第三章三話 腐朽
眼を開けると、黒い点々模様の天井が広がる。どうやら死ななかったらしい。ここは病院だろうか。点滴があるのだから、そうなのだろう。体の痛みを感じない。点滴は麻酔だろうか。ありがたい。
「桜木さん、点滴変えますね」
看護師さん、だろうか。看護師さんだろう。礼を言わなければ。
「あ、あり、が、とう。ござい、ます」
目を覚ましているとは思ってもいなかったらしく、礼を言い終えると看護師は悲鳴に近い声を上げ、担当医を呼びに走って行った。
どうやら一週間程、寝たきりだったようだ。通りで悲鳴を上げられる筈だ。医師が何やら説明をしてくれたのだが、頭がどうもハッキリしない。スッキリしない。
「春奈!」
聞き馴染みのある声が病室へと響き渡る。母の声だ。
「お母さん。来てくれたんだ」
母はパタパタと足音を立てて近づいてくる。真隣に立ったところで母の顔を見上げる。
パシッという音がまたも病室へと響き渡る。麻酔がまだ効いていいるせいでその痛みは感じない。それがとても虚しくて、悔しくて、涙が溢れ落ちて来る。
「なんで飛び降りなんかしたの。辛いことがあったら、言ってって言ったじゃない」
母の涙というものは、どんな強烈な殴りや投げ飛ばしよりも痛い。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
母の腕は温かい。母の胸は安心を感じる。今までの行いが全てなかった事になった気分にさせられる。
泣きに泣くこと数十分。涙も枯れ、久々に家族で和気藹々と話をした。
「じゃあ、明日着替え持ってくるから」
「うん、ありがとう」
母との久しぶりの会話はとても和んだ。棘だらけの心が、もうつるつるだ。まんまるだ。もっと早く、話しておけば良かった。そうしたら、殺しだなんてやらなかったかもしれない。
「後悔先に立たずってことかな」
「何を後悔しているのですか」
聞き覚えのある何とも気怠げな声だ、と思い声の方へ視線をやると、腐朽先生が夾竹桃の束を抱え立っていた。
「腐朽先生。わざわざ来てくださったんですね」
時刻は午後5時50分。
「いえいえ。教師として当然の事です」
何の連絡も無しに、女子生徒の病室に来るのが教師のすることだろうか。
「こんな言い方で恐縮なのですが、一体なんの用で」
「…貴女と一緒に落ちた、風花 冬香さんについてと、貴女の体調を確認に」
眼が怖い。蛇のようだ。気持ちが悪い。
「えぇ、風花 冬香さんは貴女の下敷きとなって、死亡しました。即死だったそうです」
安い安心が体を吹き抜ける。無事に彼奴を殺すことが出来たという安心が。
「そうですか、残念です」
「嘘ですね」
「え」
「貴女は安心しているはずです。風花 冬香を無事殺せたことに」
何故この男はそういった思考に至ったのだろうか。酷く困惑する。何故。何故。何故。何故。
「困惑していますね。もう一つ、困惑の種を増やしましょう」
何だ、これ以上何を知っているというのだ。
「紅葉 椛、夏樹 向日葵を誘拐、いえ、殺したのも貴女でしょう」
背筋が凍てつく。言葉に言い表せない、恐怖であろう何かが身体を、脳を刺して回る。
「いいですね~その顔。お姉さんにそっくりですよ。彼女が死んでしまう前の顔に」
ねっとりとした言い回しがより、神経を逆撫でする。
「お姉ちゃんに何をしたの」
聴くのが酷く億劫で、声が喉に引っかかる。詰まる。つっかえる。
「そうですね、説明するのはこっぱずかしいので」
腐朽がジリジリとこちらへ迫ってくる。私は少しでも距離を取ろうと、もぞもぞと後ろへ下がる。
腐朽が馬乗りになり、パジャマのボタンへ手を掛ける。
「行動でお教えしましょう」
投げ出された夾竹桃の花弁が宙を舞い、ひらひらと舞い降りてくる。その花弁が降り終わる頃丁度に、腐朽がパジャマのボタンをはずし終わり、私の貧相な胸が露わとなった。
「お姉ちゃんは何て言ってた」
「最低だ、と」
「そう」
ナースコールを押そうにも腕の力が入らない。すぐそこにある花瓶を取ろうにも力が入らない。たかが五階ほどの高さから飛び降りただけだというのに。人間の身体とはなんと脆いのだろう。
腐朽の手がブラジャーの装飾に触れる。
「お姉さんとはまた違う趣向なのですね」
「…お姉ちゃんとは、いつから。そして何回、こういうことしたの」
聞いたところで、ではあるのだが、この気味の悪い状況を少しでも誤魔化したくて、聞いてみる。
「残念なことに、死ぬ前にした時のみです」
それを聞いて安心した。うん?ちょっと待てよ。すると、こいつのせいで姉は死んだのではないか。ずっと引っかかっていたのだ。姉の性格からして虐めで死ぬとは、虐めに屈するとは思えなかったのだ。そうか、そうだったのか。
「お前のせいで姉は死んだんだな」
「失礼ですね、虐めのせいですよ」
「あんた知ってたんだろう、虐めの事。それなのに何で止めなかったんだよ」
「憶測で物を言いすぎですよ。合ってますが。何故か、そりゃチャンスになると思ったからですよ」
腐朽は話している間、ずっと装飾のリボンを弄っている。
「チャンス?」
「ええ。チャンス」
腸が煮えくり返る思いだ。姉を犯すために虐めを放置していただと、ふざけるなよ。
「泳がせといて正解でしたよ。おかげで月桂さんと致せた。ですが、残念です。彼女が生きていてくれたら、いじめを止め、平穏な学園生活を送らせてあげられたのに。残念です」
腐朽は天を仰ぎながらそう語った。
「きっもちわる」
「お姉さんにも同じ反応をされましたよ」
姉にこの旨を伝えたのか。成るほど、この男は根本から違うのだ。生物としての根本から。
「さ、お話もこれくらいにして、楽しみましょうか」
腐朽の手がブラジャーのリボンから離れ、ズボンへと移動する。ズボンとパンツの間に手をねじ込み、じっくりとズボンの下ろしていく。肌に彼の手が当たると、鳥肌が一気に全身へと回る。早く終わってくれないだろうか。
「そうね、お話はそれくらいにしましょうね、女の敵さん」
聞き覚えのない声に視線をやると、紅葉 椛似た少女が立っていた。
「誰だ!」
腐朽が立ち上がろうとする瞬間、少女は静かに腐朽へと倒れ掛かった。普及はそれを抱きしめる。すると
「グッ」
という汚い声が聞こえてきた。
少女が何やら腐朽へと押し付ける。
「早くくたばりなさい」
腐朽の腹部へ視線をやると、血が滲んでいた。
次回、秋の巡り




