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32【最後の砦】~羽柴洋輝~

将鷹の試合を見ながら内観し、主将のあるべき姿について考える、羽柴のお話。

羽柴視点でお送りします。

「はじめぇッ!」

「うらぁあああッ!」

「せりゃあああッ!」


 市立船戸高校は、航と毛利の活躍によって、一歩リードしたまま、対副将戦に臨もうとしていた。残るは二人だ。副将の溝尾(みぞお)と、大将の藤田(ふじた)。このふたりは三年生だから、おそらく毛利や市鷹、将鷹たちと同じく、今回が高校生活で最後の試合になるだろう。羽柴は面をつけながら、毛利と溝尾の試合をじっと見つめた。


 毛利先輩、調子いいみたいだな……。


 毛利、市鷹、将鷹の三人は、この玉竜旗大会の遠征を知らされたとき、「ボーナスステージだ!」と言って、喜んでいた。インターハイ県予選で、惜しくも兜山高校に敗れた彼らにとって、玉竜旗大会は、まさにサプライズ的な舞台だったのだろう。しかも今回、因縁ともいえる白波高校とトーナメントで当たったのだから、羽柴もまた、運命的だと思わずにいられない。


 半年前、錬成会で、地方大会で、いつも顔見知りだった高校に、これまではやや格下というイメージすらあった彼らに負けた、その悔しさを晴らす最後のチャンスに恵まれて、ここを逃すわけにいかなかった。三年生がこの試合にどれほどの思い入れがあるのか、羽柴は一番近くで見てきた分、理解しているつもりだ。


 玉竜旗は、公式試合じゃない。今、白波に勝ったって、おれたちは目標を果たせるわけじゃないし、ここには、倒したかった兜山高校だっていない。もし、出場していて勝ったとしても、夢だったインターハイに出られるわけでもない。それでも。この遠征はおれたちにとって、最高のチャンス。この人たちにとっては、最後のチャンスだ。


「小手ぇぇッ! 小手だぁッ!」

「おおっ!」


 毛利は今、つばぜり合いから引き小手を打ち、溝尾と距離を取って仕切り直そうとしている。溝尾は体格がいい選手で、毛利とは、かなりの身長差があった。おそらく、一七五センチほどだろうが、全体的に筋肉質で、どっしりとした体つきをしている。しかも、溝尾の打突は素早く、(するど)く、丁寧。打ち込んでくる技も正確で、安定感もあった。羽柴は彼と初めて対戦したときから、彼の特性をよく知っている。羽柴と同じく、溝尾は副将のポジションを与えられることが多いようで、錬成会では嫌というほどよく当たってきたのだ。


 おれとこの人は、そんなに実力の差はなかった、はずなんだけどな……。


 半年前の地方大会を思い出し、羽柴はため息を漏らす。それから思いきり、後頭部で結んだ面紐を、パンッ、パンッ、と面に打ちつけるようにしてきつく締めた。

 羽柴は当時、ベンチの応援組から、たったひとり選ばれて、期待されて副将を任されたのに、なにもできなかった。試合を盛り上げることも、いい流れを作ることもできず、厄介なプレッシャーだけを大将の市鷹に回してしまった。

 

 自分の無力さと情けなさが一気に蘇ってきて、羽柴はそれをみんな振り払うように、かぶりを振る。当時、溝尾との副将戦は、〇対〇の引き分け。結果だけ見れば、負けたわけではなかった。だが、それは、全体の流れの中でいえば、(よど)みのようなもので、羽柴にとっては、事実上の敗北といってもよかった。得意とする技も展開も、すべて溝尾に見抜かれ、潰され、羽柴は防御する一方だったのだ。なんとか四分間はこらえたものの、本当にそれだけ。試合後の感覚は、ちょうど、さっき妻木に敗れた航と同じだった。


 航……、得意技を潰されて、なにもさせてもらえない試合なんて、初めてだったよな……。悔しいよな……。


 横目でちら、と航を見る。いかにも悔しさをこらえているような表情と、固く握ったままの拳が、今の彼の心情を語っているようだった。まるで、半年前の自分だった。


 負けられない……。航のためにも。


 心の中で自分に言い聞かせ、肩を回す。この試合はなにがなんでも、絶対に勝たなければならない。そうでなければ、航は責任を感じて、自分を責めるに違いないからだ。リベンジチャンスだったはずの、白波との試合で、敗北のきっかけを作った。彼はそう思い込んでしまうかもしれないし、この先、トラウマのようにそれを引きずるかもしれない。そして、航だけではない。おそらくチーム全体に、その記憶が染みついてしまう。


 白波高校に勝てなかった、という記憶。それが再び重なってしまえば、やっぱりあの高校には勝てなかった、もしかしたら、もう勝てないんじゃないか、という思考や意識に変わる。そして、これと同時に、相手は逆に自信と勢いをつけるのだ。また勝った。だからきっと、次も勝てる――と。


 それだけは()けなきゃならない……。しっかりしろよ、おれは、この遠征が終われば主将だ。もう、イチ先輩は後ろにいてくれないし、もう「あとは任せろ」なんてことも、誰も言ってくれない。


 羽柴は、畳の上でそう自分に言い聞かせた。これまでは、市鷹に頼りっぱなしで、苦しい展開のまま、彼に繋いでしまったことも多かった。いい仕事ができて、胸を張っていられたのなんて、数えるくらいだ。しかし、これからは羽柴がこのチームを引っ張っていかなければならない。みんなが必死で繋いでくれた勝利への道すじを、最後に託されて戦う役目を担うのだ。


 プレッシャーとか、いい流れを作るとか、この前の試合がどうだったとか、もう、そんなことを言ってる場合じゃない……。


 羽柴は膝の上でぐっと拳を握る。深呼吸をする。そうして、決意した。この大会では、市鷹には出番を回さない。次期主将として、自分が最後の砦になろう――と。


「おーい、羽柴」


 不意に織田に呼ばれ、振り向く。すると、彼は航のほうへ、ちら、と目配せをして、「頼むぞ」とひと言だけ、言った。羽柴は黙って頷く。織田もまた、航を気にかけているのだ。


「面ッ! 小手ぇええッ!」

「面りゃあッ!」

「胴ーーーッ!」

「おぉっ!」

「いいとこー!」


 渋い戦い方をしていたはずの毛利と溝尾の試合は、今、だんだんと激しさを増している。もう、残り時間が少ないということを、互いに察しているのだろう。毛利は連続技を繰り出し、片時も溝尾に休む暇を与えない。溝尾もまた、速い試合展開の中で、毛利を休みなく攻めている。


「そろそろだな……」


 市鷹が言う。羽柴は試合場係の方を見た。試合場係のひとりは、試合場と手元のストップウォッチを交互に、忙しなく確認していた。おそらく、残り時間は二十秒、いや、十秒あるか、ないかだ。羽柴は竹刀を持ち、静かに立ち上がる。


「このままだと、毛利先輩と溝尾先輩はふたりとも下がることになりますから、残るは藤田先輩ですね」

「藤田かぁ……。マサの奴、大丈夫かなぁ」

「心配ですか?」

「うーん……。マサなら大丈夫だって思ってるけど、前回の負け方はあんまりよくなかったからな……」


 将鷹は、半年前の延長戦で藤田に負けている。それも、三回目の延長戦。互いに体力を消耗し、苦しくなってきたところで、つばぜり合いから離れようと意思を見せられた瞬間を狙われ、引き面を打たれたのだ。それは、完全に藤田に出し抜かれたように見えた、悔しい一本だった。見え方や、審判によっては一本とは認められないこともある展開だが、そのときは延長戦ということもあってか、一本として認められ、市立船戸ははじめて大会で、白波高校に敗北した。


「おれは今でも、あれは正当な一本だと思ってません」

「気持ちはおれも同じだよ。でも、マサはそう思ってないんだから、あれはやっぱり、一本だったんだ」


 市鷹の言葉に、羽柴は黙る。白波高校に負けた後、誰もがやや感情的になっていたが、将鷹は自分の負けを誰よりも理性的に受け入れていた。あの引き面は「自分が甘かった」、「それ以外にはない」と、そう言い切ったのだ。ただ、彼はその表情に、誰よりも悔しさを(にじ)ませていて、それは、双子の兄である市鷹にも、痛いほど伝わっていたに違いなかった。

 今回、市鷹はほかのメンバーの誰よりも、将鷹を心配しているのかもしれない。だが、羽柴は言う。


「イチ先輩。もし、マサ先輩が負けても、おれがちゃんと止めますから」


 途端に、市鷹は目を丸くする。だが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。


「なんだよ、頼もしくなったな」

「おれも、もうすぐ主将ですから。イチ先輩を立たせないように、頑張ります」

「あぁ、気持ちはありがたいけど……。でも、羽柴は副将だろ。羽柴が試合に出たら、おれはもれなく立つことにはなると思うよ」

「あ、そうか。そうですよね……」


 市鷹はまた、笑みを(こぼ)す。羽柴は思わず咳払いをするが、どうにも誤魔化せないボケっぷりに、たまらなく恥ずかしくなった。

 羽柴は副将なのだから、市鷹に回さないということはできても、立たせないというのは無理がある。それができるのは、先鋒から中堅までの選手だ。


 なにを言ってんだ、おれは……。


 面で締めつけられた頬がぶわっと熱くなる。慣れないことを口にしたせいで、ひどいカン違いを自信たっぷりに披露してしまったわけだ。しかし、市鷹はそんな羽柴のなにもかもを見透かしているのか、穏やかに言う。


「あんまり気ぃ張るなよ。いつも通り、羽柴らしくやってくればいいんだからな」

「はい……」


 まったくその通りだ、と思った時。ピーッと機械音が鳴る。「やめ!」と号令をかけて、主審が試合を止め、毛利と溝尾はそれぞれ、悔しそうに開始線へ戻っていく。羽柴は、試合場の角まで進んだ。


「引き分け!」


 ふたりは蹲踞(そんきょ)をして、同時に息をそろえ、下がっていく。対副将戦は〇対〇のまま、終わった。残るは大将、藤田ひとりだ。試合場の外には、中堅、将鷹と、白波高校の大将、藤田が立っていた。


「羽柴ぁ、ごめん……。一本も取れなかったわ」

「いえ……。ナイスファイトでした」


 言葉を交わし、すれ違いに毛利に肩を叩かれる。羽柴は頭をさげ、試合場に目を戻した。将鷹は今、試合場に入り、藤田と息を合わせ、開始線に立ったところだ。それから、ゆっくりと蹲踞(そんきょ)をする。そうして、わずか数秒の沈黙のあと、主審の声が響いた。


「はじめ!」

「うらぁあああッ!」

「せぇやああああああッ!」


 将鷹と藤田の試合が始まって、拍手が鳴り響く。ポイントで見れば、明らかに市立船戸高校のほうが有利。それなのに、白波高校の応援は盛り上がる一方だった。まるで、彼らは勝利を確信しているようだ。この試合も、次の試合も、その次も、藤田がきっと勝ち抜いてくれるのだ、と。


 半年前と同じだと思うなよ……。今日の試合、勝つのはおれたちだ。


 羽柴は心の中で、白波高校の歓声に向かってそう呟くが、同時に思う。それはたぶん、相手も同じなのだ、と。


 そもそも、羽柴がはじめて参加した錬成会で、白波高校はまだ、見るからに発展途上だった。個々の実力も、チームとしても未熟で、おそらく勝率も平均的だった。それが、徐々に実力をつけて強くなり、今に至る。そういう彼らだから、今回、半年前よりもさらに実力をつけて、チーム力を上げた状態で、この大会に挑んでいるに違いない。


 今、市立船戸(うち)と白波は、そんなに実力の差があるわけじゃない。だから、最後に勝敗を分けるのは、チーム力だ。チームにいる個人、個人がどれだけチームの勝利のために、考えて試合できるかどうか。自分の役割を理解して戦い、実力を発揮できるかどうか……。


 その力が、優れている方が勝つ。そしてこのチームは、白波に打ち勝つだけの力がある。半年前とは違う。そう羽柴は信じている。


「面ッ、面だぁぁあああっ!」

「小手ぇえええッ!」

「おおっ!」

「いいとこ!」


 将鷹と藤田の、白熱した試合に、市立船戸高校、白波高校、双方の拍手や歓声が湧いている。その中で、羽柴はじっと藤田の動きを見つめていた。


 マサ先輩が負けるはずない。でも、もし、万が一のときには、おれが藤田先輩(このひと)を潰さなきゃならない――。


 最後の砦になる。もうすぐ、ではなく、今。それを決意して、羽柴はここにいる。だから、安心して応援などしていられなかった。

 羽柴は藤田の攻め方をよく観察して、リズムを頭に叩き込む。正直なことをいえば、これまで、錬成会等で藤田と対戦したことはほとんどなく、数えても一度か二度。しかも、記憶に残っている中では、楽な試合はひとつもない。つまり、この試合で藤田に勝つことはもちろん、引き分けに抑えるということすらも、そうカンタンではないわけだ。そしてそれは、相手が誰に代わっても、同じことがいえる。だが、やらなければならない。


 藤田先輩を潰す。それができなきゃ、おれたちは負けるんだ。


 将鷹は今、藤田と遠間から攻め合っていた。ふたつの剣先がだんだんと近づき、一足一刀の間合いに入ったところで、中心の取り合いが始まる。将鷹の得意技は、遠間からの差し面だが、それはすでに藤田も知っているだろう。きっと、差し面を潰すか、あるいはかわして、対処技を打とうと考えているはずだ。出小手か、抜き胴。あるいは、返し胴。すりあげ技や抜き技も可能性としてはある。


 なにを狙うんだ、藤田先輩は……。


 藤田は、剣先をほんのわずかに下げながら、将鷹をじりじりと攻めている。おそらく、狙っているのは手元。出小手を狙っているのかもしれない。


 やっぱり、面を意識して出小手か……。


 差し面が得意な将鷹に対して、同じ面技で対応するよりも、面技の瞬間に必ず上がる手元を狙う出鼻小手は、当然の選択かもしれない。だが、将鷹だって、もう何度も白波高校と対戦してきて、そこを狙われるということは予想しているに違いない。もうその先は、腹の探り合いになる。


「小手ぇえッ!」

「……面りゃああッ!」

「おおっ!」


 藤田が小手を打ってきたが、将鷹は構えを崩さず、竹刀で押さえつけるようにして技を殺し、それからすぐに引き面を打って、距離を取る。間合いは再び遠間に戻り、将鷹と藤田は互いに攻め始めた。ここまでを見ても、将鷹にしては、慎重な試合運びだが、当然。ここは無理をしないに越したことはない。


 しかし一方で、引き分けるわけにはいかない藤田は、確実に将鷹から一本を取ると言わんばかりに、激しい攻めをくり返し、間合いを詰めていく。羽柴は、そんな藤田をじっと見つめ、脳内でイメージを深めていった。


 さっきから、藤田先輩は手元を狙ってるみたいだけど……、フェイクかもしれないな……。


 藤田は策士だ。半年前の地方大会での代表戦はいい例だが、以前から羽柴は、彼にそういう印象を持っていた。相手をコントロールして、出し抜いて一本を取る。そういう能力が、彼にはあるのだろう、と。

 羽柴は、藤田の動きを必死に観察しながら、打ち込むタイミングを探し続けた。しかし、なかなか見つからない。


 まずい……。こんなんじゃ、おれが出て行っても、すぐ打たれる――……。


 互いに竹刀をはらう音と、床に足を踏み鳴らす音が、頻繁に響いている。緊迫した攻め合いの中、渋い試合展開が続いていたが、そのうちに、だんだんと応援の歓声が大きくなっていく。白波高校は、最後の砦である藤田に、なんとしても一本を取ってもらおうと必死なのだろう。一方で、このまま将鷹が引き分けで抑えれば、勝利が決まる市立船戸高校もまた、必死だ。


「たぶん、もう少し……。もう少しだ……」


 羽柴もまた、思わず口に出して呟き、試合場係を気にした。体感として、残り時間はあと一分もないくらいだろうか。あっても、五十秒。いや、五十秒弱。あともう少しだけ耐えきれば、白波高校を抑えられる。


「もう少し、頼む――……」


 そう呟いて、祈るように、竹刀を何度か握り直し、もう一度、はやる気持ちを抑えながら、試合場係を気にする。――ところが、その時。妙な予感がした。羽柴はハッと息を()み、将鷹と藤田に目を戻す。次の瞬間、藤田がわずかに剣先を下げた。


 来る――……!


「……突きゃぁああッ!」

「面ッ……」

「おおっ!」

「やめえ!」


 主審が試合を止める。どうやら、藤田が突いた瞬間、その剣先が将鷹の面のすき間に入り込み、面紐と一緒にからまってしまったようだ。将鷹と藤田はそれぞれ、開始線に戻っていくが、ふたりの姿を前に、羽柴は身構え、ごく、と生唾(なまつば)を飲んだ。ここは藤田からすれば、勝負どころになる。残りわずかな時間で、藤田が一本を取らなければ、白波高校はチームとしての敗退が決まるのだ。つまり、彼は必然的に息が合うこのタイミングで、勝負をかけてくるに違いなかった。


 将鷹と藤田が、互いに向き合って構える。歓声が止んで、急に周囲が静かになる。まるで、両チームの誰もが、このあと、なにかが起こると予感しているようでもある。


 マサ先輩なら……、試合が始まったら、絶対に藤田が来るのはわかってるはずだ。……勝負、するんだろうか。


 おそらく、勝負をしかけてくるであろう、藤田に対し、将鷹はどうするのだろう。羽柴には想像できなかった。勝負する必要はない状況でも、明らかにそういう態度を見せれば、戦う意志を感じられないとして、反則を取られることも危惧される。だが、そうだとしても、もう残り時間が少なければ、反則を一回もらったところで、十分な時間稼ぎにはなるわけだ。


 おれなら、勝負はしない、かもしれない……。打ってきたのを防いで、時間を稼いで、引き分けられれば……。それでうちが勝ち進めるなら、その方が絶対にいいだろうしな……。


「……はじめ!」


 主審の声を合図に、将鷹と藤田は互いにスッと一歩入る。次の瞬間、双方が動いた。緊張のあまり、息が止まる。


「メンりゃぁあああッ!」

「面やぁあああッ!」 

「おおーーーッ!」

「いいとこーーーッ!」


 将鷹と藤田の相面だ。羽柴の目の前で、赤い旗が三つ、同時に上がった。羽柴は呆気(あっけ)にとられて、残心を取る将鷹を見つめる。


「面あり!」


 将鷹は一度、藤田に向かって構え直し、開始線へ戻っていく。一方で藤田は周りを見回して審判旗を確認したあと、悔しそうに天を仰いだ。しかし、すぐに将鷹に向かって構え、同じく開始線へ戻っていく。相面は疑いようもなく、将鷹の面で決まった。見事な一本だった。


「二本目!」


 二本目が始まる。藤田はすぐに攻め込み、打ち込んでいく。かなり焦っているのか、攻めも打ち方も、さきほどと比べて雑になっている。しかし、無理もない。残り時間はわずか数十秒ほどなのだ。技を組み立てて一本を取るのに、十分といえるほどの時間は、もう残っていない。将鷹は落ち着いた様子で、藤田の技をかわして防いでいる。余計に打ち合うのを避けているのだろう。ただし、このラストスパートで、チームの思いを背負い、最後の一分一秒まであきらめずに一本を狙う藤田のくり出す連続技をやり過ごすのは、決して楽ではなさそうだった。


 あとちょっと……。もう少しだ……。


 羽柴はドキドキしながら、将鷹を見つめる。やがて、時間切れを(しら)せる音が、ピーッと鳴り響いた。


「やめ!」


 主審が号令をかけた途端、拍手が湧く。藤田と将鷹は同時に構え直し、それぞれ開始線へ戻っていく。その時、羽柴の体は安堵(あんど)のあまり、一気に脱力していった。


 勝った……。


「勝負あり!」


 ふたりが蹲踞(そんきょ)をして下がり、拍手と歓声がさらに渦巻くように湧き起こる。羽柴も小手をつけたまま、拍手を送る。だが、まだ興奮も緊張も覚めず、胸はバクバクと高鳴っていた。やがて、畳の上に正座して応援していた両チームの選手、顧問がそれぞれ立ち上がる。


「羽柴、整列」

「あっ、はい!」


 ホッとするのも(つか)の間、市鷹にぽん、と肩を叩かれる。毛利が航の背中を押すようにして、将鷹のそばへ駆け寄っていく。白波高校に勝利した喜びをかみしめながらも、羽柴は頭を巡らせ、まだ呼吸の荒い将鷹の隣に並んだ。


 マサ先輩……。どうして最後、あんな面を打てたんだ……? 


 市立船戸高校対、神奈川県立白波高校の試合は、副将、大将の二人を残した市立船戸高校が勝利した。羽柴の願い通り、この試合は大将である市鷹を立たせることなく終えたわけだが、最後の一本にはどうしても疑問が浮かぶ。あの状況で、なぜ将鷹が思いきり面に飛んでいったのか。どうしても理解できなかったからだ。


「おい、集合。廊下に出るぞ」

「はい」


 整列し、竹刀を持って畳から下がったあと、急かされるように織田に言われ、羽柴たちはアリーナの出口から廊下に出る。すると、すぐに廊下の端で、ミーティングが始まった。


「おつかれさん。いい試合だった。白波も仕上げてきてたけど、いっこずつ、試合の流れをうまく作れてたし、繋げられてたな。ただ……、マサ」

「はい」

「お前、なんで最後に飛んだんだ?」


 羽柴が()きたかったことを、まさに織田が代わりに(たず)ねたようだった。織田は、じっと将鷹を見つめ、答えを待っている。そうだ、それを聞かせてくれと、羽柴もまた、将鷹に目を移した。


「藤田が面に飛んでくると思ったからです」

「うん、だろうな。でも、なんでそう思った?」

「せーので面を打ったら、オレは藤田には絶対に負けないと思いました」


 すらすらと、そう答えた将鷹には驚かされ、思わず羽柴は目を見開く。得意技だとしても、あの状況で、それだけの自信を持って打ち込むには、どれほどの精神力を鍛えればいいのだろう。少なくとも、羽柴にはできない。さっき、イメージトレーニングをしていた時だって、羽柴は勝負をしない選択をしたのだ。


 勝負しないで、(かたく)なに守れば……、それが一番、安全だと思ってた。でも、そうじゃないんだな……。少なくとも、マサ先輩にとっては、それは安全策じゃなかった……。


 織田は将鷹の返事を聞くなり、納得したように頷いた。


「ふうん、なるほど……。いい選択したな。あそこで勝負すりゃ、打たれる可能性もあったはずだけど、よく思いきって打ったよ。……うん。マサらしい剣道だった」


 織田はそう言うと、腕時計に目を落としてから、パンフレットを開く。羽柴は小手をしたまま、ぐっと拳を握りしめた。


 やっぱり、マサ先輩は強いな……。おれとは、全然違う。


 将鷹の強さを改めて感じながら、同時に自分の弱さを思い知る。半年前の試合で、彼は藤田に負けたのに、また打たれるかもしれない恐さとか、不安とか、そういうものはなにひとつとして引きずっていなかった。彼は、それだけ自分自身に、自分の技に、揺るがない自信を持っているのだ。羽柴は、そんな将鷹に憧れる一方で、自分とのレベルの差に愕然(がくぜん)とさせられていた。そして、ほんの少しだけ、嫉妬もした。


「ええと、次は――……少し時間が空くから。このタイミングでメシ食っといたほうがいいな。斎藤たちに頼んであるから、各自、しっかり食事をとること」

「はい!」

「それと、次に当たるとこの試合、しっかり見とけ。たぶん、九星学院が上がってくるはずだからな」

「はい!」


 織田の話を聞きながら、脳内ではさっき将鷹が打った相面を、何度も思い返してみる。藤田との試合。必然的に息が合うタイミングが訪れた瞬間。引き分けであれば、チームが勝ち進める状況。やはり、羽柴は防戦する選択肢をとりたくなった。将鷹のように、思いきった勝負には出られそうにない。


 おれの持ってる武器じゃ……、勝負したところで、勝てる自信がない……。


 もっとも、ふたつの選択肢のうち、どちらが正解なのか、それをはっきりと断言するのは難しいのだ。必死に防戦したって打たれることはあるだろうし、逆に打って出ても、余計な隙を作ってしまい、打たれるかもしれない。だが、そこで勝負に出られるだけの技と、自分への信頼は、最後の砦である主将として、これ以上なく、ふさわしい姿に見えた。


 くそ……。おれは、この人たちみたいになりたいと思うのに……、いつもこの人たちを目指して稽古してきているのに、どうしてそうなれないんだろう。


 市鷹や将鷹に憧れながら、悔しくてたまらない。同じチームのメンバーでありながら、彼らと同じレベルには届いていないのは、守られているようなものだと、羽柴には思えてしまうからだ。


「よーし。それじゃ、ひとまず解散」

「はい! ありがとうございました! 失礼します!」


 (そろ)って頭を下げ、ミーティングは終わり、織田はその場を去っていく。だが、みんなが顔を上げた瞬間。すぐに航が織田を追って、駆け出していった。


「先生!」

「あっ、おい、航――」

「羽柴」


 織田に駆け寄る航が心配で、思わず追おうとしたが、市鷹に肩をつかまれる。振り向くと、市鷹は柔らかく微笑んで言った。


「大丈夫だよ。航は今、わからないことがたくさんあって、いろいろ考えてるんだろうから」

「はい……」


 織田を追いかける航を見て、思う。彼もまた、自分と同じなのだろう、と。強くなりたくて、必死で稽古をして、戦って、だが、自分の弱さを思い知らされている。だから、もっと、もっと強くなるために、どうすればいいのか、必死になって考えているに違いなかった。


 航も必死なんだな……。


「さぁて、と。面取って、メシだ、メシ」


 背後から、将鷹の(はず)んだ声が聞こえる。羽柴は咄嗟(とっさ)に詰め寄った。


「あの、マサ先輩……!」

「お……っと、どうした?」

「おれは、さっきの――……藤田先輩との試合、最後のタイミングだったら、たぶん打ってません。藤田先輩は飛んでくるだろうと思いましたけど、あそこは防戦するべきだと、おれはそのほうが安全だと思いました」

「……そうか」

「それは、あの瞬間に、勝負できるものがおれにはなかったからです。でも、その時点で、もう打たれているような気がしました」


 羽柴は思うのだ。さっきの試合で、藤田の相手が将鷹ではなく、羽柴だったら。打たれていたのかもしれない。防戦すると決めて、あの面を防いでも、その後は防げていたかわからない。残り数十秒のラストスパート、藤田の猛攻撃の中で、必死にかわして防いで、それだけで生き残れていたのだろうか。――いや、きっと難しい。


 将鷹は、無言のまま廊下の隅に座り、面を取る。それから、手ぬぐいであご周りを拭いてから、ふうっと息を吐くと、羽柴を見上げて言った。


「羽柴。ただ、得意技を持ってたって、強くなれるわけじゃねえし、勝てるわけでもねえ。試合じゃあ、より自分の剣道をやったほうが勝つんだ」

「自分の剣道……」

「そうだ。あそこでどんなにいい技を打っても、打たれないように防戦するにしても、同じだよ。自分の剣道がちゃんとできてるときってのは、打たれねえもんだ。……まぁ、頭でわかってても、なかなか難しいけどな。オレだって、いつでもそうしていられるわけじゃないし」

「はぁ……」

「今日は……あれだ。たまたま調子がよかったんだよ。それに、オレが万が一、あそこで一本取られて負けたって、あとにはお前もいるし、イチだっているだろ。正直いうと、お前らを頼りにしてるから、勝負に出られたってのはあるよ」


 将鷹が少し照れくさそうにそう言ったあと、市鷹はくす、と笑みを(こぼ)した。


「羽柴らしく戦えたら、それでいいんだってことだよ。さっきもそう言っただろ」

「はい、でも……」

「そんなに難しく考えなくたって、羽柴は羽柴の剣道を、やればいいんだって」


 市鷹の言葉で、やっと少しだけ理解する。自分らしく戦う、というのは、自分の剣道をやること。あの場面で打つか打たないかは、関係ない。そういうことなのだろう。ただし、さっきの将鷹の試合は、羽柴が目指している主将としての戦い方、そのものだった。


「でも、おれは……、あの場面で勝負できたほうが、かっこいいというか……、そういう主将になりたいと思いました」

「……そうか。まぁ、なるだろうな、お前は」

「とりあえず、羽柴も早く面、取んな。そのまんまじゃ、メシも食えないよ」

「あっ、はい……」


 毛利に言われて、そうだった、と羽柴は慌てて将鷹の隣に座り、面を取る。試合の話に夢中で、面をつけていることをすっかり忘れていたのだ。


「羽柴はすーぐ頭で考えすぎるから、もうちょい気ぃ抜くくらいでいいんじゃねえか」

「そうそう」

「そう、ですかね……」


 将鷹と毛利に言われて、首を傾げる。すると、市鷹は穏やかに微笑み、羽柴の肩をぽん、と叩いた。まるで彼は、「お前なら、大丈夫だよ」とでも言うかのようだ。しかし、羽柴はまったくそうは思えない。むしろ、その道のりをとても遠く感じている。

 大切な場面で勝負に出られる強さも、最後の砦として、安心して大将を任せられる強さも、今の自分にはまだ十分に備わっていない、と思えてならなかった。


 おれにはまだ、足りないことばっかりだ。満足にみんなを守って、引っ張ってやることなんて、できないのかもしれない……。――でも。


 そうは言っても、もう七月。この遠征が終われば、羽柴は否が応でも主将になる。今はこうして、三年生に守られて、支えてもらってばかりだが、それでも、時は待ってくれない。羽柴は再び、織田と話す航を見つめた。


 強くなりたい……。航が負けて、へこんでたって、おれが勝つから大丈夫だって、思いきりやってこいって、少なくともそう言ってやれるくらいには、おれはなりたいんだ。


 最後の砦として、ふさわしい主将のあるべき姿を知って、そうなりたいと思っても、ある日突然、レベルがあがるわけではない。毎日、少しずつ、経験値と稽古を積んで、模索していくしかない。だから、羽柴はこれから、もっともっと強い高校と、強い選手と戦って、打って、打たれて、打ち合っていかなければならなかった。自分の剣道を、やる。その感覚を知り、体現できるようになるために。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

よろしければ、続きをお楽しみいただけますと嬉しいです。


いなば海羽丸

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