36【毛利の意地】~毛利晴也~
九星学院高校との試合、対中堅戦。三本柱のひとり、宗像と戦う、毛利先輩のお話。
毛利視点でお送りします。
「行ってくる!」
毛利は軽やかな声で、スーパールーキーにそう声をかけた。緊張と興奮で声がうわずりそうになったものの、なんとか堪え、試合場に入る。後輩の前では、度胸の座ったかっこいい先輩を気取りたくなるものだが、実際のところ、この玉竜旗大会が始まってから、かっこいいところが多いのは、どちらかというと航の方だった。今回の遠征、市立船戸チームは、すっかり彼の活躍を頼りにしてしまっている。
悔しいけど……、やっぱあの武田弟と互角に戦えるんだから、それだけ強いってことだよな……。
あんな強者が、それこそ兜山高校から勧誘を受けて、そのまま入学し、毛利たちの敵として現れなくてよかった。市立船戸高校に来てくれてよかった。一緒に仲間として、剣道ができてよかった。船戸剣武館で勧誘してくれた織田にはまったく感謝しかない。毛利は今、そんなことを思っている。
ボーナスステージの九州遠征の大会で、強豪校を相手に、今から出番だというこんなに大切な局面で、しみじみしてしまうのも変だが、それほど、航の存在は大きかった。
お前が必死に作ってくれた流れ、絶対に繋ぐからな……!
玉竜旗大会、三回戦。市立船戸高校は、次鋒対中堅の試合を迎えている。毛利は深呼吸をして、ゆっくりと蹲踞をした。集中を高め、相手を真っすぐに見つめる。今、目の前にいるのは、今大会の優勝候補チームの中堅、宗像。全国レベルの強豪校、九星学院の三本柱のひとりだ。ちなみに彼は、まだ二年生。毛利の一年歳下だった。
おいおい、これで二年って……、ほんとかよ。すんげえ威圧感じゃんか。しかも……。
でかい。この青年が一年後輩だなんて、とてもじゃないが、毛利は信じられなかった。体つきはがっしりしているし、立ち姿も堂々として、彼は凄まじい気迫を放っている。あの千葉県内で王者と謳われる兜山高校の選手たちの記憶ですら、かすんでしまうほどだ。そもそも、毛利と宗像では、背丈に大きく差があった。毛利は浬と同じ、百六十八センチだが、宗像はちょうど、市鷹や将鷹と同じくらいに見える。だとすれば、ちょうど百八十センチ。いや、ひょっとしたら、もっとでかいかもしれない。
くっそ、でっけえ……。でも、今さら、羨ましくもなんともねえや。おれに背丈がないのは、今に始まったことじゃないしな。
一年生で入部してきたときから――いや、もっとずっと前から、毛利は自分の背丈の低さに絶望してきた。小学三年生の頃から始めた剣道は好きだし、今も楽しい。けれど、この背丈の低さが、勝負をするときにはいつも不利になった。背丈があるということは、リーチが長いということ。リーチが長いということは、つまり、狙った打突点に竹刀が早く到達できるということだ。相打ちになれば、勝ち目はないし、加えて、フィジカル勝負にも向いていない。剣道の稽古は楽しくても、勝負をつけるとなると、毛利はいつだって悔しい思いをするばかりだった。
でも、そんなおれの背丈の低さを、武器だって言ってくれたのが、織田先生だった……。
――毛利。小さいことを負けた理由にすんじゃねえ。カッコ悪いだろ。いいか、チビにはチビの勝ち方があるんだ。頭使って、逆にチビを武器にすりゃあいいんだよ。
チビ、チビと言われたって、四捨五入すれば百七十になるわけだし、そんなに言うほどチビでもない、と当時はむくれたが、それでも織田の言葉に、毛利は希望を持った。はじめて、自分に期待をしたのだ。小さいことが武器になるなら、もっと強くなれるかもしれない。背丈の高い相手にも、勝てるようになるかもしれない、と。
――強くなりたい。そんで、勝ちたい……!
あの時、毛利は全身でそう思った。そして、この男についていけば、いつか、背丈のある相手に、自信を持って挑めるかもしれない、と思った。そうして、勝利する自分の姿をはっきりと想像した。
小さいからこその、利。三年間、おれが追及してきたチビの戦い方を、九州の強豪に見せてやる。
興奮に、胸が高鳴っている。傍から見れば、こんな相手と、戦って勝つなんて、奇跡のようなものなのかもしれない。この会場にいる誰も、そんな展開は望んでいないのかもしれない。けれど毛利は今、この試合に負ける気など、さらさらなかった。先鋒の航が、かわいい後輩が、必死になって勝ち取ってきてくれた白星を、無駄にするわけにはいかないのだ。
「はじめぇっ!」
「せぇえやぁあああっ!」
「うりゃあああっ!」
拍手が湧く。主審の号令で、毛利は立ち上がった。同時に腹の底から気合いの声を出し、宗像を威嚇する。身長が百八十センチクラスの相手と戦うのは、慣れっこではあった。部長の市鷹や将鷹はちょうど百八十センチ。二年の羽柴と雑賀は百七十八センチ。まだ一年生の航も、百八十センチ。そういう仲間たちの中で、レギュラーをとるには、まず、稽古で彼らに勝たなければならない。そのために、毛利はできる限りの研究をした。リーチが短くても一本に届く技、タイミング、そこまでのプロセスを、考えられるだけ考えて、実践し、身に着けた。そうして、レギュラーを勝ち取り、みんなの信頼を得て、ここまで来たのだ。
「面りゃあああッ!」
「小手ぇえええッ!」
宗像が面を打ってきたのを竹刀で受け、鍔迫り合いから即、体をいなして引き小手を打った。残心を取って距離が空いたが、互いに近づき、再び間合いの攻防に入る。さすがは強豪校の中堅だ。宗像の打突は素早いのに、ずしんと重かった。あれでは、ちょっと触れられただけで一斉に旗を上げられてしまいそうだ。毛利は、慎重に宗像の手の内を探りながら、足を動かし、果敢に攻めた。だが……。
反応、薄いな……。
毛利は剣先で間合いを探りながら、ダンッ、と床を踏み鳴らし、少しずつ距離を詰めていく。宗像もまた、毛利の剣先を弾きながら攻めてきた。徐々に間合いが近づいていく。
「小手ぇええッ! 面やぁああッ!」
「おぉっ!」
「面ッ!」
小手と面の連続技から、近間になったところを再び狙われる。背丈のある宗像からすれば、背の低い毛利にはやはり、面が狙いやすいのだろう。毛利は間合いの取り合いの中で、必死に頭を巡らせ、策を練った。
たぶん、向こうもまだ、こっちの手の内を探ってる状態だよな……。攻略される前に、仕掛けるか。
市立船戸高校が、千葉県内でそこそこの結果を出していたとしても、向こうからすれば、無名も同然。情報がないのは、お互いさまだ。仕掛けるなら、早い方がハマりやすいだろう。
毛利は時折、剣先を下げて、小手を狙う。背丈のある相手にしたときに、一本を狙うなら、まずは手元だ。しかし、やはり宗像は好ましい反応を見せてくれない。
もしかして……。
少しずつ攻めながら、じっくりと獲物を狙うような宗像の目に、毛利は推測する。彼は、毛利が打ち込む瞬間――つまり、出鼻を狙っているのだろうか、と。互いに情報が少なく、それでなくても今、九星学院は無名の学校に一歩リードを許しているわけだから、彼らからしてみれば、とにかく手っ取り早く一本を取って、この流れを切り、自チームの勝利への流れを作り直したいはずだ。そういうときに出鼻を狙うのなら、宗像が得意にしているのは、まさにそれなのかもしれない。
気が合うじゃん。だけど、出鼻勝負なら、おれだって負ける気はしないぜ、宗像。
毛利は面の中でにやりと口角を上げる。そうカンタンに合わせられ、打たれるような鍛え方は、こちらだってされていないのだ。
毛利は何度か同じ攻めをくり返した後、ダンッ、と床を踏み鳴らす。すると、宗像は不意に振りかぶり、毛利の竹刀を勢いよく払った。毛利の剣先が大きく逸れる。次の瞬間――。
「面りゃああああッ!」
わ、危ね……ッ。
「おおっ!」
歓声が上がり、拍手が鳴る。絶妙なタイミングの面技に一瞬、ヒヤリとしたが、咄嗟に宗像の懐に入るようにして、しっかり避けたので、一本はない。だが、今のは危なかった。タイミングはもちろん、打突の重さもまたさすがとしか言いようがない。彼はやはり、優勝候補チームの中堅を任されているだけはある。
毛利は鍔迫り合いに入ってからも、なおも足を動かしながら、宗像の体をいなし、隙を狙って引き小手を打つ。それから、もう一度、距離を取った。仕切り直しだ。
「せぇやぁあああッ!」
「うらぁあああッ!」
毛利は再度、果敢に足を動かして攻め、少しずつ距離を詰めていく。やがて、剣先がかすかに触れ合うところまで入り込むと、視界をめいっぱい広げながら、ぐっと剣先を下げた。
「小手ぇっ!」
手元を狙って打つと、宗像は手元を上げることもなく、素早く半歩下がった。そこをすかさず、毛利は攻める。そうしてもう一度、さっきと同じように剣先を下げた。
「小手ぇッ!」
もう一度、同じように小手を打つ。宗像はやはりほとんど反応しないまま、再び下がり、距離を取った。だが、その剣先はかすかに震え、面金から覗いている眼光は鋭く、明らかにタイミングを計っているような感覚がある。ここは技の選択と、騙し合いの勝負になりそうだ。毛利はなおも攻め続け、再び剣先をぐっと下げた。すると、宗像が半歩、前へ出る。
チャンス……!
わずかに間合いが近づき、毛利は半歩下がる。それを追うように、宗像が攻める。それから、ひと呼吸あって、次の瞬間。毛利は振りかぶった。同時に、タイミングを合わせるようにして、宗像が打って出てくる。
「てッ、面りゃあ――ッ」
「……ドォオオオーーーッ!」
「おおーっ!」
パアンッ!と、乾いた音とともに、歓声が湧いた。毛利は無心で宗像の胴を打ち抜き、残心を取る。宗像はすぐさまそれを追ってきたが、白い旗が次々と上がっていくのを見て、足を止め、しっかりと向き直って構えた。小手面に対して抜き胴を打った、毛利の一本だ。
「胴あり!」
よっしゃあ……!
主審の号令で、毛利は開始線へ戻った。宗像はさっき、毛利が手元を狙っていると予測し、合わせて相小手面を打ってきたのだろう。だが、毛利はまさにこの展開を狙っていた。手元を狙い、相小手面を意識させながら、技を引き出し、さらにその裏をかく。彼はうまいこと毛利の作戦にハマってくれたというわけだ。
一瞬の隙を見て、相手の懐に入る。これが、チビなおれの必勝法だ!
背丈のある相手と戦うとき、毛利は高くへも遠くへも、飛ばない。せーの、でバカ正直に勝負をしても、背の低い毛利には、ほとんど勝率がないからだ。その代わり、素早さと、なるべく相手を引き出すことを意識する。自分が遠くへ飛ぶのではなく、相手を誘い、打突点が手前にくる状況を作り、そこを意識して技を打つ。高くへも、遠くへも飛ばなくてもいい。背丈が小さくて、リーチが短くても、剣先が相手よりも先に打突点に届きさえすれば、一本には変わりないのだから。
「いいとこー!」
「切り替え!」
会場には、両チームの応援の声が飛び交っている。宗像は悔しそうに肩を落としたが、すぐに仲間の方へ振り返ると、小さく頷き、足早に開始線へ戻っていった。そんな彼を見て、毛利は深呼吸をする。この一本は重い。ここで、宗像を潰せれば、優勝候補の九星学院に残るのは、あと二人。市立船戸チームはいい流れに乗るだけでなく、余裕すら生まれる。なんとか大事に守っていきたいところだが、しかし。今、目の前にいる彼は、そうはさせないと言わんばかりだった。
すんげえ気迫だ……。反撃する準備万端、って感じだな……。
宗像の猛反撃を予測して、毛利はごく、と生唾を飲む。時間はまだ、半分以上残っているだろうから、ここから先、さらに厳しい戦いになることは当然、予測できた。だが、毛利だってこの勝負を譲るわけにはいかないのだ。意地でもこの一本を守らなければ、せっかく航が作ってくれた流れを、将鷹や羽柴、市鷹に繋げないまま、断ち切ることになる。
繋ぐぞ……。なんとしても……!
ただし、もう無理は無用だ。熱くなって飛び出していく必要もない。それを心の中で、自らに言い聞かせながら、毛利は集中を高める。ここからあとの時間は、一本を守るための勝負だ。
「二本目ぇッ!」
「……面りゃああああッ!」
二本目が始まった途端、宗像はすぐに攻め、打って出てきた。毛利はその攻めと、技のスピードに顔を引きつらせる。
速くなってる……。
どうやら、さっきの一本で、宗像に火をつけてしまったようだ。中堅というポジションを担う彼としては、この流れを許したまま、後ろに回すことだけは、なんとしても避けたいだろう。毛利に勝利し、流れを変えて後ろに回す。それができて、やっと及第点かもしれない。だが、そうはいっても毛利だって、この試合での勝利は譲れない。
「小手ぇええッ!」
「面――ッ!」
鍔迫り合いから、互いに引き技を打って距離が空く。再び遠間からの勝負だ。毛利は速い展開を予測し、再び頭を巡らせた。宗像は、遠間から攻め入ってきて、あっという間に一足一刀まで距離を詰める。
「小手ぇッ、面りゃあああッ!」
「胴ォォッ!」
「面ッ、面だぁああッ!」
宗像の連続技が炸裂する。毛利は必死で彼の技をかわしながら、隙を見て打ち込んだ。白熱する打ち合いに、思わず熱くなってしまいそうになるが、ここは我慢だ。宗像のペースに乗せられないように、できるだけ渋く戦い、こらえてこそ、今の流れを守れる。そうして、宗像の思い通りにさせないことで、彼の隙は必ず見えてくるものだ。
どんな結果で回したって、こんな強えヤツら相手に、みんなが楽になることなんて、ないのかもしれないけど……。それでも、ほんの少し、勝機が見えてるんだ。おれは、この流れを守りたい……!
「せりゃぁあああッ!」
「うりゃぁあああッ!」
すんげえ気迫だ……。反撃の準備は万端、って感じだな……。
宗像の猛反撃を予測して、毛利はごく、と生唾を飲む。時間はまだ、半分以上残っているだろうから、ここから先、さらに厳しい戦いになることは当然、予測できた。だが、毛利だってこの勝負を譲るわけにはいかないのだ。意地でもこの一本を守らなければ、せっかく航が作ってくれた流れを、将鷹や羽柴、市鷹に繋げないまま、断ち切ってしまうことになる。
繋ぐぞ……。なにがなんでも……!
ただし、もう無理は無用だ。熱くなって飛び出していく必要もない。それを心の中で、自らに言い聞かせながら、毛利は集中を高める。ここからあとの時間は、一本を守るための勝負だ。
「二本目ぇッ!」
「……面りゃああああッ!」
二本目が始まった途端、宗像はすぐに攻め、打って出てきた。毛利はその攻めと、技のスピードに顔を引きつらせる。
さっきより、速くなってる……?
気のせいではない。どうやら、さっきの一本で、宗像は完全に火がついてしまったようだ。もっとも、中堅というポジションを担う彼としては、この流れを許したまま、後ろに回すことだけは、なんとしても避けたいだろうから、無理もないだろう。毛利に勝利し、流れを変えて後ろに回す。それができて、やっと及第点かもしれない。だが、そうはいっても毛利だって、この試合での勝利は譲れない。
「小手ぇええッ!」
「面――ッ!」
鍔迫り合いから、互いに引き技を打って距離が空く。再び遠間からの勝負だ。毛利は今まで以上に速い展開を予測し、頭を巡らせた。だが、宗像は遠間から攻め入ってきて、あっという間に一足一刀まで距離を詰めてくる。
「小手ぇッ、面りゃあああッ!」
「胴ォォッ!」
「面ッ、面だぁああッ!」
宗像の連続技が炸裂する。彼は、策を練る暇など与えてくれそうになかった。毛利は必死に彼の技をかわしながら、打ち込んでは、隙を探し、また打ち込む。白熱する打ち合いに、思わず熱くなってしまいそうになるが、ここは我慢だ。宗像のペースに乗せられないように、できるだけ渋く戦い、こらえる。今の流れを守るには、それが最善だ。宗像の思い通りにさせなければ、さすがの彼も、その煩わしさに苛立ち、動作や技が乱れてくるに違いない。隙は必ず見えてくる。
とことん、渋くいくぞ……!
「せりゃぁあああッ!」
「うりゃぁあああッ!」
「小手ぇッ、面りゃああッ!」
間合いの攻防の中、気合いを声を出して威嚇すれば、宗像もそれに負けじと声を出す。そうして、休みなく攻め、技を仕掛けてきた。毛利はそれをかわしながら、機を窺う。毛利が狙うのは、猛攻撃の打ち終わりだ。だが――。
「面ッ、小手ぇッ! 小手ぇぇええッ!」
「……ッ!」
くそ……ッ、そうカンタンにはいかねえか……。
フェイント技とストレート技が、絶妙に組み立てられた連続技を受け、気づけば、間合いは一足一刀から、近間にまで距離を近づけていた。毛利は素早く宗像の懐に入るようにして、鍔迫り合いに入る。近間は長居をするとよくない。最も打たれやすい、危険な間合いだ。鍔迫り合いになったとしても、打たれる危険性は当然あるが、中途半端な近間にいるよりはずっといい。
よし……、ここから一発、狙ってやる。
毛利は足を使って宗像の手元を崩しながら、機会を狙った。不意に宗像が振りかぶる。毛利はその瞬間、宗像の左胴を打ち抜きながら、勢いよく後方へ引いた。手元が上がったところを狙った、引き逆胴だ。
「面りゃあっ!!」
「胴ォォッ!」
「おおーっ!」
パアンッと、乾いた音とともに、歓声が響く。打突の強さも場所も、そう悪くなかった。毛利はわずかに期待したが、しかし、審判の旗は下ろされたまま、左右に振られている。どうやら一本とは認めてもらえなかったようだ。理由は――明確だった。
うわ、まずい……っ!
満足に残心を取っている余裕もなかった。宗像は引き面を打ったその瞬間、すぐに切り替えて毛利を追ってくる。毛利はコート際まで一気に追い詰められる。間合いは一足一刀。ここで苦しまぎれに技を打つとなると、選択は絞られるうえに、逆に打たれるリスクも高い。毛利は奥歯を噛み締め、視界をできる限り広げて構えた。
最低、最悪な展開じゃんか……。だけど絶対、ここを取られるわけには――。
「……面りゃぁあああっ!」
「……ッ!」
コート際の隅で、毛利は体勢を崩しながらも、宗像の面技をなんとか竹刀で受けて、こらえる。だが、宗像はその勢いのまま体を当て、毛利の体を跳ね飛ばした。
やば……っ。
視界がぐらりと転がった。次の瞬間、背中にどしんっと衝撃があって、毛利は床の上に倒れ込む。直後、宗像が打ち込んできたが、すぐに主審の号令があって、試合は中断された。見れば、審判の旗は、低く横に出されている。場外反則だ。
場外か……。あとがなくなったな……。
反則は二回取られると、相手に一本が入ってしまう。場外であれ、竹刀を落とすであれ、戦う意思の喪失とみなされるのであれ、反則二回で一本。今回はまだ一回目だが、それでも戦い方にはどうしても慎重さが出てくるものだ。それが大事な試合で、戦いで、局面であるほど。だが、毛利はホッと息を吐く。今はひとまず、さっきの場面を逃れただけでも、御の字だ。
たぶんもう、そんなに時間は残ってない。大丈夫だ、このまま一本勝ちで終わりに……。
だが――。そう勝利を確信した時だった。
「い……!」
ってぇ……ッ。
床から立ち上がった途端。足首にズキンッと嫌な痛みが走った。毛利はおそるおそる、左足首を見る。
おいおい、まさか……、嘘だろ……。
倒れ込んだときに、ひねったのだろうか。左の足首には今、ひどい違和感と痛みがあった。
まずいな、これ……。足、くじいてるんじゃ……。
一瞬、思考が止まったが、すぐに我に返り、自チームの方を見る。心配そうな表情で見つめる航。面をつける羽柴。その横で、前のめりになって声援をくれる市鷹。雑賀と浬。そして、静かにこちらを見つめる、顧問の織田。
あと少しなのに……!
今、チームメイトたちに信頼され、織田に期待されて、思いを託され、毛利はここに立っている。それなのに、こんな最悪な事態があるだろうか。もし、ケガで戦えないと判断されれば、棄権にもなりかねない。そうだとすると、せっかく取ったさっきの一本も、おじゃんになる可能性がある。
冗談じゃねえぞ、そんなの……。このまま、あと数十秒こらえれば、この試合は勝ち点ひとつ取って終われるんだ。こんな、ちょっと足くじいたくらいで、負けられるか……!
毛利は、痛みをこらえて無理やりに歩き出す。すると、主審が眉をしかめ、毛利の左足首に視線を向けた。毛利は咄嗟に、左足をわざと振る。それから、その場で跳躍して見せ、開始線へ戻った。すると、主審はいかにも心配そうな顔で近づいてきて訊いた。
「君……、大丈夫か?」
「はい」
「足が、気になるようだったけれど……」
「大丈夫です。問題ありませ――……って!」
気持ちのいい返事をしてみせるが、左の足首には歩くたびに痛みが走った。こらえきれず、顔を歪めた途端に、主審は厳しい表情を見せる。思わず、毛利は身構えたが、主審は毛利の足下に屈んだ。
「左足?」
「……はい」
「さっきのでひねったのかな。試合は――……続けられそうですか?」
「できます……ッ!」
できるか、できないじゃない。やりきるしかないのだ。このまま、試合が再開されれば、すぐに打たれて一本を返されてしまうかもしれない。だが、それでもケガで棄権し、負けるよりはいいだろう。幸い、足首の捻挫も歩けないほどではない。こんなものは軽い負傷だ。毛利は覚悟を決める。
棄権なんかするか……! ここを絶対に潰して、マサに繋がないといけないんだ、おれは……。
「うーん……。そうしたら、一応処置をしたほうがいいね。毛利くん、竹刀をおさめて、テーピングしてもらってきてください」
「はい……」
毛利は言われた通り、竹刀を一度おさめてから、試合場の白線のところまで下がる。すると、下がりきったところで背後から「毛利」と呼ばれた。
「先生……、マサ……」
そこにはいつの間にか、織田と面を被った将鷹が立っていた。織田は、手に茶色いテープを持っている。それはテーピングに使う、キネシオテープだ。
「マサ、肩貸してやれ。毛利は左足見せろ。すぐ固定するぞ」
「は、はい……」
「毛利、肩。つかまれ」
「あぁ、ありがとう。マサ……」
織田は素早くテーピングを始めた。足首を固定しつつも、動かせるように余裕を持たせる巻き方をしてくれているようだ。
「こういう場合、治療するには足首ガッチガチにすんのがいいんだろうけど……、動かせねえと意味がねえからな……」
「はい……」
テーピングに要した時間は、わずか数分。見事な手さばきだった。もちろん、これまで、織田がテーピングをするところは何度か見てきたが、これほどまで素早いのは、はじめてだった。
すげえ早ぇ……。しかも足……、さっきより痛くないかも……。
「……よし。まぁ、気休め程度だが、なにもしないよりはいいだろ。どうだ、いけそうか?」
「はい……。ありがとうございます」
「あとちょっとだ。ふんばれよ」
「はい」
「毛利、心配すんな。お前が盛大に負けて帰ってきたら、オレがちゃーんと取り返してやるから」
将鷹が冗談めかしたように言ったが、彼のそれは、きっと毛利を気遣った言葉と、強がりに違いなかった。毛利は面の中で、口を尖らせた。
「……負けねーし」
「わかってるって。頼りにしてるよ」
織田とマサに、背中を叩かれる。毛利は再び開始線まで進み、構えた。足首を固定されたせいか、痛みがわずかに和らいだ感覚はある。しかし、ホッとするのも束の間、やはり歩く瞬間には鈍い痛みが走った。織田が気休め程度、と言っていたのは嘘ではないのだろう。それでも、毛利はこの試合を、あきらめるつもりはなかった。
「……反則、一回! はじめぇっ!」
「……面りゃああああっ!」
「おおっ! いいとこー!」
宗像は試合が再開した途端、すぐに打って出てきた。毛利はそれを竹刀で避け、鍔迫り合いに入る。だが、息をつく間もなく、毛利は宗像に体をいなされた。
「面やぁああッ!」
引き面を打ち、宗像は残心を取る。毛利は痛む足をこらえて彼を追った。しかし、その打ち終わりに技を打ち込もうとしても、その瞬間に痛みが邪魔をして、満足には飛べない。
「小手ぇええッ!」
くそぉ……、やっぱいてえ……!
なんとか小手を打つが、脳内は真っ白だった。毛利には今、ろくな策はない。ただ、かろうじて打てる技を打っているだけだ。ひねった左足首は、構えたり、間合いの攻防のときにはさほど痛みはないものの、技を打つ瞬間には鈍い痛みが走り、普段の半分も飛べない。このままでは、足も戦況も、そうは持ちそうになかった。それでも、止めるわけにはいかない。毛利は、宗像の技を避けながら、時間切れのブザーが鳴るのをひたすらに祈る。だが――。
「……メンりゃああああッ!」
「おおっ!」
「面あり!」
「いいとこー!」
中途半端な距離になった瞬間を狙われ、あっさり一本を取り返されてしまった。毛利は奥歯を噛み締め、かぶりを振る。そうして心の中で、自分自身に必死に言い聞かせた。
痛がってる場合じゃない。ふんばれよ、おれの左足……! たぶんこれが、高校最後の試合になるんだぞ……!
「勝負!」
「……小手ぇええッ!」
「……面りゃああッ!」
「おおっ!」
「いいとこー!」
試合が再開された直後。おそらく呼吸がぴたりと合ったのだろう。互いに同じタイミングで攻め合い、飛び出した。毛利は小手を、宗像は面を狙って打ち込み、両チームの歓声が湧く。形としては、毛利が出鼻を狙ったように見えただろうが、これは本当に偶然だった。ただ、毛利は今、この場で打てる技がほかになく、小手だけだったというだけ。ところが、皮肉にも技の選択が合ってしまった、というわけだ。だが、残念ながら毛利の小手は拳。おまけに、ガシャン、と鍔元に当たる音がしたので、一本にはならなかった。
一方で、宗像の面もまた、毛利の面金に当たっていた。視界の隅で、副審のひとりが赤い旗を上げているのが見えるが、主審を含めたあとのふたりは、旗を下げたまま左右に振っている。思わずヒヤッとさせられたが、どうやら一本ではないようだ。
あっぶねー……、よかったー……!
ホッとして、再び遠間から攻防に入る。だが、もう毛利はここから攻めたところで、ろくな技を出せそうになかった。打ち合いになれば、勝てる気なんかまるでしない。しかし、ここまできて、あきらめることもできなかった。せっかく航が作ってくれた勝利への流れを、断ち切ってしまいたくないのだ。
絶対に、ここは譲らねえ……!
「小手ぇッ、面――ッ!」
「……っ!」
「面だぁああッ!」
「おおっ!」
連続技を受け、竹刀で避けながら、宗像の打ち終わりを狙い、痛みをこらえて技を出す。普段と同じようには飛べない。打突も弱い。踏ん張りもきかない。それでも、毛利はあきらめなかった。最後のゼロコンマ一秒まで、宗像の動きに集中する。――そうしてやがて、時間切れのブザーが鳴った。
「やめ!」
主審の声がした直後。歓声とともに、拍手が響く。一本を取ったわけではなく、勝ったわけでもないのに、毛利は思わずガッツポーズをしそうになる。同時に、ひどく安堵した。勝ち点を取ることはできなかったが、この試合で、次鋒として最低限の仕事はできたはずだ。毛利は開始線へ戻り、構え直す。
よかった……。なんとか宗像は抑えられたな……。
目の前では、宗像がいかにも悔しそうな眼差しで、毛利を睨みつけていた。彼は、この九州の強豪校の三本柱のひとりだ。残り時間が少なかったとはいえ、まさか、ケガをした毛利を相手に、勝てないとは思わなかったのかもしれない。ただし、残り時間があと半分も残っていたら、おそらく結果は変わっていた。
こんなギリギリで、ボロボロの試合が高校現役ラストなんて……、思わなかったけど……。でも――……。
「引き分け!」
おれにできることは、全部やりきった……よな。
毛利は蹲踞をして、試合場から下がった。足の痛みはだんだんと強くなっている。たぶん、今回の九州遠征ではもう、試合に出ることは難しいだろう。こんな足を引きずって出たところで、ろくな戦力にはならない。この試合を勝ち上がったとしても、織田はきっと毛利を第一線から下げるに違いなかった。
しょうがないよな。この足じゃあな……。
「足、大丈夫か。毛利」
「あぁ、悪いな。あとは任せたよ」
試合場を出るとき、将鷹が声をかけてくれた。毛利はすれ違いに、そう言って彼の胴を拳で叩く。すると、将鷹はそれに応えるように、毛利の背中をポン、とやさしく叩いてくれた。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
よろしければ、続きを楽しんでくださいますと嬉しいです。
いなば海羽丸




