしひどい匂いだわ。こんなとこにお母さんがいるの?」
「ああ、ほら、あそこにいるよ」
カールズが指さす方をナラメはじっと見つめる。 その様子を見た彼が魔法で明かりをつけるとナラメは目を見開いてそちらへと駆け寄る。鉄格子の向こう側に、ナラメの思い出よりずっと老けている母が粗末な椅子に座っていた。
「お母さん! なんで牢屋なんかにいるの!? 今出してあげるからね」
「…………」
ナラメが古くなっている鉄格子の扉を掴んで揺さぶるがびくともしない。彼女が呼びかけても、母はこちらを見ないでうつむいたまま何かを呟いている。
焦るナラメは後ろにいるはずのカールズに鉄格子を開けろと叫んだ。
「ちょっと! あんたならこの鍵を開けることなんて簡単なことでしょ! さっさとここを開けてよ!」
「この鉄格子の扉、魔法じゃ開かないようにされているから正規の鍵がないと無理なやつ。こうやって母親に会わせてあげたんだから、お前の願いは叶ってるだろ」
「こんな風に会いたかった訳ないでしょ! どうしてこんなことになってるの」
「ここがどこだか知ってる?」
「……知るわけないでしょ、どっかの牢屋ってことしか分からないわ」
「そうだね。ここはオブーツェ伯爵家の領地で、当主の屋敷にある地下牢だよ」
「……は?」
「だから、お前が屋敷に来てしばらくした後、この女はオブーツェ伯爵の命令で、ここに閉じ込められたって話」
「何を言って、お母さんがずっとここにいたってこと!?」
「お前がここに来たのって七才の時だっけ? なら十年くらいここにいたってことか」
「そんな、嘘よ。こんなところに十年?」
ナラメはカールズから聞かせれた事実を信じられなかったが、目の前には老けた母の姿がある。
牢屋には、母が座っている椅子の他に粗末な机とベッドがあるだけ。水道は通っているようで片隅に小さな洗面台とトイレが丸見えだがある。
掃除は定期的にされているらしく、牢屋の中はそこまで汚れていなかった。
「こんな場所にお母さんはずっといたなんて。何で、なんであの男はこんなことをしたのよ!」
「そんなのお前への人質に決まってるじゃん。お前が反抗したらここにいる女を見せてたんじゃないかな。お前は今までいい子ちゃんしてたから知らずに済んだんだろうね」
「そんな、そんなの、私のせいでお母さんがこんな、ねえ、お願いよ! お母さんを助けて!」
「何で元凶の一人を助けないといけないのさ」
「悪いのは私で、お母さんじゃないでしょ! 助けてよ!」
「【天秤の愛】をお前に教えたのはこいつだろ」
カールズから【天秤の愛】という言葉を聞いて、ひたすら鉄格子を揺らしていたナラメは思わずその手を止めてカールズの方に振り替える。
何故、カールズは【天秤の愛】のことを知っているのだろう。
この魔法を知るのはここにいる母とナラメだけ。母の実家が秘匿魔法である【天秤の愛】を他人に教えるわけがない。
長年、母を愛人にしていたオブーツェ伯爵だって【天秤の愛】のことを知らなかった。
そういえば、ナラメが愛人の子で双子だという出生の秘密もカールズが知っていたことに、彼の言動を思い出した彼女は今更気づいた。
カールズ、いや、マリージア侯爵家はどこまで知っているのかとナラメは恐ろしくなった。
「な、なんで【天秤の愛】のことを知ってるの!? なんで私が双子だったことまで知っているのよ!?」
「お前たちのことは調べ上げていると言っただろ。ああ、そうだ」
カールズがナラメに触れるとその場から二人の姿が消えるが、すぐに鉄格子の中に現れた。
「え、なんで」
「ほら、すぐそばに母親がいるぞ。十年越しの再会だろ? 感動のハグでもしなよ」
何故カールズが母のそばに連れてきたのかナラメには分からなかった。
困惑するしかないナラメは、手を伸ばせば触れられる距離にいる母を見ても喜べなかった。
石畳の汚れに躊躇するが、母の前に膝まづいて母に呼びかけるが何の反応もなかった。
すぐそばにナラメがいるのに何の反応も見せず、ただ椅子に座って呟いているだけの母に、どう話しかければいいのかが分からなくなっていた。
「ほら、もっと話しかけなよ。私は、薄情にもすぐそばで暮らしていたことに気づかなかったあなたの娘ですって。ほら、ナラメになる前の名前を言って母親に気づいてもらいなよ」
「やめて! 私は知らなかった。お母さんは王都にいるって思ってた!」
ナラメには、七歳の時まで母に呼んでもらっていた名前が思い出せない。もう彼女は母と暮らしていた頃の思い出だけが微かに残っているだけだ。
「全然反応がないな。娘のことなど、どうでもよかったみたいだな。なら、おい、オブーツェ伯爵の正妻がお前の目の前にいるぞ! サルマ・オブーツェ夫人がいるぞ!」
思わずナラメは母からカールズに顔を向ける。彼が何を言っているのか分からなかった。
どこにオブーツェ夫人がいるというのだ。
カールズから母に視線を戻せば母と目が合った。
その目は、娘に向けるものではなく、嫉妬に目がくらんだ激しい憎しみがこもったものだった。
「サルマ! このあばずれ! よくもあたしの目の前にこれたもんだね!」
「やめて、違う、私はナラメ、ちが、お母さんの、娘で」
「このくそ女! 何であんたがあの人に愛されて私が愛されないのさ! この、死ね! さっさと死んであの人を返せ!」
「やめて、痛い! やめてお母さん!」
母には、ナラメがオブーツェ夫人に見えているらしい。
勢いよく立ち上がったかと思えば、ナラメの顔を平手で叩き、思い切り髪を引っ張ってナラメを振り回そうとする。
ナラメは必死に抵抗するが、母の暴力を止められない。
確かに、初めてオブーツェ夫人を会った時、母に似ているとナラメは感じていた。
だが、オブーツェ夫人と勘違いするほどナラメとオブーツェ夫人は似ているとは思えなかった。
「ハハッ! 自分の娘を憎き恋敵と勘違いできるほど狂っていたか。まあ、髪と目が同じ色で雰囲気も似ていたら、誰にでも襲い掛かっていたかもな」
「ちょ、ちょっと、見てないで助けて」
「嫌だよ。僕、これが見たかったんだよね。お前が、姉さんを殺してまで助けようとした母親に拒絶されているところを!」
「な、何を」
「あああああああああああああああああああああああああ、サルマ! サルマ! サルマ! いっつもあの人はサルマばっかり! 私の名前なんてろくに呼んでくれなかった! 【天秤の愛】でサルマと同じになったのに! なんであんたばっかり愛されてるのよ! 子供も産めなかった女のくせに! あの人の子供を産んだのはあたしだけ! あたしだけがあの人の妻なのよ!」
ニーラルは、先ほどまでの無気力な姿は消え去り、ただ憎き相手への殺意を隠すことなくナラメを襲い叫び続ける。
母のオブーツェ夫人に対する鬱憤を吐き出し続けるのをナラメは体を丸くしてひたすら耐えていた。
「ここまでされても耐えるだけか、さすが実の姉妹の身代わりを続けていただけはあるね。こいつには娘だと思われてないのによく我慢できるね」
ニーラルの叫びなど気にならないカールズはナラメに話しかけ続ける。
「力では、お前と母親じゃお前が勝つに決まっているのに、どうしてそうやって耐えるだけなんだ?」
「う、うるさい」
「お前の母親、お前たちのことなんてどうでもよかったんだよな。ただあの男の子供を産んだっていう優越感を持っていたかっただけでさ。今は子供を産んだことを覚えているだけ。お前たちのことなんてもう忘れてるよね」
「うるさい!」
「お前が住んでたあの家で、ずっと待ってたんだよ。オブーツェ伯爵を。娘なんて本当は煩わしい、あのあばずれが死んだら早く迎えに来てほしいって周りに喚いてたってさ」
「うるさいうるさいうるさい!」
「オブーツェ伯爵、愛人に口止めしてないとか馬鹿だよね。周りの住人には、お前たちがオブーツェ伯爵の愛人と子供って知れ渡ってたよ。知られていないと思っているのはオブーツェ伯爵とお前だけ」
「うるさいんだよ!」
「貴族の面倒ごとに巻き込まれたくないから、お前たちがいなくなっても、今までみんな黙ってただけなんだ。お前の母親、相当嫌われていたよ。もちろん娘のお前も」
「うるさいって! いってるでしょ!」
「あっ」
ナラメは我慢の限界が来て、思わず邪魔な存在を突き飛ばした。
それが自分の母なのを、ほんの少しだけナラメは忘れていた。
突き飛ばされた母は、石畳に頭を打ち付けるとそのまま動かなくなった。
「お、おかあさん?」
「お、死んだか」
「うそ、うそうそ嘘、うそ、うそうそうそうそうそうそよ!」
ナラメは、思わず母を抱きかかえるが母の体はただ軽かった。母の顔を覗き込むがその目に生気はなかった。
「ほら、息してないし、お前を見ていないよ。あんなに会いたかった母親なのに、他の女と勘違いされて叩かれただけなのに、簡単に殺しちゃったね」
「ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ナラメは叫んだ。今まで何の為に生きてきたのか。
母に会いたくて、ナラメとナラメの友人だったアリアを殺したのに。
【天秤の愛】まで使って好きでもない男を誘惑したのは何だったのか。
母は彼女を見てくれなかった。父親からの愛を得られず、ただの駒としてしか見られなかった。
一度だけ会ったオブーツェ夫人も、結局はナラメを愛していただけで、身代わりだった彼女を愛していたわけではない。
彼女は誰にも愛されていなかった。
「さて、親子の再会と別れが済んだし次に行こうか」
「あ?」
泣きすがるナラメから母を引きはがしたカールズは彼女を連れてその場から消えた。
「じゃあ、ここでさよならだ。あ、お前はもうどんな魔法も使えなくなってるよ。では、よい人生を」
そう言ってカールズは座り込んだ格好のナラメの前から姿を消した。
ナラメは呆然としながらも周りを見渡す。夜なので暗かったが建物にかがり火が点いていたし、窓から明かりと嬌声が漏れていたのでどこにいるのか分かってしまった。
娼館だ。それも最悪な部類の娼館。それくらいの知識はナラメでも知っていた。決して近づくなと言われていた場所だ。
「お、育ちのいいのがこんな所で何をしてるのかな?」
「ヒッ!」
「待て待て、彼女は俺たちのだ。待ち合わせしてたんだよ、ほら立って」
ガラの悪い男に声をかけられ怯えていたナラメに、優しげな声をかけてきた男がナラメを抱きかかえるように立ち上がらせる。
その男を見たナラメは思わず体を固くする。魔法で何とかしようとするが、カールズが言ったように全く魔法が使えなくなっていた。
ナラメはこの男を知っている、【天秤の愛】を使った相手の一人だ。
「なんだ、売約済みか」
「そうなんだ。俺たちみんなが彼女を待ってたんだ」
いつの間にか、男とナラメの周りには数人の男が佇んでいた。
ガラの悪い男はあっさりと引いてそのまま立ち去っていく。
「ま、まって、たすけ」
「さあ、行こうか。俺たち、ずっと探してたんだよ。ナラメって名前なんだって? かわいい名前だね」
ガラの悪い男に、ナラメの助けを求めるか細い声は届かなかった。
ナラメは残った男たちを見渡すが、みんな不気味なほどの笑みを浮かべていた。
「俺たち、君のことがずっと忘れられなくてさ」
「好きだった女より一度会っただけの君を好きになってたんだ。やっとまた会えたね」
「君の話はみんな聞いてるよ。全部、全部ね」
「だけど、君が淫乱だろうと俺たちは気にしないから」
「俺たちと、楽しく暮らそうな」
男たちが口々に彼女に話しかけてくる。彼女は彼らから逃げられなかった。
そこからの彼女の人生は、男たち以外の誰にも知られることなくいつの間にか終わっていた。




