最初の村
アレンはダンジョンで仕事をしていた。
冒険者活動を始めたはいいものの、ドッペルゲンガーを操作し続ける必要はない。必要なときだけ意識を移せばいいのだから、ダンジョンマスターとしての仕事に支障はなかった。
時折、ドッペルゲンガーに意識を向けてみる。
しかし、景色はほとんど変わっていなかった。
「……まだ着かないのか」
アレンは呆れたようにつぶやいた。
冒険者としての旅を始めたのだから、道中の苦労も経験しようと思っていた。
だが、実際に歩き続けるとなると話は別だった。
同じような景色が続き、特に面白いことも起きない。
これでは退屈で仕方がない。
もう一度ドッペルゲンガーに意識を向けてみる。
「……なんだ、あれ?」
アレンは目の前の光景に首をかしげた。
クロノスが、自分のドッペルゲンガーをおんぶして歩いていたのだ。
少女の姿をしたクロノスが、同じく少年の姿をしたアレンを背負っている。
どう見ても、子供が子供をおんぶしている光景だった。
しかも、背負われているアレンはピクリとも動かない。
「絵面がひどいな……」
自分でやらせておいて何だが、これはひどい。
クロノスは古代竜なのだから、力だけなら余裕で運べるだろう。
しかし、今の姿は十歳の少女だ。
周囲から見れば、年下の少年を背負って歩く少女にしか見えない。
事情を知らない人間が見たら、どう思うのだろうか。
アレンは少しだけ申し訳なくなった。
……ほんの少しだけだが。
「お、煙が上がっているな」
遠くの景色に目を向けると、空に煙が立ち上っているのが見えた。
焚き火か、それとも炊事の煙だろうか。
あの方向に村があるのかもしれない。
「よし、意識を移すか」
アレンはドッペルゲンガーに意識を戻した。
目の前には、クロノスの背中がある。
どうやら、まだ村までは距離があるようだった。
「……歩きたくないな」
アレンはつぶやいた。
そもそも、冒険者活動を始めたのは、あり得たかもしれない人生を体験するためだ。
しかし、誰が好き好んで、何時間も歩き続けたいと思うだろうか。
せっかくダンジョンマスターという便利な立場にいるのだ。
利用できるものは利用すればいい。
「そうだ。意識を戻したことに気づかれないようにして、村のすぐ近くまで運んでもらおう」
アレンは名案を思いついたとばかりにうなずいた。
そして、再び意識を本体へと戻した。
一方、その頃。
「まったく、なんで儂がこんな目に遭わねばならんのじゃ……」
クロノスはブツブツと文句を言いながら歩いていた。
背中には、アレンのドッペルゲンガーが乗っている。
先ほどから何度も話しかけているのだが、返事は一切ない。
「冒険者活動をすると言い出したのはおぬしじゃろうが。しかも、わざわざ徒歩で移動するなどと言いおって……」
当然、アレンは聞いていない。
「それが、少し歩いただけで飽きたから本体に戻るじゃと? ふざけるのも大概にせい!」
クロノスは背中の少年を揺すった。
もちろん、反応はなかった。
「……はあ。もうよいわ」
クロノスは諦めて歩き続けた。
やがて、遠くに村の建物が見えてきた。
煙も近くなり、村人の姿もちらほら見える。
そのときだった。
「クロノス、ここからは歩く」
「……戻っておったのか!」
突然、背中のアレンが声を上げた。
クロノスは思わず足を止めた。
「おぬし、いつから意識を戻しておった!」
「ついさっきだ」
「嘘をつけ! わしがどれだけ苦労して運んだと思っておる!」
「まあまあ。村が近いんだから、ここからは自分で歩くさ」
「そういう問題ではない!」
クロノスは怒鳴った。
しかし、アレンはまるで気にしていない。
「よし、ここが冒険の最初の村だな」
「儂は別に興味ないんだが……」
「第一村人を発見するぞ!」
「村なんじゃから、すぐ会えるじゃろうが!」
アレンは周囲を見回した。
村の入口では、荷車を引いた村人がこちらへ向かっている。
畑仕事を終えたらしい老人も、少し離れたところを歩いていた。
いよいよ冒険者らしい出会いの始まりだ。
アレンは期待に胸を膨らませた。
……その隣で、クロノスが腹を押さえた。
「ところで、アレン」
「なんだ?」
「腹が減ったぞ」
「……は?」
「食事じゃ。そろそろ何か食べたい」
アレンは不思議そうな顔をした。
「お前、飯が必要だったのか?」
「当たり前じゃろうが!」
「いや、ダンジョンの中では食べなくても平気だっただろ」
「ダンジョンの中では、じゃ! 外で活動するなら食事も必要になるわ!」
「そうだったのか……」
アレンは考え込んだ。
確かに、クロノスはダンジョンの中では食事を必要としていなかった。
しかし、今は人間の姿で外を歩いている。
人間として活動するなら、食事が必要になるのも当然だろう。
「なるほど。盲点だったな」
「盲点ではない! 少し考えればわかるじゃろうが!」
「まあ、いいじゃないか」
「よくないわ!」
クロノスは怒りをあらわにした。
そもそも、食事が必要だと気づかなかったのはアレンの問題だ。
それなのに、なぜ自分が怒られなければならないのか。
いや、誰も怒ってはいない。
怒っているのはクロノスだけだった。
アレンは腕を組み、少し考えたあと、あっさりと言った。
「よし、クロノス。飛行でダンジョンに戻れ」
「……は?」
「ダンジョンで飯を食ったら、また飛行でここまで戻ってきて再開だ」
「待てえええええ!」
クロノスの絶叫が村の入口に響き渡った。
「今までの苦労はなんなんだ!」
「食事のためだろ」
「そういうことを言っておるのではない!」
「何を怒っているんだ? 腹が減ったから食事に戻る。合理的じゃないか」
「おぬしが最初から食事のことを考えておれば、こんなことにはならなかったじゃろうが!」
「そうだな。次から気をつけるよ」
「絶対に気をつける気などないじゃろ!」
アレンは笑った。
「冒険にトラブルはつきものだぜ」
「おぬしがトラブルの原因じゃろうが! ふざけんな!」
こうして、二人の冒険者生活は、最初の村に到着したところで早くも中断されることになった。
村人たちは、入口で言い争っている二人の子供を不思議そうに眺めていた。
彼らはまだ知らない。
この二人が、これからどれほど騒がしい冒険を繰り広げることになるのかを。




