第二章六話 桜吹雪
「へ、」
この場にいる全員が狼狽した。
「もう他人がしているのを眺めているだけじゃ、満足できなくなってしまったの。だから私が主体になる。もちろん、貴女にも手伝ってもらうわよ。始めたのなら最後までやらなくちゃ無責任だもの、私そういういい加減な人はきらいなの」
「もちろんです椛様」
「あとその敬語やめてくれる、不愉快だわ。今まで通りにして」
「はい、椛」
「月桂」
椛は月桂にタオルと体操服を投げた。
「椛あんた、もしかして冬香がこれやるって知ってたの。その上で放っておいたの」
「そうよ。だって、これから私がこれと同じく、もしくはこれ以上のことをやるのよ、止める必要がないでしょ」
「お前」
椛に掴みかかろうとすると冬香に羽交い締めにされた。
「離せ冬香」
「離すわけないでしょ」
必死に振り払おうと藻掻くが彼女は微動だにしない。まるで岩に括られているかのような錯覚に陥る程に。
「早く着替えてね、もうすぐホームルームが始まっちゃうから。じゃ、行くよ冬香」
「は~い」
冬香は喜色満面で答えると私を突き飛ばし椛と共に教室へと戻って行った。
「…ごめんね月桂、私、何もできなかった」
月桂の細く艶やかな指が私の頬を撫でる。
「大丈夫だからそんな顔しないで。貴女のそんな顔をみている方が辛くなる」
彼女はこんなにも温かい言葉を掛けてくれるのに、私は彼女を冷やすことしかできない。泣くことしかできない。そんな情けない自分が嫌で嫌で仕方がない。どうしたら、私は彼女を温めてあげられるのだろう。
その後、月桂は着替えると教室へと戻って行った。その背中は、触れたら崩れてしまいそうな、そんな危うさを感じさせた。
昼休みになり、弁当を一緒に食べようと誘おうとした矢先、彼女らは月桂の下へと集まってきた。その光景は、私に角砂糖を見つけた蟻を連想させた。
「音楽室に来て」
えらく端的に用を伝え教室を出ていった。
「月桂、行くの」
「行くよ。私が不快にさせてしまったのだから、責任は取らないと」
「貴女に責任なんて」
無いとは、正直言い切れなかった。そう、少なからず私も思う所はあったから。勿論彼女のそういう素直かつ真っ直ぐに自分を通す所が好きだ。だがやはり鬱陶しい、というよりは眩しいだろうか。そう感じる時がある。
「それじゃあ、行ってくるね」
月桂は私の答えを待つことなく音楽室へと向かった。
月桂の姿を見ることができたのは昼休み終了十分前だった。外観はなんら変わっていなかったが、明らかに苦い顔をしていいる。
「月桂なにされたの」
「なにもされてないわ。だから心配しないで」
「なにも、されてないわけないじゃない」
何故なの、何故私にまで虚勢を張るのよ。私はすべて知っているのに、それなのに。
「なんでよ」
「本当に、ごめんね」
この日を境に私と月桂の距離は大きく離れてしまった。
虐めが激化してから一ヵ月が経とうというころ、私は放課後、椛達に音楽室へと呼び出されていた。
「話ってなによ」
「向日葵、貴女も私達に協力してくれないかしら」
「は?するわけないじゃん」
「貴女にもそう悪い話じゃないと思うのだけだ」
「良い要素が見当たらないのだけど。それに協力って、おこがましいわ。そんな大それたものじゃないでしょ」
「私にとっては大それたものなのよ。もし、貴女が私に協力してくれると言うのなら、貴女とあの子との仲を取り持ってあげてもいいわよ」
こいつは何を言っているのだろうか。壊そうとしている関係を取り持つだと、冗談も休み休み言えってんだ。
「悪くないでしょ」
「最悪だね。話はそれだけ、私早く帰りたいんだけど」
「うぅん、そっか、だめか」
何故承諾すると思ったのか本当に謎だ。確かに私は彼女に何もしてあげられていないけれど、何も虐めそのものを黙認しているわけではない。ただ、本当に何もできない、無力なだけだ。
「じゃあ帰るから」
「それなら命令にしましょう。幼稚な言い方にはなるけれど。向日葵、私たちと共に桜木月桂を虐めなさい。貴女が私たちと共にしないのなら、残念だけど彼女は私自ら殺すわ」
殺れる訳がない。そう言い切るには、彼女の瞳の中の光が足りなかった。今のどうにかしている彼女なら殺りかねない。
「協力って何をするのよ」
彼女はニヒルに笑い、続けた。
「前に冬香が言っていたでしょ、虐めの内容を考えるのも大変だって」
「内容を考えろと」
「そうよ考えなさい。月桂が大切ならね」
「あはは、凄い矛盾」
冬香が満面の笑みで放った言葉に私は苛立ちながら椛に言葉を返す。
「月桂には言うの、私が考えたって」
「言わないわよ、仲を取り持つって言ったでしょ」
「なら、考えてあげるわ。虐め」
「ありごとう向日葵、楽しみにしてるわ」
「じゃあ、帰るから」
この日、私は完全に自分のことが嫌いになった。
翌日、放課後に彼女らを呼び出し私の案を提示した。
「考えてきたわよ」
「いゃ〜仕事が早くて助かるよ向日葵」
白々しい。翌日にでも提示しなきゃ月桂を使って急かしてきてたくせに。
「さぁ聞かせてよ、貴女の虐めを」
「まず、いつも通り彼女を呼び出して腹に拳を一発ぶち込んで」
「ちょっとまって」
冬香が突然声をあげる。
「なによ」
「あんたどんだけ詳細に考えてきたのよ」
まだ大して話していないのに何を言っているんだこのツインテールは。
「そんな細かくないわよ。黙って話聞いてなさいよね」
ツインテールの不服そうな顔を無視私は続けた。
「その後にお腹に蹴りを三発程入れる、次はひっくり返して背中を四から五回程踏みつけて仕上げに水をかけてバケツを投げつける。私が考えられるのはこんなところよ、拍子抜けたかしら」
「なんと言うか」
「普通」
椛の言葉を遮りバカツインテールが発言する。なんなんだこいつは、いちいち癇に障る。
「がっかりだわ、貴女がその程度のものしか思いつかないなんて。買い被りすぎていたようね」
「うるさいわね、大体思いつかなきゃ止めりゃいいのよ」
「それは絶対ないわ」
「どうする椛」
「そうね、考えきてはくれたし、とりあえずこの子の案でいきましょうか」
「は~い」
私が提案した虐めは、恐らくこいつらが今までやっきた内容と大差のないものだろう。なんなら軽いはずだ。だから私が原因で月桂が死ぬなんてことは、まずないだろう。あとはどうやってやめされるか、だ。
提案してしまった罪滅ぼしに、虐めを止めなければ私が壊れてしまう。どこまでも身勝手だが、止めるのだ、彼女も大目に見てくれるだろう。
翌日、昼休みに奴らに呼ばれ音楽室の扉を開けると、そこには横たわった月桂がいた。
「…なんで私を呼んだの」
「月桂が会いたいかなって思ったからよ。優しいでしょ」
この女はどこまで性根が腐っているのだろうか。ここまでくるともはや清々しい。
「月桂、大丈夫、じゃないわよね。私は、どうしたらいい」
私もこいつらに当てられおかしくなってしまったらしい。気づけばモラルの欠片もないセリフを、何の迷いもなく放っていた。
「どうも、しなくて、いいよ。向日葵は何もしなくていい」
今にも血を吐くのではないかという咳をしながら答える彼女に、私はほんの少しばかりの怒りを覚えた。
「だそうだから、私戻るね。ご飯食べたいし」
「そう、じゃあ続けましょうか」
音楽室の中には肌が跳ねる音が響いているのに、扉を閉めたとたん別の世界に来たのかというほどの静寂が広がっていた。その静寂は、私にはとても居心地の悪いものだった。
そろそろ今年も終わろうかという師走のこと。私達は冬休みとなった。
その間私はできるだけ情報を入れまいと、ずっと家で引きこもっていた。
「向日葵、たまには外に出たら」
リビングのソファに寝転がりながらテレビを見つめていると、母が呆れたように語りかけてくる。
「嫌よ、特に用事があるわけでもないのにこんな寒いなか出るなんて」
「まったくもう、お友達と遊ぶとかしなさいよ。よく話してた月桂ちゃんって子とかさ」
どうして親ってやつは、気にしていて触れてほしくないことに限って的確に触れてくるのだろうか。
「月桂は…忙しいのよ」
「そう、でもほら、たしか椛ちゃんって言ったかしら、その子はどうなの」
「もう、うるさい」
雑にクッションを放り二階の自室へと駆け上がる。ちらりと見えた母の顔はとても困惑している様子だった。
「余計なおせわよ」
私の嘆きは虚しく部屋の中を駆け回るばかりだった。
結局、家を出ることなく私の冬休みは過ぎていった。
久しぶりの登校は、奇妙なほど、皆変わらずの様子だった。まるで私だけ違う世界に来たような、そんな感覚に陥る。
何故皆笑っていられるのだ。私もそちらへ行きたい。何故私を巻き込んだのだ。私は何も悪くない。
そんなことばかりが頭の中で駆け巡る。私はあと何回こんなことを繰り返すのだろうか。辛い。しんどい。もう、終わらせたい。
「向日葵、おはよう。顔色悪いけどどうしたの」
久々に聞くその声はとても弱々しく、髪で隠している片目は、風が吹くたびに青痣がチラチラと見え隠れしている。
「だっ、」
大丈夫かなんて聞かないでほしい。明らかに限界が来ている貴女を前にして、大丈夫以外の言葉は選択肢から消えてしまう。私だってもう限界だ。限界だと叫びたい。貴女になにもしてあげられていないどころか虐めに加担してしまっている始末。こんなことやりたくないと思おうと必死な私が酷く醜く、楽しい、様を見ろと思う自分がとても憎い。
いつからだろう、月桂のことをこんな風に見るようになったのは。こんな風に思ってしまっているが、恋心が消失したわけではない。依然恋焦がれている。そう断言できる。なのに何故こんなにも負の感情が油田が如く湧き上がってくるのだろう。
「大丈夫じゃないよ」
頭の中で言葉を回していると口をついて出ていた。
「全然大丈夫じゃない。月桂の方が明らかに酷い状態なのに大丈夫かなんて聞かないでよ、大丈夫としか言えなくなるでしょ。貴女は、貴女は優しすぎるの、だから虐められるのよ」
頬を伝う生温かい物は私の苛立ちを加速させる。
「もう私を苦しめないで、もう私に関わらないで。貴女を好きなままでいさせて」
何故私は、この苦しさを月桂のせいにしているのだろうか。私が全て悪いのに。私が勝手に苦しんでいるだけなのに。
嫌だ。この人前だというのに泣き崩れている自分が。どこか冷静で俯瞰して見ている自分が。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。
「わかったよ、向日葵。もう貴女には関わらない。ごっ、…いや、さようなら、向日葵」
周りの生徒は私をおいてけぼりにどんどん流れていく。私は地面を見ているばかり。
私が立ち上がったのは数十分後のことだった。もう登校して来る生徒も殆どおらず、教師が門を閉めようとしている。それをボーっと見つめた後、茫然と下駄箱まで歩みを進め、上靴に履き替え教室へと向かった。
教室は依然変わらず、騒がしく活気づいている。ただ二人を除いて。
席に着こうとすると月桂と一瞬目が合う。先程のこともあり、気まずいが仕方がない。席は急に変わったりはしないのだから。
それからはいつもどおりの一日が過ぎていった。昼休みに月桂は彼女らの待つ音楽室へ行き、ズタボロになって帰ってくる。そんな一日。
その日から私達は、一言も話すことなく二年生へと進級した。
【4月8日新学年春休み明け】
クラス表を確認し、新たなクラスへと向かう。
新たなクラスには月桂も椛も冬香もいない。これでようやく、本格的に目を背けることができる。
【5月24日】
今日はいい天気だ。空気も澄んでいて気持ちが良い。
「学校がなければ、もっと気分良いんだけどな」
「そうだね。本当、足が重いよ」
席が隣になったことがきっかけで仲良くなった、春山 明菜と他愛もない話をしながら登校するのが、ここ最近の癒しになっていた。
明菜はどこか月桂と似ている。顔が整っていて、理知的でどこか儚げな、そんな娘だ。
昼休みになり、図書室へと行こうと階段を下りていると月桂とすれ違った。
「月桂…」
気付くと彼女の名前を呼んでいた。
「…もう、関わらないんじゃなかったの」
その声は一層陰っていた。
「え、ええそうよ。もう、関わらない。つい声を掛けてしまっただけよ。止めて悪かったわね」
「そう、それじゃあ」
月桂は左脚を引きずりながら階段を上がっている。
「虐め、まだ続いてるの」
「…続いてるよ」
「…そう」
私は階段を駆け下り、図書室へと向かった。
図書室で待っていてくれた明菜に礼を言い、図書室へ入り、小声で会話を弾ませながら目当ての本を探す。
「向日葵ちゃん、何を探しに来たの」
「えっと、最近流行ってる恋愛小説」
「新島 小春の栞?」
「そう!それ!」
「それなら私、持ってるから貸そうか」
「いいの?」
「いいよ、じゃあ明日持ってくるね」
「うん!ありがとう明菜」
それから、用がなくなった私達は図書室を出て教室へと戻り、会話を交わし昼休みを過ごした。
授業も終わり、帰り支度で騒がしくなる教室。私は先生の手伝いで不在の明菜を窓の外を眺めて待っていた。
眺めていると、突如現れた物体と目が合った。
「月、桂」
時が止まった。
数秒遅れてとても鈍い音が聞こえてきた。
また、その数秒後に甲高い悲鳴が下の階から響いてきた。
それから一週間後、月桂の葬儀が執り行われた。
「あれ、向日葵じゃん」
葬儀へと向かう途中、椛と冬香に呼び止められた。どうやら彼女らも月桂の葬儀へと向かうようで喪服に身を包んでいる。
「あんた達どの面下げて行くわけ」
「どの面も下げないわよ。威風堂々と真正面見て行くわよ」
呆れて声も出ないとはこの事か。どのように生きたらここまで無神経の屑になるのだろうか。
「そう、凄いわね。尊敬の念を抱くわ」
「ふふ、言うようになったわね」
冬香がこちらにづかづかと歩み寄ってくる。
「あんた口の利き方がなってないわね」
彼女が振りかぶる。
「やめなさい」
手が顔の寸前で止まる。
「…命拾いしたわね」
喧しいくそツインテール。いちいち恰好つけるな。
「月桂の家まで一緒に行きましょう。久々に貴女とお話がしたいわ」
彼女の薄気味悪い笑みに悪寒を覚えつつも、目的地が同じため断ろうにも断れず同行するのだった。
「最近調子どう?」
「最悪よ、貴女達のせいでね」
冬香は終始拳を握りしめ、私のことを睨んでいる。
「ふふふ、そうでしょうね。でも貴女、被害者面しているけれど貴女も共犯者なのよ。しょぼい内容ばかりだったとはいえ、虐めの内容を提案してきたのだから」
「…別に被害者面なんてしてないわよ。忘れているわけでもない」
「でも、忘れようとしている」
「してないってば!」
それから家へ着き、お経が読み上げられるまで会話はなかった。
状態が酷いらしく、棺の窓は閉められていた。
お経が終わり周りが続々と帰って行く中、私と彼女らは残っていた。
左隣に立っている椛が語りだす。
「私ね、最近月桂を虐めるのに飽きてきてたの。毎日毎日同じことの繰り返しだからさ。それでね、一週間前に彼女に行ったの、いっそのこと死んでくれない?って」
彼女の方を向くとまた薄気味の悪い笑みを浮かべていた。
「やっと目があったね、向日葵」
「あんた何てこと」
「だから、被害者面しないでってば。貴女がもっと面白い、楽しめる内容を考えてきてくれていたら月桂は死ななかったのよ。つまり貴女のせいでもあるのだから、そんなに睨まれる筋合いはないわ」
私のせい。そうだ、私が止められなかったのが原因だ。なのに逃げて、逃げて、忘れようとして、何やってんだ私は。なさけない。
「ふふ、俯いているところ恐縮だけど、もう一つ貴女に言っておかなければならないことがあるの」
私が向き直すと椛の笑みが増す。冬香も声を殺し笑い出す。
「これも一週間前のことなんだけど、私ね、月桂に言ったの」
「なにを」
「この虐めは向日葵が考えたのよ、て」
その時、私のなかで何かが切れる音がした。
「あっれ~どうしたの向日葵ちゃん。表情が暗いよ?」
「冬香、ほどほどに」
「はーい」
「そ、それで、それで月桂は何て言ったの」
「それが、面白みのないことに『そう』とだけ」
月桂はどう思ったのだろう。もう、どうでもいいか。考えたってわかりゃしないし。
「はは、はははははは」
「なにない、壊れちゃった?」
「かもね」
「でもさ、マジで死ぬとは思わなかったよねw」
「マジそれな。普通死ねって言われてマジで死ぬかねw」
「やっぱり頭おかしかったんだよ」
気付くと口から出ていたその言葉は本心なのか、孤独を埋めるための同調なのかわからないが、心が少し、軽くなった。
そして私は、この日から空いた心の穴を埋めるように、椛達へと依存していった。
次回、夏の終わり




