第三章四話 秋の巡り
少女が身を引くと、腐朽が前のめりに倒れ落ちた。
「こんばんは、桜木 春奈さん。私の名前は紅葉 時雨、短い間だけどよろしく」
紅葉性ということは、椛の妹、だろうか。
手に視線をやると、包丁を持っていた。ごく一般的な包丁を。
「私を殺すの」
「ええ、残念ながら」
少女は手持無沙汰に包丁をくるくると回している。
「何で此処に来たの。そんな物騒な物持って」
パジャマのボタンを掛けながら問う。
「私、冬香さんと知り合いだったんです。お姉ちゃんと仲良かったので」
「それで?」
「お姉ちゃんも行方不明の上、仲の良かった冬香さんまでこんなことになるなんて、とても偶然とは思えなくて。だから、貴女に話を聴こうと思って、先生に病院を聞いて来たんです。包丁はこんなことがあった時のため」
少女は無理な作り笑いで語りかけて来る。
「そう。名推理ね。あ、そうだ。お礼を言ってなかったわね。ありがとう、殺してくれて」
「いえいえ、女の敵は減らしておかないと」
冗談交じりにくすくすと笑う彼女はとても美しく見える。
「そっか、そうだね」
今、向日葵の気持ちを完全理解した気がする。
「手。震えてるね」
別に命が惜しくて言っているのではない。最後に、何となく、少女と、紅葉 時雨と、話がしたいだけだ。
「そりゃあね。やっぱり恐ろしいもの、人を殺すだなんて」
手こそ震えているが、彼女の顔には何の迷いもないようだ。
「そうよね、私も怖かったもの」
「貴女を責める気はないわ。お姉ちゃんもそれなりの事をしたようだし。でも、分かるでしょ?私にとっては、かけがえのないない、たった一人の姉だったの。大切で、大好きな、姉だったの」
愛おしい物を見つめるような眼で彼女は語る。その姿に、自分を重ねてしまう。
「勿論分かるわ。そして、貴女は間違ってない」
こんなこと言わず、止めるべきなのだろう。止めて、自ら命を絶つべきなのだろうが、私にそんな度胸はない。人の命は絶てるのに。
「命乞いとかしないのね」
心底意外そうに尋ねてくる。
「そりゃあ、人の人生奪ってるわけだしね。それなのに命乞いだなんて無責任なこと、できないわよ」
「ちょっとカッコいいかも」
「かっこよくなんてないわよ。鬼ダサよ」
くすくすと笑い合い、数分間の沈黙が流れる。
「そろそろ、殺る?」
いよいよ腹を決め、時雨に問う。
「そうですね、そろそろ殺っちゃいましょうか」
時雨は心臓の辺りに包丁を突き立てた。
「少しの間でしたが、楽しかったです。さようなら、桜木さん」
「春奈だよ」
「はい?」
「私の名前。姉を殺した奴の名前は、憶えておきたいでしょ」
唖然としている。もしかして私だけなのだろうか。
時雨はふふふと笑い
「そうですね。改めまして、春奈さん」
と言葉を続ける。
「死んでください」
その言葉に私は答える。
「はい、よろこんで」
言下、包丁が差し込まれる。刺された部分は熱く、体は一瞬にして凍り付く。私は必死に声を殺す。せめて最後くらい、人のために死にたいじゃないか。
時雨はさらに深く包丁を押し込む。
人間とは案外脆い物らしく、もう意識を保てそうもない。
お母さん、ごめんね。着替え持って来てくれるって言ってたのに。会えないや。最後まで親不孝でごめんね。お父さんもごめん。結局お母さん悲しませちゃった。
視界が遠のく。視界の縁が暗くなる。
お姉ちゃん、私。私ね、お姉ちゃんを虐めてた人、皆殺したよ。お姉ちゃんが喜ぶわけないのにね。だからね、分かってたの。ただの自己満だって。でも、満足もしなかったの。虚しいだけだったの。あ、でもね、向日葵とは楽しくお喋りできたんだよ。だから、だからね。…私、何のために、三人も殺したんだろうね。あ、これだけは言わないと。
「あ…いして…る」
次回、最愛の姉へ




