27【体格と体幹】~小笠原浬~
玉竜旗大会初戦、対中堅戦に臨む毛利、対大将戦に臨む将鷹のお話。
浬視点でお送りします。
市立船戸高校対、佐賀県立日野原高校の試合は、市立船戸高校が一歩リードした状態で次鋒と中堅の戦いへ進んでいた。浬は、深くため息を吐く。応援席に両親がいると思うと、ここにただ、座っているだけでひどく緊張するが、今はひとまず、試合に集中しなければならない。
今は考えるのよそう……。くっそぉ、父さんも母さんも……、あとで覚えてろよ……。
市立船戸高校の次鋒は毛利。日野原高校の中堅は、山岸。浬は、雑賀の手にあるパンフレットを覗き込んだ。
「山岸――……三年生ですね」
「あぁ。やけにガタイがいいな……」
「はい……」
中堅の山岸は、背が高く、がっしりとした体格の青年だった。背は――……航と同じくらいあるかもしれない。パンフレットの名前の横には「三年」と記されている。この試合は、三年生同士の戦いになるようだ。浬はごく、と生唾を飲み込み、試合場に入っていくふたりを見つめた。
体格が……、全然違う……。
毛利はどちらかというと小柄なほうだ。身長はおそらく、百七十センチか、それに満たないくらい。体つきも筋肉質ではあるが、細身だった。それに対して、山岸はまるで、重量級の柔道の選手のように体格が大きい。
なんだろう……。なんか、クマと、ウサギ……みたい……。
加えて、通常、中堅に置かれる選手というのは、そのチームの一番手、二番手が多かった。それまでの試合の流れがどうあっても、確実に勝ち点を取るためである。中堅は、勝っていればチームの勝利をより確実なものへと導き、負けていればどんなに厳しい状況であっても流れを変えなければならない。その役目があるのだ。
一方で、次鋒は中堅に繋ぐ、という大事な役目を持つものの、四番手、五番手が置かれるケースが圧倒的に多い。それを考えれば、この試合は激しく、そして厳しい戦いになることは間違いなかった。
「はじめッ!」
「せぇりゃぁぁぁああッ!」
「うらぁぁあッ!」
毛利と山岸は同時に声を上げる。だが、先に攻め入ったのは、山岸だった。山岸は静かに右足を前へ出して、じりじりと攻めながら、剣先で毛利の竹刀を払っている。毛利はすぐさま、仕切り直すようにして、大きく後ろへ下がってから、再び攻めようとしている。だが、山岸はその隙を逃さず、また攻め入ってきて、毛利の剣先をそのたびに払っている。剣先が相手の喉元から逸れれば、圧倒的に不利だということは、毛利だってわかっているだろうが、取り返せないでいるのだ。
「毛利先輩……、押されてるな……」
「ですね……」
「このままじゃ、背水の陣だ」
「背水の陣……?」
「そう。あとがないから、もう前に出るしかなくなるってこと。ただ、毛利先輩のことだから、前に出られるようなら、もう出てるよな……」
「つまり、あの山岸って人は……、毛利先輩にそのスキもくれないくらい、攻めてるってことですか」
「うん……、たぶんな」
少しずつ、少しずつ。だが確実に、山岸は毛利の間合いに侵入してきている。その証拠に、毛利の体勢はやや後方に傾きはじめていた。
前に出るって言ったって、あの体勢からじゃ……、苦しまぎれな技しか出せないんじゃ……。
苦しい体勢からいくら技を出したところで、勝機は見えない。隙だらけになり、打たれるのがオチだ。
「なんとかしないと……」
「あぁ……。でも、毛利先輩だって、当然それはわかってる」
インターハイ予選では、先鋒として出場した毛利だ。戦い方のスタイルは、風林火山でたとえれば、火。攻めに特化したタイプのように、浬には思える。そんな彼でも、今は試合場の隅に追いやられる形になって、なおも攻め入られている。体格の差か。それとも、山岸の攻め方の強さか。たぶん、どちらもあるのだろう。
「そう、ですよね……。あ、あぶな……っ!」
白線はもうすぐ後ろまで迫っている。もう限界だ。これ以上は下がれない。下がってしまえば、場外反則を狙われる。
「毛利先輩……」
だが、祈るように声に出して、毛利を呼んだ時。山岸は一足一刀の間までぐっと攻め入ってきた。毛利はまた半歩下がる。今、彼は白線を踏むか否か、ギリギリのところにいた。一番近くにいる副審が、毛利の足下を気にしている。山岸はもう今にも打ってきそうだ。浬は思わず、息を呑んだ。
「後ろないぞ!」
市鷹がそう言った瞬間。毛利は重心を前に直す。その直後、山岸が飛ぶ。面だ。
う、打たれる――……っ!
浬はヒュウっと息を吸い込んで、正座をしたまま身構える。ぎゅっと拳を握る。だが、山岸が飛ぶよりやや早く、毛利は体勢を低くして、斜め前に足を踏みこんでいた。同時に、パァンッ! と乾いた音が響く。
「面――……!」
「ドォォーーーーッ!」
「おぉっ!」
「っしゃあ!」
毛利は山岸の胴を打ち抜き、すり抜けるようにして残心を取っている。山岸は慌てて振り返り、毛利を追いかけたが、まるでそんな山岸を制止するかのように、三本の旗が一斉に上がった。
「胴あり!」
歓声が上がり、張り詰めた雰囲気が一変する。浬は呆気に取られながら、拍手もできず、試合開始線に戻る毛利の姿を見つめていた。
な、なんだ……。なんだ、今の……。
「毛利のやつ、やるなぁ」
「今のはすごいですね……。あの体勢から、まさかの抜き胴……」
隣で、雑賀と織田が感心したように話している。浬はじっと毛利を見つめ、正座をしたままで拳をぎゅうっと握った。
あんな体勢から打てるなんて……、すごい……。
「二本目!」
「やぁさぁあああっ!」
「うらぁぁああっ!」
二本目が始まって、山岸はさっきよりもさらに積極的に攻め入ってきた。だが、毛利が動じている様子はない。むしろ、攻め入られているとしても、さっき見事な抜き胴を見せられたおかげで、間合いの攻防で負けているとは思えず、まるで山岸が誘い込まれているようにすら見える。浬はドキドキしながら毛利を見つめて言った。
「さ、さっきの胴……、毛利先輩は、最初から打つつもりだったのかな……」
「どうかなぁ。ただ、あの人の体幹は、とんでもなく強いってことだけは確かだ」
ひとりごとのつもりだったが、雑賀が答える。浬は思わず、自分の胴の、ちょうど腹のあたりをさすった。
「体幹……」
「ライン際で、しかも、あの体勢から、フツーは胴なんか打てないよ。あの人、小柄だけど、相当鍛えてるんだと思う」
「へえ……」
「かっけえよな……。あんだけの体格差だぞ」
浬はごくん、と生唾を飲み、頷き、試合場に目を戻した。山岸が攻め、だんだんと間合いが近づいていく。だが、毛利が再びさっきのように下がり始めると、途端に山岸は攻め入るのを躊躇し、やけに中途半端に打ち込んでくるようになった。当然だが、彼は打たれた手前、警戒しているのだ。もっとも、無理もない。さっきの抜き胴は、見ているだけでもかなりの衝撃があった。実際に受けた山岸は、それをその何倍も強く感じているに違いない。やがて、だんだんと山岸の攻めが弱まり、気付けば間合いの攻防は、やや毛利が優勢のように見え始めた。
「押してきてる……。いい感じだ……」
雑賀が興奮気味にそう言った。毛利は少しずつ、少しずつ、山岸を攻めていく。間合いは一足一刀まで近づいた。山岸はダンッと足を踏み鳴らして、威嚇しているようだが、違う。おそらく彼は、打たれた恐怖からそうしている。必死に毛利の出方を見ているのだ。
毛利先輩……。次はどうするつもりなんだろう。もし……、おれだったら……。
「うらぁぁああ!」
ダンッ、ダンッと床を踏み鳴らす山岸に対して、毛利は静かに半歩、右足を前へ出した。次の瞬間、それに過敏に反応したように、山岸が打ち込んでくる。しかし、その打ちには勢いがない。どう見ても、中途半端だ。
「小手……っ」
「メンりゃぁああああッ!」
山岸が中途半端な距離で打ち込んだ瞬間、毛利が面を打つ。タイミングは悪くない。だが、浅かった。毛利の竹刀の先は、山岸の面金に当たった。
「おぉっ、惜しい……っ」
雑賀が悔しそうに拳で膝を叩く。両チームからは拍手が湧きあがり、だが、すぐに静かになった。毛利と山岸は今、鍔迫り合いになっている。
「こう見ると……、本当に毛利先輩と山岸……さんは、ほんとに、全然、まったく体格が違いますね……」
「だな」
「おれも、体、小っちゃいじゃないですか。大きい人とやるときって、けっこうやりにくいんです。特に、横幅もあるタイプの人は……、なんていうか、岩みたいで……」
「重いし、力も強いし?」
「そうです。なかなか、体勢を崩したりできないし、狙えるところは限定されてきちゃうし、バカ正直にやり合ったら、体力だけ削がれちゃいますから……。基本、すごく疲れるので、ああいうタイプはちょっと苦手なんです……」
「へえ。浬にも苦手があるんだな」
浬は頷く。剣道を長く続けてはいても、体格だけはどうしようもないのだ。両親はどちらも背が低いし、小柄。浬も当然、彼らに似て小柄な方だった。剣道は階級別になっているわけではないので、明らかに体格の違う相手とあたることもある。それが敗因になることもある。だが、小柄な選手が絶対的不利で、強くなれないということはないこともまた、浬は知っている。なぜなら、兄たちは、体はさほど大きくないが、当たり前に全国大会に出場できるくらいには、強かったからだ。
兄さんたちは、うまく戦う方法を知ってるんだろうな……。
兄たちはきっと、様々な相手と戦った経験があって、方法を知っていて、技術もあるのだろう。そうでなければ、インターハイへの出場も、そこで戦うことも絶対にできない。一方で、浬はまだそれをよく知らない。ただ、剣道を長く続けている、というだけだ。
おれは、まだそういうのわからない……。中学でも、週イチで剣友会行くだけだったし……。体格差のことまで対策練って、剣道やったことなんかなかった。ただ、苦手で、やりにくいってだけで……、小さいからしょうがないかって、それで終わってた。なんにも考えなかった……。
その時だ。それまで、ずっと黙っていた織田が浬を呼んだ。
「浬」
「は、はい……っ」
「浬なら、山岸みたいな奴と鍔迫り合いしたら、どこを狙う?」
「お、おれ、ですか……。おれは、ええと……」
浬は考えた。鍔迫り合いを続ける毛利と山岸を見つめて、想像する。自分なら、引き技で得意なのは断然、引き胴だ。それは、浬の体格だからこそ、磨いてこれた技だった。同年代の中では比較的、背の低い浬にとって、面を狙うより、小手や胴を狙う方が圧倒的に効率がいい。特に胴は、背の高い相手に対しては打ちやすいので、つい狙いがちになる。だから、必然的に胴を打つことになり、自然と技を磨くことになるのだ。
「おれは、胴です、かね……」
「そっか。浬は胴、得意だもんな。俺なら、そうだな……。面かな」
「はぁ……」
「浬、いいか。毛利の戦い方をよく見とけ。お前と毛利は、体格が似てるし、剣道のタイプも似てる。あいつの戦い方は絶対、お前にとっちゃ参考になる。よく見て、大きい奴とどうやり合うのか、勉強するんだ」
「はい……」
「全国クラスまで行けば、フィジカル勝負にぶち当たることなんかザラにあるからな。体格差なんか、いいわけにすんなよ」
「は、はい……っ!」
まるで心の中で悶々と考えていたのを見透かしたかのような織田の言葉に、ドキドキさせられながら、返事をして、浬は試合場へ目を戻した。毛利と山岸は長い鍔迫り合いをしたのち、審判の「離れ」の声で距離を取り、再び遠間に戻る。仕切り直しだ。だが、間もなく、高い機械音が鳴り響いた。
「やめ! ……勝負あり!」
拍手が鳴り響く。浬も、夢中で拍手を送る。毛利の一本勝ちだ。山岸は天を仰いで、がっくりと肩を落としながら開始線に戻っていく。浬は、静かに開始線に戻る毛利をじっと見つめた。
本当だ……。あんまり気にしたことなかったけど、毛利先輩とおれって、体格似てるんだ……。ってことは、あの人の得意技は、おれにもできるかもしれないってこと……。おれも、毛利先輩みたいに、体格の大きい人相手にしても、苦手意識持たないで、ちゃんと勝てるってことだ……。
「体幹かぁ……」
浬はさっき雑賀が言ったことを思い出し、もう一度、胴をさする。体幹トレーニング。そういえば、兄たちも部活から帰ってきてから、自宅でよくやっていた記憶があった。ふたりはよく浬を誘ったが、その口調はいつだってどこか説教くさかったし、そもそもその頃は強くなりたいなんて、これっぽっちも思っていなかったから、軽くあしらっていただけだった。しかし今では、それも悔やまれる。
兄ちゃんたちみたいに、おれも、体幹鍛えなくちゃ……。今さらだけど、あのとき一緒にやっとけばよかったなぁ……。
そう思ってから、ハッとして再び毛利に目をやる。毛利もまた、体幹を鍛えているのだとすれば、当然、その方法を知っているわけだ。
そうだ……。試合終わったら、毛利先輩にどんなトレーニングしてるのか、聞いてみよう! それでメニューを教えてもらえれば――……。
「おーい、浬。ちゃんとスコア表つけてるか?」
「え……、あっ、やば……」
「ちゃんとつけとけよ」
「はい……っ! あの、毛利先輩は、まだ試合やるんですよね?」
雑賀に訊ねる。すると彼は頷き、得点表に目をやった。次鋒、毛利と中堅、山岸の試合は、毛利の一本勝ち。つまり、毛利が勝ち進み、相手チームの副将と戦うことになる。浬は急ぎ、膝の上のスコア表に、毛利と山岸の試合結果を書き込んでいく。
「そうだよ。次は、次鋒と副将の戦いだ」
「で、ですよねっ」
書き終えると、浬はドキドキしながら、再び毛利を見つめた。浬はこれまで、自分の体格のことも、体幹のこともそこまで深く考えなかった。ただ、剣道で強くなるために、強い相手に勝つために、航がいるこのチームでインターハイへ行くために、できることはなんでもやりたいと思った。
今までこんなふうに思ったことなかったけど……。おれ、もっと剣道、強くなりたい……! 今はまだできないことを、できるようになりたい……!
その後、毛利は佐賀県立日野原高校の副将と引き分け、畳の上に戻ってきた。試合場では、中堅、将鷹と日野原高校の大将、村上が戦っているが、浬は畳の上で面を取る毛利をじいっと見つめた。
毛利先輩に絶対、教えてもらうぞ。体幹トレーニングのやり方とか、技出すときの感覚とか、タイミング、それから……。
聞きたいことはたくさんある。浬はそれを頭の中にメモ書きするように思い浮かべながら、毛利を見つめる。毛利は、浬の熱い視線に気付いたようだったが、すぐにギョッとして顔を引きつらせた。
「……かーいーり」
「え……? は、はい……っ」
雑賀に呼ばれ、ハッとする。彼は隣で、呆れた目で浬を見つめていた。
「毛利先輩の抜き胴に感動したのはわかるけど、まだマサ先輩、試合中だぞ」
「ぅあ……、す、すみません……」
「ま、気持ちはわかるけどさ。そんなに焦んなくたって、これから時間はいくらでもあるよ」
「はい……」
雑賀の優しい表情の背後で、毛利が不思議そうに浬を見つめている。浬は頭を掻いて、ひとまず試合場に目を移した。膝の上の拳を強く握り直す。今、将鷹は、村上と間合いの攻防で激しく攻め合っていた。ふたりの剣先が触れ、弾き合ってはまた触れ、だんだんと近づいていく。
「一足一刀に入った……。ここからだぞ……」
「はい……」
雑賀が言って、浬は返事をする。村上がどんな選手なのか、浬はよく知らない。パンフレットを確認しても、名前と学年が載っているだけだ。
「村上……さんは、三年生ですね」
「まぁ、大将だからな」
「はい」
見たところ、村上の体格は特にこれといった特徴がなく、普通だった。もちろん、筋肉質な体つきをしてはいるが、さっき毛利と戦った山岸とは違い、ものすごくがっしりしているわけではなく、細身なわけでもない。背丈は将鷹よりも少し小さかった。百七十――半ばくらいだろうか。
背丈も、体格も標準。ただ、日野原高校は決して弱くない。それはここまで戦ってきた四人を見れば一目瞭然だった。村上はそのチームの大将を担っているのだから、一番の強者だと思って間違いないはずだ。もっとも、市立船戸高校は、将鷹、羽柴、市鷹の三人が残っているから、チームとしては圧倒的に有利。しかし、だからこそ。村上はそうカンタンに勝たせてはくれないだろう。
マサ先輩は、どういう作戦を考えてるんだろう……。
浬がそう考え始めたとき、将鷹が動いた。
「小手ぇ……ッ!」
将鷹が打ったのは、差し小手。相手の剣先を押さえ込み、逸らしたところで、打ち込むシンプルな技だ。しかし、その技を打ったあと、すぐに鍔迫り合いになった、その瞬間。
「面りゃああああッ!」
将鷹は、フェイントをかけて引き面を打ち、残心を取る。鍔迫り合いになった瞬間を狙った、いいタイミングだったが、察した村上が大きく体を反らしたので、打突は浅かった。面金だ。
「惜しいなぁ……、くそ……」
雑賀がひとりごとのように言う。浬は奥歯を噛み締め、下がって残心を取る将鷹を見つめた。村上が追って、間合いが近づいていく。遠間から、一足一刀の間へ。将鷹はコーナーを背にしていて、後ろのスペースには余裕がない。ここはピンチだ。しかし、同時にチャンスでもある。
将鷹は残心を取ったあと、すぐに構え直し、前へ出た。追いかけてきた村上もまた、間合いを詰め、将鷹を攻める。互いに攻め合い、竹刀が触れるか触れないかのところ、将鷹が飛んだ。
「面――ッ」
「胴ォッ!」
その時――。パアンッ! と乾いた音がして、村上が将鷹の胴を打つ。右に振りかぶり、斜めに打ちきったその技に、浬はハッと目を瞠り、すぐに顔を引きつらせる。今のは、逆胴だ。
「ここで、逆胴を使うの……」
拍手が響き、副審の審判旗が一本上がって、浬は思わず身をすくめる。だが、主審と副審のふたりは旗を下ろしたまま、左右に振っていた。どうやら一本は免れたようだ。浬はふう、と息を吐いた。
「ひえぇ、危なかったぁ……」
「ったく、さらっと難しいことやりやがって……」
雑賀は悔しそうに言って、にやりと口角を上げる。おそらく彼も、思っているところは浬と同じだった。浬は頷く。
「……今の、タイミングの取り方、めちゃくちゃ上手かったですよね」
「あぁ。試合で、しかもこのタイミングで使ってくるってことは、相当打ち慣れてるか、得意なんだろうな……。浬、お前できる?」
「いや……、練習試合ならともかく……」
「だよな……」
逆胴自体は、さほど難しい技ではない。それは、相手が手元を上げたところを、向かって右側から斜めに、胴の部分を打ち抜く技で、基本稽古にも組み込まれている。高校で、しかも強豪校にいて、打てない剣士はまずいないだろう。だが、相手が打ち込んでくる瞬間を狙って、逆胴を打つのは誰にでもできるわけではない。その一瞬、ためらいなく、且つ綺麗に打ち抜かなければならないし、失敗すれば打たれてしまう可能性は高い。しかも、それを大会の試合で狙ってできるのは――。
「死ぬほど稽古して、同じだけ成功を重ねていないと、こんなところでさらっと打てるはずないんだ……」
「はい……」
浬はごく、と生唾を飲み、試合場に目を戻す。そうなのだ。逆胴を打つことは誰でもできる。けれど、それを大会の試合中、しかも相手が打ってくる瞬間、そこを狙えるのは、上手さと強さの両方を兼ね備えていて、しかも経験もそれなりにあるということ。それを考えれば、脅威でしかない。
頭の中で可能だと思っても、それを実際にやるのはすごく違う。選択肢はひとつじゃないし、もっと楽な方法だってあるのに、それを選ぶのは、あの人にそれだけの自信があるからだ……。
「でも……」
「ん……?」
浬は、ぐっと拳を握る。たしかに、村上は強いチームの大将で、上手い。そして、この五人の中の誰よりも強いのかもしれない。だが。
「マサ先輩だって、強いですよね!」
浬は雑賀にそう言って、拳をぐっと握って見せる。すると、雑賀は頷き、「あぁ!」と答えた。それを聞くなり、浬の胸が高鳴る。村上という強者を目の前にしていても、まるで、当然だろ、とでも言うかのような彼の返事が、こんなにも心強かった。
「うらぁああッ!」
「ぃやさぁああああッ!」
将鷹と村上は、再び遠間から近づいて、間合いを詰めていく。将鷹はダンッと踏み込んで床を鳴らし、果敢に攻め、村上は将鷹の竹刀を弾き、攻め返す。まだまだ時間は残っている。技を組み立てれば十分に一本を狙えるはずだ。
村上さんに負けないくらい、マサ先輩だって、強い……!
「面――ッ」
「小手ッ、小手だぁーーッ!」
ほどなくして、先に将鷹が技を仕掛けると、村上はそれを防ぎ、打ち返す。互いに打ち合いが始まり、近間になった瞬間。ふたりが同時に引き技を打ち、離れていく。しかし、旗は上がらないまま、残心を取ったあと、再び間合いが近づいていく。
「あ、この展開……」
「え?」
「マサ先輩の得意なやつだ」
雑賀が口角を上げ、ひとりごとのように呟いた、次の瞬間。まだ竹刀が触れない遠間から、わずかに触れるくらいの距離になる。と、その時。将鷹が飛んだ。
「メンりゃぁぁあああッ!」
技を決める声とともに、バグンッ、と深い打突の音がして、三つの旗が一斉に上がる。浬は手の平に爪が食い込むほどに強く拳を握った。ガッツポーズをこらえたのだ。これは、将鷹が大得意としている、遠間からの差し面だった。
もう何度も見てるけど、すごい……。マサ先輩の面って、ほんとに大砲みたいだ……!
「うわぁ、なんだ今の……、こえぇ……」
「大砲ぶっ放したみてえじゃねえか……」
「市立、船戸……って、どこ?」
「千葉だって」
「へえ、千葉……」
周囲からそんな会話が聞こえてきて、浬はどうしようもなく嬉しくなる。背後にいて、噂をしているのが誰なのか、どんな人なのかわからないが、その噂する声を聞けば聞くほど、猛烈に興奮していた。今のを見たか、どうだ! と自慢して回りたくなった。だが、同時に。羨望と憧れを超えた、嫉妬心が湧き上がってくる。
今までおれは、道場の稽古とか、市民大会くらいでしか、剣道をやってこなかったけど、ちゃんとわかる。市立船戸の先輩たちは強い……。インターハイは行けなかったけど、九州の強豪と当たったって、負けないくらい強い……! ってゆーか、来年のインハイは絶対行くし!
だが今、このチームの強さを構築しているのは、自分ではない。三年生の市鷹や将鷹、毛利。二年生の羽柴たち。そして、航だ。浬は膝の上の拳を強く握る。
悔しいけど……、おれはまだ、チームの戦力になれてない……。補欠に入っても、ここでスコア表書いてるだけだ。でも来年は、絶対……!
「雑賀先輩っ」
「ん?」
「おれ、これからやんなきゃいけないこと、いっぱいです……!」
思わずそう言うと、雑賀はきょとん、とした表情をした後、くくっ、と笑みを零した。
「面あり! 二本目!」
「うらぁぁぁあッ!」
「ぃやぁさぁあああッ!」
将鷹と村上の、気合いの入った声が響く。浬はスコア表に一本を書き込んだあと、その横に小さく「大」と付け足して書き、試合場に再び目をやった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
よろしければ、続きをお楽しみいただけますと嬉しいです。
いなば海羽丸




