オーバーテクノロジー
特賞の宝石や二等の翡翠、三等の香水、四等の酒が王妃様の手元に残った一方で、別の景品にも注目が集まっていた。
一等のアタッシュケースだ。
見た目だけなら、ただの箱にしか見えない。
しかし、車輪を動かしてみると話が変わる。
引っ張る方向を変える。
すると、車輪の向きが滑らかに変わる。
横へ動かす。
斜めへ動かす。
向きを変えながら引っ張る。
それでも、車輪は引っ掛かることなく動き続ける。
「この動きの秘密を調べてください」
近衛兵から依頼を受けたのは、王宮お抱えの職人たちだった。
「これが、あのアタッシュケースですか」
「ええ。車輪の動きに注目してください」
職人たちは実際に動かしてみる。
「……これは面白い」
「確かに、普通の車輪とは違いますね」
「この仕組みを馬車に応用できれば……」
職人たちの目の色が変わった。
もし、この仕組みを大型化できれば、馬車や荷車の方向転換が大きく変わる。
重い荷物を運ぶ台車にも使えるかもしれない。
用途はかなり広い。
「徹底的に調べてください」
「承知しました」
職人たちはアタッシュケースを工房へ運び込んだ。
まずは外側から調べる。
次に車輪。
そして内部。
「では、分解します」
一つずつ部品を取り外していく。
構造を記録し、寸法を測り、動きを確認する。
何度も試験を繰り返した。
そして、しばらくして報告が上がった。
「構造は理解できました」
近衛兵は期待した。
「では、再現できるのですか?」
職人は少し困った顔をした。
「……それが、できません」
「なぜです?」
「仕組みそのものは、それほど複雑ではありません」
「では?」
「精度です」
職人は図面を広げた。
「この車輪を滑らかに動かすには、部品同士の寸法を極めて正確に揃える必要があります」
「そこまで難しいのですか?」
「はい。ほんのわずかなズレでも、動きが悪くなります」
実際に試作品を作ってみる。
見た目はほとんど同じ。
構造も同じ。
ところが、動かしてみると――。
ガタッ。
「……」
もう一度。
ガタッ。
「駄目です」
職人は首を振った。
「同じ構造なのに、これほど動きが違うとは……」
近衛兵はアタッシュケースを見る。
本物は何事もなかったかのように滑らかに動く。
「王宮お抱えの職人でも難しいのですか?」
「構造なら理解できます。しかし、この精度で部品を作る技術がありません」
そこで近衛兵は別の職人たちに声を掛けることにした。
「ドワーフにも依頼しましょう」
「ドワーフですか」
「ええ。金属加工なら、彼らの技術は非常に高いと聞いています」
こうしてアタッシュケースは、ドワーフの工房へ持ち込まれた。
「これを作ったのか?」
ドワーフはアタッシュケースを見るなり、目を輝かせた。
「分解していいのか?」
「構造を調べるためなら」
「よし!」
返事を聞いた瞬間、ドワーフたちは嬉々としてアタッシュケースを分解し始めた。
「なるほど!」
「この部品がこう動くのか!」
「こっちはこうか!」
王宮の職人たちとは違い、ドワーフたちは細かな部品を手に取るたびに楽しそうに声を上げる。
そして、ついに構造を理解した。
「これなら作れる」
ドワーフたちはさっそく試作品の製作に取り掛かった。
問題になったのは、車輪だった。
「真球を作るぞ」
「完全な球に近づければいいんだな」
何度も削る。
測る。
また削る。
「どうだ?」
「少しズレている」
さらに削る。
また測る。
それでも、本物のようには動かない。
「おかしいな……」
ドワーフたちは首をひねる。
構造は合っている。
材料も問題ない。
加工技術にも自信がある。
それなのに、動きが違う。
「もう一度、球を作り直す」
再び作る。
今度はさらに精度を上げる。
しかし――。
「……まだ駄目だ」
真球に近づければ近づけるほど、必要な精度が異常なものになっていく。
「これ以上は無理だ」
「いや、まだだ」
「無理だと言っている!」
ドワーフの職人が完成した車輪を机の上に置く。
肉眼では、どこに問題があるのか分からない。
触っても分からない。
測定しても、十分に正確に見える。
それでも本物は滑らかに動き、こちらはわずかに引っ掛かる。
「ミクロの誤差すら許さないのか……」
ドワーフは本物の車輪を見つめた。
「構造は分かった」
「作り方も分かった」
「だが、この精度を出せない」
結局、ドワーフたちも再現には至らなかった。
アタッシュケースは、再び王宮へ戻されることになった。
構造は解明された。
しかし、その構造を完全に再現するために必要な精度だけが、どうしても届かなかった。
そして誰も知らない。
そのアタッシュケースが、異世界の職人たちには到底到達できないほどの精度で作られていることを。
アレンにとっては、ただのキャスター付きアタッシュケースだった。




