34【優勝候補】~小笠原浬~
優勝候補、九星学院高校の試合を見る市立船戸高校チームのお話。
浬視点でお送りします。
斎藤から連絡があったのは、ちょうど昼食を食べ終わる頃だった。浬たちは、おにぎりとドリンクゼリーを自販機で買ったお茶で胃袋に流し込んでから、慌ただしくアリーナへ向かう。九星学院高校は二回戦を迎え、同じ九州の強豪と対戦するようだ。相手は、鹿児島県立風早高校。両校は今、目の前の試合会場で整列し、向かい合って立っている。選手たちの表情からは、ピリピリとした緊張感が伝わってきて、浬は思わず身震いをした。
「うぅ……、ドキドキするー……」
「なんで浬がドキドキしてんだよ」
楓にそう言われて、頬を膨らませる。浬にしてみれば、ドキドキしない方が不思議だった。なにしろ、この試合で勝った方が、市立船戸高校の次の相手になるわけで、しかもその片方は、昨年のこの大会で、三位まで上り詰めた強豪なのだから。ただ、浬は思う。勝負はやってみるまでは本当のところはわからない――と。
「はじめえッ!」
「うりゃあああッ!」
「せぇええやぁあああッ!」
先鋒の試合が始まる。試合会場の周辺には、両校の応援が響き、歓声と拍手が鳴る。だが、開始数秒。早くも悟ってしまった。この試合は、おそらくさほど時間がかからないうちに終わってしまう、ということ。そして、九星学院高校の先鋒はタダモノではない、ということも。
なんだ……、この人……。
「面りゃあああッ!」
「小手ぇええ!」
えんじ色の面タオルに、紺の胴着と袴。漆黒の胴。腕のあたりに赤い印字。九星学院高校の先鋒の垂れネームには「立花」とあった。
「立花……」
彼は背丈が低く、たぶん、浬と同じくらいの身長しかない。百六十八センチ。体つきも特段、筋肉隆々な体つき――というわけでもなく、パッと見た感じは細身で、身軽な印象だ。それなのに、彼の攻める鋭さ、スピード、打突、気合いの声は、どれをとっても恐怖を覚えるほどに凄まじく、風早高校の選手とは圧倒的な差があった。――いや、そうは言っても、相手の方が未熟なわけでもなければ、弱いわけでもない。彼らだって、十分、この大会で勝ち進んでいっても不思議はない。それだけの実力はありそうだが、九星学院高校の立花という彼が、ずば抜けているのだろう。
「メンりゃああッ!」
「面あり!」
「おおっ!」
試合開始時間、わずか十秒ほど。明らかに二十秒はなかった。あっという間に、九星学院高校の立花が一本を取る。互いに攻め合う中、一瞬の隙をついて打ち込まれた面。まるで、ピストルの弾のような差し面だった。浬はあんぐりと口を開ける。
「すっご……」
そう呟くと、隣で航が「うん」と短く返事をした。たったそれだけの返事だが、その声は緊張を帯びているせいか、わずかに震えたように聞こえて、浬はちら、と航の顔を気にする。そうして、その緊張気味な横顔を見て、確信した。
航も、気づいてる……。この人がタダモノじゃないって……。
九星学院高校がこの試合を勝ち進めば、市立船戸高校と当たる。つまり、この立花という選手と最初に戦うのは、先鋒の航なのだ。
「織田先生から聞いた話じゃ、九星学院は今年、全員が二年らしい。去年のメンバーはほとんど一年だったんだって」
「えぇっ、じゃあ……。去年、三位獲ったのは一年生で、今、その全員がここにいるってことっすか?」
大地が驚いた様子で訊くと、羽柴は頷いた。
「そうだね。主将は三年生で、あと――……もう一人くらい三年がいたって話だけど」
「すげえな……。この人も去年のメンバーなんすかね?」
「たぶん。ちなみに、みんながビビるからあんまり言うなって言われてたけど――」
「言われてたけど?」
「九星学院、今年の優勝候補、らしいよ」
浬は思わず「ひ……」と声を上げた。大地はあまりに驚いたのか、返事を忘れてしまったようだ。九星学院高校は、去年のこの玉竜旗大会で三位まで勝ち上がったが、そのメンバーのほとんどが一年生だったらしい。大将だけは違うものの、この立花という選手も、去年のレギュラーだったという。去年、優勝した高校を差し置いて、優勝候補と期待されるのも納得がいく。
「この人、去年のポジション、どこだったんだろう、な……」
精一杯に気遣ったような楓の問いかけにも、航はまた「さぁな……」と返すだけだ。その返事はあまりにそっけなかったが、無理もない、と浬は思う。たぶん、航は余裕を失くしているのだ。それほど、立花の剣道は鋭く、速く、とにかく俊敏だった。楓も、おそらくはそれに気付いている。
「コテぇええッ!」
「小手あり!」
「おおぉぉーーーーッ!」
「勝負あり!」
あっという間に、立花は二本勝ちをして、蹲踞をする。対する風早高校の先鋒は、まるで、辻斬りにでも遭ったかのような顔をして、試合場から去っていった。試合時間は、およそ一分足らず。浬はごく、と生唾を飲む。
すごい……、試合場の外にいるのに、圧倒される……。
「……優勝候補か」
航が呟く。その表情はやはり硬く、声にも緊張が感じられた。浬は咄嗟に笑みを作って返す。このままでは、航は次の試合で実力を出しきれないかもしれない。
「たしかにすごいけど、で、でもっ、相手だってなにも怪物じゃないんだから――」
「ドォォオオーーーーーッ!」
「胴あり!」
いや、怪物かも……。
なんとか緊張感を拭おうとした会話が、華麗な胴打ちによって遮られる。立花の快進撃は止まらない。彼は今、次鋒を相手に引き胴で一本を獲ったようだった。風早高校の次鋒は、完全に委縮してしまっているらしく、動きが硬く、鈍くなる一方だ。ついでのように、応援席までがしゅんとしている。まだ前半戦で、勝敗がついたわけではないのに、誰もが絶望感に満ちた表情で立っていた。
「なんか、兜山と戦ったときのこと思い出してきた……」
楓が呟いた。すると、航がため息混じりに答える。
「……たしかに。兜山の応援、すごかったからな」
「ったく……、風早のやつら、しょぼくれてる場合じゃねーだろ。応援が負けてどうすんだ、もっと声出せっつの」
楓はぶちぶちと文句をこぼし始め、浬は下唇を突き出して、大地と顔を見合わせた。言いたいことはわかるが、彼はまったく、呆れてしまうほどに沸点が低い。気に食わないことには、なんにだって苛立ち、文句を言う。彼は少々、気も強ければ正義感も強すぎるし、性格も真っすぐすぎるのだ。だが、そんな楓に、航は穏やかに訊いた。
「楓は、風早を応援してるのか?」
「……別に、そうじゃねえ。オレはただ、戦ってるやつらが必死なのに、先に応援席が諦めんのは好きじゃねーんだよ。なんのための応援だっつー話」
「楓は厳しいなー……」
大地が苦笑する。厳しい、というよりも、楓のそういうところは、共感できても、ちょっとチンピラっぽい、と浬は思う。
「だって……、そうだろ」
「まあね。オレなんか、剣道の大会に来るようになってまだ数ヶ月だけど、強い学校って、応援も強いんだなーって思うよ。兜山と対戦したときだって、応援席すんごかったし」
「兜山はちょっと大げさなんだよ」
千葉県立兜山高校は、千葉県の強豪であり、インターハイ出場の常連校だ。市立船戸高校とは、知名度も、過去のトロフィーの数も、応援する父母会のメンバーの数も、勢いも、まったく違う。それを知る審判の旗の重さも、おそらくは違う。ちょっと触られたら、一本になりかねないくらいには違う。それを狙ってか、否か。応援席も、少々大げさになるのだ。しかし、九星学院は、一見そんな兜山と似ているようで、どこか違う雰囲気があった。
「たしかに、兜山は大げさに応援してることも多いけど、九星学院はちょっと違うみたいだね。この人は、技の選択もタイミングも、全部バッチリだし。無駄なとこいっこもない――……」
「浬ィ……」
楓にジトっとした目で睨まれ、ハッとする。思わず本心をそのまま、口にしてしまったが、こんなに九星学院をべた褒めしてしまっては、航にプレッシャーを与えるだけだ。
「ご、ごめん……。航も羽柴先輩も、次に当たるのに……」
「いいよ、気にすんな」
「そうそう。ここで気休め言ってもらったって、おれたちが急激に強くなれるわけじゃないしね」
「はぁ……」
「だけど、立花、ほんとにすごいなぁ。おれと同じ二年で、去年玉竜旗で、三位まで上がったんだもんな……」
羽柴が感心したように言った。九星学院の立花には、無駄な動きや打ちが一切なかった。応援席の拍手と歓声も、余計に派手にしているわけではない。ただ、立花の狙いどころやタイミングが、すべて確実なのだ。だから、応援席はオーバーに歓声を上げているわけではなく、ただ、いい技に湧いているだけだった。
「この人、兜山の武田より、強そう……」
「へえ。浬、なんでそう思うの?」
羽柴に訊ねられ、首を傾げる。だが、感覚的にそう思っただけで、うまく言葉にできなかった。
「うーん……、わかんないけど、なんとなく……」
浬はじっと立花を見つめる。攻めのスピードは常に相手よりも速く、距離の取り方にもメリハリがついている。中途半端な動きはひとつもなく、迷いも全く見られない。相手が出てくるときの反応は素早く、わずかな隙があれば打ち込んで、打ち込んだ以上は確実に一本にする。たとえれば、彼の剣道は風林火山の火。その鋭い攻めが、最大の防御であることを体現しているかのようだ。ごうごうと燃え盛る火のような勢いで、相手を巻き込み、試合の主導権を握る。そんな戦い方だった。
「メンやあああッ!」
「面あり!」
「あ、また……」
試合展開はこれまでになくスピーディーだ。そう思ったのは、浬だけではなかったらしい。羽柴は呆呆れたように頭を掻く。
「やれやれだ。この調子じゃ、あと十分くらいで五人抜いちゃうかもしれないな」
「五人抜き……ですか」
「うん」
羽柴は頷き、少しだけ航の表情を気にしたようだった。航はあいかわらず、じっと立花を見つめている。浬はため息を吐いた。それでなくても、さっき航はわずか数秒で負かされ、自信を失いかけていたというのに、その次の試合でこんな強敵と戦わなければならないなんて、あまりに酷だ。
航の気分がまた下がっちゃったら……、どうしよう……。また秒殺なんかされたら……、航が立ち直れなくなっちゃったら……。
本心で、本当のことだとしても、さっき余計なことを言ったのを猛省する。味方の緊張とプレッシャーを煽ってどうするのだ、と。ところが、そんな浬に気付いたのか。航は不意に、浬の肩を叩いた。
「浬、どうしたんだよ?」
「あ、いや……。なんか、その……、圧倒されちゃってさ……」
「だよなぁ。俺もだよ」
「だよね……」
航も羽柴も、きっとわかりすぎるほどわかっている。立花も、おそらくは九星学院も、これまでにない強敵だろう。ただ、浬が心配なのは、勝敗よりも、航が実力を出しきれるかどうか、だった。航が全力で、実力を出し切って戦えば、結果は絶対についてくるはずだ。立花も九星学院も、間違いなく強いのだろうが、航だって強い。問題はそうさせてもらえるかどうか、だ。
もし、航が普段通り、全力を出しきって戦えば、絶対、この人とだって互角に戦える……。あの面をうまく武器として使えれば……!
航の差し面は、全国レベルにも十分に通用する武器だと、浬は信じている。ただ、それを試合でうまく使うには、心と体のバランスが整っていない状態では難しい。戦う相手がタダモノでない場合は、特にそうだ。
「あの、航……」
「うん?」
「あ、いや……、なんでもない……」
どうにか航のモチベーションを上げなければ、と浬は声をかけるが、なんと言えばいいのかわからなかった。「がんばれ」も「大丈夫」も、なにか違っている気がする。仲間を鼓舞する、最適な言葉はもっとほかにあるはずなのに、パッと頭に出てこない。だが、浬が悶々としていると、航は明るい声で言った。
「なぁ、浬。優勝候補ってことはさ……、九星学院を倒したら、俺たちが優勝する可能性が高くなるってことだよな」
「あ、うん……。そうかも……」
航のそのひと言で重くなっていた、その場の雰囲気が一気に軽くなったような気がした。大地は嬉しそうに笑って言う。
「航、いいねぇ。スーパーポジティブ!」
「だって、優勝候補だぞ。それくらいのメンタルでいかなきゃ、戦えないっつーの。ですよね、羽柴先輩」
「おう。それに、どんな相手だって怪物なわけじゃない。同じ人間だし、同じ高校生だ。俺たちにも絶対に勝機はある。やる前から、ビビってる場合じゃない!」
羽柴がそう言った。浬は途端に頬を膨らませてみせる。
「……それ、さっきおれが言おうとしたのにィ」
「知ってるよ。ありがとうな、浬」
羽柴には、さっき立花の一本に遮られた浬の気遣いが、ちゃんと聞こえていたらしい。浬のふくれっつらを見て、航がまた笑う。それを見て、大地も楓も、また少しだけ、ホッとしたように笑みを浮かべていた。ようやく場が和んできたとき、航が言う。
「すごいよな……。全国にはこんなに強い人たちがいるんだ……」
「そうだね」
「この人たちが優勝候補で、俺らはたくさんの挑戦者のうちのたった一校……。側から見たら無謀なのかもしれないけど、でも、勝ちたいな……」
「うん……!」
無論だ。浬は頷いた。目の前にいるのが強敵だと知っても勝ちたいし、まだここで終わってほしくない。もっとも、この会場の全員が、おそらく同じことを思いながら、戦っている。だから、勝ち進むのはカンタンじゃない。少しでも、誰かひとりの気が緩めば、誰かひとりが諦めてしまったら、きっと負けてしまうだろう。優勝候補だろうと、去年の優勝校だろうと、それは等しく同じだ。しかし、同じだからこそ、浬たちにも必ずチャンスがある。
そうだ。おれたちにも可能性はある。どんな試合にだって、決められた結果や、勝利なんかないんだから――……。
だが、そう思ったとき。脳内に自然と浮かんだその言葉に、かつて父がくれた言葉が重なった。
――いいか、浬。どんな試合にも、決められた結果や、勝利はないし、強いヤツだって完璧なわけじゃない。だから、誰にでも勝つ可能性はある。お前にだって、あるんだぞ。
そういえば……。昔、子どもの頃……、市民大会で強い人とやる前、怖くなって泣いたことあったな……。
浬はふと、幼い頃のことを思い出す。初めて出場した市民大会で、いかにも強そうな相手と当たったときのことだ。浬は戦う前から、恐怖でべそをかいていた。とは言っても、相手が怖かったのではない。負けることが怖かったのだ。
――負けちゃうのやだよぉ……。もう帰りたいぃ……。
――浬、なにを言ってる! 泣くんじゃない!
面をかぶったままでべそをかき、駄々をこねる浬の頭を、父は竹刀で叩いて、喝を入れた。もちろん、年齢で細かく分けられた子どもの部だったので、相手は自分と同じ歳の子どもだった。だが、浬は知っていたのだ。相手が自分よりも強いこと。いい試合をして、勝ち進んできたことも。
――だって、あの子強いから負けちゃうもん……ッ。
よその道場の、名前も顔も知らない子だった。だが、直感でカンタンに勝てる相手ではないと感じとり、浬は怖くなった。負けるのが怖くて、戦うのも怖くて、試合場に入れなかった。すると、もう相手も会場係も審判も、みんなが待っているのに、なおも駄々をこねる浬に、父は言ったのだ。
どんな試合にも、決められた結果や、勝利はないし、強いヤツだって完璧なわけじゃない。だから、誰にでも勝つ可能性はある。お前にだってあるんだぞ――と。
父さんって……、ごく稀に、稀にだけど……、まともなこと言うよなぁ。
普段は騒々しく鬱陶しい父だが、ときに頼もしい言葉をくれ、激励をくれる。それは成長とともに、浬にとっては耳の痛い説教であり、鬱陶しい小言のようになっていったが、気が付かないうちに、少しずつ自分の体に染みているのかもしれない。
いっつもうるさいし、お節介だし、ムカつくけど……。あの人も一応アレで、道場の大先生だもんなぁ……。
浬はぐっと拳を握る。結局のところ、幼かった浬は当時、散々に駄々をこねたあと、敵わないと思っていた相手に勝ったのだ。
「航ッ!」
「え?」
「この人たちが優勝候補で、どんなに強くたって、なにも完璧なわけじゃないし、勝つことが最初から決まってるわけじゃないよ……!」
「あぁ、おう……」
「無謀だとしても、今、おれたちにできること全部、出そう! そしたら、絶対チャンスはある!」
浬は言った。それを自分にも、言い聞かせるように。すると、航が頷き、みんなもまた、それに続くように深く頷いた。
完璧な人なんかいない。誰だってそうなんだ。だから、立花にあるように、航にも勝利のチャンスはある……!
もしかしたら今、優勝候補として注目を浴びている九星学院も、去年は一年生ばかりで結成された、挑戦者チームだったのかもしれない。前年度優勝した高校や、強豪を相手に、こんな気持ちにもなったのかもしれない。だが、勝って、入賞した。絶対的王者も、敗者も存在しない。実際に戦うまでは、結果なんて誰もわからないのだ。
その後は、誰もがしゃべるのを止めて、ただ、じっと立花の試合を見ていた。立花は、次鋒戦も一本勝ちで勝ち抜き、中堅へ進む。彼の勢いは止まる気配がなく、待機している仲間もまた、余裕の表情だ。結局、羽柴が予想した通り、彼はそのまま大将戦まで勝ち抜いてしまった。試合時間はわずか、ニ十分だった。九星学院の歓声と拍手が湧く。
「……決まりだな。みんなのとこ戻ろう。たぶん、上でイチ先輩たちも見てる」
「はい!」
すぐにミーティングだ。浬は緊張感を抱えながら、二階の応援席へ戻った。
おれは試合に出て戦うわけじゃない。みんなの横で、スコア書いて、応援する。それくらいで、大したことなんかできないかもしれない。でも、これは団体戦だから。みんなで戦ってるから。だから、おれも。九星学院に勝つために、できることを、できるだけ精一杯やるんだ……!
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いなば海羽丸




