剣術指南
リリアが現勇者に会いに来たのは、前勇者に会うためだった。
そして、その目的を果たしたリリアは、今度は前勇者に剣を教えてもらうことになった。
ただし、リリア一人で行くつもりはない。
現勇者パーティーも、当然のように連れていくつもりだった。
「これから79階層に行くからついてきなさい」
「お嬢様、何をされるのですか?」
パーティーの一人が尋ねる。
「勇者様が剣を教えてくださるのよ」
「勇者は私なんですが」
現勇者が苦笑する。
確かに彼も勇者だ。
というより、このパーティーの勇者なのだから、そう呼ばれるのは当然だった。
「あなたではないわ」
「ですよね……」
現勇者は、どこか寂しそうに答えた。
リリアにとっての「勇者様」は、どうやら別の人物らしい。
しかも、その本人から剣を教わることになっている。
「みんなの分も木刀を用意したわよ」
「私もですか?」
聖女が困惑した表情を浮かべる。
「もちろんよ」
「私は剣を使いませんが……」
「いい機会でしょう」
リリアはまったく気にしていない。
剣を使う者だけでなく、パーティー全員に木刀を用意している。
「せっかく前勇者様に教えていただけるのですもの。全員で学びましょう」
「そういうことですか……」
聖女は諦めたように木刀を受け取った。
こうして、現勇者パーティーとリリアは79階層へ向かった。
エレベーターに乗り込む。
扉が閉まり、階層表示が変わっていく。
そして79階層に到着する。
扉が開く。
その瞬間、ダンジョンに潜っている冒険者たちの中で、最も深い階層にいる者たちの記録が更新された。
現在のトップが79階層になったのだ。
ダンジョン内の映画館で流されていた映像も切り替わる。
それまで映っていた攻略パーティーの映像が消え、新しい映像が表示された。
「79階層に来たぞ!」
「また更新されたのか!」
「今度は何をするんだ?」
観客たちがざわめく。
そして映像に映ったのは、79階層へ到着したリリアたちだった。
「勇者様、前に約束した剣を教えてください」
リリアが前勇者に頼む。
「いいだろう。まずは素振りを見せてもらおうか」
前勇者はそう言って、木刀を手に取った。
リリアたちも木刀を構える。
「では、始めるぞ」
前勇者の指導が始まった。
映画館で見ていた冒険者たちは、一瞬だけ戸惑う。
「……剣術指導?」
「79階層で?」
「攻略じゃないのか?」
しかし、前勇者が実際に構えを見せ始めると、次第に空気が変わっていった。
前勇者の動きには無駄がない。
木刀を振るだけでも、ただ力任せに振っているわけではない。
足の位置。
身体の向き。
腕の動かし方。
そして、振り終わった後の姿勢。
一つ一つに意味がある。
「これは勉強になるな」
「前勇者の剣術指導か」
「79階層まで来て、まさか剣の授業が始まるとはな」
観客たちは、いつしか真剣に映像を見ていた。
攻略映像を期待していたはずなのに、思いのほか興味深い。
「俺も剣を使うから、ちゃんと見ておこう」
「前勇者が教えるなら、確かに貴重だな」
「こんなの普通なら見られないぞ」
79階層で前勇者から直接剣を教わっている。
その光景そのものが、冒険者たちにとっては十分に価値のあるものだった。
だが、その中で一人だけ、別の意味で真剣な男がいた。
現勇者である。
現勇者は今日、前勇者と模擬戦をした。
そして――完全に負けた。
一度もまともに勝負にならなかった。
自分が勇者として積み重ねてきたものが、まるで通用しなかった。
「……」
現勇者は黙々と素振りを続ける。
今日の敗北が、頭から離れない。
勇者として、強くなったつもりだった。
多くの魔物を倒した。
仲間とともに危険な階層を突破してきた。
70階層にも到達した。
それでも、前勇者の前では何もできなかった。
「勇者、もっと肩の力を抜け」
前勇者から声が飛ぶ。
「はい!」
現勇者はすぐに返事をする。
そして、さらに木刀を振る。
一回。
二回。
三回。
その動きは、先ほどよりも明らかに力が入っていた。
「力みすぎだ」
「はい!」
また振る。
「もっと身体全体を使え」
「はい!」
さらに振る。
現勇者は必死だった。
今日負けた相手から、今日教わっている。
ならば、一つでも多く吸収したい。
その気持ちは強かった。
リリアも前勇者の指導を受けながら、懸命に剣を振っている。
聖女たちも、それぞれ木刀を持って練習していた。
最初は困惑していた聖女も、前勇者の説明を聞いているうちに真剣になっていく。
いつの間にか、79階層は完全な剣術教室になっていた。
その光景を映画館で見ていた冒険者たちも、いつしか攻略ではなく剣術指導そのものに見入っていた。
「なんか普通に勉強になるな」
「前勇者って、あんなに教えるの上手かったのか」
「俺も剣を習いたくなってきた」
ダンジョンの深い階層で行われていることとは思えない。
しかし、見ている側にとっては非常に有意義な映像だった。
しばらくして、リリアは満足したように木刀を置く。
「今日はこのくらいにしましょう」
「そうだな」
前勇者も頷く。
リリアは満足そうな顔をして言った。
「来月もまた来ますわ」
前勇者は苦笑する。
「好きにするといい」
「では、帰りましょう」
リリアが現勇者たちに声をかける。
「はい」
現勇者も返事をする。
そして、エレベーターへ向かう。
だが、現勇者の頭の中は、まだ今日のことでいっぱいだった。
前勇者に負けた。
そして、その本人から剣を教わった。
悔しい。
だが、それ以上に、まだ自分には伸びる余地があることを思い知らされた。
ならば、やることは一つだ。
「素振りの回数を増やそう」
現勇者は、静かにそう決めた。
今日の敗北を、次の勝負につなげるために。




