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鼓膜がおかしくなりそうなほどの怒声や叫び声が飛び交っていたのに、王城前の広場は静まり返っていた。
キャロルは見覚えのある手首から先が、赤い血と共に地面を這っている光景に頭が追い付かない。
「ケイティ…ケイティ…」
震える声で、仲間達がケイティの名を呼ぶ。
医師のフィリシアも必死で雪崩の人々をひっぱり、気を失っている男の頬を叩いた。
痩せた身体の上に幾重にも積み重なった男達が呻き声を上げながらどかされ、地に伏した女の身体が少しずつ現れる。折り畳まれた肘の先、放り出された足先に、真っ赤に染まった服。
あれ。
いまどこにいるんだっけ
いたい。からだがすごく、いたい…
おなかが、もえているみたい
腹がどうしようもなく熱かった。
自分の呼吸の音だけが、やたらと頭に響く。
四肢の感覚がないことにも気が付けない激烈な痛みだった。
混濁していく意識の中で、ケイティはレンブラントの名を呼んだ。
レンブラントさん。
さようならをちゃんと言っておけばよかった。
お願い、ネロを、どうか
閉じられていく視界。自分の指先と、地面に流れていく赤い血の先。見覚えのある革のサンダルが現れたのと、ケイティの呼吸が止まったのは同時だった。
即座にレンブラントがケイティの時を止める。
腕の中に抱いた血みどろの身体に目を落とす。腹の中には大きな石がめり込んでいた。ざわざわとレンブラントの長い髪が強い感情で波打ち始める。
「父さん!?ママは!?マ」
「ケイティ!!」
真っ青な顔でネロが母の姿を見て息をも止める。
「え……し…」
「呼吸が止まっただけだ。ケイティの時間を止めた」
素早く答えてレンブラントは辺りをぐるりと見渡す。
人々は注視していた女性の先に突然現れた男と子供に声も出せずに立ち尽くしている。皆がわが目を疑い、何とか状況を理解しようと眉に力を籠める。
レンブラントはこの場にいる全てに語りかける。
「今、この場に…彼女に対しての悪意は一切なかったことだけはハッキリしている。だが、だからと言って許容などできない。まずは、散れ」
ざーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ
強い風が吹いて、黒い靄が一気に吹き飛ぶ。
空一面の黒い雲が割れ、日の落ちかけた静かな夕暮れの空が現れた。
群衆は目を瞬かせた。各々の胸に、憑き物が落ちたかのような冷静な気持ちが訪れる。フィリシアとキャロルがケイティを抱いた男に走り寄る。
「ねぇ、あなたケイティをよく迎えに来ていた人よね?ケイティをどうするつもり?私、あの病院の医者で…その、ケイティを診せて?」
「医者にはもう無理だろう。ケイティは呼吸を止めた」
「そんな!」
キャロルが両手で口を覆う。
「医者には?」
「このまま連れて帰る」
「待ちなさいよ、心臓がまだ動いているならマッサージも」
フィリシアが思わず言い募ったけれど、群青の視線が指し示す先、埋め込まれた大きな石を見て言葉を続けられなくなる。涙を流すネロが、母を抱くレンブラントの腕をギュッと掴んでいた。フィリシアはかつて診察したことのあるネロを見て、男の身元を確認する。
「ネロ…この人は…ケイティを頼んでいいのね?」
「この人は僕の父さんだよ。僕たちは帰る」
「お願いネロ、必ず病院に連絡して」
ぼんやりしたネロが小さく頷く。レンブラントも頷いて、再び顔を上げた。
人々の耳に、男の声が響いてくる。
「マウリッツは出てこない。俺がかけた術に慣れるまでは。それを押して出てこれるほどの胆力は、今のあいつにはない」
レンブラントは続ける。
「俺は…今日までだいたい四百年生きて、その内約三百年を一人で過ごした。最初の六十年、俺は災いの種にしかならなかったから、それでよかった」
黒い犬は身の内にいる自分。生み出した九人のパーツも自分自身。尋ねるのも答えるのも、食べるのも食べさせるのも、抱きしめ合った温もりのない身体も自分自身。
ネロは表情の無いアンと見つめ合った。
「家に帰れ。お前達には声を上げてまで守りたい生活がある。マウリッツはもう、同じではいられない。俺の親友の子だ…きっと上手くやれるようになる。軌道に乗るまで待ってやれ。俺は空からお前達をずっと見ている。見守っている。辛くなったら、きらきらを見上げろ。口を開けてな」
スッと上げた長い指がぱちんと鳴った。
王城の周りには、誰も居なくなった。
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「…ここは?」
「俺の城だ」
答えながら、レンブラントはケイティの身体を丸いローテーブルに横たえる。
「レン、ケイティを食べなよ…今ならまだ間に合う」
短く息を吸ったネロがアンを見遣る。
「食べるなんてダメに決まってるだろう!?」
「でも、今はギリギリで時間を止めたけど、今から時を動かしてもケイティが息を吹き返すかはわからないよ?このまま死んでネロにお別れも言えないなら、レンに食べてもらって、そうしたら夢の中で会える!」
「黙れ、アン」
「だって、レン!じゃあどうするの!?レンにだって死者は蘇らせるなんて」
「まだ死んだ訳じゃない。要は術をかける時間が有ればいいんだ」
「だから、いちにのさん、で時を動かして即座に死んじゃったら!」
「止めてよ!!」
ネロが顔を覆って泣く。
「泣くな…ネロ。全部、お前とケイティの良いようにしてやる」
「だって、だってどうするの?」
「時間を巻き戻す」
レンブラントは両手を広げて丸いローテーブルに魔力で円陣を作り始める。
「そんなことができるの?」
「出来る…かつての時間は有ったものだ…既に有ったモノなら、大抵のことはできると言っただろう…」
大きな音がネロを覆う。眩しい光が城を包む。
やがて真っ白になって、何も見えなくなった。
「忘れ物はないですか?」
玄関を出て、花々が溢れる階段下、可愛らしいケイティが首を傾げてレンブラントに尋ねる。
「ああ。元から何も持ってきてないよ」
一文無しなくらいだし、と続けるとケイティは思い出してクスクスと笑った。
あー可愛いな。もっと笑って欲しい。
「あっ、ネロ、学校に遅れるわ。もう行きなさい」
「うん!じゃあ僕行くね。父さん、アン、またね!」
「学校、楽しんで来いよ」
「いってらっしゃ~い!」
ネロが軽い足取りで林の中の小道をかけていった。嬉しそうな泣きそうな、感極まった様子のケイティがその背を見送る。
「ネロが学校に行ける日が来るなんて。夢みたい」
「良かったねぇ、ケイティ」
「ねぇ、アン。レンブラントさんに感謝だわ」
「もう昨日たくさん感謝はもらった」
感謝ついでに沢山もらったキスを思い出して、レンブラントは口元が緩む。
「あ~、レンは今いやらしいこと考えている」
「考えてない!馬鹿者め」
「でも昨日ソファでチュッチュしてたの、見たよ?ネロと」
ぎょっと固まった二人だったけれど、少ししてから笑い出した。
「見られていたとは…」
「ふふふ」
笑い終わって、レンブラントがジッとケイティを見た。
前回は、ここから最後に自分とアンそれぞれにケイティがハグをして去った。
「アン、ちょっとあっち行ってろ」
「え~!なぁんで」
「もう一回最後にしとくから」
「も~!馬鹿レンが~!」
アンがケラケラ笑いながら走って行く。レンブラントはチラリと見送った後振り返って、ケイティに向かって腕を広げた。
「おいで、ケイティ」
「………」
見る間に真っ赤に染まったケイティが恥ずかしそうに顔を横にやった後、レンブラントの胸に飛び込んでくる。
腕の中の温度を確かめるように包んで、ギュッと抱きしめた。
「レンブラントさん…ありがとう…だいすき…」
くぐもった小さな声が聞こえた。
「俺もケイティが大好きだ…だから」
だからごめん、と言いながら昨晩と同じように可愛い唇を塞いで、深く合わせた。
「……ん…ん…」
レンブラントは可能な限りの魂をケイティの中に注ぎ込む。
「んん…!!」
長い口づけの後で顔を離すと、酔ったような焦点の合わないケイティが微かに笑む。
「さようなら、ケイティ」
「…さ、よ…なら……レ……トさ」
そのままケイティは意識を失った。




