救護室の様子
その頃、救護室では長蛇の列ができていた。
大会で怪我をした冒険者が運び込まれているのかと思いきや、怪我人は皆無だった。
では、なぜこんなに人が集まっているのか。
理由は簡単だった。
聖女エレナの診察を待っているのである。
救護室の前には椅子が並べられ、順番を待つ人々が座っていた。その光景は、まるで病院の待合室そのものだった。
しかも、並んでいるのは冒険者ではない。
ほとんどが老人だった。
「次の方、どうぞ」
エレナが声をかけると、一人の老人が診察用の椅子に腰を下ろした。
「どうしました?」
「孫の前でいいところを見せようと思ってな。若い者には負けんと張り切ったら、腰をやってしまったんじゃ」
「そうですか」
エレナは微笑みながら老人の様子を確認した。
ちなみに、これは嘘である。
孫の前でいいところを見せようとしたわけではない。
ただ、腰が痛かったのである。
せっかく聖女が来ているのだから、診てもらおうと思っただけだった。
老人に限らず、並んでいる人々の多くは、長年の生活で身体のあちこちに不調を抱えていた。
肩が痛い。
腰が痛い。
膝が悪い。
病院に行くほどではないと思って我慢していたものの、聖女が無料で診察してくれると聞けば、話は別だった。
「では、治療しますね」
エレナは老人の腰に手をかざし、回復魔法を唱えた。
柔らかな光が患部を包み込む。
しばらくすると、老人の顔から苦痛が消えていった。
「おおっ! 痛くない! 腰が痛くないぞ!」
老人は驚いたように腰を動かした。
さっきまで立ち上がるのも辛そうだったのに、今ではすっかり元気になっている。
「ありがとうございます、聖女様!」
「どういたしまして。次の方、どうぞ」
エレナは慣れた様子で次の患者を呼んだ。
アレンから医学書をもらって以来、エレナの治療技術は大きく向上していた。
以前は回復魔法で広い範囲を治療していたが、医学書で人体の構造や病気について学んだことで、悪い部分を正確に把握できるようになったのだ。
患部をピンポイントで治療できるようになったおかげで、魔力の消費も抑えられるようになっていた。
これは大きな進歩だった。
以前なら、何人も治療すれば魔力の消耗を気にする必要があった。しかし、今では効率よく治療できるため、次々と患者を診察できる。
「肩が痛くて、腕が上がらないんです」
「分かりました。少し診せてくださいね」
エレナが治療すると、男性は驚いた顔で腕を上げた。
「おおっ! 上がる! 何年も上がらなかったのに!」
「よかったですね」
続いて、膝の痛みに悩んでいた女性。
階段を上るのが辛く、長い距離を歩くのも難しかったという。
エレナが治療を終えると、女性は何度も膝を曲げ伸ばしした。
「本当に痛くない……! これでまた畑仕事ができます!」
「無理はしないでくださいね」
「はい、ありがとうございます!」
さらに次の患者、その次の患者。
肩の痛み、腰の痛み、膝の不調。
エレナは一人ひとりの症状を確認し、適切な治療を施していった。
患者たちは、長年悩まされていた痛みが消えるたびに感激していた。
その姿は、まるで女神が降臨したかのようだった。
「聖女様、ありがとうございます!」
「ありがたや、ありがたや……!」
「これで孫と遊べます!」
気がつけば、エレナは患者たちから崇められていた。
本人はいつも通り診察しているだけなのだが、患者たちにとっては奇跡そのものだった。
そして、治療を受けた人々は、あることに気がついた。
これだけの治療をしてもらって、何もお礼をしないのは申し訳ない。
そこで彼らは、それぞれ家から持ってきたものをエレナに差し出し始めた。
「聖女様、これはうちで採れた野菜です。よかったら受け取ってください」
「こっちは今朝収穫したばかりの大根です!」
「うちの畑のトマトも持ってきました!」
「私はジャガイモを!」
「ありがとうございます。お気持ちだけで十分ですよ」
エレナは遠慮したが、患者たちは引き下がらなかった。
「いえいえ、こんなに元気にしていただいたんですから!」
「せめてこれくらいは受け取ってください!」
そんなやり取りを繰り返しているうちに、救護室には野菜が次々と運び込まれていった。
最初は小さな籠が一つだった。
それが二つになり、三つになり、やがて床を埋め尽くすほどの量になった。
大根、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、キャベツ、トマト。
どれも採れたての新鮮な野菜ばかりだ。
気がつけば、救護室は野菜で足の踏み場もない状態になっていた。
「……あの、皆さん。もう置く場所がありません」
「おや、そうですか! では、外に置いておきますね!」
「いや、そういう問題では……」
エレナが困った顔をしている間にも、患者たちは次々と感謝の品を持ち込んでくる。
救護室は、もはや病院というより農産物の集積所と化していた。
なお、治療費は無料である。
エレナは一切お金を受け取っていない。
ただし、これは慈善事業というわけではなかった。
治療にかかった費用は、後日まとめてアレンに請求されることになっていたのだ。
つまり、患者たちは無料で治療を受け、エレナは感謝され、救護室には大量の野菜が集まっている。
そして、その費用を負担することになるアレンだけが、何も知らなかった。
後日、目を疑うような高額請求書が届くことになるとは。
この時のアレンは、まだ夢にも思っていなかった。




