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35【玉竜旗大会三回戦・九星学院高校】~朝比奈航~

玉竜旗大会、四回戦。優勝候補の九星学院高校との対戦。

航視点でお送りします。

 これでもかというほどに、拍手が湧いている。航は今、面をかぶり、竹刀を持ち、仲間とともに試合会場にいた。目の前には九星学院高校。玉竜旗大会三回戦が、まもなく始まろうとしている。


 対戦相手の九星学院高校は、優勝候補で、昨年大会では三位。しかも、当時のレギュラーがほとんど残っているという強者の集まりだった。一回戦からここまで戦ってきて、楽な試合はひとつもなかったし、そんなに簡単に勝たせてもらえる試合なんて、この玉竜旗では、そもそもないとわかっている。だが、彼らとの戦いは、おそらくこれまでにも増して、厳しいものになるに違いない。そう、航は覚悟していた。


 ――いいか。次の相手は、九州の三本指だ。今、お前たちが持つ武器を、全部使ってぶつかってこい。ただし、砕け散るな。なるべく渋く戦って粘れ。とにかく後ろへ繋ぐんだ。


 織田は試合前のミーティングで、そう言った。内容は短く、ごくシンプルだった。もっとも、今さら頭をひねって、ああだ、こうだと考えてもどうしようもないのかもしれない。この会場にいる誰もが、やれるだけの稽古を積み、実力をつけ、武器を持てるだけ持ってきて、ここにいる。あとは、自分の実力を出し切るのみ。自分の武器を思う存分に使って、戦うだけだ。


 整列し、礼をする。航は深呼吸をした。いよいよだ。両校の中堅以降の選手は、自校の控え場所へ戻っていき、その場には航と立花だけが残された。


 まだ一年だとか、経験がないとか、なにもいいわけできないな。相手は去年、一年生で三位獲ってるんだから……。


 航は面金の奥から、じっと対戦相手を見つめる。九星学院高校、先鋒、立花。航に比べれば、彼は体つきは小柄で、細身のように見える。だが、まだ互いに試合場の白線の外にいて、こんなにも距離があるのに、異常なほどの威圧感があった。胴着と袴の着方、防具の付け方、面の形――……いや、それよりも。彼がまとう雰囲気だ。それはまるで、厳しい鍛錬を重ねてきた武士のようだった。


 あんなに小さいのに、すごい迫力だ……。なんか、浬がちょっと怖くなったみたいな感じが……。


「おい、航」

「あっ、はい?」

「あんまりごちゃごちゃ考えんなよ。立花に、ちゃんとお前の剣道を見せてこい」


 立花の姿がなんとなく浬と重なった時、いつ間にかそこにいた毛利に声をかけられた。航は振り返り、しっかりと頷く。


「はい……。とりあえず、毛利先輩に不利な状況で回さないように頑張ります」

「お前な……。そんなに真面目に気張んなくっていいよ。お前がいいとこ出せれば、ちゃんとおれに繋がるから。だから、大丈夫だ」

「は、はい……」

「よし!」


 毛利は試合場の角へ戻って行く。航は彼を見送り、再び前を向いた。前の試合がひどかったので、心配をかけているのかもしれないが、大丈夫。心の中は自分でも不思議なほどに落ち着いている。


 さっき、浬たちと話したおかげかな……。俺、今、今日で一番落ち着いてるかもしれない。


 立花はすでに準備万端といったふうで、航を待っている。航は彼と視線を合わせ、試合場の中へ一歩、足を踏み入れた。すると、立花もそれに合わせて、試合場の中へ一歩入る。それから互いに、息を合わせ、礼をすると、三歩で開始線まで進み、ゆっくりと蹲踞(そんきょ)をした。


 いくぞ……。


「……はじめぇッ!」

「せぇぇやゃぁあああッ!」

「うらぁぁあああッ!」


 主審の声を合図に、立ち上がり、気合いの声を上げた。航はすぐに攻めるが、同時に、立花も攻め入ってきて、距離は一気に縮まる。一足一刀(いっそくいっとう)の間だ。航は竹刀の先で、相手の中心を取ろうとするが、立花はそうカンタンにはさせてくれない。彼は、航の剣先をグッと押さえながら、少しずつ、距離を縮めてくる。


 そうはいくか……!


 航はくるりと剣先を回すようにしてかわし、ダンッと床を踏み鳴らし、威嚇した。これ以上、近くなるとよくない。打たれれば当たってしまいかねない、嫌な間合いだ。


 どうにか、まずは打ち込めるタイミングを作らないとな……。

 

「小手ぇっ!」


 立花が小手を打つ。だが、その打ちは浅く、鍔元(つばもと)に当たった。航は一度下がり、距離を取って攻め直すと、今度は立花の剣先を打ち落とすようにして、竹刀を払った。その瞬間、立花の中心が逸れる。


「面――ッ!」


 パンッ! と乾いた音がする。航の面打ちは、なんなく立花の竹刀で受けられてしまった。だが、ここでひと呼吸する余裕はない。鍔迫(つばぜ)り合いになった瞬間、航は再び狙う。


「小手ぇえええッ!」


 手元をいなした瞬間、わずかに空いたところで引き小手を狙ったが、立花はやはり動じない。まるでやり慣れた技稽古のように、その技を竹刀で受けると、すぐさま航を追ってきた。だが、航にとっても同じく、ここはチャンスだ。


 よし、来い――……!


 できれば、勝負をするなら得意な面を使いたいところだった。しかし、間合いもタイミングも合わない。立花の追ってくるスピードが速すぎるのだ。


 くっそ……。なんつー速さだ……!


「小手ッ、面りゃぁああっ!」


 勝負するつもりが余裕を失くし、航はただ、立花の小手面を受けるだけになってしまった。再び鍔迫(つばぜ)り合いになる。航は立花の体をいなしてみるが、彼の体勢はほとんど崩れてくれない。


 どうなってんだ、この人……。俺よりこんなに小さいのに……。


 体幹が相当、しっかりしているのだろう。だが、航だって諦めるわけにいかない。全身を使って、なおも立花をいなしてみる。背丈の差を考えれば、狙いやすいのは引き面だ。ほんのわずかでもいい。体勢を崩せれば、狙えるはずだと、航は必死で引き面を狙った。だが。


「面――……っ」

「小手やぁあああっ!」


 一瞬、見えた隙を打ち込んだが、立花はまさにそこを狙っていたのかもしれない。彼は航が引き面を打つ瞬間、手元が上がったところを狙い、引き小手を打ってきた。幸い、打ちは鍔元(つばもと)だったが、タイミングはこれ以上ないというほどに合っていた。


 今のは危なかった……。次、同じ場面があったら、確実に打たれるな……。


 運良く剣先が()れたのかもしれないが、次はない。航はそう自分に言い聞かせる。互いに引き技を打って、距離が空いたところで、航はしっかりと構え直し、遠間から立花をじっと見つめた。そうして、再び攻める。


 さぁ、もう一度だ。


 四分間をたっぷり使って、一本を取る。渋い試合運びをしようと思っても、立花のペースがあまりに速く、()まれてしまいそうだ。しかし、泣き言なんか言っていられない。試合の流れを最初に作るのは先鋒である、航なのだ。その流れは良くも悪くも、ダイレクトに後ろに繋がっていく。


 落ち着け……。俺は、俺の剣道をやって、今、できることを全部見せる……。それができなきゃ、ここにいる意味はないんだ……!


 時間はまだたっぷり残っている。航は立花の喉元(のどもと)に剣先を向け、その先へすべての感覚を研ぎ澄ませた。


 勝って、繋ぐぞ……。みんなに……!


 狙うは遠間からの面。航は徐々に近づいてくる立花を見つめる。遠間から半歩、攻め込んで、ふたつの剣先の距離を量りながら、少しだけ剣先を下げてみる。すると、立花が鬱陶(うっとう)しそうに航の竹刀を払った。それを見て、航は確信する。


 面か……。


 背丈のある航を相手にしても、かなりの自信があるのだろう。彼は今、おそらく最も得意技である面で、勝負をかけようとしている。前の試合を見ても、立花が面を得意としていることは明らかだったし、航が剣先を落としたのは、小手を狙っていると見せかけたフェイクだったが、立花は明らかにそれを嫌がった。面を打ちたいときの、手元を狙われる不安と恐怖。それを航はよく知っている。彼が面で勝負したいのなら、これは願ってもないチャンスだ。


 航はじりじりと攻めながら、床を踏み鳴らし、また攻める。だんだんと近づいてきた間合いを一度、切るようにして、わざと自分から下がると、立花は好機とばかりに攻め入ってきた。反応は悪くない。


 よし……、来い。


 遠のいた間合いが、再び近づく。中心を取り合えば、また立花の竹刀に払われる。それでもめげずに、じっくりと機会を狙った。本当なら、もう今すぐにでも思いきり差し面に飛び出していきたいものだが、はやる気持ちをなんとか(こら)える。おそらく、立花も同じ気持ちでいるのだろう。航の出方を見て、タイミングを合わせて、脳天を打ち抜こうと狙いを定めているに違いなかった。

 そのうち、まただんだんと距離が近づいて、やがて互いの剣先が触れ合った。緊張が張りつめる。ここは一足一刀の間。仕掛けるなら、いい頃合いだ。


 中心の取り合いが続き、試合場には乾いた音が響いた。航が再び、剣先を下げると、また立花が鬱陶(うっとう)しそうに航の竹刀を払う。その瞬間、ふたつの剣先は互いの喉元(のどもと)から外れた。航は体勢をしっかり保ったまま、まるで仕切り直すかのように、大きく一歩下がる。すると立花は、航を追うようにして、距離を詰めてきた。


 ここだ……!


「……メンりゃぁぁぁあッ!」

「面だぁあああッ!」

「おおっ!」


 ほんの一瞬。遠間になったところから、航は思いきり面に飛び込んだ。竹刀を握る手には打突の衝撃が走る。同時に、自分の脳天にも同じ衝撃があったが、構わずに残心を取った。今、打ったのは自分だと、航はそう確信している。立花が相手であろうと、航は自分の作った間合いの中で、得意な差し面で勝負すれば、誰にも負ける気はしなかった。


「面あり!」


 視界の(すみ)で白い旗が上がったのを見て、思わず口角を上げる。仕掛けた相面の軍配は、航に上がったのだ。


 よっしゃあ……! 


「いいとこー!」

「一本、いいとこー!」


 拍手と歓声が湧いた。航は開始線に戻りながら、チームの方へ目をやる。すると、織田がゆっくりと頷いた。


 ――いいぞ、そのまま行け。


 そう言われたような気がして、航も頷き、開始線で構えた。目の前では、立花が悔しそうにこちらを(にら)みつけ、航を待っている。


 すげえ威圧感……。たぶん、ここからが大変だな……。

 

 残り時間は、一分半くらいだろうか。航は立花の猛反撃を覚悟して、ごくり、と生唾を飲んだ。立花としては、ここで負けるわけにはいかないから、残り時間内に、なにがなんでも一本を取り返しにくるだろう。おそらく、守りきるのだけでも、至難の業だ。


「二本目!」

「うらぁぁあああっ!」


 主審の号令を合図に、二本目が始まる。航は自らを鼓舞しようと気合いの声を上げたが、立花は静かに一歩、攻め入ってきた。彼は本気だ。間合いはあっという間に近づき、遠間から一足一刀になる。立花は素早く、(するど)い攻めをくり返し、剣先を使って航の竹刀を払い、攻撃を仕掛けてきた。


「小手ッ、面やぁあッ! ……小手ぇぇええッ!」


 鍔迫(つばぜ)り合いになれば、すぐにいなされ、わずかな(すき)に引き技を狙われる。航は防戦一方だ。しかし、このまま亀のように攻撃を防いでばかりいて、この試合をやり過ごせるほど、彼らは甘くないだろう。


 なんとか、この猛攻撃をかわして、もう一本を狙わなきゃな……。


 航は立花の繰り出す技を受け、考える。もう一度、一本を狙うにしても、同じ技では通用しないし、一本を取り返そうと攻撃し続ける立花に今、(すき)はなかなか見つからない。だが、航はひたすらに彼の動きと呼吸を探り、機会を待った。


「面やぁああッ!」

「おおっ!」


 立花が引き面を打ち、間合いの距離が大きく空いた。航は追いかけ、距離を詰めていく。体感としては、もうそれほど時間は残っていないだろうから、立花はなにがなんでもここで勝負しようとするはずだ。ところが、航が遠間から距離を詰めても、彼は自分から攻めてくる様子はない。妙だった。


 俺が、飛び出してくるのを待ってるのか……。


 そうだとすれば、ここで安易に飛び込むのは危うい。引き技を打った立花を追いかけた航にとって、ここは絶好の間合いだが、飛び込んだ途端に逆に打ち返されるような気がして、航は打ち込むのを躊躇(ちゅうちょ)する。だが、その瞬間。立花が動いた。


 ……まずいッ!


 猛烈な攻撃の嵐が突然に止んで、航は違和感と恐怖を覚え、身構えた。その直後、喉元に強い衝撃を受ける。航がわずかに躊躇(ちゅうちょ)したその(すき)を、立花は逃さなかった。


「ツキゃああああッ!」

「……っ」

「突きあり!」

「おぉーっ!」

「いいとこ!」

「すげえ、突きだ……!」


 航の喉元(のどもと)めがけて突きを打ち、残心を取った後、立花は軽やかに開始線へ戻っていく。その姿を見つめ、航もまた開始線へ戻った。割れんばかりの拍手と歓声が響く中、航は静かに左手で面を直してから構え、立花に突かれる瞬間を思い出していた。


 すごいな……。あそこで突いてくるのか……。


 立花は表情をひとつも変えず、先に開始線で構え、航を待っている。その視線は、(するど)く、まるで航の体を(つらぬ)くかのようだった。きっと彼は、まだ満足などしていないのだ。優勝候補チームの先鋒として、一本を取り返すのに突きを打って、これだけの歓声を浴びていても、もう頭の中では次のことを考えている。この試合で勝ち進むために、航からもう一本を取ること。それだけを考えているのだ。


 残り時間は、たぶん、一分切ってる。体感でそれくらいだから、もしかしたら、三十秒くらいか……。


 この試合をこのまま引き分けで終えたとしても、結果だけ見れば、五分(ごぶ)。航は毛利にあとを託すことになるが、九星学院を相手にしているのだから、引き分けでも決して悪い結果ではないのかもしれない。だが、今の突きの一本は、確実に九星学院の士気を上げていた。それほどに、立花の突きは見事だった。


 向こうは完全に盛り上がってる……。もう一本……、取るしかないな。


 航は、ごくり、と生唾を飲む。残り時間は少ないが、立花の突きの一本で勢いを吹き返した九星学院の流れを、どうにか断ち切らなければいけない。ここで航がもう一本取って立花に勝利し、対次鋒戦へ勝ち進めば、一歩リードできる。市立船戸チームの士気は俄然(がぜん)上がるだろうし、勢いも取り返せる。


 死ぬ気で取るぞ……。


「勝負っ!」

「………面りゃぁぁああっ!」


 ところが、そう思っているのは航だけではない。試合再開した直後から、立花は航の間合いに攻め込み、すぐに技を打って出てきた。航はそれを竹刀で受け、鍔迫(つばぜ)り合いから技を狙おうとするが、立花に先にいなされ、体勢を崩される。


「小手ぇーーーッ!」

「おおっ!」

「小手っ、面りゃぁあっ!」

「いいとこー!」


 フルスピードで繰り出される技の数々を、航は必死で受けた。ただ、そうするだけで精一杯で、立花には打ち込む(すき)もない。必死になって闘っているのに、時間だけが無慈悲に過ぎていく。


 くそっ、このままじゃだめだ……。


 苛立(いらだ)ちが募っていく。思うように打てず、攻め込めず、ただ防ぐ、しのぐだけでなにもできない。その悔しさといったらなかった。ここからもう一本を狙おうなんて、想像もつかない。まったく、無理難題だった。


 このままだと……、俺はろくに先鋒の仕事をしないまま、毛利先輩に繋ぐしかなくなるじゃないか……。


「面やぁあっ!」


 だが、立花が引き面を打って、下がっていったところで、航はハッとする。ここはチャンスだ。先に攻めれば、立花はライン際。追い詰めれば、航は優勢で間合いを作れる。


 ここだ。もう一本、取るぞ……! 


 航は立花を追って、間合いを詰めた。同時に、立花もまた攻め込んでくる。遠間からじりじりと距離を詰め、一足一刀。互いに剣先を譲らず、竹刀が弾き合うようにぶつかった。そうしながら、航はじっと立花の動きに集中する。ところが、不意に。ぶつかり合ったふたつの竹刀の剣先が、わずかに()れた。


 来る……!


「メンだぁぁああああっ!」

「面やぁあああっ!」

「おおっ!」


 竹刀が左側に()れたまま、航は無心で面に飛び込んだ。体勢が崩れそうになるのを必死で(こら)え、立花の脳天めがけて打ち抜き、残心をとる。竹刀が当たったのは、おそらく立花の右面。同時に、航の脳天にも同じだけの衝撃が乗った。相面だ。


「面あり!」


 主審の声が聞こえた。航は必死に残心を取りながら、横目で審判の旗を確認する。副審は赤。主審は白。残る副審は、背後に立っている。


 白――!


 振り返り、もうひとりの副審の旗を確認する。そこに上がっていたのは、白い旗だった。航は全身で呼吸をしながら、立花に向かって丁寧に構え、開始線へ戻る。


 二本……、取った……!


「いいとこ!」


 不意に、浬の声が聞こえて、自チームの控え場所に目をやる。すると、これでもかというほどに目を輝かせた浬と、視線がぶつかった。頬が自然と緩み、航は頷く。そうして、開始線へ戻った。脳内には、試合前に彼がくれた言葉が響く。


 ――この人たちが優勝候補で、どんなに強くたって、なにも完璧なわけじゃないし、勝つことが最初から決まってるわけじゃないよ……! 無謀だとしても、今、おれたちにできること全部、出そう! そしたら、絶対チャンスはある!


 浬の言う通りだったな……。無謀な戦いだとしても、チャンスはないわけじゃない。


「勝負あり!」

 

 立花と向かい合って構え、蹲踞(そんきょ)をする。ライン際まで下がると、立花は一礼をして試合場を去っていった。代わりに、ひと回り体格のいい選手が一礼をして試合場へ入ってくる。


 次鋒、有馬……。


 次鋒は、有馬という選手だ。事前にパンフレットを確認した記憶では、彼はたしか――……三年生。去年のメンバーに入っていたどうかは定かではなかったが、胴着、(はかま)の着方から、防具の付け方まで、彼は見るからに強者だった。


 まぁ、まず、カンタンに倒せる相手ではなさそうだよな……。どんな剣道をやる人なんだろう……。


 有馬の情報は、ごく少なかった。なにしろ、九星学院は、ここまでほとんどあの立花が五人抜きをくり返していて、あとの四人の出番がなかったからだ。だが、どのみち、彼を倒すのだって容易なことではない。そもそも、航は立花との試合で、すでにかなりの体力を消耗していて、この体力差は大きなハンデだった。それを含めれば、この試合はより無謀で、厳しい戦いになるに違いなかった。


 だけど……、勝てないと決まってるわけじゃない。そうだよな、浬……。みんな……!


 ――当然だろ!


 心の中でみんなに語りかければ、そんな声が(そろ)って返ってくる気がした。力強い拍手と応援が、今、航の背中を押してくれている。航は再び一礼をして、試合場へ入ると、開始線で蹲踞(そんきょ)をする。そうして、主審の号令を待った。


「……はじめ!」

「うらぁぁあああッ!」

「せぇりゃああああッ!」


 立ち上がり、すぐに気合いの声を張り上げる。優勝候補である九星学院との試合、先鋒の立花を倒した航は、次鋒、有馬との戦いに(のぞ)んだ。有馬は、気合いたっぷりに声を張り上げて、航を威嚇(いかく)するなり、すぐに攻め込んでくる。


「面やぁあああっ!」

「おおっ!」


 開始早々、有馬の面を受け、航は思う。立花はスピードで勝負するタイプの選手だったが、有馬は違っている。彼は、スピードは立花よりもやや劣るが、打突の重さが凄まじい。体つきはさほど大柄というわけでもないが、打突にこれだけの威力があると、それだけで脅威だ。


 また、有馬はさっきの先鋒戦を見ていたわけで、航の得意技が差し面だということには、おそらく気付いている。当然、航の面にはかなり警戒し、打たせまいとするはずだ。今回は、立花のときと同じように得意な面には頼れないかもしれない。しかし、そうであるからこそ、違う技が活きてくるのもまた、事実だ。


「小手ぇぇえええっ!」

「おぉっ!」

「うらぁあああっ!」

「やぁさぁあああっ!」


 間合いの攻防から、航は有馬と再び攻め合った。遠間からじりじりと攻めて、徐々に距離が近づいていく。やがて、一足一刀になれば、途端に有馬は打って出てきた。


「面りゃあああッ! 面ッ!」


 面を打ってきたのを、航が素早く下がって避けると、有馬はもう一度、面を狙ってくる。航はひとまず、彼の動きをよく見つめ、観察した。有馬のテンポとクセを知れば、きっとチャンスは見つけられる。


 よく見て、考えろ……。この四分間も、俺が一本を取るんだ……!


「うらぁあああッ!」


 気合いの声を張り上げ、間合いの攻防の中で、必死に有馬の動きを見る。すると、そのうちに有馬は不意に体をぐっと沈み込ませた。その体勢に警戒し、航は構えを崩さないまま、一歩下がる。


「小手ぇッ!」

「面ッ!」


 下がった瞬間。有馬は小手を狙って打ってきた。航は有馬が打ち終わったところで、面を狙うが、難なく竹刀で避けられる。そのまま、鍔迫(つばぜ)り合いに入った。有馬は、攻めは強く、守りは硬い。さっき戦った立花にも増して、彼は(すき)のない剣道をするようだった。


 それでも、必ず(ほころ)びは出る……。


 鍔迫(つばぜ)り合いに入り、航は有馬の手元を崩してみたり、体を使っていなしてみるが、まるっきり崩れてくれる気配はない。それでも、わずかに上がった手元を狙った。引き小手を打ってはみるものの、やはりカンタンに受けられてしまう。


 手強いな……。


 間合いは再び、遠間になる。航は間合いの攻防を計りながら、ダンッ、と床を踏み鳴らす。そんな威嚇(いかく)にも、有馬は反応を示さなかった。だが、やがて一足一刀の間合いになった、その時。有馬が再び、ぐっと体を沈み込ませた。


 ――小手か!


 案の定だ。有馬は左に振りかぶった。小手を打ってくると確信した瞬間、航は竹刀を傾け、面を狙う。小手返し面で一本だ。ところが――。


「……メンりゃああああッ!」


 え……!


「面あり!」

「おおーーーッ!」


 返し面を打とうとした瞬間。バグンッ、と重い衝撃が脳天に乗った。航は呆然(ぼうぜん)として、振り返る。有馬が技を決めて残心を取る中、赤い旗が一斉に上がった。


 打たれた……。


 振りかぶった有馬は、どう見ても、小手を打ってくるように見えた。だが、実際に打たれたのは面だった。航はハッとする。最初の小手の振りかぶりは、フェイントだ。


 くそッ……、やられたな……。


 開始線へ戻り、構えながら、悔しさに奥歯を噛み締める。フェイントだと気付かずにまんまと騙されてしまったが、取られた一本を悔しがって引きずってもしようがない。航は一度、目を閉じ、深呼吸をした。そうして、気持ちを切り替え、一本を取り返すことだけを考える。このまま負けたのでは、さっき、苦労して勝ち取った二本勝ちが水の泡だ。


「二本目ぇっ!」

「うらぁあああッ!」


 航は気合いを入れ、声を張り上げた。有馬は遠間から攻め入ってきて、ダンッ、と床を踏み鳴らす。航は有馬の動きを見つめ、(すき)を探した。有馬は先鋒の立花ほど、攻めも技を打ってくるスピードも速くない。(すき)さえ見つければ、一本を取れる。時間だって、まだたっぷり残っているはずだ。


 よし……。ここから一本……! 絶対に取り返す!


 航は有馬と間合いの攻防の中、打ち合いながら、彼の動きや反応を観察する。そうして、気付いた。有馬にはわずかに技のクセがある。いや、技そのものにクセがあるというよりも、技の選択に偏りがある、という感じだ。彼は面にしても、小手にしても、フェイントを使った技が圧倒的に多かった。


 これは……。狙えるかもしれない……。


 おそらく、有馬が得意としているのは、フェイントを使った技なのだ。面に見せかけた小手や、小手に見せかけたかつぎ面。二本目が始まってから、有馬がストレートに打ってくることはほとんどなかった。とはいえ、フェイント技は最初からいきなり仕掛けても全く意味はない。ストレート技があってこその、フェイントが活きてくるからだ。有馬は、序盤ではストレート技だけを航に見せ、そのテンポやスピードに慣れてくるまで、様子を見ていたに違いない。そうして、航のペースがわかってきた時点で、フェイント技を仕掛けてきた。航は彼の策に、うまいことハマってしまったようだ。


 しかも、ただ、フェイントといっても、有馬のそれは、ただの見せかけではない。格好もスピードも、本当に打ってくる勢いそのものだった。


 すごいな……。こんな素早いフェイント技、初めて見た……。


 だが、感心している場合ではない。こうしている間にも、どんどん時間がなくなっていくのだ。航は頭をフル回転させて、考える。


 フェイントを封じて、逆手に取る。一本を取るには、それしかない……。


 フェイント技の瞬間は、どうしても手元が上がったり、剣先が喉元(のどもと)から()れるものだ。とはいえ、その瞬間を狙うのはそう容易ではない。相手が有馬ならば尚更だった。だが、ここで彼の得意なフェイント技を封じれば、今、九星学院に流れ始めている勝利の勢いを殺し、市立船戸に引き寄せられそうな気がする。


 取るぞ、一本……!


「小手ぇぇえッ!」

「おおっ!」

「面りゃぁああッ!」


 面に見せかけ、小手を打ってきた有馬の打った直後を狙って、引き面を打つ。引き面はカンタンに避けられてしまったが、これでいい。航は残心ついでに距離を取った。有馬は当然、追ってくる。再び、間合いの攻防での勝負だ。航はごくり、と生唾を飲んだ。


 勝負……!


 航は、遠間から一足一刀の間合いに近づくまで、じりじりと攻めた。もちろん、有馬だって剣先で中心を取り、そう簡単には譲ろうとしない。竹刀を払い、払われ、激しい中心の取り合いが続く。航はその間、有馬が動くのを待った。狙うは、フェイント技の出鼻だ。


 フェイント技を打つ瞬間。そこを狙えば……。


 かつぎ面にしろ、面に見せかけて小手にしろ、フェイント技を打つ瞬間には、わずかであっても(すき)ができる。失敗すれば、一本を取られて、そのまま二本負けしてしまうこともあり得るが、有馬の動き方にはだいぶ慣れてきたところだ。一本を取れる可能性は、十分にある。


 有馬は間合いを取りながら、何度か、ダンッと床を踏み鳴らした。今にも打ち込んできそうな雰囲気に、思わず距離を取りたくなるが、航は今、ライン際にいる。これ以上、下がれば、うっかり場外に出てしまいかねない。


 下がれないか……。でも、いい。かえって好都合かもしれない。


 どうせ、ここで下がっても、航に利はない。場外反則になるか、そうでなくても、ただ、残された時間を無駄遣いするだけだ。航は下がらず、そのまま有馬が出てくるのを待ちながら、なおも攻めた。間合いはすでに一足一刀。有馬は好機とばかりに半歩、距離を詰め、剣先を下げたまま、再び、ダンッ、と床を鳴らす。次の瞬間――。


 来る……!


「面――……ッ!」

「コテぇええええッ! コテだぁああああ!」

「おおぉーーーッ!」


 有馬が左に振りかぶったのと同時に、航は上がった手元を狙って小手を打った。その瞬間、バグッと音がして、竹刀を握る手にも衝撃が伝わってくる。航は確信した。審判の旗を見るまでもない。まぎれもなく、この技は一本だ。


「小手あり!」


 主審の声とともに、拍手と歓声が鳴り響き、有馬はその場で天を仰いだ。航は残心を取るのをやめ、開始線へ戻り、白い旗が三つ上げられているのを確認する。有馬もまた、開始線へ戻ってきた。


 よし……、よし……! 取り返した!


 航は構えたまま、真っすぐ前を見る。対次鋒戦はこれで五分。チームでいえば、市立船戸が、一歩リードをしている状態だ。しかし、これで安堵してなどいられない。有馬と目が合った途端、航の全身にはぶわっと鳥肌が立った。


 すごい、気迫だ……。


 射貫くような(するど)い視線は、まるでレーザー砲のようだ。それは今、射出直前のように、航に狙いを定めている。もはや殺気といってもいいほどの、凄まじい気迫を受けて、航は覚悟した。残り時間はもうそれほど残っていないかもしれないが、ここから、試合は激しさを増すに違いない。


 しかも、この感じ……。速攻で勝負してきそうだな……。


 おそらく、次に主審の号令があった瞬間が、勝負だ。有馬はすぐに打ってくる。その予感を、航はたしかに感じていた。


「はじめぇッ!」

「……面やぁあああッ!」

「……面りゃぁあああッ!」


 案の定、有馬は試合再開直後、打って出てきた。航も面に飛び込み、相面になる。だが、互いに剣先が()れたせいか、打突が甘くなった。審判は三人とも、旗を下げたまま左右に振っている。無効だ。


 残心を取るのをやめ、構え直したのは航も有馬も同時だった。航は、大きく空いた距離から、再び有馬に近づいていく。もう一度、間合いから勝負だ。もう一本を取って、この試合を勝ち抜けば、市立船戸の二ポイント先取。九星学院を相手に、この差を作れるのは大きい。


 ここを勝ち抜けば……。そうすれば、みんなが少し楽になれる……! 


 しかし、遠間になった、その時。ビーッと機械音が鳴った。


「やめぇッ!」


 主審の声がした瞬間、有馬が面の奥で、悔しそうに顔を歪ませたのが見えた。時間切れだ。航は肩を上下させながら、開始線へ戻り、構える。


「引き分け!」


 蹲踞(そんきょ)をして、竹刀をおさめて下がる。まだ浅い呼吸のまま、礼をすると、不意に。背中をぽん、と叩かれた。


「おかえり、ルーキー」

「毛利先輩……」

「大活躍じゃん」


 毛利のひと言で、それまで張り詰めていた緊張がほぐれ、ふっと力が抜けた。そうして、気付く。試合中は気にもならなかったのに、こんなにも息が上がり、全身が汗で濡れている。体力がひどく消耗しているのだ。航が返す言葉を考える余裕もなく、無言で頷くと、毛利は面の奥で、にかっと笑った。


「ありがとな、航。行ってくる!」


 そう言って、今度は胴を叩かれる。そうして、返事をする間もなく、毛利は背中を向け、試合場に入っていった。市立船戸高校は、九星学院を相手に、わずかにリードを続けたまま、次鋒対中堅の試合へと駒を進めていた。

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