絶望の79階層
正式に勇者が決まったことにより、それまで勇者候補だった者たちは、ただの強い冒険者になっていた。
勇者候補という肩書きはなくなった。
しかし、彼らがそれまで積み重ねてきた経験や実力までなくなったわけではない。
個人ランクはSランク。
パーティーとしてもSランクパーティー。
むしろ勇者候補として競い合っていた頃から、彼らの実力は一般的なSランク冒険者を大きく上回っていた。
正式な勇者が決まった後も、彼らは冒険者として活動を続けている。
そして、その彼らがもっとも長く滞在している場所が、アレンのダンジョンだった。
当然といえば当然だった。
このダンジョンには、自分たちの実力を試すことのできる階層がいくらでもある。
浅い階層なら余裕を持って攻略できる。
だが、深く潜れば話は変わってくる。
特に60階層。
そこに待ち構えていたケルベロスは、Sランクパーティーが一組で挑むにはあまりにも厄介な相手だった。
最終的に彼らは、複数のSランクパーティーが協力することで突破した。
一組では無理なら、人数を増やせばいい。
単純な発想だった。
実際、それでケルベロスは突破できた。
「やっぱり数は力だな」
そう考えた冒険者もいたかもしれない。
だが、その考えは次の階層で簡単に打ち砕かれた。
ヒュドラ。
その強さももちろん厄介だ。
しかし、本当に恐ろしいのは、それだけではなかった。
ヒュドラが存在するフィールドそのものが、冒険者たちを蝕んでいく。
継続的にダメージを受け続ける。
戦っている間だけではない。
そこに立っているだけでも体力を削られる。
人数を増やせば、それだけ多くの人間がダメージを受けることになる。
回復役を増やしても、今度は回復する側が疲弊していく。
ケルベロスを人海戦術で突破したパーティーも、ヒュドラのフィールド効果にはまったく対応できていなかった。
「……ここから先は、単純に人数を増やせばいいって話じゃないな」
そんな声が出るほどだった。
アレンはマスタールームで、その攻略状況を眺めていた。
「まだヒュドラで止まってるのか」
思わず苦笑する。
アレンにとって、冒険者たちがどこまで進めるかを見るのもダンジョン運営の楽しみの一つだった。
だが、それ以上に楽しみにしていることがある。
「誰か、早く79階層まで来ないかな」
アレンが待っているのは、ただ79階層まで到達する冒険者ではない。
その先に待っている戦いだ。
かつて正式に勇者だった男。
すでに勇者を引退し、その座を降りた元勇者。
その男は今、冒険者としてダンジョンを攻略する側ではない。
アレンのダンジョンに雇われ、冒険者を迎え撃つ側にいる。
深層で戦うため、装備も整えられている。
しかも、その装備は神話級。
アレンが楽しみにしているのは、そんな元勇者と、そこまで辿り着いた冒険者が戦うことだった。
「神話級の装備で固めた元勇者と戦ったら、どんな戦いになるんだろうな」
アレンは想像する。
だが、その光景が実現するには、まだまだ時間がかかりそうだった。
現在、冒険者たちはヒュドラで足止めされている。
60階層のケルベロスを突破した者たちですら、そこで止まっているのだ。
79階層までは、まだかなりの距離がある。
「まあ、急ぐ必要もないか」
アレンはそう呟いた。
ダンジョンは逃げない。
元勇者も逃げない。
あとは、冒険者たちが一歩ずつ深層へ進んでくるのを待てばいい。
「誰でもいいから、早く来てくれないかな」
アレンにとっては、それだけの話だった。
だが、その先に待っているのは、かつて勇者として名を馳せた男との戦い。
そして、それを迎え撃つのは、今や勇者ではなく――このダンジョンに雇われた元勇者だった。




