第二章七話 夏の終わり
【平成29年2017年5月9日】
あのメールを送信してから私は、今か今かと月桂からの返信を待っていたが、ついに返信が来ることはなく朝を迎えた。
「…向日葵、何だかご機嫌だね」
教室でメールの返信を期待しスマホを眺めていると、怪訝な表情をした冬香が話し掛けてきた。
「別に、いつも通りだけど」
「全然いつも通りじゃない!いつも死んだ魚の目をしているのに、生き生きしてるもん」
この馬鹿ツインテールはいつも一言、二言余計だ。
「失礼ね、今日はちょっと体調が良いってだけよ」
「なんで、なんで体調が良いのよ。椛がいなくなったから?」
「あんた本当しつこいよ」
何度、何度同じ会話を繰り返すのだろうか。昨日、あんなにご機嫌に帰って行ったじゃないか。お前は機嫌を良くしているというのに何故、私は機嫌をよくしてはいけないのか。
「向日葵、まだ逆恨みしてるの」
「は?」
「月桂のこと、まだ気にしてるの」
気付くと口よりも先に手が出ていた。
「あ、ご、ごめん」
嗚呼、面倒だ。月桂となら、こんな不毛な会話しなくて済むのに。
…なにを思っているのだろう。虐めに加担しておいて、虫が良いにもほどがある。
「…今日はゲームセンターに行ってみようよ。椛、案外ただの家出で遊び歩いてるだけかもよ」
「うん、行く」
半泣きの彼女の機嫌を何とか取り、昼食を共に取り放課後、ゲームセンターへと向かった。
騒がしい店内を端から端まで隅々と探したが、まあ予想道理、椛は見つからなかった。
「次はどうする」
「本屋に行く。椛が好きな漫画の新刊が、今日発売だからいるかも」
「わかった。それじゃあ行こうか」
駅を二駅跨ぎ、本屋へ着くと、彼女は早足で漫画の新刊コーナーへと向かって行く。
彼女は一体どこへ行ってしまったのだろうか。彼女との付き合いもそこそこ長いが、もう彼女の行きそうな場所が思いつかない。改めて軽薄な仲だったのだな、と実感させられる。
「…いなかった」
「そっか。…今日はもう帰ろうか、もう5時だし」
「うん。明日も付き合ってくれる?」
「…勿論」
おそらく引き攣っていたであろう笑みに、彼女は満面の笑みで返答する。
なんてちょろい女なのだろうか。少し可愛く思えてしまう。だがとっとと飽きてほしい。この無駄な時間を過ごしている感じがとてもむず痒く、そして気の悪い焦りを呼び、今にも倒れてしまいそうになる。
どうか早く、彼女が飽きてくれますように。
そう願いながら電車へと乗り込むとスマホに一つの通知が届いた。
『向日葵へ。
5月24日17時30分に、音楽室で待ってるわ。また前みたいに楽しくお喋りをしましょう。
by月桂』
鼓動が早くなる。
また逢える。月桂に逢える。こんなに早く。
息が乱れ過呼吸になってくる。
「…向日葵」
彼女の低い声で我に返る。
「なに」
「誰から」
「冬香の知らない娘だよ」
「名前は」
「だから、冬香はしら」
「名前は!」
車内にヒステリックな声が響き渡り、乗客が一斉にこちらを向く。
「つ、ツツジだよ。ハルノツツジ」
「…知らない名前」
「そ、そうでしょ。学校も違うしね」
「そう。ごめん、怒鳴って」
冬香に知られるのは避けたい。月桂と名乗る人物がいると知ったら、何をしでかすか分かったもんじゃない。それに、あり得ないが、もし本当に月桂だったとしたら。私は再会を邪魔されたくない。二人だけで逢いたい。
メールへの返信はしなかった。前回のメールの返信が無いのを見るに、返信を期待したメールではないことは明らかだったためである。それなのに返信しては、尚のこと嫌われてしまう。
楽しみだ。早く、早く24日になれば良いのに。
その日から24日まで、私は学校を休み、家に籠って過ごした。
「やっと逢える。貴女に、また」
身なりを念入りに整え、家のドアを開けると、そこには雲一つない晴天が広がっていた。空気も澄んでおり、とても心地が良い。絶好の再開日和だ。
教室の扉を開けると冬香が詰め寄って来た。
「ねえ、何でずっと休んでたの」
詰問と言うにはやや足りない勢いで問うてくる。
「…体調を崩してたのよ」
「二週間以上も」
「おかしな話じゃないでしょ」
「おかしいわよ。一緒に探すって言ったくせに!嘘つき」
叫ぶだけ叫び、廊下を物凄い勢いで駆けて行く。まるで猪のようだ。猪突猛進、周りのことなんて気にせず廊下の真ん中を駆けている。滑稽極まれりである。
それから授業の時間になっても彼女は戻ってこなかった。
そして授業は普段よりも早く流れていき、あっという間に定刻となった。結局冬香はあのまま早退したと、担任から聞かされた。聞いてもいないのに何故伝えて来るのだろうか。彼奴の行き先だとかどうでもいい、この幸せの予感で満たされた脳に余計な情報を入れないでくれ。汚さないでくれ。
荷物を担ぎ急いで音楽室へと向かう。
勢いよく扉をスライドさせ辺りを見渡す。が、そこには誰の影も無い。
「そりゃ、いないよね」
やはり誰かの悪戯だったようだ。だが誰がこんなことを。椛だろうか。彼奴ならやりかねない。
考え込んでいると扉の開く音で我に返り、振り返るとそこには狐の面を着けた女が立っていた。
「あれ、早かったね向日葵」
「月桂なの?本当に?」
「そうよ、月桂よ」
感極まり、私の瞳から雫がぽたぽたと床へと零れ落ちていく。
「私、私貴女に言いたいことがたくさんあるの!…聞いてくれる?」
「勿論。そのために此処に呼んだんですもの」
「ありがとう。本当にありがとう」
それから数分間私はなき続けた。涙が枯れるまで。気持ちが収まるまで。
「そろそろ大丈夫かな?」
「うん、ごめん。もう大丈夫」
洟を啜り、彼女の顔を見る。
「ねえ、月桂。ずっと気になっていたのだけど、どうしてお面を着けているの」
彼女はとても言い辛そうに答えてくれた。
「…これはね、ただのおしゃれよ」
拍子抜けだ。もっとなにか重大なことなのかと身構えていたのだが。
「そ、そうなんだ。おしゃれか」
「ええそうよ、おしゃれよ。可愛いでしょ、近くの駄菓子屋で買ったの」
「え、ええ可愛いわ」
どこかおかしい。月桂らしくない。彼女の話し方にはもう少し重みがあった。知があったはずなのだが、目の前の月桂が話す言葉は幼稚さを感じさせる。
いや、分かっているのだ。月桂ではないことは。なんせ葬儀にも出たわけだしな。だが、死体は見ていない。だから私は生きていると、可能性があると、信じて此処に来たのだ。
「それじゃあ、話を聞かせてもらおうかしら」
「…ごめんね、あんなこと言って。ちゃんと貴女と苦しんであげられなくてごめん。逃げてごめんね。止められなくてごめん、ごめんなさい」
出尽くしたはずの涙がまた溢れてくる。本当、私は自己中だ。
「何それ」
小声ではあったが、確かに聞こえたその声からやはり、月桂では無いことを悟る。
「やっぱり、貴女月桂じゃないわね」
「何言ってるのよ向日葵、月桂よ。桜木月桂」
「いるわけないもの。彼女は死んだのだから」
「じゃあ、何故ここに来たの」
「…馬鹿な期待と、この気持ちを誰にでもいいから聞いてもらって、私の気持ちを晴らすためよ」
「懺悔か。気持ち悪」
彼女の言う通り気持ち悪いことだ。そんなことは重々承知の上だ。
「懺悔程立派なものではないわ。ただの自己満よ」
「懺悔も自己満だから間違っちゃないでしょ。で、他に言いたいことは?」
「愛してる」
直後、彼女が腕を振るのが見え、私は意識を失った。
目を覚ますと腕と脚を椅子に括付けられていた。
「起きた?早かったわね。椛はもう少し長く寝てたのに」
なんとも薄く軽い口調で彼女は語る。
「私本当に辛かったんだよ、向日葵に裏切られるわ、殴られるわ。ほんっと、辛かった」
彼女は振り返りざまに私の顔を一殴りし、お面に手をかける。
「本当に辛かったと思うよ、お姉ちゃんは」
面を取ったその顔は、階段でぶつかった、月桂に似ていると思った女子だった。
「驚いた。貴女だったのね」
「ええ。お久しぶり、階段のお姉さん」
「お姉ちゃんってことは、貴女妹なのね、月桂の。道理で似てるはずだ、声も、雰囲気も。顔も似てるわね」
長い髪が窓から入ってくる風で緩やかに揺れている。
「私とお姉ちゃん、大分身長違うでしょ。なんで気付かないの、お姉ちゃんじゃないって。貴女お姉ちゃんを愛してたんでしょ?貴女の愛はその程度の物なの?」
微笑で彼女は言葉を刺してくる。
「声と雰囲気で、月桂だって思ったの。確かに、どこか違うとは思ってたけど…違う、分かってた。そう、楽になりたかったから、違和感を無視した。でも、本当に嬉しかった」
「気持ち悪」
彼女はそう言うと背を向け鞄を漁りだした。鞄からは何やら重たい、ガチャガチャといった音が鳴り響いている。
幾分か経ち、どうやら探し物が見つかったらしく、彼女は満足気にこちらに向き直った。
「さ、拷問を始めましょうか」
「拷問?貴女は私に何を聴きたいの」
彼女は何の迷いもなく答えた。
「お姉ちゃんへの虐めを提案した人物、それは誰?」
目力が増した。彼女は本気のようだ。私はきっと殺されてしまうのだろう。だというのに、恐怖が微塵もない。ましてや解放されるという安心感すら覚える。
私はとことん落ちぶれてしまったようだ。
「風花 冬香よ。葬儀の時に場違いのツインテールをした娘がいたでしょ?そいつよ」
彼女は呆れた様な声色で言葉を紡ぐ。
「あんた仲間売るとかつくづく屑だな。何、とっとと言ったら痛い思いせずに帰れるとでも思ってんの。悪いけどあんたを帰すつもりはないよ」
「分かってるわよそんなことくらい。ただ私もあいつは嫌いなのと、罪滅ぼしのつもりなだけ」
彼女は溜息を吐き、『つくづく気持ち悪い』と続けた。
「せっかく取り出したのに、これ」
手に持っている少し錆び付いたペンチを重そうにふらふらと左右に揺らしている。
「ま、いっか。サクッとやっちゃお」
そう言うと彼女は再び鞄を漁り、鉄パイプを取り出した。
「このスクールバッグ、見覚えない?お姉ちゃんのなんだよ」
ゾッとした。姉の形見を仇討をするための道具入れにしてしまうなんて。
「いかれてるよ貴女」
そう言うと彼女は微笑みで答えた。
その微笑みに、月桂の面影を見た。美しい。彼女に殺されるなんて、こんな幸福な事があって良いのだろうか。最後が、こんなに幸せで。私を裁くのが月桂の身内で。
「貴女も負けてないわよ。こんな状況なのにそんなに幸せそうな顔しているんだもの」
どうやら顔に出てしまっていたようだ。恥ずかしい。
「ねえ、貴女の名前、最後に教えてよ」
「何で?もう死ぬのに」
「自分を殺す人間よ?知っておきたいじゃない」
「嘘つき。桜木 月桂の妹だからでしょ」
この短時間で随分、私を知ってくれたようだ。
「ばれたか」
これから殺されるというのに、何故こんなにも、楽しく会話をできているのだろうか。彼女もどこか楽しそうに見える。
「いいよ、冥土の土産に教えてあげる。春奈よ。桜木 春奈」
「春奈か、いい名前ね」
いつだったか、月桂と妹の話をした気がするが、もう忘れてしまった。彼女の名前は勿論、聞いたことがあったはずなのだがな。
「さあ、お話は終わりにしましょうか。私も人間ですからね、情が湧いて殺せなくなっちゃう」
「そう、残念。貴女との会話、とても楽しかったのに」
「私もよ。本当に短い時間だったけれど、楽しかったわ。貴女が虐めに加担さえしていなければ、友達になれたかもね」
本当に残念だ。彼女…春奈と月桂、二人と仲良く過ごす世界もあったと思うと、本当に残念。
「ありがとう春奈。そして、ごめんなさい」
月桂の顔を思い浮かべ、瞼を下ろす。
月桂、貴女を守れなかった上に、裏切った上に、貴女の妹の手を汚させてしまう。本当にごめんね。どこまでも自分勝手で。でもありがとう。私に癒しをくれて。そして春奈、ありがとう。私に罰をくれて。私を殺してくれて。
愛してる。
次回、侘しさ




