第二話:魔力
究極のスローライフを送る。そう決意したのはいいけれど。
私は、地平線の先でゆらゆらと陽炎に揺れる石造りの街影を見つめた。
「まずは、あそこね。とにかく拠点を確保しなきゃ」
社会人として、まずは現状のタスクを整理する。
究極のスローライフを送るには、誰にも文句を言わせない自分だけの拠点が必要だ。そして、拠点を手に入れるには、当然ながらお金が必要になる。
「……資金調達といえば、定番はギルド。きっとあの街にあるはず」
立ち上がり、自分の体を確認する。
転移前と後で服装も持ち物も何も変わっていない。ただ、あのでたらめな女が言っていた「特殊スキル」という武器があるはずだ。
「えーっと……こういう時は……」
私は周囲に誰もいないことを確認してから、スッと右手を前に出した。
「ステータス!」
……何も起きない。風が草を揺らす音が、妙に虚しく響く。
「ステータス、オープン! レベル、確認!」
必死に、知っている限りのお約束を口にしてみる。けれど、目の前にウィンドウが出ることも、脳内に声が響くこともない。
「……まじで説明不足すぎでしょ、あの女!!」
怒りで喉が震えた。
マニュアルも渡さず、初期装備もこれ。あの無責任な女、次会ったら絶対に許さない。
私は、イライラを足の回転に変えて街へと歩き出した。
「とりあえず、あの街を目指すしかないわ。さすがに始まりのエリアなんだし、安全でしょ」
◇◇◇
二時間後。
ようやく街にたどり着いた。
目の前に広がるのは、まさに王道ファンタジーの世界だった。
高くそびえる石造りの壁、オレンジ色のレンガ屋根が並ぶ美しい街並み。賑やかな市場の活気が門の外まで漏れ聞こえてくる。
「……本当に、異世界に来ちゃったんだ」
感傷に浸る暇はない。私は道端で大きな荷物を運んでいた男性に声をかけた。
「すみません。この街に、ギルドって場所はありますか?」
「ああ? ギルドか。あそこの大きな建物だよ。看板が出てるだろ」
(よかった……。これでひとまずお金は稼げる……!)
教えられた場所へ急ぐ。
辿り着いた冒険者ギルドは、天井が高く、多くの人々で騒がしかった。私は一呼吸おいて覚悟を決め、受付へと向かう。
「登録をお願いします」
「はい、承りました。では、ギルドカード作成のために、こちらで魔力測定をさせていただきますね。この水晶に手をかざしてください」
(……お、これは……!)
ファンタジーの王道。ここでいきなり「Sランク」の数値が出るか、測定不能で水晶が割れるパターンだ。これまでの不遇はこのための前振りに違いない。
自己肯定感の低い私だって、この世界なら特別になれるのかもしれない。
期待を込めて、私は水晶に右手を置いた。
……が、水晶は曇った色のままピクリとも動かない。
受付嬢が、少しにぶい顔で私を見た。
「えっと……魔力、ゼロですね」
「…………はい?」
私は思わず聞き返した。
「いえ、ですから、魔力がゼロです。とても珍しいですね」
「えっ、あの、これって……魔力が強すぎて測定不能のパターンですか!?」
「いえ、そんなはずはありません。目盛り自体が全く反応していませんから。……ただの『魔力なし』ですね」
受付嬢の冷淡な言葉が、私のプライドを粉々に砕く。
測定不能ではなく、ただの「ゼロ」。
この世界にさえ、私は受け入れられていないような気がして、胸の奥がチリチリと焼けるように痛んだ。
「……わかりました。登録、お願いします」
私は、投げ捨てるような声で言った。
渡されたのは、薄汚れた鉄のプレート。最低ランクである「F」の文字が、私の無能さを証明するように刻まれている。
「では、依頼はあちらの掲示板からお選びください」
私はしぶしぶと掲示板に向かった。
そこには「ドブ掃除」や「薬草採取」といった、泥にまみれる労働ばかりが並んでいる。
(……いや、まじで?)
私の人生で初めての、猛烈な拒絶が胸の中で渦巻いた。
企画書を出し直せと言われた時よりも、今の現実は私にとって受け入れがたいものだった。
「新しい冒険者の方ですか?」
ふいに、背後から声をかけられた。
「あ、はい――」
反射的に振り向くと、そこにはフードを深くかぶった青年が立っていた。
顔は少し見えにくいけれど、シュッとした顎のラインや整った唇だけで、彼が超絶イケメンであることが一瞬でわかった。
「変わった服装ですね。実は、臨時パーティのメンバーを募集していて……」
「ま、まぶしい……」
思わず、本音が漏れた。
埃っぽいギルドの中で、彼の一角だけが不自然なほどキラキラして見える。
疲れ切った私の目には、その整いすぎたルックスはもはや凶器に近い。
「はい?」
「あ、すみません。えっと、私なんかとパーティを?」
つい、卑屈な言葉が口を出た。
ついさっき「魔力ゼロ」の無能だと判定されたばかりの自分だ。そんなFランクの初心者を、こんな超絶イケメン男子が誘うなんて、何か裏があるんじゃないかと疑ってしまう。
「無所属の冒険者は少ないので、なかなかメンバーが集まらなくて困っていたところなんですよ」
青年は、困ったように笑った。
「あの……私、魔力ゼロって判定されたばかりの初心者なんですけど。戦力どころか、お荷物ですよ?」
正直に白状した私に、彼はあっさりと答えた。
「一人でも多い方が助かるので、ぜひお願いします」
……一人でも、多い方がいい。
女神には「123番」というただの番号で呼ばれ、水晶には「ゼロ」と突き放された私だったけれど。
とりあえずこの世界で、一人の人間として数えてもらえる場所が見つかったのかもしれない。
「……わかりました。よろしくお願いします」
キラキラした彼とパーティを組むのは少し気後れするけれど、背に腹はかえられない。
究極のスローライフからはまだまだ遠いが、とりあえずはこれで、今日明日を生き延びることはできそうだ。
私は少しだけ軽くなった足取りで、新しい仲間(?)と共に、ギルドの重い扉を押し開けた。




