33【潰された大砲】~朝比奈航~
得意な必殺技を攻略されたうえに、見事に潰されたことで、ちょっと落ち込む航のお話。
航視点でお送りします。
航たちは、白波高校との試合後、三試合目までの空き時間を利用し、昼食をとることになった。応援席に移動すると、斎藤や佐伯が声をかけてくれ、航はおにぎりを三つとバナナ、それにゼリー飲料を受け取る。
育ち盛りの男子高校生には少々物足りない量だったが、これは織田の指示によるものだろう。戦う直前に胃袋がパンパンでは当然、動きが鈍くなる。腹八分目でも多すぎる、と彼はよく言った。
「おつかれ。これ、航の分な」
「ありがとうございます……」
「あれ? 楓と大地がいないけど、あいつらどこ行ったの?」
「いや、さっきまでそこら辺にいたんだけど……。レギュラーんとこ行くって言ってたから、すれ違ったのかな」
「ったく、しょうがねえなぁ。子どもかよー」
市鷹たちの会話が聞こえてくる。三年生は応援席でそのまま食事をとることにしたらしいが、航はひとり、その場を離れようと席を立った。今は、がやついた場所で食事をする気分にはなれないのだ。なるべくなら、ひとりになりたい。ひとりで、さっきの試合――対白波戦で、あまりに呆気なく負けた自分の分析をしたかった。
――いいか、お前の差し面は、間違いなく大砲だ。スピードも威力も、将鷹と同等だとオレは思ってる。この大会に来てる選手の中でだって、間違いなくトップクラスだ。でも、妻木はそれを事前に知って、わかってた。お前は大砲を打つ前に、ピストルを打たれたんだよ。
ピストルに潰された、大砲か……。
応援席の階段を上がりながら、さっき、織田に言われたことを、頭の中で何度も反芻してみる。航は、対妻木戦が終わった直後から、敗因を必死に考えていた。面打ちが弱かったかもしれない。間合いの合わせ方が甘かったかもしれない。手元を安易に上げたのがよくなかったかもしれない。だが、そのどれよりも、単純にタイミングの問題だとしたら、あの時、どうすればよかったのか。それがまるっきりわからなかった。
妻木先輩が俺のタイミングに合わせられたんだとしたら……、あそこで避けるにはどうしたらよかったんだ……。
「あれ。航、どっか行くの?」
不意に訊かれ、顔を上げる。目の前には、浬が立っていた。彼はどこか心配そうな表情だ。おそらく、航がちょっとだけ落ち込んでいることを知っているのだろう。
「……うん。昼メシ、ほかのところで食べようと思ってさ」
「あ、じゃあ、おれも行く!」
浬は、すぐに昼ごはんが入ったビニール袋を持ってくる。すると応援席にいた羽柴も、同じく昼ごはんを持って立ち上がった。
「航、おれも一緒に行くよ」
正直なところ、ひとりで悶々と考え事をしたい気分ではある。だが、ふたりの心配そうな表情を見れば、とてもNOとは言えなかった。今、航は少なからず、彼らを心配させている。それがなんとなく、伝わってくるからだ。
「あぁ、じゃあ……、どっか涼しくて静かなところ、探しましょうか」
「そうだな。さっき、一階によさそうなスペースあったよ。自販機の近く」
「いいですね! ジュース、すぐ買いに行けるし。おれ、財布持っていこうっと」
そんなわけで、航たちは揃って階段を下り、一階へ向かった。だが、その途中、聞き慣れた声がどこからか飛んできて、振り返る。
「おーい、航っ!」
声の方に振り向くと、大地と楓が息を切らして、駆けてくるのが見える。すると途端に、羽柴が「あっ」と声を上げた。そういえば、航たちが応援席に戻ったとき、楓と大地はそこにいなかった。あいつらどこへ行ったんだ、と誰かが話すのを聞いた気もする。今さらになってそれに気付き、航は自分に呆れてしまった。ずいぶん、ぼけっとしていたようだ。
「楓、大地……! お前ら、先輩たち探してたぞ」
「ふたりで、なにやってんだ?」
「なにやってんだ、じゃないよ。もうー、オレたち航のこと探して、あちこち駆けずり回っちゃったんだから」
大地はそう言って、あーくたびれた、と言わんばかりにため息を吐いている。隣の楓も、なぜか不服そうだ。
「ごめん……。楓も、探してたのか」
「あぁ。試合終わってすぐ下行ったんだけど、たぶん、すれ違ったんだな」
「悪い。俺、ミーティングの後に織田先生と話してたから、みんなに合流するの、ちょっと遅くなったんだ」
「別にいいよ、大した用事じゃなかったし」
やはり不服そうに、楓が言う。すると途端に、大地がにやりと口角を上げた。
「えー、そんなことないじゃん。航、楓はね、航がしょげてんじゃないかって、すんげえ心配して――……いぃったぁ!」
「大地は余計なこと言わなくていいっつうんだよ……!」
「わ、わかったから、ストップ! 痛いって!」
楓が耳まで顔を赤らめて、大地の足をぎゅうっと踏んづけている。それを見るなり、羽柴と浬が同時に吹き出し、げらげらと笑い始めた。
「浬の心配ならともかく、楓が航の心配するなんて、すごいな……! お前たち、いつの間にそんなに仲良くなってたんだよ」
「な……っ、別に仲良くなったわけじゃ――」
「でも、前よりは仲良くなってるだろ? 俺たち」
「はぁ……? そ、そんなの、知るかっ……!」
楓は真っ赤な顔のまま、そう言い放ち、そっぽを向いてしまったが、航は勝手にそう感じている。少なくとも、入学式の頃よりは、楓との関係は深まっているはずだ。互いに楓、航と名前で呼び合うようになったし、以前まで当たり前だった攻撃的な態度も、言葉も、今はほとんどなくなっている。
仲良くなっているのは事実なわけだが、なぜか楓は仏頂面のまま、そっぽを向いて不満そうだ。航は首を傾げた。
「楓、なんで怒ってるんだよ?」
「別に。怒ってねえ」
なおも楓は口を尖らせる。すると、それまで笑ってみていた浬が、呆れたような口ぶりで言った。
「楓はほんとに素直じゃないんだからなぁ。どーせ、照れてるだけなくせに」
「な……っ」
「航、とりあえず、めんどくさい楓は放っといて、早いとこ昼ごはん食べちゃおうよ。時間なくなっちゃう」
さすがは幼馴染だ。彼はこの中の誰よりも、楓の扱いに慣れている。楓は渾身の照れ隠しである強気な態度を華麗にスルーされてしまって、ちょっとだけむくれたような顔を見せたが、浬の「昼ごはん」という言葉を聞いたとたん、突然、「あっ」と声を上げた。
「そういや、昼メシ! 上に置きっぱなしだ……」
「そうだった。持ってくればよかったね」
「今頃、誰かに食われちゃってんじゃないか?」
「えっ!」
楓と大地の会話を聞いて、羽柴が冗談めかして言った。明らかに冗談だとわかる口ぶりだったが、楓は顔を引きつらせ、ぎょっとしている。彼はなにがどうあっても、それだけは困る、と言わんばかりだ。
「そんな……。食われちゃうことなんて……、あるんすか……?」
「あるある。マサ先輩は特に大食いだからね。ちゃーんとおにぎりに名前、書いとかないと」
「食べちゃう……?」
「たぶん」
「やっべえ……。オレ、名前書いてないっす……。だっ、大地……、お前、名前書いた?」
真剣な顔で訊く楓がおかしくてたまらないのだろう。大地は笑いを必死にこらえながら、「書いてないかも」と答える。もっとも、笑いを必死にこらえているのは大地だけではない。航も、浬も同じだ。
「早いとこ戻ろう! オレらのおにぎり、救出しねえとマサ先輩にみんな食われんぞ!」
楓が慌てたようにそう言って、駆けだしていく。大地はやはり、呆れたように「はーい」と答え、くくく……と、笑みを零しながら彼を追った。だが、なにか思い出したように振り返る。
「羽柴先輩、あとでオレらも合流させてもらっていいっすかね?」
「あぁ。あそこの自販機の近くにいるから」
「了解っすー!」
彼らの背中を見送った後、羽柴も笑みを零す。航と浬も、もう笑いをこらえきれず、ふたり揃って噴き出してしまった。
「楓……っ、冗談、真に受けすぎでしょ!」
「ほんとだよな……!」
三人で腹を抱え、げらげら笑う。浬は目に涙を溜めて、羽柴は呼吸が浅くなるほどに笑っていた。航もしばらく笑いが止まらなかったが、ほどなくして、ふと思う。
「でもさ……、楓のああいうとこ、いいよな」
「え……? いいって?」
「うん……。なんていうか……、ホッとするよ」
不思議だった。今まで、なにかにつけて突っかかってくる楓は、顔を合わせるのも面倒で、本当に鬱陶しい存在だった。チームメイトとしてうまくやっていこうとしても、なかなか心を開いてくれず、常に攻撃的な態度でものを言う。そんな頑なな彼を目の前にすると、航はいつだってひどく緊張した。それなのに今は、とてもホッとしている。楓の顔を見て、話をして、こんなにも穏やかな気持ちになったのは、初めてだった。
「……そっか。そうだね」
浬は、納得したようにそう答えてから、柔らかく微笑んだ。楓と一番付き合いの長い彼のことだから、もしかしたら、自分にも思い当たることがあったのかもしれない。
「おれも、わかるような気がするよ。斎藤が似たようなとこあるんだけど、ああいうタイプってさ、変な緊張とかほぐしてくれるんだよな。なんだろう、純粋でちょっと天然……だからなのかな」
「そうかもしれないですね。楓って、ちっちゃい頃からずっとああで、ほんとにからかい甲斐あるんですよ。すーぐ人の言うこと信じちゃうから」
「だけど、浬に天然って言われたら、きっと楓のやつ、怒るぞ」
「……どーいう意味ですかぁ、それ」
浬は不服そうに頬を膨らませ、ジトッと羽柴を睨む。しかし、浬の天然ボケをもう何度も目にしている航としては、羽柴の意見はもっともだと思わずにいられない。羽柴はにこにこしながら、「まぁまぁ、そう気にしないで」と会話を流し、また思い出したように続ける。
「あー……、だけど、マサ先輩にはちょっと悪いことしちゃったな」
「今頃、マサ先輩、楓に血相変えておにぎりおにぎり言われてますよ、きっと」
「そうだなぁ。まぁ、あの人なら大丈夫だろ」
将鷹は大丈夫そうだな、と航も思う。彼なら、突然、楓がすっ飛んで戻ってきて、おにぎりが無事かどうか、すごい剣幕でそれを訊かれたとしても特段、気にしないだろう。
三人は自販機の近くまで来ると、すぐそばのベンチに並んで座る。そうして、それぞれ、おにぎりを頬張った。
「こんぶ、しゃけ、ツナマヨ……。しゃけから食べようっと。羽柴先輩は、おにぎりの具で一番好きなのってなんですか?」
「おれ? おれは……、しゃけかな」
「えぇっ!」
「なんだよ、それ。浬はなんなの?」
「おれもしゃけですよ!」
「おんなじかよ……!」
ふたりの暢気な会話を聞き流しながら、航は黙々とおにぎりを食べ、再びぼんやりと考えた。楓の天然っぷりを見て、大笑いをしても、脳内はさっきの大敗をリセットしてくれない。ふと気付くとまたそこへ戻るように、妻木と戦った数秒間を思い出させる。脳はまだ、反省をしたがっている。そんな感覚だった。
白波高校の妻木との試合、一本目は完全に狙われていた。おそらく、差し面を打つタイミングを覚えられ、出る瞬間を叩かれたのだろうが、あの一本は、今から思えば仕方がないと思う。自分でも、勝ち進んでいた勢いもあって、安易に飛び出したという自覚はあるのだ。
だけど、二本目を打たれたのは――……。完全に、俺がテンパったせいだ。あそこで、気持ちを切り替えなきゃいけなかった。
二本目に打たれたのはフェイントの小手。あのとき、手元を上げなければ、たぶん、あの試合には先があった。つばぜり合いになって、引き技。間合いを取って、遠間。そこから一本を返せたかもしれなかった。
くっそぉ……、俺があそこで手元を上げなきゃ……。
「ねぇ、航は?」
「え?」
「航はなにが好き?」
不意に浬に訊かれ、航の思考はぴたりと止まる。猛烈な悔しさのせいで、彼の話をまったく聞いていなかったが、なにが好きか、と訊かれて思わず答えた。
「俺は……、やっぱり、遠間からの差し面かな……」
そう答えたあと、浬がきょとん、とした顔をする。なにか変なことを言っただろうか、と思った途端、羽柴がくすくす笑い出した。
「航、技じゃなくて、おにぎりだ」
「おにぎり?」
「そう。おにぎりの、具の話をしてたんだよ」
羽柴に言われて、「あぁ……」とため息を吐いた。そういえば、そうだったかもしれない、と思う。ずいぶんぼうっとしているな、と航は自分自身に呆れてしまった。
「おにぎりは……、えっと……」
慌てて、好きな具材を考える。手元にあるのは、しゃけ、ツナマヨ、こんぶ。だが、もっと大好きな具材があったような気がしてならない。
「ええっと……、あれだ……」
「あれ? あれって?」
「からあげマヨネーズ!」
答えたのは、航ではない。不意にどこからか声がして、辺りを見回す。すると、楓と大地がおにぎりの入ったビニール袋を持って、すぐそばに立っていた。
「おにぎりは、からあげマヨネーズが絶対一番! 一番、うまいに決まってる!」
「えぇっ、からマヨはずるくない? おにぎりの具じゃないでしょ」
浬が口を尖らせて言う。だが、楓は断固として引かなかった。
「なに言ってんだよ。からマヨおにぎり、コンビニにあるじゃん。あれがテッパンだろ」
「からマヨなんて邪道だよ! おにぎりの具の大会なんだから、もっとそれっぽいやつじゃないとだめー。失格!」
「はぁ? からマヨのどこが邪道なんだよ!」
「おにぎりの具なら、しゃけかこんぶか梅か、おかかでしょうが!」
浬は、渋好みなのかな……。
そう思いながら、大地に目をやる。すると彼は、楓の隣で、呆れたふうで肩をすくめ、航に目配せをした。彼は、頼むからこいつらをどうにかしてくれ、と言わんばかりだ。だが――。
「うるっさい、お前ら! もうなんでもいいから、早く食え!」
羽柴が珍しく怒鳴って、たちまち、浬がしゅんとする。だが、楓は仏頂面のまま、航の隣に座ると、航に訊ねた。
「そんで? 航はなにがいいわけ」
「え……」
「おにぎりの具だよ」
「あぁ、そうだな……。俺は――……」
航が思い出しているのは、姉の凪子がよく作ってくれる味噌の焼きおにぎりだった。白米の握り飯に味噌を薄く塗って、オーブントースターで数分焼いたものだ。こんがり焼けた白米と、しょっぱい味噌、それにみじん切りしたネギの風味が絶妙な味わいで、航は受験勉強の夜食に何度、それを凪子にリクエストしたかわからない。
「味噌」
「味噌?」
「そう。味噌の焼きおにぎり」
それを聞くなり、大地がにやりと口角を上げ、「あー、凪子姉ちゃんのやつねー」と付け足して、楓の隣に腰を下ろした。浬は浬で「まーたアレンジ系じゃんか、もう、みんなずるいよー」などと不満を漏らしながら、しゃけのおにぎりをむしゃむしゃ頬張っている。
「味噌の焼きおにぎりなんて、食ったことないな。しょうゆのはあるけど、うまいの?」
楓がきょとんとした表情で訊く。航は頷いた。凪子のおかげで、朝比奈家の焼きおにぎりはしょうゆではなく、もっぱら味噌派だった。
「うん。うちじゃ定番だよ。夜食とか、おやつとか、よく姉ちゃんが作ってくれる」
「へえー」
「あれは凪子姉ちゃんのがうまいってのあるよ。味噌もこだわってるって言ってたもん、たしか」
航は頷く。凪子は味噌や醤油、みりんなど、調味料にこだわる傾向があって、何種類も買い置きしていたりする。いろいろと実験的に試すのも楽しみなようで、家のキッチン棚はいつもパンパンになっている。
「そうなのか……。凪子さん、料理上手だもんな……」
羽柴が興味を示したが、なぜか落ち込んでいるようにも見えて、航は首を傾げる。もっとも、羽柴は少し前から凪子のことを話題に出すと、なぜかそうなるのだ。一方で、楓は話を聞きながら、ちょっと羨ましそうに言った。
「いいなぁ。うちのおにぎりなんか、いっつも梅干しかこんぶだぞ。しゃけだってたまにあるくらいだもん。いいよなぁ」
「楓んちの母さんは、好みが渋いもんねぇ、昔っから」
「放っとけ」
そんなおしゃべりが続いていたが、そのうちに楓はなにか考えているふうで、航をじいっと見つめてから、「まぁ、でも、よかったわ」と呟いた。なにがよかったのか、まったくわからずに航が首を傾げると、楓はごくん、とペットボトルのお茶を飲んでから、咳ばらいをして言う。
「……航さ、あんまり引きずってねえなって」
「え?」
「さっきの試合。あんな負け方したから、もっとめちゃくちゃ沈んでるかと思った」
「あぁ……」
脳内が一気に剣道に戻って、航は立ち上がる。それから、すぐそばに自販機でペットボトルのお茶を一本買うと、それをひと口飲んで答えた。
「これでも、けっこう沈んでるよ」
「え、そうなの?」
「うん。いまだに一本目も二本目も、どうすれば打たれなかったか、わかんないし。なんか、頼りの武器を潰されたみたいな感じがして……、自分への信頼っていうのか、自信っていうか、そういうのが壊れたような感覚があるんだ」
そのあと、楓はしばらく無言になり、しかめっ面でおにぎりを頬張った。羽柴や浬、大地もまた、なにも言わない。みんなに心配されているような感じがして、航は慌ててなにか言おうと言葉を探してみたが、なにも浮かばなかった。今、口にしたのは本心であって、否定しようもない事実だ。少しの間、気まずい空気が流れたが、ほどなくして、楓が言う。
「べつに潰されたわけじゃねえだろ。オレもよくわかんねえけど、さっきのはタイミングが悪かったんだろうし……。あんま気にしないで、次は打てよ。お前が打てば、また打てるじゃん」
楓は、頬を掻いてなんだか照れくさそうにしている。たぶん、今のは彼なりの励ましの言葉なのだろう。隣にいる浬は、それに気付いているのか、くす、と笑みを零した。
「なんかさー、意味はなんとなくわかるんだけど、楓って、いっつも語彙力がイマイチなんだよねー」
「な……っ、そ、そんなことねえだろ!」
「あるあるー。だけどさ、おれも楓に同感。剣道は真剣じゃなくて、竹刀だから、打たれたって死なないじゃん? だから、おれたちは何度でも戦えるし、自分の武器は自分が打てば、ずっと使えるんだよ。誰かに打たれたって、潰されたりしないって」
「うん。その考え方はいいな」
浬の言葉に、羽柴が納得したように頷いた。剣道の武器は、自分が打てばずっと使える。竹刀も、自分自身も、決して潰されるわけではない。浬の言葉が、ずしんと体に響いてくる感覚があった。だが、同時に。さっき打たれた衝撃を思い返せば、やはり潰されたとしか言いようがなく、航は黙った。
いつもなら、負けたときはもう一度やり直して勝ちたいって思うのに。今は、やり直しても、たぶん勝てない。また同じように打たれる気がする……。
「……まぁ、これはうちの父さんがよく道場で言ってることだから、おれの言葉じゃないんですけどね」
「へえ。そういえば、南部剣の横断幕って、ちょっと変わってておもしろかったよな。なんだっけ……、たしか――……」
「戦を楽しめ……です」
「そうそう、戦を楽しめ、だ。真っ赤な布地にでっかい黒字のやつ」
羽柴がくすくす笑う。楓は親指を立てて見せ、自慢げに口角を上げる一方で、浬は顔を赤らめ、口を尖らせた。
「もう、戦ってなんだよって感じじゃないですか……。ゲームじゃないんだから……。ほんと、センスないんですよ、うちの父さん……」
「そうかな? オレはうちの横断幕、好きだけど」
「えぇ……。もっとフツウに四文字熟語でいいじゃん。しかも、強豪高校とかならわかるけど、町の道場だよ? あんなの、無駄に目立つよ……」
「目立っていいじゃんか」
「おれは嫌なの!」
浬と楓の言い合いを聞きながら、航は南部剣の横断幕を思い返してみるが、まったく記憶にない。航は中学時代、羽柴に紹介されて、彼と一緒に船戸剣武館道場に通っていたし、市民大会では会場内に道場の横断幕が掛けられるのもよく目にしたが、南部剣とは特に接触する機会もなかったので、気にしたことがなかったのだ。
「でも、戦を楽しめって、今、カイちゃんが言ったのとおんなじなんじゃない?」
すでにおにぎりを平らげてしまった大地は言う。
「さっき、カイちゃんが言った通りさ、昔のお侍さんはみんな、真剣で戦ってたわけじゃん。だけど今、みんなは竹刀で防具とかつけて、打たれても痛くないようにやってるでしょ。戦だったら一回負けたら死んじゃって終わりだけど、今は死なないで、何回も何回もリベンジできる。横断幕の戦ってのは、つまり大会とか、試合ってことで、それを楽しめる余裕があるのは、死なないからで……」
「なるほどな……。さすがは浬の父ちゃんだ」
感心したように、楓が言ったが、浬はあいかわらず仏頂面だ。それでも、大地は浬に構わずに続けた。
「だから、戦を楽しめるってのは、オレたちには何度でも挑める余裕があるよってことだよね」
大地はそう言ってから、航を見て、微笑む。まるで彼に「一回負けたくらいで、技が通用しなかったくらいで、しょげるなよ」と言われた気がして、航は頷いた。彼の言う通り、いつまでも沈んでばかりいられない。航には、次の戦いがあるのだ。ただし、感情論だけで片付けられない課題はまだ残っている。
「俺が……、さっきの試合で、面に飛ぶタイミングで潰されたのは、妻木先輩に対策されてたからだってわかってる。でも、また次の試合で、別の誰かに同じことをされたとしたら、俺には対処ができない。防げるかどうかわからないし、面に思いきり飛ぶのも、ちょっと怖くなった。どうすればいいのか、考えても、今はまだ、答えが出ないんだよな……」
航の言葉を聞くなり、浬が「あっ」と声を上げる。ふと、なにかに気付いたような、思いついたような声に、航は漠然とその先を期待する。
「航の面はさ、大砲みたいなすごい面だけど、さっきは打つ前にやられたって感じだったじゃん。でもさ、妻木先輩が航の面に対策してきてたんだとしたら、航が打たなきゃ、妻木先輩はなかなか打ってこれなくて、テンパったかもしれないよね」
思わず、首を傾げる。同じタイミングで大地もまた首を傾げていた。だが、楓はその説明で、浬がなにを言おうとしているのかわかったようだった。
「そうか、なるほど!」
「……うん、そうだな」
羽柴も頷いている。彼もまた、浬の言った意味を理解したようだが、航にはまだ、具体的なイメージが湧いていない。すると、浬は少し自慢げに答えた。
「要するに、出し渋るの。必殺技はあとに取っておくってことだよ」
必殺技は、あとに……。
航は、浬の言葉を頭の中でくり返してみる。たしかに、彼の言う通りだ。最初から手の内を見せてしまえば、相手にとってそれは、情報を与えられたのと同じにことになる。
「あとに……取っておく、か。最初からあんまり派手に打たなきゃいいってこと?」
「そうそう。試合開始直後は、相手もこっちも、ある程度対策してたとしても、多少は探りから入るじゃん。そこでバンバン派手に打っちゃうと、ただ情報になっちゃうこともあるかなって。だから、小手とか、間合いの攻防しながら、打つ本数を少なくしとくってわけ」
「そうか……」
「……まぁ、先生はそういうのを要約して、渋くいけって言ってるんだと思うけどね」
羽柴にそう言われ、航はギクッとして、頭を掻いた。たしかに、その通りだ。織田は強者と戦うとき、常に冷静を保ち、渋く戦えと、指示をくれる。だが、航は白波戦で、それを忘却していたような気がした。先鋒、次鋒の二人を勝ち抜いて、勢いがついていたのもあるかもしれない。思い返してみれば、自分の面技への信頼感が、慢心になっていたような気もしてくる。
「たしかに、俺……、妻木先輩と戦ったとき、自分らしく戦うために、とにかく面を打って勝とうってことばっかり考えてたかもしれないです……」
「航が自分らしい剣道をするのは、一番大事なところだよ。でも、強い相手に臨むときってのは、自分らしく打たせてもらえるチャンスってのを、まずしっかり作らないとな」
「はい……」
「強い相手に対しては、その瞬間がうんと少なくなる。だから、それを作るために、ある意味で慎重になることも大事かもしれないよ。……って言っても、実際にそこのバランスをうまく取るのは、容易じゃないけどね。おれだってまだ、完璧にできてるわけじゃないし」
羽柴は優しい口調で、航をフォローするかのようにそう言った。次の試合で、航がどう戦わなければいけないか、なにに注意すればいいのか、やっとそのイメージがついてきて、航はホッと安堵する。おそらく、次の試合であたる高校も、強者の集まりだ。織田はたしか――……。九星学院だろう、と話していた。
「次の試合って……、もう決まったんですかね」
「斎藤が上でチェックしてくれてるけど、連絡こないから、まだじゃないかな。九星学院の試合が始まったら、連絡くれるはずなんだ」
羽柴はそう言って、ケータイを確認している。それから、彼はこう付け足した。
「先生も言ってたけど、次は九星学院で間違いないよ。去年、三位まで上がった強豪だからね」
「はい……」
去年、三位という羽柴の言葉を聞くなり、航を含め、そこにいる全員が一瞬で緊張した。それが空気で伝わってきて、航は深く息を吐く。九星学院。きっと、彼らの実力は白波高校以上だ。勝つのは容易ではないだろう。けれど今、航の心臓は、こんなにも胸が高鳴っている。
九州の強豪と、また戦える――……。
航は戦える。まだ、死んでも、潰されてもいない。まだ、次がある。そしてどうしたって、今、自分が持っている最強の武器は差し面。それ以外にはなかった。
「次は……、もうちょっと渋くやります」
そう言うと、羽柴はまた頷き、「強いヤツとの戦は、渋く楽しめ、かな」と返す。すると途端に、浬はげんなりした表情で舌を出し、楓は得意げに頷き、大地はくす、と笑みを零した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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いなば海羽丸




