表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
32/42

31【ライバルの敗北】〜北条楓〜

白波高校の中堅、妻木にあっという間に負かされた航を心配する、楓と大地のお話。

楓視点でお送りします。

「う、嘘だろ……」


 思わず、声に出てしまった。楓は、三試合を終えて、畳の上に戻るライバルの姿に目がくぎ付けになったまま、ごくん、と生唾を飲む。


 まさか、(アイツ)がこんなにカンタンに負けるなんて……。


 朝比奈航。彼は、楓が中学の頃から、意識している存在。密かに闘志を燃やしてきたライバルだった。市民大会の小学生の部では、一度も見かけたことがなく、その名前を聞いたこともなかったのに、ある日突然、彼は彗星のごとく現れたのだ。カリスマ的ルーキーだとみんなにもてはやされ、やがて、彼はたくさんの経験者を差し置いて、船戸地区のちょっとしたスターになっていった。


 聞くところに寄れば、航は中学まで剣道経験はなかったというから、身体能力と才能、センスに相当、恵まれたのだろう。経験者の楓からしてみても、航は強敵だった。誰よりも倒したい相手で、ライバルで、悔しいけれど、目標で、憧れでもあった。そんな彼が、こんなふうに、ものの数秒で負かされてしまうのを、楓ははじめて見たのだ。


 涼しい顔で、いつも冷静で、すかしてて、当たり前みたいに勝って、航はいつだってそうだった……。それなのに、秒殺されるなんて……、あり得ねえ……。


「あちゃー……、航、負けちゃったねぇ」


 隣で、残念そうに大地が言う。だが、その口調はやけに明るく、笑みを含んでいるように聞こえる。楓が眉をしかめ、彼に目をやるると、待ち構えていたように視線がぶつかった。


「楓、もしかしてショック受けてんじゃない?」


 そう()かれて、思わずドキッとさせられる。図星だ。だが、大地の勝ち誇ったような表情のせいか、どうも素直にはなれなかった。


「……なんでオレがショック受けなきゃなんないんだよ」

「だってさ。楓は航のこと、なんでもできるスーパーマンだと思ってたでしょ」

「……思ってねーし」

「思ってたじゃん。なんでもできて、いつも安定してて強くて、必殺技は百発百中、才能とセンスの塊」

「思ってねーって……!」


 口を尖らせて言い返しても、大地はくすくす笑うだけだ。楓は(あき)れてしまった。


「あのさぁ、仲間が負けて帰ってきてんだぞ。笑ってる場合かよ」

「ごめん、ごめん」

「ったく……」


 ふん、と鼻を鳴らす。そうしてまた、畳の上で面を取る航を見つめた。面を取った表情は硬く、こわばっている。手ぬぐいで顔や首周りを拭いたあと、膝の上の拳をぐっと握りしめたのが見えて、楓も真似るように拳を強く握った。航から、途方もない悔しさが伝わってくるような、そんな気がしたのだ。


(アイツ)、ここまでめちゃくちゃよかったのにな……」


 今、彼はどんなにか、悔しいに違いない。ひとりごとのように呟くと、不意に大地に顔を(のぞ)き込まれる。


「な、なに……」

「ううん。楓は航のこと、心配なんだなーって思って」

「は……? し……ッ、心配なんかしてねえよ。大地、なに言って――……」

「こーら。大地、楓」


 楓が慌てて言った時、斎藤がふたりの会話を(さえぎ)った。振り返れば、彼は(あき)れ半分の表情でこちらを睨みつけている。


「お前ら。毛利先輩、試合中なんだから、もうちょい静かにしとけよ。ってか、ちゃんと応援しろ」

「す、すんません……」


 ふたり(そろ)って叱られて、楓は頭を下げて謝ったあと、大地に口を尖らせて見せる。すると、大地は肩をすくめて、小声で話し出した。


「実はさ。オレもちょっと心配なんだよね」


 楓はうんざりした顔をしてみせ、斎藤や佐伯の顔をちら、と(うかが)ってから、「そうかよ」とぶっきらぼうに返す。また叱られないように、できるだけ声のボリュームを落としたが、大地はそんな楓にはおかまいなしで、話を続けた。


「オレはさ、マネになってからしか、航の試合って見たことないんだけど、なんか……、今のは一番らしくない試合だったよね。そもそも航は今の試合で、なんにもしてないじゃん」


 さらりと、穏やかな表情でそう言った大地の言葉は、あまりに辛辣(しんらつ)だ。楓は思わず笑みを引きつらせた。


「大地……。お前、幼馴染のくせに、言うこときついな……」

「いや、オレは事実を言ってるの。航がなにもさせてもらえなかった試合なんか、オレは一度も見たことなかったから。冗談抜きで心配なんだよ。……航が、今のを引きずらなきゃいいんだけどね」


 大地は冷静だった。分析力に()けている彼は、マネージャーとして航のメンタルを支えるために、今、必死に頭を巡らせているのだろう。彼のためになにかできることはあるか、最善はなにか、と。楓はひと言だけ、「そうだな」と返し、航を見つめる。


 (アイツ)がなにもさせてもらえないってことは、県立白波のあの妻木って人がそれだけ強かったってことなんだろうな……。オレはずっと、航を倒すために、稽古も特訓もしてた……。航より強くなりたいとか、浬の相棒だって、胸張れるようになりたいとか……。オレはなんて、小さくて、狭いところばっかり見てたんだ……。


 楓ははあっとため息を吐いた。航も、浬も、この市立船戸高校チームで全国の舞台へ行きたいとか、優勝したいと話していたが、それがどれほど難しいことか、楓はとうにわかっているつもりだった。しかし、今、改めて感じている。自分はなにもわかっていなかった、と。


 この体育館の中にいる高校のほとんどが、おそらく全国大会出場、あるいは優勝を目標に掲げているのだろう。彼らは日々、全国の頂点に立つために、厳しい稽古を積んでいる。楓たちが全国大会で優勝しようとするなら、当然、そういうチームと本気で戦って、勝たなければならないわけだ。しかし、どんなに稽古を積んでも、才能とセンスに溢れていても、その世界で楽に勝てる試合なんか、たぶん、ひとつもない。そうして、一度も負けなかったチームだけが、頂点に立てる。航と浬は、そこまで一緒に行こうと、楓の力が必要だと、そう言ってくれていた。


 それなのに、オレは……。航に勝ちたいとか、強くなって浬に認められたいとか、そんなことばっか考えてた……。なにも、わかってなかった。全国には、こんなにたくさん、強い奴がいるのに、オレ、航を倒すための特訓とか言って……、ダッセえ……。


「は……、んなこと、やってる場合じゃねえっつーの……」

「ん? 楓、なんか言った?」

「あぁ、うん……」


 楓は今、この大きなアリーナで、必死に戦うたくさんのチームを一望し、自分の弱さ、稚拙(ちせつ)さを痛感していた。今のままでは、楓は、絶対に彼らには勝てず、強くもなれない。一年後も二年後も、航と浬には追いつくことは叶わず、彼らのとなりに立って一緒に戦うこともできず、この体育館の応援席で、ただ、彼らを羨むことになるかもしれない。


「大地……、オレさ……」

「うん?」

「今までずっと、航と浬は特別なんだって思ってた。特に航は……、ずるいな……って。どうせ本番に強くて、(きも)も座ってて、たいしてがんばってなくても、なんでも器用にできるんだろうなって。でも……」

「今の航見て、違うってわかった?」


 大地が()く。楓は頷いた。


「実はあいつも……、必死で強くなってきたのかもな……って、ちょっとだけ、思った」

「ちょっとだけ、か。楓らしいねぇ」

「なんだよ、それ」


 くすくす笑う大地を、ジトっと(にら)みつける。だが、彼はやはり、そんな楓に構いもしなかった。


「いやいや……。楓はさ、中学の頃から、航を倒したかったって言ってたじゃん。それって、目標ってことでしょ? でも、航にしてみれば逆だったんじゃないかなーって、オレは思うんだよ」

「逆?」

「そう。アイツ、経験者じゃなかったからね。きっと、みんなを追いかけて追いかけて、必死でああなったんだよ。いつも安定の出木杉くんでさ、運動神経とセンスでしれっと強くなったみたいに見えるけど、あれでけっこう泥臭いとこもあるし、がむしゃらに駆け上がってきたんじゃないのかなぁって」

「そう、なのか……」

「オレも航にずっとくっついてたわけじゃないからわかんないけどね。でも、航はああ見えて、ぜーんぜん、天才なんかじゃないよ」


 天才じゃ、ない……。


 航も楓と同じ、ひとりの人間であり、ひとりの高校生だ。とてつもない力を持つ剣豪でも、スーパーマンでもない。それでも、全国の舞台に憧れて、そこに立ちたくて、日々、地道に稽古を積んでいる。そして、航ひとりではとてもそこにはたどり着けないからこそ、一緒に戦ってくれる仲間を、彼は求めている。楓は今さらになって、それに気付かされていた。


 ――北条、頼む。今は先輩たちもまだたくさんいるけど、いつかは俺たちでチームを作っていかなきゃいけない。そこにお前が必要なんだ。


 そうか……。天才じゃないから、ひとりじゃ戦えないって、わかってるから……。だから、(アイツ)は……。


 今、航と楓は、視野が大きく違っている。航は常に自分自身を理解し、全国大会という目的地をブレずに見ているのに、楓は航が、自分より一歩先にいることにばかりこだわって、羨みながら、しぶしぶ彼のあとに続いていたわけだ。


 なんだよ、オレ……。ほんとに、カッコ悪いな……。


「とはいえ、あの運動神経のよさとセンスは、やっぱずるいと思うけどねー。ただ、オレはさ、それだけじゃないってわかってるから、こういうことがあると、ちょっと心配なわけだよ」

「あぁ……」


 楓は、さっきものの数秒で終わってしまった、航と妻木の試合を思い出し、奥歯を噛み締める。チームメイトとしても、あれはプライドを切り裂かれるような、悔しい試合だった。


「なんかさぁ、必死になって真面目にがんばってここまで来たのに、まるっきり報われない展開っていうのかな。ちゃーんとレベル上げして備えてきたのに、中ボスがレベル二十も上だったら、きつくない? さっきの試合じゃ、指先でカンタンに潰されたみたいに感じちゃうじゃん」


 大地の言葉に、思わず顔が引きつってしまう。彼はわざとなのか、天然なのか、あいかわらず表現が辛辣(しんらつ)だ。

 

 大地、きっついなぁ……。でも、もしかしたら、航も今、そう思ってるのか……。


 力及ばずに負けたのではなく、戦うこともできないまま潰された。航が今、そんなふうに感じているかもしれないと思うと、楓はもうたまらなくなって、ぎゅうっと拳を握った。


 落ち込んでんなよ、航……。お前は先輩たちと一緒に、試合に出られるだけでもすげえんだぞ。秒殺されたくらいで、しょげてんじゃねえぞ――……って、怒鳴ってやりてえ……!


「あーあ、大丈夫かねぇ、航……」

「大地。オレさ、あとで航のとこ……、行ってくるわ」


 考えるより先に、言葉が出た。その瞬間、大地がにやりと口角を上げる。しまった、と思ったが、彼は「いいねえ。オレも一緒に行こうかな」と言ってから、すぐ隣で、ビデオを撮っている佐伯に「ね、大丈夫ですよね」と確認を取り始める。


 なんか、また大地(こいつ)(だま)されたような気がしてきたんだけど……。


 よくよく考えてみれば、なにも自分たちが航のところまで駆けつけなくたって、レギュラーメンバーの中には浬も羽柴もいる。航のメンタルを支える役目なら、彼らに任せておけば、それで十分なのではないかと思ったが――。


「白波戦が終わったらいいって! よかったね、楓!」

「お、おう……」


 大地のおかげで、もうあとに引けなくなったが、今はひとまず、応援だ。楓は気持ちを切り替えて、試合場に目を向ける。妻木と戦っているのは、毛利だ。彼は今、背丈のある妻木を相手に、間合いの攻防を図っている。周囲は、やけに静かだった。


「いやぁ、渋くいくなぁ……、毛利先輩」


 感心したような口調で、佐伯が言う。思えば、さっきから白波高校の応援席がやけに大人しい。大地と会話している間も、双方の観客席からは歓声ひとつ、上がっていなかった。それはこれまでの試合と比べると、違和感ですらあった。


 それは、毛利の攻め方のせいなのかもしれない。通常なら、毛利は足を細かく使いながら、勢いよくグイグイ攻めていく印象が強い。しかし、今は別人かと思うほど、動きが少なく、気合いの声も出していなかった。まるで、道場の隅で威厳を放って元立ちをする、年配の師範のようだ。おそらく、そのせいで、妻木もまた、慎重になっている。楓は、佐伯に(たず)ねた。


「この攻め方って……。毛利先輩の、作戦なんスかね……?」

「たぶんね。余計な体力使わないようにしてるのもあるんだろうけど、毛利先輩は、四分間たっぷり使って、一本取るのを意識してるんじゃないかな」

「四分使って、一本……」


 楓が呟くと、それまで黙って聞いていた斎藤が口を開いた。


「インハイ予選のときさ、兜山と当たっただろ。あの試合の前のミーティングで、織田先生が同じこと言ってたんだよ。とにかく渋くいけ、四分たっぷり使えって」

「え、そうなんスか……」

「うん。毛利先輩は今、あのときと同じ方法で、戦おうとしてるのかもしれないね」


 インターハイ予選の対兜山戦。毛利は先鋒で出場し、勝利している。相手は二年生ではあるが、今年のチームの(かなめ)のひとりだった。


 たしかに、あのとき……。先輩たちはみんな、やけに落ち着いた試合してたような……。


 それを思い出し、楓は再び試合場へ目を戻す。すると、さっきまではやけに大人しい、と感じていた毛利の繊細な駆け引きが見えてきた。竹刀の剣先のさらに先で、妻木の動きを探りとるような、巧みな攻めと、誘い方。楓はその動きをじっと見つめたが、ふと妙な感覚に気付き、首を傾げる。


 あれ……。なんか、変だな。なんだろう、この違和感……。


 ふたりの距離を見ていると、妙に混乱させられた。わずかだが、明らかに毛利と妻木の距離は近づいている。しかし、双方の剣先の交差している部分は、浅いままなのだ。楓は目をこすり、よくよく目を[[rb:凝 > こ]]らしてみる。だが、やはり距離は明らかに近づいているのに、竹刀の触れ合う場所は深くなっていない。楓は、改めて毛利の動きに集中した。そうして、気付く。


「そうか……。少しずつ、手元をずらしてるのか……」

「え? なになに、手元?」


 大地に訊き返されたが、今は目を離したくない。説明しているのもちょっと面倒だ。そう思った時。毛利は半歩前に攻めた。一瞬、双方の動きがピタッと止まる。すると、次の瞬間。


「面やぁあああッ!」

「小手ぇぇえええッ!」

「おおっ!」


 うわ、惜しい……っ! 若干、拳だったっぽいけど、タイミングは完璧だった!


 妻木が面を打ち込み、飛んだのと同時に、毛利が打ったのは、小手。つまり、出小手だ。しかし、旗は上がらない。双方、打った瞬間にはもうそれを確信していたのか、勢いをつけたまま近づいていく。そうして、遠間から互いにぐっと深く攻め入った。


「よし、勝負どころだ……!」


 斎藤のひとりごとに、楓は黙って頷き、祈るような心地で、毛利を見つめた。なんとしてもこの試合、彼には勝ち進んでほしい。もし、ここで妻木が勝ってしまったら、スコアはまるっきり五分に戻ってしまう。


 (アイツ)が、必死こいて勝ち進んだ分を、どうか繋いでくれ……!


「毛利先輩……!」


 間合いは、一足一刀。攻防を計るふたりの間には、緊張が走る。そのピリピリとした空気は、この観客席まで、たしかに伝わってきた。不意に、妻木がダンッと床を踏み鳴らすが、毛利は少しも反応しない。


「小手ぇぇッ! 面やぁあッ!」


 しびれを切らしたように、妻木が小手、続いて面を打った。彼はそのまま鍔ぜり合いになろうとしている。だが、その瞬間、毛利が動いた。楓は、思わず拳をぎゅうっと握る。


「面りゃあああッ!」

「おぉっ!」

「いいとこー!」


 引き面を打ち、毛利は妻木から距離を取る。これまたいいタイミングだったが、やはり一本には届かない。おそらく、わずかに面金だ。それでも、場所と審判が違えば、今の技は十分に一本になり得る。妻木はやや焦った様子で毛利を追っていた。


「くそぉ……。今の引き面、惜しかったなぁ……!」

「ちょっと浅かったのかもね。でも、おれなら、旗上げちゃうかなぁ。今の、真剣だったら絶対斬られてるもん」

「だよなぁ……!」


 斎藤と佐伯が話している。ふたりの会話を聞きながら、楓はやはり、祈るように毛利を目で追った。どうにかして、妻木をここで潰しておいてほしい。三年生の毛利を相手に、ここまで互角に戦うほどの実力を、彼は持っているのだから。


 毛利と妻木は、再び遠間から、一足一刀の間に入る。だが、距離は明らかに縮まっているはずなのに、剣先の交わり方が浅い。この感覚は、さっきと同じだ。


「また……」


 間違いない。毛利は手元、つまり竹刀を握る左手を、少しずつ手前にずらし、攻めていた。だんだんと双方の距離が近づいていく。


 おそらく妻木は今、相当戸惑っているだろう。いや、そうでなくても、違和感くらいは感じているはずだ。距離が近づいているようでありながら、逆に戻っているような、こんな攻め方をされたら、タイミングはかなり、掴みにくくなる。


 オレなら、かなり混乱しそうだな……。


 やがて、毛利の動きがほんの一瞬、止まった。それから半歩、前に出る。その瞬間を待っていたかのように、妻木が飛び込んでいく。すると、次の瞬間――。


「面やぁあああッ!」

「ドォオオーーッ!」


 妻木の竹刀は、毛利の慣れたような竹刀さばきに弾かれた。直後、パァンッ! と、乾いた音が響き渡り、赤い旗が三つ、ほぼ同時に上がる。


「おおーっ!」

「いいとこー!」

「胴だ、胴!」


 妻木が飛んだ瞬間、毛利が斜め前に踏み込み、素早く妻木の(ふところ)に入るようにして、胴を打ち抜いたのだ。彼は、一本を確信し、残心を取っている。


「胴あり!」

「っしゃあ……ッ!」


 主審の声に、その場にいた全員がガッツポーズをした。拍手、歓声が鳴り響く。妻木は天を仰いで、悔しそうに開始線へ戻っていく。一方で毛利は、軽く構えた後、足取り軽く、開始線へ戻った。しかし、その途中、不意に試合場の外へ振り返り、小さく頷く。振り返った先にいたのは――航だ。航は毛利の様子に気付いたのだろう。一度だけ、頭を下げた。


「かぁ……ッ、けぇ……」


 思わず、声に出た。まるで、毛利は「見たか、お前の仇は取ってやったぞ」と言わんばかりではないか。頼もしいその姿に、楓の胸はじわりと熱くなっていった。


 毛利先輩(あのひと)って、なんとなく三番手ってイメージしかなかったけど……、こんなかっこよかったんだ……。


 三年生の中で、どうしても目立つのは、部長の市鷹と副部長の将鷹だ。彼らは背丈があるし、個々の実力もずば抜けている。試合稽古でも、たいてい一位と二位は、浅井兄弟が勝ち取るのが常なのだ。そんな彼らと比べると、毛利は背丈が低いし、なんとなく、技も攻め方も地味な印象があった。しかし、市鷹や将鷹とはまた違う強さが、毛利にはある。楓は今の一本で、それに気付かされていた。


「ね、楓。今のって返し胴だよね?」

「うん、そうだよ」

「すげえなぁ。毛利先輩、さっきの試合でも胴技、決めてたじゃん。きっと、相当、得意なんだろうな」


 大地が声を弾ませている。まだ剣道に関しては勉強中の彼も、今の技で毛利の強さを理解したのだろう。しかし、彼が最も得意としているのは、おそらく胴技――だけではない。試合の流れを自ら作る、あるいは引き戻すという能力が、彼にはあるのだ。


 たぶん、毛利先輩には、そういう強さがある……。だから、先鋒を任せられてるんだ……。


「なぁ。もう残り時間、そんなにないよな」

「そうだね。残り十秒くらいかな」


 斎藤が訊き、佐伯がビデオカメラを覗いて答える。それから、ほどなくして、ピーッ!と、機械音が鳴った。主審が両方の旗を上げる。


「やめ! ……勝負あり!」

「やった! 毛利先輩の勝ちだ!」

「よかったぁー……! あと二人だね」


 楓は大地と頷き合って、コツン、と拳を合わせる。市立船戸高校、次鋒対、白波高校、中堅の試合は、毛利が勝利した。楓は試合場へ目を戻すと、ライン際まで下がって、呼吸を整える毛利を見つめた。


 いつか……。いつか、オレもああなるぞ……。航や浬の仇を取れるような、あいつらに信頼して任せてもらえるような、強い選手になってみせる――……!

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

よろしければ、続きをお楽しみいただけますと嬉しいです。


いなば海羽丸

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ